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第7章 疑惑

1.


 8月20日。本来なら水曜日、つまり昨日行われるはずだった鷹取家との定例会議が開かれた。今回の場所は都内にある海原商事のビルにある一室で、セキュリティ対策から場所は毎回変更されている。セキュリティという点でいえば、『あおぞら』の各支部が入っている建物は万全とは言いがたく、西東京支部長の可奈は素直に指定された場所に出かけていた。

 室内中央に据えられた会議机の両端に着座して冒頭、北東京支部の戦死者に対する哀悼の意が、海原琴音から述べられた。今週の初めにメールにて詳報してあったからで、可奈はこれにも素直に頭を下げた。

「敵が、本気を出してきたってことですか?」

 とつぶやく蔵之浦鈴香の顔には緊張感が見受けられる。

「……我々が、本気ではなかったのかも知れません」

 可奈はあの日以来の『あおぞら』内における空気の変化を話した。本来は隠すべきなのかもしれないが、虚勢を張り、大丈夫を連呼する気にはどうしてもなれなかったのだ。

 各支部で、バルディオール・レーヌの脅威に対して不安が増大している。今はまだ東京に現れているだけだが、そのうち自分たちのところにもやってくるのではないか。現れた時、どう対処すればいいのか。白水晶を破壊してくる、邪気に満ちた敵を。

「会長さんのご指示は、何か出ているんですか?」

 という琴音の問いに、支部長は簡潔に答えた。

「逃げろ。それだけです」

「簡潔な、良い指示ですね」

「それでは、事態の収拾にはなりませんけどね」

 琴音に控えめに反駁して、可奈は鈴香のほうを見た。

「蔵之浦さん、何か?」

「……どうしてそんなに簡単に、他人を殺せるのかなって考えてたんです。赤の他人なのに……」

「伯爵への忠義から、じゃないかしら?」

 琴音の言葉に、鈴香は納得がいかない様子で首を振る。

「伯爵がどんな素敵なオジサマか知らないけど、だからって……」

「ステキなオジサマだったわよ? 15年ほど前に1回会ったきりだけど」

「1回きりなんだ」

 うん、と琴音の眼は面白げに細まる。

「お屋敷に出入り禁止になっちゃったから」

「あんたねぇ……」

「わたしじゃないわよ」と琴音はいよいよ面白げに声を弾ませる。

「沙耶様が、よ」

「……なにしたの?」

「向こうでアンヌ様やミレーヌ様と鬼ごっこをしていたんだけどね――」

 その当時のアンヌとミレーヌは、姿形は高校生相当ながらヒトの年齢で言えば40代と大人なのだが、これが大人げなく全力で鬼ごっこをして、当時4歳の琴音を泣かしてしまったのだという。

「沙耶様が怒ってね、『わたしも全力でやっていいですか?』ってわざわざ相手の許可を取って――」

「大体想像がついたけど、何したの?」

 鈴香の表情が面白げながらも曇った奇妙なものになる。

「お二人を追いかける時、お屋敷の柱や壁をブレーキ代わりにして無理やり曲がることで追い詰め始めたのよ」

 おかげで築500年を超える伯爵の本邸が倒壊寸前になってしまったのだと琴音は笑った。鈴香は頭が痛そうにこめかみを揉み始めた。

「目に浮かぶわ――って、すみません支部長さん、内輪話しちゃって」

 いえ、と短く答えて苦笑した可奈は座り直すと、思いついた質問をぶつけてみることにした。

「鷹取家の方々は、伯爵や配下の鳥人間と戦ったことはあるんですか?」

 琴音はしばらく首をかしげたあと、ゆっくりと答えた。

「私が記憶している限りでは、無いと思います。我々はそれぞれの国を魔の者から守るのが役目です。誰かに命令されたわけでも強制されているわけでもなく、それが家業なんです。その力を他国への侵略に振り向けるなんて……」

