ぶんぶん様の女心は空模様
ふむ、とフェアリー01は考えるような声を出した後、
《さて。此方は天秤の釣り合いの調整と協議をせねばならんのでな。それぞれの銘を決めるという重大な案件はお二方だけで解決してくれ。オーヴァ》
矢継ぎ早に伝えると、二人の返答を待つ前にプツンと通信を切ってしまった。
「だってさ」
「き、緊張しますね……名前……お名前……」
神様の頭の中は、もう既に互いの名前をどうするかで一杯のご様子だ。
そんな微笑ましい彼女を見つめた少年は、此処でようやく彼女の容姿を心の視界に入れた。
一見すると、彼女は身の丈が小さい十歳前後の幼女そのもの。瞳は薄い空色で、肩半ばまで伸びた亜麻色の髪が緩やかに顔の中心部に向かって弧を描いている。後ろ髪は藍色の細いリボンで緩く縛られ、二つ結びの形をとっていた。
率直な感想を述べれば、外見の美醜に殆ど興味を示さない少年をして、可愛らしいと思わせる程の美貌。しかしながら、爽やで心地よいと思わせてしまう印象の所為か、色気だけは年齢相応。ハッキリ言ってしまえば微塵も無かった。
仮に男女の仲を迫られたとしても、殆どが「十年後にお待ちしております」と笑顔でお答えしてしまうぐらい純朴で、それでいて将来どう花咲かせるかを楽しみにさせてくれる容姿の持ち主。それがウチの神様だった。
「あ、あの」
少年の穏やかな視線を受けて、神様はごく自然に事を理解してしまった。彼女の新しい名前は少年の中で既に決まってしまっており、だからこそ他の事に思考を割く余裕があるのだと。
「もしかして……もう、決まっちゃいました?」
なのに自分は少年に相応しく、失望されないだけの銘がまだ思いついていない。待って欲しいと告げるのも格好着かないと考えてしまい、そんな想いを汲んで欲しいと期待するように疑問符付きで問いかけた。頬に浮かぶ一筋の汗と一緒に。
「うん」
なのに彼の口から出てきたのは敬虔な信徒とは到底思えない残酷な肯定だった。神の沽券など一瞬で吹き飛んだ彼女の背中がビクリと震えて、あっちこっちを振り返って混乱具合をアピールする。
「ちょっ、ちょっと待ってて下さい! 今直ぐ決めますから!!」
「神様、神様。そんなに焦らなくても良いって」
急いで焦って、変な名前を付けられても少年は困るのだ。何せ一生どころか、生まれ変わってもその銘で呼ばれる事になる。じっくり時間をかけて慎重に考えていただきたい。
「……あ」
「えっ?」
「ピッタリなお名前、思いつきましたっ」
「も、もう?」
「はいっ、これなら貴方も満足してくれること請け合いです!」
溢れんばかりの後光をバックに天を仰ぐ神様とは対照的に、少年は膝の上の手をぎゅうっと握りしめて俯いた。
この時ばかりは神様のネーミングセンスが優れていることを真剣に祈り、神頼みすら辞さない。何だか本末転倒な気がしなくもないが、彼女の後光の入り具合から見て、今回に限って拒否権は無いものと思われる。この先、ずっとその銘で呼ばれることを考えれば、緊張で冷や汗が溢れでて来るのは致し方なし。霊体だけど。
「ユウさん、貴方の銘はユウさんです!」
「ユウサン……」
顔を上げた少年が最初に抱いた思いは、読み仮名の『さ』の部分が『ざ』では無かろうか。という素朴な疑問だった。何やら美食を探求しそうな人物の名前に一歩足りないような気がする。
「えっ? あっ! 違います、違いますよ!? さんは敬称であって名前の一部ではありません! ユウ、が、貴方の銘ですっ」
「おぉっ」
想像していた最悪の道筋から完全に外れた一般的な名前だ。素晴らしい。キラキラネームやら当て字ばかりで読めない名前とは一線を画している。いいや次元が違う。
喜びを隠せない少年もといユウの反応を待ってましたと言うように、神様もまた笑顔で近づいてきた。期待を目一杯膨らませながらユウに尋ねる。
「喜んでいただけたようで何よりですっ。ところで、私の銘はどんなお名前に決まりました?」
「文々とかどう? こんな字を二つ並べた、文字と手紙を表す銘なんだけど」
ユウは指で『文』と『々』の文字を虚空に書いて見せた。
「むー……」
