豊穣の大地―大根狩り―
その子は本と共に生まれてきた。――とある騎士の言葉。
この世には不思議な出来事が溢れている。
親が目を離した瞬間、赤子が大事そうに本を抱きかかえている光景を見てビックリしたという逸話も、その不思議の一つ。
これは親が驚きのあまり、その本を取り上げて捨ててしまいそうな話ではあったが――。
その本から溢れ出る温かい光を目にした途端、天からの授かりものであると理解するらしく、親が赤子から本を取り上げることは無かった。
尤も、最たる理由は誰がどの頁を開いても白紙にしか視えなかったからだが。
下手に触れて神様とか怒らせたら怖いし、使い途も良くわからない。悪いものじゃなければ放置しておこう。後回し後回し、という結論に達したのも無理はないだろう。
事実、その本に纏わる出来事は何も起きなかった。少なくとも赤子が自由に動き回れるようになり、その本を開くまでは。
物珍しい本として部屋の一室に置かれ、閉じたまま沈黙していた。
――そして物語は、かの赤子が世に生まれ落ちて十と五年の後に始まる。
赤歴816年。ガウルフレア大陸、テレス王国、ルー開拓地――。
豊穣の大地、なるものを耳にしたことはあるだろうか。自然が育む果実、薬草が多く実り、飢えとは縁遠い土地という意味だ。
なるほど、それは真実だとユウは思う。だが大人達がわざわざ大根一つ取る為に、子供達を差し置き、武器を担いで向かう姿は正しいのだろうか。
これが農具と呼ばれるものなら何ら問題は無いのだろう。だが大人達の手にあるのは無骨で刃幅の広い剣だ。これで大根を狩るのだという。
「ユウ、お前も十五だ。行くか?」
「行く」
だが何が正しい姿かなど、目の前に広がる現実には余り影響を及ぼさない。何時も読み耽っている本の記述と、現実のイメージが食い違っただけのことだ。
神様が俺にくれた本は、少しだけ風変わりらしい。ユウはそう納得して本を閉じ、男から差し出された剣の柄を受け取るように握りしめた。
「みんなの飯を狩ってくる仕事だ。気を抜くんじゃねぇぞ?」
「おうっ」
少しだけ気合を入れ、ユウは腰を挙げる。剣を渡した男の背に続くように歩き出した。
まだ幼さの残る顔立ちなのに凛とした雰囲気を漂わせ、薄い空色の瞳は真っ直ぐ前を見据えている。肌は日に焼けてほんの少し浅黒い。少し歩けば頭の後ろに縛った黒髪が揺れていく。
動きやすそうな東国の袴装束に、サラシを腰に巻いただけの簡素な出で立ち。だがサラシを固く巻き締め、足首の辺りを服の上から紐で固定している辺り、今直ぐにでも動けるよう準備は終わらせていたらしく、それを見た男の顔が笑みに変わった。
「お前ェは大丈夫そうだな。さては、今までこっそり着いてきたか」
「いや、狩りに行く前のみんなの姿を見てた。何時もと何処か違うのか、兄ちゃん達の話を聞いたりして、前もって準備したんだ」
「結構結構。あれこれ調べて整えておくのも立派な仕事だぁな。怠っちゃなんねぇ」
がはははは。と、男は上機嫌で笑い出した。
本ばかり読んでいるから稲穂のように細い身体かと思えば、歳相応に鍛えているのは肉付きが証明している。背丈こそまだ低いと言えたが、目の前に立つ男と比べればこそ。ユウは成長期に差し掛かったばかりであり、これからに期待である。
それに――ユウ自身が告げたように、事前準備は入念に行ってきたのだろう。
毎年恒例の“大根狩りの儀”は、春の四月に行われる開拓地の通過儀礼。
今年に入り、満十五を迎えた男児は成人式を兼ねたこの狩猟に必ず参加することが義務付けられている。
一応、内実の情報は伏せられているものの、人の口に戸は建てられない。前年参加した者達に聞けば、半数は苦笑いと共に語ってくれることだろう。もう半分は意地の悪い笑顔で内緒だと告げるのだが。
兎にも角にもユウは自分の脚で情報を集め、準備をしてきた。それが緊張ではなく、この落ち着いた表情に繋がっているのだと男は確信する。
こういうヤツを鍛えれば非常に頼りになるものだと、まだ見ぬ未来を思い描いて愉快そうに笑う。そんな男の後ろをついて歩くユウもまた、顔を綻ばせていた。
―― 近隣の平原
「お、居たぞ」
開拓地から続く道から少し離れ、開けた大地を闊歩する野菜達。その中でも目の前に居る大根は好戦的な種族で知られている。