「誰かにそそのかされてるんじゃないの? 今なら日本がお得ですよ、とか言って」

「そんな単純な人たちじゃないと思うけど」

「単純で悪かったわね」

 鈴香がむくれているのを尻目に、今度は琴音から可奈に質問が向けられた。

「先の戦闘で捕虜にした伯爵家の人たちは、どうされてるんですか?」

 会長が引き取って軟禁していることを告げると、琴音の顔に驚きが広がった。

「どうやって軟禁しているんですか?」

「さあ、私もそこまでは……」

 鈴香が不思議そうな顔をした。

「どうやってもなにも、どこかに閉じ込めてるだけじゃないの? 手錠とかかけて」

「鈴香、もしあなたが閉じ込められたら、どうする?」

「出ようとするよ。どんな手段を使っても」

「そう」と琴音は親友を見やる。

「彼らは鳥人化できるのよ。うかつな所には閉じ込めておけないわ。特別頑丈な部屋を用意するか、何らかの方法で鳥人化を封じないといけないのよ」

 抑縛呪という、人外の能力を封じる呪いの作法があるらしい。

「わたし、習ってないけど?」

 鈴香が記憶を手繰りながら言うと、琴音はしれっと言ってのけた。

「能力が低い人には使えないもの」

「……今日の琴音は冷たい」

「となると――」

 鈴香のむくれ顔をまた無視して、可奈を見つめてきた。

「会長さんは何者なんですか?」

 可奈は肩をすくめた。「私が知りたいくらいです」と。

「その……抑縛呪というのは、鷹取家の方しか使えないんですか?」

 琴音はお茶を少しすすると、首を振った。

「作法と、ある程度以上の力があれば、誰でも使えます。各家にそれぞれの作法がありますから。伯爵家にも、そのほか各国の人外の家それぞれに」

 そもそも、敵に対してではなく身内の不届き者を拘束するために存在する呪いなのだそうだ。

「てことは、会長さんって……うちらの親戚?」

「それは分からないわね」と琴音は鈴香の推測を打ち消した。

「なんで?」

「うちにせよ他所にせよ、表の歴史から消えていった分家がいっぱいあるのよ。そのどれかが秘術として伝えている可能性があるわ」

 その血の力や秘術を使って狼藉を働く輩を狩ることを生業としている者もいるらしい。それを聞いた可奈が見せた表情が不審だったのだろう、鈴香が首をかしげた。

「支部長さん? どうかしましたか?」

「! いえ、何でもありません」

「ともあれ、これだけ伯爵家の人間が出張って来ている以上、傍観もできません」

 琴音の表情が改まった。

「この件に関しては持ち帰って、総領に上申します」

 その後は、警察に伯爵の手が伸びていること、その対策について協議し、閉会となった。



 支部長が帰って、鈴香が大きく溜息をついて首や肩をぐりぐり回していると、琴音に笑われた。

「おばさん臭いことしてるわね」

「うるさいなぁ。慣れないんだもん、こういう会議」

「3人で打ち合わせしただけじゃない?」

「会議室で、って時点で苦手なの!」

 社内電話でコーヒーを頼んでいる琴音に向かって、鈴香は口を尖らせた。海原家当主予定者として幼いころから育てられてきたこの親友と違って、こちらはまったくの馬の骨なのだ。そこのところが、どうしても分かってもらえない。

「支部長さんは隠し事しているし」

「またそんなことして……やっぱり、会長さんの正体のこと?」

 うなずいて、鈴香は"あの時"の感触を話した。

「知ってて隠してる感じじゃなかったな。何かに感づいてるんだけど、それを口にしたくない感じというか……」

「やっぱり、これを出してみればよかったかな?」

 琴音がトートバッグをがさごそやっていると、コーヒーが2つ運ばれてきた。琴音と二人して礼を言い、女性社員が退室するのを待つ。

「これ見て」

 そう言って琴音が封筒から取り出したのは、1枚の古い写真だった。何かの式典の一コマを写したものだろうか。そして彼女が指さしたのは、比較的フォーマルな服装の列席者が居並ぶ中、白を基調としたロングドレスに赤っぽいオレンジ色の髪をした女性だった。中央やや右に澄まし顔で写っているが、正直周りからかなり浮いていると鈴香は思う。

