2.シェリー
「なっ?!あかっ、あか、あか、あかかっ?!」
女性が抱えている籠の中に本当に赤ん坊がいるのを見て、先程の女性より慌て出す男性。
「あなた、落ち着いて。」
今度は逆に、つい先程まで大慌てだった筈の女性が男性を落ち着かせようとする。目の前で自分より慌てる人を見ると、かえって冷静になると言うのは嘘でも無いらしい。
「お、落ち着けって、こんな状況で落ち着けるわけないだろう?!その子どうしたんだ?どこの子だ?どうしてここにいる?!親はどこ」
「あなた、落ち着いて。話しをするにしても、まずは家に入りましょ?こんな寒い場所にこの子をいさせるわけにはいかないわ。私達も落ち着かなきゃいけないわ。」
次々と質問をしてくる男性を止め、女性が暖かい家の中に入る事を促す。
「あ、ああ。そうだな。この子をこんな寒い中にいさせるわけにはいかないな…すまない。少しだけ落ち着いた。」
男性もそこで状況がわかったのか、取り乱した事を謝る。
「いいのよ。私だってまだ混乱しているんだから。」
そう言いながら、夫婦は赤ん坊と共に家の中へ入って行くのだった。その場のやり取りを聞く者がいるのに気が付かぬまま。
夫婦の会話を聴いていた者は、二人が家の中に入るのを見届けると、隠れていた隣り合う家々の影から出て来る。それは女性に赤ん坊の事をお願いした女だった。
『まずは無事に引き取ってくれたようですね。もうこの後は何もして差し上げられませんよ。どうか幸せな時を過ごされますよう。』
そう言った次の瞬間には、女の姿は文字通り音もなく消えていたのだった。
「ふー…何とかひと心地ついたか。」
男性が椅子に腰をかけ、やっとといった感じで休憩している。外で話しているわけにはいかないと、家に入ってからが大変だった。赤ん坊が起きてしまったのだ。目が覚めた赤ん坊は突然泣き出し、子育ての経験のない夫婦は何が理由で泣いているのか皆目見当も付かず、「なんで泣いているんだ?!」と、あれじゃないこれじゃないと大騒ぎだった。そして、ついさっき赤ん坊を包んでいるぬのが濡れている事に気が付き、オシメを交換してあげて泣き止むまで、実にあの深夜の不思議な来訪からかれこれ一時間も経っていた。普段ならもう布団に入って寝ている時間だ。だが、今日はまだ寝るわけにはいかない。
「そうね。何とかまた眠ってくれたわ。」
女性も少し疲れている様に見えるが、今後の事を話さずに寝てしまうわけにもいかない。
「さて、どうしたものか…」
そう言いながら、温かくしたタオルできれいに拭いてやり、オシメを交換した事で気持ち良さそうに寝ている赤ん坊の顔を見る。オシメを替える時に分かったのだが、この赤ん坊は女の子だった。
「そうねぇ…」
先程オシメを交換しながら、赤ん坊を見つけるまでの経緯は男性に話していた。
「やっぱりこんな事信じられない?」
女性も自分が突拍子も無い事を話した事は自覚しているのだろう。だが、深夜に訪れた女が赤ん坊の事を女性にお願いすると、返事も聞かず消えており、ドアを開けてみれば赤ん坊が籠に入れられ置かれていた。という事実を話す以外になかった。
「…いや、信じてるさ。俺も直前まで一緒にいたんだ。だから、おまえの話しが信じられないとかじゃなく、この状況に困っているだけだよ。」
男性は女性の話しを疑ってなどいない。ただ、突然に赤ん坊の事をお願いされてしまった現状に戸惑っているだけだった。
「信じてくれてありがとう。ジャック。」
女性は男性…ジャックに自分の話しを信じてくれた事を感謝する。
「はぁ、おまえを信じるなんて当たり前じゃないか。ソフィ。」
ジャックは女性…ソフィに向けてそう言う。当たり前じゃないかと。もう夫婦になってだいぶ経つのに、とても嬉しくなるソフィだった。
「ま、まあ、それはいいとして!問題はこの子…シェリーの事だ。」
「ふふ…そうね。名前まで決めてるのに、どうしてそんな子を他人に任せようと思ったのかしら。」
