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第8章 その先につながる未来4

1.


 千早と圭は、帰省も兼ねて隣野市に来ていた。兼ねてというからには用事があるからで、今こうして隣野市民病院の待合ロビーで、くるみの検査診療が終わるのを待っているところだ。

「なんつーか、さ」

 千早が手にした女性週刊誌を丸めて、退屈そうに太ももを軽く叩きだした。

「ん?」

 受ける圭はスマホの操作を止めて、千早に注意を向ける。

「変わらないなぁ、と思って」

「何が?」

「あたしらの住んでた街ってさ」

 千早の慨嘆に、圭は思わず鼻で笑ってしまった。

「そんなにドラスティックに変わるわけないじゃん。2年とちょっとしか経ってないんだぜ?」

 圭はソファの硬い背もたれに背を預けると、白い天井を見上げて言った。

「千早は、もう変わりたいの?」

「なによ、それ?」

 親友がにらんできても、圭は気にしない。

「ずぶずぶの腐れ縁を切り捨てて変わったのに、もう飽きたのかっつってんだよ」

「飽きてないよ! 彼には満足してるよ。全てを変えてくれたし」

 千早も圭に倣って天井を見上げる。

「あたしが変わったら、周りも変わる。そう思ってたのに」

「自信家だね、千早は」

 背もたれにもたれたまま、千早が顔を圭のほうに向けてきた。

「最近、圭の口撃が厳しいんだけど?」

「どのへんが?」と言いながら、圭は千早のほうを向かない。

「隼人のことで、あたしをチクチクいぢめるようになった」

「よかったじゃん」

「どこがよ?!」

「ボクは変わったろ?」

「それは変化じゃない! 悪化って言うんだよ、もう!」

 千早はむくれると、周囲の客からの注目を避けるため、また週刊誌を開いて読むふりをする。圭はそれに構わず追撃を放った。

「ま、『周りは何も変わっちゃいないって嘆いてるあたし大人カコイイ』でしょ? 中2病患者だね」

「しつこいなあ」

 そろそろ潮時か。圭は大学の話題に切り替えることにした。

「ゼミの教官、入院だって?」

「そう」と千早は頭が痛そうにこめかみを揉む。

「あたしの卒論担当教官だったのに。はあ……」

「どしたの?」

「あたし的に好きじゃない教官が代行になっちゃったからさ。めんどくさい奴なんだ、これが」

「ボクの教官も大概だけどね」

 圭も嫌なことを思い出したが、千早は首を振る。

「毎回ゼミの終わりに課題が出て大変、ってだけじゃん。あたしは生理的に嫌なの」

「めんどくさい奴、もひとり発見!」

「どこ?」

「お前だよ、お ま え 」

 怒りだそうとした千早をいなして、圭は立ち上がった。くるみとなごみが近づいてくる。

「お待たせ~。どしたの?」

 2人に歩調を合わせて歩き出しながら、千早が圭を横目でにらむ。

「圭があたしをいぢめるんだよ」

「いじめてねっっつーの」

 小突き合いを始めた圭と千早を、なごみとくるみが笑う。

「なんか、夫婦みたい」

「ほんと、千早姉と圭ちゃんが結婚すればいいのに」

「いやできないから」

 速攻で否定しつつ病院を出て、バス停へと向かう。次のバスを待ちながらの検査結果報告では、まずまずとのことだった。

「なにさ、まずまずって」

「いや千早、なごみちゃんに食ってかかってもしょうがないって」

 なごみは苦笑して説明を付け足してくれた。

「お医者さんが言うには、突発的な病状の悪化が起こる可能性がかなり低くなったけど、だからといって油断しないように、という意味だそうですよ」

「むぅ……」

 千早が腕組みをして、考え込み始めた。

「あの家じゃ、落ち着かないんじゃない? くるみちゃん」

「う……でも、お父さんもお姉ちゃんも住んでる家だし、……」

 くるみ的には家族と同居というのは、やはり優先事項のようだ。あの継母の所に戻るのは嫌だろうから、なおさらだろう。圭は少しだけ冗談っぽく、提案をくるみにぶつけてみる。