「で、これが『あおぞら』公式サイトに掲載されている会長さんの近影、と」

 琴音がスマホを操作して映し出されたページをのぞき込んでも、鈴香は意味が分からなかった。

「……間違い探し?」

 琴音がいたずらっぽく笑う。

「プリントの撮影日時を見てよ」と。

 言われて凝視した結果、鈴香の間違い探しは正解を見つけた。

「え? にじゅう……にねんまえ?! マジで?!」

 スマホとプリントされた写真を並べて見比べても、疑惑の女性――会長の顔は全くといていいほど変わっていないではないか。いや、服装すら同じである。

「確かフランクの人たちって、長命だったよね?」

「そうね、そっちの血筋なのかもね」と琴音もうなずいた。それなら、伯爵家の悪行に反発して戦いを挑むのも筋は通る。

「なんか……かわいそう」と鈴香はポツリと言った。物問いたげな琴音に答える。

「生き疲れてるような感じがするんだ……」


2.


 アンヌ・ド・ヴァイユーの目覚めは、最悪だった。これほどの倦怠感を感じた記憶が無い。なんといっても、敗退の衝撃が彼女の魂まで粉々にしてしまったかのように、手足を萎えさせている。貴血限界による倦怠感を差し引いても、起き上がる気力など湧いてくるはずがないのだ。

 薄目を開けてメイドを探すが、気配すらしない。ならば起きて、自分で水差しまで行けばいいというのは平民の考え方。伯爵令嬢は枕もとの呼び出しボタンを、力を奮って押した。

 メイドか執事が来るまで待っていると、昨夜の戦闘が脳裏に思い出される。

 エンデュミオールたちは、しっかりと対策を講じていた。当方が地上からの攻撃に慣れていないことも、とっくにお見通しだった。それは、以前ベルゾーイが推察していた内通者から得た情報なのだろうか。水系のエンデュミオールが我々の内情に通じているような発言をしていたし。あの者の揺さぶりに、いとも簡単に動揺させられてしまった。それが実に口惜しい。

 対するに、こちらが何らかの対策を講じていたとは言えない。配下こそ3名連れて行ったが、あとで増援として来たニコラ配下の6名を含めて、役に立ったとはいえなかった。

 おまけに、あの身元不明のバルディオールまで来る始末。名を問うた時の傲岸不遜な物言いも不愉快だったが、それを平然と聞き流し、あまつさえ笑みまで浮かべていたニコラ配下の者どもにははらわたが煮えくり返る思いであった。

 それら全てが、自分の全てを鈍らせたのかもしれない。他者を言い訳になどしたことが無いアンヌがそう慨嘆するほど、この実質的な敗戦は衝撃的であった。

 そういえば、黒いエンデュミオールが前に出てきたことは、アンヌにとって意外だった。以前の戦闘では、剣技を身に着けているようには到底見えなかったからだ。その感触は今回も変わらなかった。だが――

(気合いの乗り方が違った……)

 アンヌやソフィーと渡り合う彼女の緊張感と高揚、そして使命感に燃える瞳を、アンヌは恐ろしいと思った。なまじ小手先の技をひねくり回すスカした輩は、その中途半端さゆえに戦場では悪目立ちして真っ先に死ぬ。先日のディアーブルの大攻勢で戦死した家臣たちがそうだとは言いたくないが。