その姿は図太く、背丈の低い人型。大きさは人の腰辺りまでだろうか。今は両足を地面に向かって斜めに突き刺し、日光浴と言わんばかりに上半身を晒している。肘らしき形に腕を折り曲げ、頭を支える姿はまるで余暇を楽しむ人間のようだった。
だが油断は出来ない。大根は自分たちを捕まえようとする者達に対し、激しい抵抗を行う。急所を的確に狙い、油断した人間なら大人であろうとボコリ倒してしまうという、油断ならぬ野菜なのだ。
「行くか?」
「いや、待て」
ユウのように、今年で十五才になった者達はあの大根を狩ってみろと大人達に言われたが【一人で】とは指定されなかった。訝しんだユウが予め話を通していた幼馴染を連れて来たのだが――どうやらそれで正解だったようだ。
「……伏兵が居るな」
ふぁさっ、と優雅に頭の葉を揺らしている辺り、油断しているようにも見えるが……あれは擬態だとユウは看破する。
「一……ニ……三……か」
周囲を見回して見れば、ユウ達が潜んでいる林の近くに見慣れた緑色の葉が揺らいでいるのが視えた。数は三。
つまり目の前で日光浴している大根は囮。だが、囮である大根もすぐに臨戦態勢を取れるよう休憩形態の半分しか身体を地面に埋めていない。大根が本気で休眠モードに入る時は、その頭の葉だけを地面から見せる為だ。
「全株覚悟完了かよ」
「完全に俺等を狩る気だな」
幼馴染が呆れたような顔で長剣を握りしめた。すぐに思考を切り替え、油断なく大根共の動きを注視していく。
奴等はあの繊維質な身体で関節も無いのに、どうやってその手足を動かしているのか理解出来ないほど俊敏に動くのだ。子供並みの知恵もあり、このように囮作戦まで編み出して見せる。
大地と太陽の光を栄養源とする野菜類につき人を捕食する訳ではないが、危険度が低いなどと侮ることは出来ない。数を揃えられ、囲まれてしまえば敗北は必至。罠も張っているとなれば、更に悲惨な結果を招くことになるだろう。
それに――大根は倒した相手の顔をグリグリと足蹴にして、その辺りの野原に投げ捨てていく習性を持っているのだ。敗北は即ち、屈辱に直結する。更に動けない状態で野犬が寄ってくるような事態にでもなれば、問答無用で生命も危ない。
今回は周りに経験豊富な大人達が潜んでいる為、最悪の事態は回避出来るだろうが――二人一緒でなければ。またどんな段取りで事を進めるか決めていなかったら。恐らくは、あの大根ズに一生消えない煮え湯を飲まされたに違いない。
「大根の癖に生意気な……」
「油断すると殺られるぞ。主に俺等の自尊心と道連れでな」
「解ってる。油断はしねぇよ」
「俺が前に出るから、ゼドは追撃な」
「ユウが右で、俺が左だったよな」
「あぁ」
「避けられたら、一対ニを堅持」
「囲まれたら、背中合わせでカウンターを狙う」
「「よし」」
初めての捕獲任務だというのに、その面持ちは緊張ではなく興奮に彩られていた。隣に隠れるユウもまた同じ。実戦を想定した独自の訓練を重ね、幾つもの襲撃パターンを二人で考えてきた。毎日ヘトヘトになるまで身体を動かしてきた成果が此処に現れている。
「でも、こいつはチャンスだろ?」
「伏兵の奴等が俺達に気付いていない」
「正解」
曰く、子供達の怨敵。
曰く、大人の恩野菜。
大根にやられずして、強くなった者は居ない。そんな嫌な格言すら残されている。
だったらその格言を乗り越え、大根にやられずして強者になったという伝説を打ち立ててやろうではないかと、二人は意気揚々と歩き出した。
息を整え、背を低くして、逸る気持ちを押さえつける。ゆっくり、音を立て無いよう迂回して、囮を見守る伏兵共の近くまで接近したその時――。
バキッ、パサッ
上から、何か落ちてきた。それは真ん中から折られた樹の枝だ。ユウ達の視線が一瞬木の上に向き、言葉を発するよりも遥か前に全身が総毛立って冷や汗が溢れ出る。
音に反応して、伏兵として潜んでいた大根が一斉にユウ達の方を向いた。木の上に居るのは黒い大根が一体。これは――間違いない!
「黒異種だ! 上に居る!」
「上位の監視兵完備かよ! んとに油断ならねぇなぁっ!!」
二人はすぐさま鞘から剣を引き抜き、前に向かって駆け出した。
ここで引くのも選択の一つだ。しかしその場合、囮と監視兵の大根が戦列に加わる。万全の敵に数の差で押されるのが目に見えている。
今しか倒すチャンスは無い! 前進制圧あるのみ!!
「「おぉおおぉぉおっ!!!」」