「隼人と一緒に住んだら?」

「馬鹿言え」

 頬を赤らめたくるみではなく、千早に即座に切り捨てられてしまった。

「隼人が大学やバイト行ってる時、どーすんのさ?」

 言外に籠められた『あおぞらのボランティアも』という言葉を、圭は察した。

「逆に落ち着かないでしょうね」となごみにもダメ出しされる。

「理佐さんといい感じなんでしょ? お兄ちゃん的にも、くるみと同居は気まずいと思うなぁ」

 まあね、となごみの言葉を受ける千早。その時、くるみがぼそりと言った。

「……わたし、あの人嫌い」

「?!」

 隼人に好意を寄せていることを除けば、他人に対する好悪の情を見せたことのないくるみがこれほどはっきりと口にするとは。圭も千早も驚き、声を出すのに少し時間が必要だった。

「何かあったの? 理佐ちゃんと」

 圭の問いかけに、なごみは首をかしげた。思い当たる節がないようだ。くるみが何かを吐き出すようにしゃべり始めた。

「……だってあの人、なんかわたしに対して冷たい感じがするの。眼つきとか口調とか」

「い、いやまあ、ちょっとつっけんどんなところはあるけど」

 と何を動揺したのか、柄にもないフォローを始める千早が可笑しい。吹き出した圭はにらまれてしまった。

「何がおかしいんだ! ……あ、バス来た」

 そそくさと市の巡回バスに乗り込んで、駅前を目指す。会話が途切れたのを幸いに、圭は隣に座ったなごみに問うた。

「で、なごみちゃん?」

「はい?」

「なごみちゃん的にはどうよ? 理佐ちゃんは?」

 千早もくるみも注目する中、なごみの答えは――

「前にも言ったじゃないですか。『なにも見えてない・・・・・・・・』って」

「……なるほど」

 圭と視線を交わしてくる千早。俯いてカバンから人形造型用の粘土を取り出していじり始めたくるみ。これ以上何もしゃべらないと宣言するがごとく窓の外を眺めるなごみ。バスは渋滞し始めた国道をとろとろと往く。


2.


 夜10時。隼人のアパートには、伊藤が来ていた。先日伊藤に頼まれた深夜アニメの録画を見に来ると言うので、その日から視聴を我慢していた隼人とともに鑑賞会と相成ったのだ。

 4話一気見をしながら酒を呑む。

「へぇー、隼人先輩のツレって、こういう趣味の奴いないんすか?」

「いるけど、こういうふうに一緒に見たことないな」

 杉木はキョロ充らしく流行りのアニメを見るだけだし――それをまた得意げにしゃべってうざがられているところまでがゼミの日常である――、ミキマキもさほどハマって見るほうではない。千早や圭とは中学や高校の時はよくしゃべっていたが、離れてしまった今はメールで時々その手の話題が出る程度に留まっている。

 今視ているアニメのことや、間もなく始まる秋アニメのこと、伊藤がネットカフェでハマってるマンガのこと……実に饒舌な伊藤に、隼人は主に聞き役に回っていた。

「隼人先輩、ネカフェ行かないんすか?」

「行かないなぁ、バイトの昼休憩ん時にメシ食いがてら行くくらいかな」

 こういう時間にネットカフェに入り浸るほどの金が無い。それを正直に話すと、申しわけなさそうな顔をされた。

「そっか、妹さんの入院費用稼いでるんすよね?」

「病院のほうは取りあえず終わったよ。あとは学費と生活費だな。妹2人の小遣いとか……なんでそんなこと知ってるんだ?」

「るい先輩が珍しく神妙な顔で教えてくれましたよ」

 珍しく、という表現に笑う。

「このあいだのるい先輩、ていうかアクアさん、すごかったっすねぇ」

「んー、なんか、確変キター! って感じだったよな」

 作戦の立案や現場での指揮もそうだが、基本的に後方支援に徹していたというのがすごい。以前のアクアは習い覚えたキックボクシングを生かした接近戦主体のファイターだった。思えばバルディオール・アルテと対戦して以降、スタイルが変わった気がする。