ジャックとソフィの言う通り、赤ん坊には既に名前があった。泣き出したので籠から抱きあげた時に、「“シェリー”をよろしくお願いします。」と書かれた紙が籠に入っている事に気が付いたのだ。
「やはり…孤児院に連れて行った方が良いのだろうか?」
ジャックがどこか納得しきっていない様子でそんな事を言い出した。孤児院とは様々な理由で親を亡くしたり、一緒にいられなくなってしまった子供達を預かる施設である。孤児院とは言うものの、個人がやっているわけではなく国がしっかりと経営している国家施設でもあるので、そこにいる子供達は貧しい生活を送っているわけではない。
「そう…なのかしらね…」
ソフィもそうすべきなのだろうと思い、やはり納得はしていなさそうだか、ジャックの言葉を肯定する様な言葉を口にする。そして、何処か哀しそうにシェリーに触れようと手を近づける。
「ぅぁ…ぅ……」
すると、眠っていたシェリーが愚図り出し、触れようとしていたソフィは手を引っ込めようとしたが、シェリーはその指を小さな手ではしっと掴むと引き寄せ、また静かに眠った。
「…………あなた…」
「…はは…はははっ…くくくっ…」
「え?ど、どうしたの?」
何かを言いかけたソフィだが、突然笑い出したジャックにわけがわからないと尋ねるソフィ。
「こりゃあ駄目だ。無理だな。はははっ」
「え?無理って何の事を言っているの?」
急に意味不明の事を言い出したジャックに声をかけるソフィ。
「無理だ。こんな姿を見せられて、この子を手放すなんて俺には無理だ。なあ、ソフィ。俺はこの子を、シェリーを俺たちの手で育てたいと思う。駄目か?」
「駄目か?って…私達には子育ての経験なんてないのよ?シェリーを安全に、元気に育ててあげられる保証なんてないの。だったら…」
シェリーを自分達の手で育てたいと言うジャックに対し、自分達で元気に育てられる保証なんてない。ならば、孤児院に預けるべきではないかと言おうとするソフィだったが、ジャックの次の言葉に続けられなくなる。
「ソフィ…本当にそう思っているのか?」
「え?何を…」
「おまえが本当にそうすべきと思っているなら、俺は辛いけど我慢するよ。それが、シェリーにとっても幸せなのかもしれないしな。」
「なら…」
「でも、おまえは本当にそう思っているのか?俺には到底そんな風には見えない。そんな、必死に何かを堪えるような顔をして言われても、俺には全く信じられない。」
「っ…………」
言葉を詰まらせ、俯くソフィにジャックは優しく、しかし厳しい事実を突きつける。
「それに、おまえはもう子供を産めないだろう。」
「っ!それは!」
ジャックとソフィに子供はいない。二人は決して子供が欲しくないわけではなかった。いや、それどころかソフィの中に命が宿る事を願っていた。そして二年前、ついに待望の時が来た。ソフィが身篭ったのだ。しかし、子を産むには年齢が高過ぎたせいか、結果的に流産してしまい。さらに、その時の後遺症で二度と子を産めない身体になってしまっていた。実のところ、母体であるソフィの命も危なかったのだが、何とか一命は取り留め、今では日常生活を送るには十分な程に回復していた。
「勘違いするな。俺はその事を悔いても、怒ってもいない。寧ろおまえが今無事でいてくれるだけで十分だ。だが!」
ジャックは何かを堪えるように言葉を一度切る。
「だが、おまえはそうじゃない。今でも自分を責め続けている。俺はそんなおまえを見ているのは嫌なんだ!」
ジャックは知っていた。ソフィが自分に気付かれないよう、隠れて泣いていた事を。一度ではない。自分が知らない所でもそうだったのだろう。
「……ありがとう、ジャック。あなたの言う通り、私はこの子を手放すなんてできないわ。」
ジャックの言葉で、ソフィも何かを決意したようだ。先程までの何かを堪えるような気配は消え去り、強い意志を持った表情をしていた。
「私達でシェリーを育てましょう!」
ソフィもまた、シェリーを自分達の手で育てる事を決心するのだった。
「ああ!」
ソフィのその言葉に、ジャックもまた力強く頷くのだった。




