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物怪七物語  作者:
其ノ零
2/13

002

平凡──それがどれだけ幸せなことなのか。

それに気が付かない限りは、人間というものは必然的に非凡を追い求めてしまうのだろう。


平凡であることを嫌い、非凡であろうとする。

平坦な人生をゼロとして、皆が一様に一以上の人生を歩もうとする。


プラスでもマイナスでもない、ゼロという人生が──良くも悪くもない、普通極まりない人生が、最も安定した素晴らしい人生だということを知らずに人間は生きている。


俺もその知らぬ人間の一人だ。ゼロを卑下し、プラスにこだわる精神の持ち主だ。

しかしこの世の中で、今やそう珍しくもないそういった人間は、きっと気付かないのではなく、気付けないだけなのだろうとも、俺は思う。


実際に俺がそうだったように。

平凡に生きている人間は非凡の辛さに気付けないのだろう。


非凡になって初めて気づく、というものである。


非凡を自ら追い求めたくせに、いざなったらなったで平凡に戻りたがる──なんて図々しいやつなんだ、と思われるかもしれないけれど、人間というものは図々しい生き物なのである。


しかし、俺も平凡に生きている人間であり、非凡を追い求めている人間であり、平凡であることの幸せを知らぬ人間であるがために、ついつい一種の癖のようにこう口にしてしまう。


「あーあ、俺の人生、つまらないなあ」


非日常に憧れるごく普通の男子高校生である俺──睦月(むつき) 桐哉(とうや)の人生はまさにゼロだった。


頭が良い訳もなく、特別悪いわけでもない。

顔も普通だし、運動能力もそこそこである。

運だって悪くもなければ良くもない。

全てのステータスが五段階で言えば三である。


けれどもそんな俺の心からの叫びに対し、


「まだ十七年ちょっとしか生きてないのにつまらないも何もないと思うけどなあ」


──と、"彼女"は言う。


「第一、桐哉の人生がつまらないなんて誰が決めたのさ。こんな可愛い女子高校生のお家で一緒に談笑してる人生なんてなかなか刺激的だと思うけどなあ」


「呼ばれた理由がデートであればそれは俺も刺激的だと思うんですけどね」


俺の目の前には確かに可愛い女子高校生がいて、ここはその女子高校生の家で、その女子高校生の部屋で、二人きりで、確かに今は雑談タイムであるのだけれど、この雑談タイムに至るまでが壮絶過ぎたのだ。


中学生時代からの付き合いの、謂わば腐れ縁といった仲の友人──壱宮(いちみや) 冬華(ふゆか)に午後一で電話で呼び出された俺は、まず課されたミッションとして部屋の掃除をさせられた。その後は風呂掃除に庭の草むしりと言ったように大掃除のような雑用を一手に任された。無理矢理──である。


こういったマイナスあっての、現状のプラスでやはり俺の人生はゼロだった。


なぜ俺が断らずにこんな奴隷のような扱いを請け負ったかというと、まあ簡単に言ってしまえば過去に受けた恩に対するお返しのようなものであるため、そこは問題ではなかった。