 それを伊藤に告げると、にやりと笑われた。

「なんだよ?」

「るい先輩が言ってましたよ。『隼人君のおかげで、るいは変われたんだ』って。『同志がいるって、いいよね』って。何したんすか? 先輩」

「なんにもしてねぇよ」

 今のところ、ミリオタであることはまだ仲間には口止めをされているのだ。自分のおかげと言われて面映く、打ち明け話ができないのもモニョモニョする。

「ていう話を理佐先輩にしたら、ものすごい形相になってましたよ」

「なんで放火すんだよ、そんなところに……」

 にらむと、慌てて手を振って否定された。

「俺じゃないっすよ、永田さんっすよ」

「まったく……」

 そこからしばらく雑談が続いて、伊藤が部屋の中を見回しだした。

「なんだ? 虫か?」

「いや、女っ気の無い部屋だな、と。モテモテにーやんなのに」

「もててないんだが」

 実際、大学に入ってから今まで2人しか付き合っていない。

「もててるじゃないすか」

「モテモテじゃないだろ、全然」

「なんつーかこうですね――」と伊藤はグラスを呷った。

「いかにも"モトカノからもらいました"感のあるグッズが無いじゃないすか。そんなもんには用は無ぇ、ってことっすよね?」

「まあな。全部実家に置いてきた――1つだけあるな」

「どれっすか?」と梅酒サワーを注いでまた口をつける伊藤に、隼人はしれっと言ってやった。

「お前が使ってるそのグラスだよ」

 吹き出すまではお約束。布巾を持ってきて、こぼしたところを拭いていると、伊藤がグラスの底を凝視していた。

「んー……C、H、I、H――」

「千早から隼人へ」

「! ああ、横浜にいるっていうモトカノさんすか」

「お前ほんとなんでそんなによく知ってんだよ?」

 またにらんでみたが、いやまあと濁されてしまった。

「修学旅行で鹿児島に行ってさ、薩摩切子の体験があったんだ。そんときはまだ付き合ってたから」

 改めて梅酒サワーを注ぎなおしてすする伊藤を横目に、隼人はそのころを思い出していた。

 あの時の千早は可愛かった。男へのプレゼントなんて慣れてるくせに、わざわざ宿舎の裏へ呼び出されて行ってみれば、顔を真っ赤にして渡してきたのだ。わけを聞いたら、『名前入りのって、初めてだから……』ってはにかみながら答えてくれた。その数ヵ月後にケンカして別れて、また付き合って――

「ふーん」

「?」

「そのモトカノさんだけは、特別ってことっすか?」

 隼人は目を閉じ、ゆっくりと首を振った。

「独り暮らしに使えそうなものが、それしかなかったんだよ」

 ということにしておいて、隼人は反転攻勢に出る。

「伊藤は付き合ってる子、いないのかよ」

「いないんすよ、いま。今度合コン行くんすけどね。隼人先輩もよければ、って無理か」

「なんでだよ」

 しかめっ面をなぜされる?

「理佐先輩に殺されますよ?」

「アア、見えるな。そして俺をそそのかしたお前は、俺と一緒に串刺しと」

「隼人先輩と心中なんて嫌過ぎっす」

「奇遇だな。俺もだ」

 隼人も伊藤も飲み物を飲み干すと、またアニメの話題に戻った。


3.


 隼人と伊藤がだべっていたころ、琴音と鈴香は浅間大学の裏山に来ていた。やぶ蚊避けに携帯式の蚊取り線香を腰に着けて。月は出ていたが、流れる雲に再々隠れてしまう。この移ろう明暗が実に興趣をそそる。

