弟子入り上等、その喧嘩買います
「棘熊を倒したついでに寄ったら長に誘われてね、今年の有望株を観に来たのよ」
上半身裸の偉丈夫はそう告げて、片目を閉じて笑みを浮かべた。
その姿を見た男は背筋を素早く伸ばし、直立不動でハキハキと応対する。
「こっこれはライガ様! お久しゅうございますっ」
「グレン。アンタも壮健そうで何よりよ。去年生まれたって言ってた赤ん坊は元気?」
「はいっ! すくすくと育っております!」
「そう、それは良かったわ。そう言えば――」
グレンと呼ばれた男は長と相対した時よりも遥かに緊張しているように見えたが、不快や面倒だという悪感情は微塵も感じさせない態度だった。
むしろ会話を交わすこと自体が光栄と思っている表情であり、グレンにそうさせてしまう偉丈夫が只者ではことを言外に匂わせている。
ゼドと仲良く呆気に取られていたユウはいち早く我に返り、世間話に花咲かせる偉丈夫を見上げるようにして目線を向けた。
その総髪は鮮やかな赤で、須く後ろに撫で付けてあり、前髪が一房だけ横を向いている。髭は無く、鼻筋が通っているが彫りがやや深く、顔のパーツも均衡が取れていた。
だが男だてらに整った顔よりも眼を引くのはその身体だ。目の前で言葉を交わしているガタイの良い男の更に一回り大きく、それでいて引き締まった身体には太い筋骨が浮かび、腕と脇腹には彫像と見紛うような肉の筋が刻まれている。
それは一見しただけで男の強さが感じられるほどの風貌。端正な顔立ちさえも弱さや脆さと言った印象を感じさせることが無いことに、ユウは感嘆する。
更に驚くべきは薄い疵跡が身体の至る所に見られたが、大きな疵跡は一つもないということだ。恐らくは――大人の尊敬を勝ち取るだけの実績を積みながら、これまで敗北の二文字を負ったことが無いのだろう。
一体どれほどの修練を積み、実戦を経ればこのような男が完成するというのか。ユウの小さな想像の余地は、その独特なオネエ言葉の衝撃と共に彼方に吹き飛ばされていた。
「――で、こっちの二人が大根を無傷で、しかも黒異種も狩った子達?」
「はっ。ハナミチ殿とオルグ殿の子息であります!」
「オルグに……ハナミチ……ね。アンタ達、名は?」
「ユウです!」
「ゼドです!」
元気よく二人は答えた。ライガが発する熱気のような、ただ前に立つだけで圧倒される雰囲気に抗うには、声を張り上げる他無いと自然に悟っていたからだ。
目の前に立つ男と比べ、遥かに未熟だと、格が違うと理解しながらも、負けん気は持っている。それを示す二人の顔に満足するようにライガは満面の笑みを浮かべて二人の肩を叩くと、
「ユウにゼドね。アンタ達、これから油断しちゃダメよ? アタシが言うのも何だけど、最初ばかりはボコられるぐらいで丁度良いんだから」
そう、二人に告げた。それはライガなりの優しさ、心からの忠告だったのだろう。成功することは油断怠慢という強烈な毒を孕むことに繋がる。これで死人を量産するぐらいなら高くなる前の鼻っ柱を叩き折り、敗北から足りないものを自覚させ、生に対する執着を植え付ける方がマシだ。確かに其れは正しい忠告に違いない。
((今日じゃなければなぁ))
ユウもゼドもそれは理解している。いや、理解していた。今の今までは。ただその正しい忠告が、今日だけは許容出来なかっただけの話だ。初めて自力で得た勲章に傷を付けられ、油断慢心を戒めるための心積もりをしていたユウでさえ、何かを口にするより疾く怒気が溢れ出てしまう。
憎悪を抱いたり、ライガを睨み付けることは決してしない。口も硬く、一文字に閉じたまま。それでも受け入れ難いと拒絶するように両手をぎゅうっと握りしめ、ライガを真っ直ぐ見据えた。
気だるさを感じていた筈の身体に力が漲る。何処にこれほどの力が残っていたのかと自分達でも不思議だった。
「ふっふふふ……っ」
二人の眼差しを受けて、ライガが破顔する。