ユウとしては割と真剣に考えた銘なのだが、神様はお気に召さなかったようでそっぽを向かれてしまった。頬をぷくりと膨らませて、不満の意をこれでもかと示されてしまう。
「とても良いお名前だとは思うんですけど……男性のお名前みたいで、可愛くありません」
なるほど、女の子としての琴線に触れなかったのだとユウは顎に手を当てて納得する。
「それに私の名前がメジャーになった時、ぶんぶん様って呼ばれてしまいます! そうなったら私の神像はきっと茶釜が標準装備ですよ!? おまけに守護獣は狸さんですっ」
そのイメージの原典は恐らく文福茶釜だろう。日本昔話とはまた懐かしいものを……。
「俺は狸も可愛いと思うんだけどなぁ……。暖炉の中心に茶釜があって、堀の近くに狸が暖を取りながらのんびり寝ている光景が思い浮かぶんだけど」
そして神様はその守護獣たぬー(愛称)を優しく撫でながら本を読むのが日課。一部では文々と呼び親しまれる神様。これはこれでアリだと思うのだが。
「うっ、くっ……や、やり直しを要求致しますっ」
ちょっぴり心動かされたようだが、再審議の決意は変わらないようだった。
ならばと、ユウは『華』の文字を虚空に描く。
「ならさっきの文の字に可憐な華と書いて『文華』で。これなら神様のイメージにピッタリだ」
「えっ」
そんな言葉がすぐに出てくるとは思ってもみなかったようで、神様の表情が石像のように止まった。
でもそれは一瞬の事で、ユウの口から出てきた言葉が徐々に染み渡るかのように頬が赤く染まっていき、遂に耐えかねたのか頬を手で抑えて、ユウに背中を向けてしまった。
「……私、そんなに可憐ですか?」
「とても可愛いと思うよ」
「……お嫁さんに貰いたいと思ってくれるぐらい、可愛いですか?」
「それは人間換算で十五年後の姿に期待かなぁ」
そう答えた瞬間、神様の笑みは一気に鳴りを潜めた。目を細めて振り返り、ユウを睨みつけると、左手を軽く振って魂の書を手元に呼び寄せる。パラパラと頁を捲りながら、何時の間にか右手に掴んだシャープペンシルで何やら追記し始めた。
「ユウさんは年増趣味……と」
「ちょっとぉ!? 神様、俺の魂の書に何書いてくれちゃってるのっ。どれだけ影響あるのか解かんなくて超怖ぇんだけど!」
「ユウさんは女心が解っていません! 私、こんな姿でもユウさんより遥か年上なんですからねっ」
「……その事実と、俺の書に何やら書き込んだ事への因果関係は?」
「ユウさんは年増趣味。私はユウさんより年上。なので事実をちゃんと伝えれば、ユウさんは私をもっと大切に扱ってくれる筈です! 本当は今の姿でも全然構わないよぐらいのことは言って欲しかったのですが……すっぱり諦めます! 以上、証明終了!」
年増趣味と書き込むことへの因果関係は見事なまでに立証されなかった。全てを闇の中に葬るつもりかと、ユウは己の信仰を捧ぐべき神に抗う。
「その証明は重大な事実が欠落しているままなので、本案件は立証不完全と言わざるを得ない。よって却下します」
「じゅ、重大な事実とは一体何ですか? ユウ被告人、説明を求めますっ」
「未来がどうなるか分からなくても、一生懸命頑張るって言ってくれた神様に俺が凄い惹かれてるってこと」
「!」
「そんな神様がこれから刻を重ねて更に成長するんだろ? その慈しむべき姿は、節目節目に都度お披露目されるべきだと思う。むしろ、そうした一緒に成長していますっていう雰囲気こそが、俺達の距離を劇的に縮めるって考えられないか?」
「なるほど、一理あります。でも、ユウさんがご所望される姿はたぶん七百年ぐらいかかりますけど…………ちゃんと待っててくれます?」
「待つよ。今の姿にも不満なんか無い。だから、それは消しておいてくれ」
「はーい」
「何より、さ。初めて信仰を捧げる神様なんだぜ。しかも可憐で可愛いと来た。大切にしたくなる気持ちはどう足掻いたって芽生えるのが人情ってもんだろ?」
「……そう、ですか。ふふ……そうですよね。分かりました、ちゃんと消しておきます。ユウさんは無罪っと」
(あ、あっぶねぇ……)
ウチの神様は油断も隙も無かった。