「でも、普通の裏山にしか見えないわね」

「普通って何よ?」

 などとしゃべりながら、懐中電灯片手に夜道を歩く。道といっても、山道というほど荒れてはおらず、舗装はされていない。人の往来がそれなりにある平らかさだ。

「まあ、雰囲気はあるわね。あの切れかけの常夜灯とか」

「ううう……」

「どうしたの? 鈴香」

「こういう電球切れかけって、なんでこう怖いんだろうね?」

「怖いの?」

 尋ねると、鈴香は大声で主張を始めた。

「怖いに決まってるじゃない! 見えてるはずのものが――」

 ギャアアアアア

 右手の闇から突如沸き起こった悲鳴に、鈴香は硬直した。赤子が泣いているような声が、2つ聞こえる。

「猫がケンカしてるんだわ」

 と冷静に指摘したが、鈴香は親友の腕にしがみついてきた。

「あ、あの――」

 鈴香の震える指が指すのは、前方の暗がり。道がクランク状になっていて、左右に藪が生い茂っているため、見通すことができないのだが。

「どうしたの?」

「ひ、人影……」

 琴音が懐中電灯で照らしてみたが、遠くて光が届かない。ならばと接近を試みた琴音だったが、鈴香が重い。

「ほら、動いて鈴香」

「なんであんたは怖くないのよ!」

 すでに半べそに近い鈴香をなだめる。

「わたしがいれば平気でしょ。つまり、怖くない」

「そんな超理論で……」

 まだなにか言いたそうな鈴香だったが、埒が空かない。琴音は無理やり引っ張っていくことにした。

 結論。クランクの先にある常夜灯の光と藪が作り出したヒトガタの影でした。まる。

「ね? 怖くないでしょ」

 硬くつぶっていた目をそろそろと開けて、現場を確認して。鈴香は体全体を使って息を吐き出した。頃合を見計らって、鈴香を促して角を曲がる。まだ例の新聞記事、"謎の怪光"をお目にかかれていないのだ。まだ行程の半分も――

 鈴香が、びくんと痙攣した。続いて、絹を裂くような絶叫を放って回れ右。まさに遁走と言うにふさわしい速度で駆けていってしまった。

 耳鳴りがやっと直った琴音が原因を調査して、鈴香の後を追ったのは3分後のこと。どこにも姿が見えず、鈴香のものと思しき懐中電灯まで道端に落ちている始末。仕方が無い、電話するか。

 たっぷり7コール、やっと鈴香が電話に出た。

「今どこ?」

『分かんない』

「駐車場じゃないの?」

 裏山へ入るスタート地点まで一目散というわけではないらしい。歩いているような音をさせていた鈴香は、涙声になっている。

『ふぅぅ……なんかお寺があるぅ……怖いよぉ琴音ぇ……』

 散々なだめてから一旦通話を切って、事前にネットで検索しておいた航空写真をスマホに呼び出す。この近くに山へ登る脇道があるようだ。お寺と思しき築造物が、低解像度のため不鮮明ながらも写っている。

 それから5分ほど、鈴香を通話越しに慰めながら、斜面に細々と続く道を辿った。

(獣道? いや、人が通ってるわね)

 鈴香以前にも人が通った、それも複数人が同時に通った感じが、下草の踏まれ具合や枝の折れ具合から見て取れる。琴音はヴィオレットでの隼人との会話を思い出した。

(執事さんが学生寮の肝試しのことを言ってたから、それかな?)

 木立が切れかけると、荒れ果てた古寺が見えてきた。寺の前は開けているようで、雲の明暗により地面がゆっくりと薄く明滅しているように見える。その前に。

「そこね」

 琴音は月輪がちりん――鷹取の鬼の血力による、三日月形の投射系攻撃手段――を1つ作り出すと、付近で一番太い樹を回り込むように曲線を描かせて放った。

「わあ! なにすんのよ!」

 見事ビンゴして、賊ならぬ鈴香を樹影から引きずり出すことに成功した。何やらブツブツ言っている鈴香に報告する。

「さっきのあれね、マネキンだったわよ」

 女性型のマネキンが、大木の枝から逆さに吊るされていたのだった。

「悪い悪戯よね。それとも、あれも執事さんが言ってた肝試しのネタ――」

「――なんであんたは怖くないのよ」

 鈴香は先ほどの記憶がぶり返したのだろう、大きく震えて、それを振り払うようにまくし立て始めた。

「やっぱりおかしいよ、あんた! 牛頭ごず馬頭めずが来た時も一人だけ黄色い声上げて喜んでたし!」

「牛頭と馬頭だからよ。地獄の獄卒よ? 超貴重な体験じゃない」

「記念写真を壁紙にしてんの、この現世であんただけだよ!」

 言われて、琴音の脳裏にあの時の記憶が蘇る。

 そう、彼らと一緒に写真に収まったのは、鈴香の兄・蒼也が丸めた疫病神を引き取りに来た時だった。

 あの時――あの時、わたしがもっと鈴香に気を付けていれば、鈴香をこんな境遇にせずに済んだのに。

 琴音の表情の変化に気が付いた鈴香に顔向けできず、琴音は広場というには荒れ果てた空間を見渡した。そして、雲が切れて一面に明るくなった広場に奇妙な箇所がいくつもあることに気付くのに、そう時間はかからなかった。