「悪くない、悪くないわ。でもアタシ意地悪なのよねぇ……だから、こう言っちゃう」
さぁ、この宣言をどう攻略する? と、
「今回の成果、そのご褒美に――ユウとゼド、どちら一人をアタシの側仕えにしてあげるわ」
「なっ!?」
先程まで緊張していた筈の男が信じられないものを見たと言わんばかりに声を上げ、目を見開いてライガに視線を向けた。
ライガは強い。その風貌が、血筋が示すようにとてつもなく。まして此処は、人は強者として在るのが英華と直結するような世界だ。
つまり、ライガの強さを受け継ぐ直弟子になれる道であると言っても過言ではない。その提案はこの開拓地にあって、未曾有の好機であった。
「ま、弟子みたいなものだと思って頂戴。その座は、二人で選びなさい」
「あ"?」
だが、その言葉が意図するところに気が付いたユウが、幼馴染を差し置いて真っ先にブチ切れた。
今日の獲物も競争などではなく、二人が協力して得た成果だ。それを真っ二つに切り分けて、互いに優劣を付けるような提案など侮辱以外の何者でもありはしない。
お偉方が用意する椅子なんか知ったことかと。どれほど素晴らしい栄誉だろうと、友との仲に亀裂を生み、引き裂かんとする褒美など到底認められるものではないと。
――否、断じて許してなるものかと、噴火するような怒気がユウの胸から溢れ出る。
「いら「ユウだ!!」
怒りと侮蔑を隠さず、背を向けようとしたユウを引き止めるように、ゼドの大声が辺りに響き渡った。
驚きのあまり言葉を失い、大きく眼を開いたのはユウだけではない。隣に居た男は言うに及ばず、事を起こしたライガさえも数秒固まった。
「……良いの? アンタにだって、望んで挑む権利はあるのよ?」
「ああ……ライガ様に付いて行けば、俺はもっと、ずっと強くなれる。そういうチャンスだってのは解る……っ」
ゼドは俯きながら拳を握りしめる。悔しさを言葉とその顔に滲ませながら、本音を舌に載せていく。
それは震える握り拳から伝わるような、肺腑から絞り出すような激情だった。
「だからこんなことを言うのはスゲェ悔しいし……正直、俺がって言いてぇよ……!」
ゼドはずっと、ユウに分け与えられていたとも思っていた。成果を、偉業を、実績を、自信を、誇りを、今日得たありとあらゆるモノを。
それを識った上で悔しさを抱き、塗り固めるように虚勢を張っていた。だが、いくら威張り散らしたところで自分の心は晴れやしない。
「なら」
「でも、ユウは俺より強い。頭も良いんだ。まだ俺は、全然届いてねぇ……ッ」
なのに……隣に居た幼馴染は二人の成果である事を少しも疑っていなかった。無事に戻れたことを、分かち合えることを喜んでさえいた。
だからあれほどの、今までに見たこと無い怒りを見せたのだと。その表情を視た一瞬でそれらを理解して――同時に、ゼドはこれまでのことを思い出した。
剣の振り方、身体の動かし方、戦略、計画、事前準備。自分が口を出し、動いたことよりも、遥かに多くのモノをユウから与えられていたことを。
確かに今日の戦果は二人のモノだ。だがそれを受ける時、二人は対等であったか? ゼドの心の内に、その疑念の暗雲が無かった訳ではない。
誇らしいと思い、頼れると思い、そんな親友に頼り切りにならずとも、自分で自分を誇れるのか。何よりユウが自分を頼りにしてくれるのか、その確信は遂に持てなかった。
揺れる心の天秤を推し量るかのように尋ねられた言葉は己の侠気を試す言葉に聞こえ、その確かな栄光に誰が与えられるのが相応しいかを――
「――だから。一人しか選べないのなら。俺は、ユウを推す!!」
顔を上げて、この場に居る全員に向けて、ゼドは毅然と声を大にして言い放った。
小さな誇りを自ら傷つけながら、それでもゼドは前を向いていた。目の淵に涙を湛えながらも、その表情は立派な男のそれであった。
「……そう」
まさか、という想いがライガの胸を灼く。