問題は奴隷体験中の俺の心境──そこにあった。

部屋掃除から始まる一連の大掃除、そして雑用──確かに疲れはしたけれど、不思議と嫌ではなかったのだ。そこに俺は疑問を覚えた。


さらに謎はもう一つ、俺が壱宮にそういった頼みを受けたことはこれまで一度もない上に、彼女は確か綺麗好きで、部屋が散らかることなどなかったはず──ということだ。


俺が知る限りは庭も今までは綺麗に整っていたし、風呂場も毎日掃除が行き届いているしっかりとした家庭だったのだ。

これまでだったら俺に頼むまでもないはずなのだが、今日は何か違った。


部屋は恐ろしく汚く、風呂場もなかなかの大惨事、庭なんてジャングルそのものといった感じだった。


今日──四月二十四日は特に大掃除の日と決まっているわけではないだろう。大晦日ならばまだ分かるけれど、今はまだ春──桜も散り始めといった上半期真っ只中なのだ。


そこにも違和感を覚えた。


「まあまあ、そう考えすぎないで、お茶でも飲みなって」


言われるがまま、俺はお礼として出されたお茶で乾いた喉を潤す。


まあ──壱宮がそう言うのであれば、考えすぎない方がいいのだろう。

最近の壱宮の言うことは、正しい事ばかりなので、ここはその言葉に乗っかる方が利口というものである。


「…お前は新しいクラスとか慣れたのか?」


俺は思考を止め、リセットし、話題を切り替えるべくそう切り出した。

ハンガーにかかっているセーラー服を俺はちらりと一瞥する。


壱宮は俺とは違う隣町のそれなりに頭のいい高校に通っているため、お互いの近況というものを把握してはいなかった。


そのため、偶に会ってはお互いの近況を報告しあってきたのだが、新学期に入ってからの近況はまだ報告しあってはいなかった。


お互い今月の初めに高校三年生へと進級し、それぞれクラス替えなどの環境の変化はあったはずなのだ。

話題はいくらだってあるし、盛り上がる自信もあった。

しかし、その自信は無残にも打ち砕かれた。


「…いやあ…まあ…うん…慣れた…?う、うん、な、慣れたよ!」


「…………」


いや絶対慣れてないだろう。最悪の空気に今にも押し潰されそうである。


「な、なんだよ。なんか悩みがあるなら聞くぞ?ほら、俺これでもお前の友だちなんだしさ」

奴隷兼友だち──ではあるけれど。


「でも…彼氏では、ないよね」


「は?」


「桐哉が彼氏ならなあ…」


物思いに耽ったように窓の外を見ながら「はぁ…」とため息をつく壱宮──


「そうやって健全の男子高校生を手玉に取るのいい加減やめろよ!勘違いすらしねえわ!」


「てへっ」



こういうところがあるのだ。昔から、こうやって俺をからかうのが大好きな魔性の女なのだ。

だからこそ俺はもう騙されることなく、魔性の女に対する耐性は十分についている。きっと俺は悪い女に騙されることはないのだろうけれど、やられ過ぎると少々メンタルにダメージが蓄積していくのでやめてもらいたい。


「そんなカリカリしちゃダメだよ、桐哉」


「誰のせいだっつの…」


「──まあ、大丈夫だからさ。気にしないでよ。悩みとか、全然抱えてないからさ」


そう言って、壱宮は優しく微笑んだ。

ここまで言うなら、もう無駄な詮索などしなくてもいいのだろう。


「ならいいけど、何かあったら言えよな」


「うん、ありがと」


そんな会話をして、一息つく──って

「結局俺地雷踏んだの!?」


会話終わったけど…。


「それはそうとして」


「地雷踏んだのね…」


「さっき桐哉さ、人生つまらないなんて言ってたけどさ、ほんとにそう思ってる?」


「え?」


不意の質問に、俺はつい、みっともない声を出してしまった。

話が急に百八十度ひっくり返り、俺の話題振りとは全く無縁の話題へと切り替わったことで、俺は口ごもってしまった。


するとそんなだんまりを決め込む俺にしびれを切らした壱宮は俺の理解度を無視して話を続けた。

俺の理解度をガン無視して、ズカズカと話だけを進めていく。



「もし、桐哉が本気で人生をつまらないって思ってたら──本気、で人生を刺激的にしたいって思っているのなら」


いつの間にか俺は、真剣な面持ちでヤケに本気を協調する壱宮の話を、相槌すらも忘れて聞き入ってしまっていた。


「願ってみなよ。あくまでも、本気で、桐哉が非日常を望んでいるのなら──後悔、しないのなら」


「願う…?」


壱宮は一体、何を言っているのだろうか。

願う──何に?

後悔──何で?


非日常を願ったところで何が変わるわけでもない。

ましてやそれによって後悔する事なんて、あるわけないのだ。

非日常に憧れた俺が、もしほんとに非日常を得られたとしたら、それは後悔どころか、大喜びすることだろう。

それこそ、腹踊りでもして発狂するんではないかというくらい、喜ぶのではないだろうか。


喩えるなら、ずっと欲しかったモノを手に入れられた時の、あの感覚のように。


非日常──それはきっと空を飛べたり、魔法が使えたり、SFチックな展開での主人公ポジションを確立していったり、言うなればモテモテの日常、そういうもなのだと、俺が勝手に思い込んでいるだけなのだが、そうでないにしても今の退屈極まりないノーマルの中のノーマル、五段階中の三段階、僅かな揺らぎすらもない長閑な湖の水面のような俺の日常よりは面白く、良いものなのだろう。