 岩が砕けている。樹の幹が焦げている。何か鋭い刃状の物を打ち付けたような跡が幾筋も残っている樹もあった。地面に落ちている鉄の棒の表面は黒ずんでいた。

「学生が火遊びしたのかな?」

 懐中電灯で子細に調べていると、鈴香が近づいてきた。

「どうかな? あの幹が焦げてる樹、ここからどうやって焦がせるだけの熱気を送れると思う?」

 琴音と鈴香が立っている場所から2メートルはある、急斜面に生えているあの樹に。それに――

「なんというか、エネルギーを感じる……」

 この空間に、大量のエネルギーがほとばしった残滓を感じる。しかもこの感じは、未知の物でない気がしてならない。

 結局、2人は"謎の怪光"に巡り合えず、焦げた幹や砕かれた岩を写真に撮って帰った。なんとなく、後ろ髪を引かれながら。


4.

 

「……そこで何をしているんだ?」

 鴻池が日課にしている、鷹取屋敷庭内での散歩。ここは実に広大で、鴻池が立ち入ってはいけない区域があることなど気にならないほどである。今日も今日とて日よけに帽子をかぶって歩いていたら、耳慣れぬ駆動音が聞こえてきたのだ。

 庭内で工事でも始まったのかと見にきたら、そこで唸りを上げていたのは、確かにユンボだった。かわいらしいと形容できなくもない小型のユンボ、それを嬉々として操縦し、コンクリ片だのねじれた鉄骨だのをつかんでは積みを繰り返しているのは――

「おい、アルテ!」

 操縦席に座っていたのは、鴻池の記憶が確かならば、バルディオール・アルテの元変身者のはず。だから最初の投げ掛けを無視されてもめげずに声を張り上げたのだが。

「ん? 誰あんた?」

「憶えてないのか……相変わらずだな……ミラーだよ。バルディオール・ミラー」

 久しぶりに名乗ると気恥ずかしい。そのことに動揺しているような、ほっとしているような不思議な自分がいる。

「ミラー……へー、生きてたんだ」と大して驚いた様子もない。

「ああ。で、何してるんだ、これ?」

「創作活動だよ。見りゃ分かるでしょ」

 彼女もここに、脱走など不穏なことをしないことを条件に匿われているのだという。

「バルカとか、まだ伯爵に未練がある奴は、こことは違う場所に監禁されてるみたいだな」

 鴻池の話を聞いているのかいないのか、元アルテはミニユンボを動かすことを止めない。

「お前は、もういいのか?」

 やっとエンジンを切って、彼女は操縦席から降りてきた。

「あたし? うん、なんか萎えちゃって」

「萎えた?」

「うん」とうなずいて、彼女は木陰に向かった。鴻池は後に続く。

「仲間が一斉に攻撃されて、いっぱい捕まっちゃったんだ。知ってた?」

 無論それは鴻池のもたらした情報を元に、『あおぞら』が行ったことである。そのことを、元アルテに素直に話した。

「ふーん、あんたが仲間を売ったんだ」

「……そうだ。この生活と引き換えにな」

「ま、あたしはどうでもいいけどね。あんまりペラペラしゃべらないほうがいいんじゃない? 刺されるよ?」

「そうだな」

 鴻池はうなずいて、話の続きを促した。

「そしたらさ、上がなんて言ってきたと思う?」

「治癒スキルを会得しろ、じゃないのか?」

「ちゃうちゃう」と一転、憤慨した顔つきになった。

「下らない芸術ごっこなんか止めて、黒いエンデュミオールを殺せ。こう言ってきたんだぜむかつく!」

 なるほど、指示の前半部分がこの自称芸術家の逆鱗に触れたわけか。

「ま、仙台も飽きてきたし、じゃあその黒いエンデュミオールとでも遊ぶかと思って来たら負けて捕まっちゃったってわけさ」

 軟禁先で創作活動したいと言ったら、過去の作品を見せろと言われてポートフォリオを提出したところ――

「千葉に住んでるっていう海原家の若旦那が来てさ、『面白いから1つ作ってくれ。ただし、予算とテーマは僕に決めさせてほしい』って言われて」

 軟禁先は手狭で近隣住宅とも近いため、創作活動をしたら敵に居場所を教えるようなもの。ということで、脱走を企まないこと、鷹取家及び『あおぞら』に協力することを条件にここへ連れてこられて今にいたる、と話を結んで元アルテはペットボトルのお茶を飲み始めた。