今直ぐ二人が戦いをおっ始めるか、日を改めて答えを出すか、どちらかの道を選ぶと思っていた。
これが分別を弁えた大人であったなら、ゼドの答えも十分在り得た。だが、それでも即答は在り得ないと考えていた。
一日二日は悩みに悩み、その上で答えを出すものだと信じて疑わなかった。
それで鼻っ柱が折れるなら良し。傲慢は即ち死に繋がる世界だ。勝った方も自分が指導と称し、叩き潰せば良いと考えていた。
だが、大人の、漢の面構えを持ち得る人間が自分を差し置いて誰かを推す。
心の底から任せられると、その判断は間違いではないと、信じ切れなければ。そして何より、心の何処かでその性根に惚れていなければ……まず、その答えは男には出せない。
そんな答えを選ばせた者と、その答え納得して差し出せた者。
両名とも、鍛えれば黄金のように輝く逸材であることは間違いない。これを引き離すことはその価値を減ずる愚行だったのではないかと、ライガは己の言動を後悔し――更に驚く羽目になる。
「ユウ、先に行ってこい」
「でもよ」
「こんな機会、滅多に無ぇなら逃がすのは損だ」
一瞬でも感情を爆発させ、胸の内側を灼き尽くすような痛みに支配されたユウを黙らせるようにゼドは笑い、
「お前に引き上げてくれなんて言わねぇ。何時かお前に追い付く。いや――」
ユウの胸に、拳を真っ直ぐ突き立てた。
「必ず追い越してみせる!! ……だから受け取れ!」
それは威力が乗っていた拳ではなかったが、ユウを僅かに蹌踉めかせることに成功した。
気合、気骨、気迫と呼ばれる侠気はゼドが勝つ。これが俺の生き方だと告げるように、ユウに背を向けて走り出す。
その後ろ姿を数秒だけ眺めた後、ユウは拳を当てられた部分を右拳で叩いた。信じて託されたのなら、逃げることは託した者への裏切りに他ならない。だからこれは、決して逃げないという誓いだ。
「ライガ様」
怒りが鳴りを潜めていくのを、息を大きく吸い込む度に感じた。
その心の赴くまま、ユウは赤髪の偉丈夫の前に立ち、膝を折り、頭を下げる。
「……言ってご覧なさい」
「ゼドは何時か貴方の前に立ちます。今よりもデカイ成果を持ってきて、教えを乞おうとするでしょう」
「えぇ、そうなるでしょうね」
「その時、目標が腑抜けているとゼドもつまらないと思います。だから、俺を鍛えて下さい」
「――は?」
「貴方様の弟子である俺が強くなったゼドを真正面から叩き潰し、その上でゼドの力を認めて、俺の推薦で側仕えにさせます。そうなればアイツは、悔しさから更に強くなろうとするでしょう」
澱のように心の底に沈んでいた後悔の念。
「次は貴方様の指導がある。なら、俺達はもっともっと強くなれる。学ぶことが無くなったら、次は二人で逆襲します。勿論、そのお相手はお師匠様です」
「はははっ」
それを底から吹き飛ばすかのような提案をするユウに、思わずライガは笑ってしまった。
「精々俺達に寝首掛かれないよう、強いままで居てくださいね?」
「はははははははははっ!!! あっはははははははははははははは!!!!」
顔の半分を手で覆って、天を仰ぐように脇目もふらずに笑い続ける。
「なっなっ成程ねっ! アタシはアンタ達の友情に喧嘩を売った!! だから買うのね! 売られた喧嘩を、強くなってから、二人で!! あぁっはははははははははははははは!!!!」
納得するように、堪え切れずに、愉快そうに、空いた方の手で何度も太腿を叩く。
「――ふぅ……久しぶりにくっそ笑ったわ。えぇえぇ……良いわよ。アタシも喧嘩を売った手前、今更引っ込めるなんてダサい真似はしないわ。でも、アタシは糞強いわよ? 二人掛かりでも勝てると良いわねぇ」
「勝てなければ鍛え続けるだけです。この屈辱、岩をも通すと信じていますよ」
ユウはライガを見つめながら、初めて笑う。
その顔はどこか子供っぽく、お偉方に啖呵を切ったとは思えないほど清々しい表情をしていた。