それを得て後悔なんて、するわけがなかったし、そもそもそれが本当に得られるというのなら、俺は本気で願ってもいい。

だが、一体何に、誰に願うというのだ。

そんな、それこそ非現実滲みた願い事が叶うなんて、あるわけがないだろうに──


「あるんだよ。そんなおかしな願い事が叶うなんていう非現実的な場所が。本気で願えば何でも叶えてくれる夢のような場所が」


壱宮は静かに続ける。

さっきまでの魔性の女はもういない。ここにいるのは、俺の知らない壱宮冬華である。真面目な顔で、おかしな話をする、おかしな壱宮冬華だった。


「私たちの住んでるこの場所──この町には、願えば何でも願い事が叶う神社があるんだよ」

そこに辿り着けたらの話だけれどね──と、壱宮はそこでようやく笑ってみせた。


神に願え、ということだろうか。

いや、そんな話聞いたことがない。願えば何でも願い事が叶う神社がある──そんな話は噂としてさえも聞いたことがなかった。


そもそも願えば──なんて、そんな単純かつ良心的なシステムが噂にもならずに埋まっていたなんてことがあるわけがない。

俺が知らなかっただけ、と言ってしまえば確かにそうなんだけれど、そんな、それこそ神懸かっている神社があったらたとえどんなに鈍感なやつでも耳にくらいするだろうし、目にもするだろう。


欲に眩んだ人間がこの町に溢れかえる光景を。


しかしこの町──俺達の過ごすこの物怪町(もののけちょう)は、名前こそ奇異なるものであるが、その実態はただの田舎町で、世間的にも影の薄いただの小さな町なのだ。中途半端な発展しか遂げぬ、どこにでもあるような、そんな町なのだ。