「そういえば、長野のエイスもこのあいだ捕まったんだがな、伯爵家の鳥人間に襲われていたらしいぞ」

「あいつら、ほんと何がしたいんだろうね?」

「フランク人だけでうまい汁を吸いたい。そんなところじゃないか?」

 鴻池の推測を聞いて、元アルテはごろんと横になり、つぶやいた。

「黒水晶、返してくれないかな……」

「監禁されたいのか?」

「創作活動がはかどるのに……」

 微妙に会話が噛み合っていない。まあいいか、と鴻池は木洩れ日の向こうに広がる青空を眺めた。


5.


 祐希が市営墓地に到着した時には、もう太陽が中天を過ぎようとしていた。

 気だるいのは、残暑のせいではない。あの日以来、月並みな言い方をすれば気合いが入らない状態が続いていた。

 お供えの花を手に、人気の全く無い墓地の中央にある共用の水道で水を汲む。この場所も、通っているうちに覚えてしまい、今日も自然に足が向いた。

「あ、お線香とか忘れちゃった……」

 このざまである。気合いが入るどころか日々抜けていっている自覚に、もはや苦笑すら沸き上がらない。そのあいだに入れすぎた桶の水すら捨てるでもなく、祐希はよたよたと楓の墓へ向かった。

 結果的には、ろうそくと線香は必要がなかった。先客がいたのだ。

「双子さん……」

 祐希から声がかかるまで待っていたのだろう。真紀と美紀は合掌していた手を下ろして振り向きながら立ち上がった。

「「久しぶりやね、祐希ちゃん」」

 と相変わらずのハモリにも、クスリともできない。向こうは穏やかな笑みで場所を譲ってくれているのに。

 祐希はしゃがむと目を閉じて、楓の墓前に手を合わせた。

 戦没者5名のお葬式が済んで、全員のお墓の場所を西東京支部長から教えてもらうと、墓参が日課となった。サークルにも行かず、バイトも体調不良ということにして。そのどちらからも『ああ、そう。お大事に』以上の言葉が投げかけられることはなく、そのドライな対応に安心と苛立ちをない交ぜにして。

 祐希にとっては今やこの墓巡りが唯一現実と自分をつなぐ行為になっていた。

 目を閉じたまま、周囲の気配を探る。双子は祐希を待っているようで、身じろぎで足元の砂利がかすかな音を立てているのが分かる。

 ほっといてほしい。 

 帰らないで。

 矛と盾がせめぎ合うお参りが済むと、祐希は目を開けて隣を見た。真紀と美紀が再びしゃがんで墓に向かって手を合わせる、その姿を。

「「ほな、行こか」」

 にっこりされては、断れない。祐希はそれでも渋々の態をわざと取って、さっと立ち上がった双子に半瞬遅れた。祐希の分の水桶まで持ってくれた二人に付いて行く。

「「ごめんな」」

 虚を突かれて、とっさに首をかしげることしかできない。

「「レーヌ、逃がしてもうた」」

「……大活躍だったそうですね」

 それが優しさに対する返答か。自分がした返事に、祐希の心がささくれ始める。

「ま、次や次。ここ数日は現れてへんけどやね、もちっと鳥人間や――「ねーやん!」

 真紀が美紀に腕をつねられて、短い叫び声を上げた。正面から歩いてきた老婆が、不思議そうな顔でこちらを見ながら通り過ぎてゆく。それを笑顔でごまかして、美紀は姉をにらんだ。

「こんなとこで、そんなあからさまな単語使たらあかんて。誰が聞いとるか分からへんのやで」

 ごめんごめんと軽く謝られてなおも自分をにらむ妹を無視して、姉は駐輪場への帰り道を再会した。

「ま、これで相手もまたなんか手立てを講じてくるやろ。気ぃつけや? 祐希ちゃん」

「気をつける?」

 頑張れ、とかじゃなくて?

「個人攻撃をしてくる可能性があんねん」

 何を言っているのか分からない。

「「こんなふうに――」」

 双子が体をくるりと旋回させると、それぞれがぶら下げていた桶の水をぶちまけた。その先には、男が3人。いずれも不意を突かれて顔に水を浴び、罵声を上げている。

「「失せろや」」

「あ゛? ざけんなごら゛! これが見――」

 顔から下が無様にもずぶ濡れとなった男は、脅迫じみた言動を最後まで言わせてもらえなかった。祐希がすくんでいる間につっと動いた真紀が右足を振り上げ、男に金的を食らわせたのだ。美紀は別の男を同じく金的で地に沈めている。

 悶絶した男たちが持っていたナイフが、墓地の地面に敷かれたコンクリートに落ちて乾いた音を立て、先ほどの老婆の上げた悲鳴と被った。それに気をとられた祐希の首が、突如締め付けられる。

「大人しくあの車に乗れやオラ! こいつの顔傷つけられたいんか!」

 残った男の太い腕を首に巻きつけられ、頬にぴたりとナイフの刃を当てられて、祐希の思考は停止した。が、双子の攻勢は停止しない。

「「やりなはれ、ほら早う」」

「あ゛?!」

 男は気づくべきだった。金的を放つときですら普段の表情のままだった双子が、より虚ろな瞳の色に変化したことに。同性の祐希が聞いても可愛いと思える声が、平板で低くなったことに。

「「そんなことにその光りもん使てるあいだに、うちらはおどれの両の目ん玉もらうで」」

 男と祐希のほうにゆっくりと歩き出しながら、怯え始めた男の目を指差して、クイとほじる動作をして。双子は畳み掛けてくる。

「雇い主調べて、そいつにえぐったおどれの目ん玉送りつけたるわ。クール便で」

「手紙付きでやで? 『次はお前や』って」

 仲間のものらしき車が鳴らしたクラクションを合図に祐希を放り出すと、震えあがった男は墓地に転がる仲間を見捨てて遁走した。

「「さ、祐希ちゃん、帰ろ」」

 ようやく起き上がろうとした男の一人のあごを蹴り上げて再び昏倒させると、いつもの表情に戻った真紀と美紀は祐希の手をとった。



「私が狙われること、知ってたんですか?」

 双子の原付に前後を挟まれて誘導された喫茶店でアイスレモンティーをがぶ飲みして、祐希はようやく人心地がついた。取りあえずさっきの車がつけてきた様子はないらしい。

 じっとりと額に吹き出た脂汗をお絞りで拭う。他方の双子の姉妹は涼しい顔で、それぞれに頼んだレモンスカッシュを同じスピードで吸っている。

「ん、うちらの親戚からちょっと連絡もらってな」

 既に西東京支部長を通じて、全国の『あおぞら』スタッフに通達済みだという。言われて慌ててスマホを見れば、確かに西東京支部からのメールが来ていた。北東京支部は支部長不在のため、そのスタッフは現在、西東京支部長の管轄下にある。

「でもな」と美紀がまた一口飲んで、真紀を見た。

「個人で気ぃつけるのは限界があるで?」

「そやから、可奈さんには会長にも連絡してもらってるやんか」

「ああ、警察になんや知らんけど伝手があるんやろ?」

「でも警察動いてくれるやろか」

 真剣な顔で、でもなぜか生き生きと会話している双子の姉妹。祐希の心にまた一つ、ささくれが生まれる。

「どうして――」

「「ん?」」

「どうして、そんなに元気なんですか?」

「「うちらが元気やったら、なんかあかんの?」」

 当然の反問にもかかわらず、祐希は場所も弁えずカッとなった。

「だって、だって、仲間が死んでるんですよ? そりゃ、支部は違うかもしれないけど、でも、ついこのあいだのことなのに……」

 死んでいった仲間の記憶が様々に脳裏を駆け巡り、祐希の涙腺が刺激されたのだが。

「「泣いたらあかんよ、祐希ちゃん」」

 双子の発した言葉は、てっきり慰められると思っていた祐希の心を張り飛ばし、耳と目を開かせた。

「「生き残ってしもうた人はな、泣いてる暇は無いんやで」」

 そのまま無言でお茶と休息の時間を終え、祐希は家路に着いた。もう少しだけ、真紀と美紀の言葉を咀嚼する時間を得るために。

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