観光名所があるわけでもないため、人で溢れかえることもない。


だからそんな、ある種のパワースポットのような神社が存在するわけがない。

辿り着けたらの話だけれど──なんて、都合の良すぎる条件にも嘘臭さや胡散臭さを感じてしまう。


何に対しても疑いから入ることは、確かに褒められたことではないけれど、これは誰が聞いても疑うだろう。というより、信じようともしないのが普通だろう。


どうせまた、俺をからかおうとして、壱宮は真面目な風を装ってまでそんな大胆な嘘をついたのだろう。

全く、俺も馬鹿にされたものだ。結局、そこにいたのはいつもの壱宮冬華であり、いつも通りのただの魔性の女であったというわけだ。


「嘘じゃないって。何ですぐに嘘って決めつけてるのさ」


この後に及んで俺を騙そうとする壱宮。そろそろ滑稽である。


「ああ、そうね、うん、何でも願いが叶う神社、辿り着けたらいいなあ、うん、辿り着けたら最高だろうなッ──」


「棒読みで感情のこもってない暴力的な挑発を受けたせいで思わず手が出そうになったよ」


「暴力的な強さで足は出てきたけどね」


突然無言で立ち上がった壱宮に、挑発の途中で顔面に思い切り蹴りを食らって俺は少し吹き飛び、思い切り床に倒れ込んだ。

座ってる俺の顔は、立ち上がった壱宮からすればとても蹴りやすかったらしく、壱宮の蹴りは、健康体の男子高校生を吹き飛ばすほどの威力を持つ驚異的なものだった。

顔の骨が心配になるところであるが、奇跡的に何でもなかったようで、激痛のみが俺を襲ってきた。しかしそこは男の意地で、何とか叫びはせず、冷静に突っ込んでみせた。

ここまで一連の流れ。


「信じてくれなかったらもう一発、今度は反対の側頭部に更に強いやつぶち込むよ」


「遂に力の支配かよ」


魔性の女通り越して悪魔の女だわ。こいつ、格闘技何てやってなかったはずなのに、なんでこんなに戦闘力高いんだよ。怖いよ。


「月々三千円程度で頭頂部からの踵落としで地獄に突き落とすプランもあるんだけれど」


「人を地獄に突き落とす悪魔の所業を携帯電話の料金プランみたいに言ってんじゃねえよ」

そこそこいい値段してるあたりに更なる悪意を感じ取れる。


「私の足はヤシの木を蹴り倒すほどには強いけど?」


「ヤシの実を蹴り潰す威力ではないようで良かったわ」

──いや良くねえわ。ヤシの木を蹴り倒すって相当だわ。錯覚に陥っていた。危ないところだった。


もう、ここまで来ると壱宮のキャラもブレブレになってきてしまっていた。

さすがにいち友人としてこのままではマズイと思ったので、ここは素直に信じてあげたとして、話を合わせておこう。


これでも、本気を出せば演技力はある方なのだ。


「わかった、信じるよ。お前の話全部、信じる」


「それでいいんだ、それで」


「でも、辿り着けたらって、どうすれば辿り着けるんだ?」


そこは、たとえ嘘であろうが何であろうが気になっていた。デタラメに歩いていれば辿り着けるなんて、そんな単純な話ではないだろうし──


「デタラメに歩いていれば辿り着けるよ」


「単純かよ!!」


いよいよ都合の良すぎる話にしか聞こえなくなってきた。

最近の小学生の方がもう少しマシな嘘つけるぞっていうレベルである。


「神社に導かれるっていうか、やっぱ、そういうものらしいよ。気っていうか、霊感っていうか、そういうものに惹かれるみたいな」


曖昧なことを言う。気って。ドラゴンボールの世界かよ。


「…まあ、信じてなくてもいいよ。今は、ね。そのうち嫌でも向き合わなくいけなくなるからさ──」


ぼそっと、壱宮はそんなことを言った。その言葉の示す意味を、俺はまだ理解してはいなかった。


「ささ、もう外も真っ暗だし、そろそろ帰りなよ。今日は良いモノ蹴れたし私は満足だよ。さっ、ほら、帰った帰った」


「お、おう、長居して悪かったな」


急にさっさと帰れコールされてしまい、つい申し訳ない気持ちになったが、よく良く考えてみればこの話題を振ったのは壱宮だったのだ。

掃除もしてやったし、嘘にも付き合った。俺は何も悪くない。むしろ被害者だ。良いモノ蹴れたしって何だよ。満足って何だよ。


しかし、もう時間も遅いのも確かだった。

壱宮の部屋の可愛らしい壁掛け時計の針は午後七時を指していた。


壱宮の両親は仕事でまだ帰ってきていないが、あまり長居するのはマナー違反だろう。

俺も家族の待つ家へと帰るとしよう。


「じゃあ、また」


「うん、じゃあね。帰り道、気をつけてね」


別れの挨拶も程々に、俺は壱宮の家を後にした。


ささやかな外灯のみが闇夜を照らす田舎町の午後七時半過ぎ──薄暗い道を、自宅へ帰るために歩いていたはずの俺は、なかなか家へと辿り着かないことに気付いたのは壱宮の家を出た三十分後だった。


俺と壱宮の家は、そこまで離れてはいないので、どんなにゆっくり歩いたところで十五分から二十分で着くはずなのだが、今日はやけに時間がかかっていた。


──いや、問題はそこではなかった。


問題は、壱宮の家を出たその瞬間から今に至るまでの三十分間──俺は家の方向とは全く違う、逆方向に向かって歩いていたことだった。


そんな異常な現状に気付いたのは、俺も全く知らない道、そして場所に辿り着いた時だった。外灯もそこそこに、民家一つすら見当たらないその場所。携帯電話を見ても圏外で、ここがどこなのかの判別がつかない。


通ったこともない道。見た事もない場所。目の前には木々が鬱蒼と生い茂った小さな山。小さいと言っても、周りに生える木や草のせいでやけに壮大で、迫力満天である。そこに、恐らく山頂か中腹に繋がるのであろう石で作られた階段が伸びている。


この異様な状況、これだけでも十分に不気味だ。

そして、まるでここに吸い込まれるかのように、知らぬ間に辿り着いた俺は、そんなおかしな状況に三十分間も気付けなかった事に、更なる恐怖を感じる。


しかし、辺りを見渡し終わった時、また無意識のうちに階段へと歩を進めてしまっていたことに比べれば、それらの恐怖や異様さなど大したことはないだろう。


何故、俺は歩いているのだろう。

何故こんな、名前も知らない山の山頂もしくは中腹に向かって、歩いているのだろう。


そんなことを考えながらも、足は着実にその最終目的地に向かって動き続け、そして──


辿り着いた先、月明かりが差し込み、町の外灯よりよっぽど明るいであろうポッカリと空いた空間に出て、そこでようやく俺はまともな意識を取り戻した。


取り戻したことで、絶句した。


俺の眼前に広がるその何度か目にしたことのある景色、目の前に聳える年季の入った木造の赤い建物。



俺が辿り着いた先は。

最終目的地は。


そう──"神社"だった。



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