 ドアに訪いののち、ベルゾーイが入ってきた。一礼して歩み寄る執事に水を所望する。敗戦で萎えた心と体に喝を入れて、アンヌはベッド上に半身を起こした。

 そうだ。これで幕ではないのだ。吉報を待つ父に、それをもたらすために戦っているのだ。

 コップ一杯の水をゴクゴクと行儀悪くも音高く飲み干して、アンヌは至福とともにベッドに後頭部から倒れ込み――背中に発する激痛に身悶えした。

「学習せぬお嬢様であらせられますな……」

「く……何か言ったか?」

 いえ別に、と澄ます執事をにらむ余裕もなく、痛みが静まるのを待つ。

「クララは?」

 やっとのことで息を整えて、アンヌは自分付きのメイドの所在を尋ねた。

「ほかの方々の看病に取られました。お嬢様がお目覚めの際はお戻しくださるようお願いしていたのですが……」

 面目なさげな執事にうなずいて、アンヌは再度クララを引き取りに行かせた。5分後、その返答は室外の荒々しい靴音であった。

「お待ちください! お嬢様はまだ臥せっておられます!」

「それは好都合。我らがあるじの言葉を伝達するのも容易いというものではないか」

 あの声は、ニコラの家臣で、今回の遠征に増派された者たちを取りまとめているミシェルのものだ。それからしばらく戸の前で押し問答が続き、ついにベルゾーイは押しのけられたらしい。ミシェルを先頭に家臣が4名、お訪いも無しに室内へと踏み込んできた。

「無礼だな。ニコラ殿の家臣とも思えん」

 アンヌはまだ回復し切れていない気力を総動員して起床し、剣を帯びていた。室外での会話に、とても同胞の会話とは思えぬほどの不穏さが察せられたからだ。

 ミシェルはそんなアンヌに目礼をしただけで、一方的に口火を切った。彼の顔色もまた青く、貴血限界の影響が抜けているとは思えない。

「お嬢様、我らがあるじ、ニコラ総司令官代理のお言葉をお伝えします」

 胸をそらして、すっかり上使の風情だ。

「伯爵様は、この度のふがいなさに大変ご立腹である。我が命が尽きるのをわざと待っているのか、と」

「! そのようなこと、父上が言われるはずがない!」

「控えられよ! まだ伝え終わっておりませぬ!」

 丁寧な口調ながら、その顔には『黙って話を聞け、小娘が』という底意が滲み出ているように見える。

「だが、寛大なる伯爵様は、お嬢様にもう一度機会を与えよとニコラ総司令官代理におっしゃられました。アンヌ・ド・ヴァイユーよ。このご厚情に感謝し、克己奮励せよ」

「よく分かった。感謝いたしますと父上に手紙を書こう」

 アンヌの自制心は、ここで不条理なまでの試練を受けた。

「それには及びませぬ」というミシェルの嗤い顔によって。

「伯爵様へのあらゆる音信は、ニコラ総司令官代理が総覧し、取り次ぐこととなっております。お嬢様のお言葉は、私からニコラ総司令官代理へ伝えます。それで、よろしいですな?」

「……分かった。頼んだぞ」

 奥歯を噛みしめて、アンヌは声を絞り出した。また目礼だけして部屋を出ていくミシェルたちの背中をにらみつけて、立ち尽くす。戸が音高く閉められて執事と二人きりになると、うつむいて肩を震わせた。

「ベルゾーイ……」

「調べます」と執事の声は逆にしっかりしたものだった。

「ゴドウィンに、ミレーヌ様も伯爵様に目通りがかなわないのかを」

「総司令官代理総司令官代理総司令官代理――!」

 アンヌの吐き捨てた言葉を、ベルゾーイは優しく拾った。

「配下がわざわざ連呼せねばならないほど、危ういのです。今のニコラ様の地位は」

 そういうものかとアンヌは納得して、剣をベルゾーイに手渡すとベッドに腰掛けた。緊張感が解け、どっとまたあの倦怠感がぶり返してくる。それを押して、アンヌは二人と無き相談者に尋ねた。もう一度休息を取る前に、どうしても話し合っておきたかったのだ。

「あの青いエンデュミオールの発言だが――聞いていたか?」

「はい」

 ベルゾーイは昨夜も集音マイクで戦場での会話を傍聴していた。

「やはり、内通者がいるということだろうか?」

「あれで、確度は高くなりましたな」

 ベルゾーイはうなずきながら、あるじの就寝の意思を察したのだろう、ワインを1杯注いで持ってきてくれた。

「はったりの可能性も捨てきれませんが」

「分からぬことを言う」

 もともとアンヌは難しい話が苦手な上に、今はいつもにも増して頭が回らないのだ。例のレーヌというバルディオールのことをミシェルに確認することも忘れてしまっていた。

「そういえば、あの青いエンデュミオールが、あのレーヌのことをお嬢様に問いかけておりましたな」

「ああ」

「内通者から情報を得ているのなら、わざわざ戦場でお嬢様に確認するのは不自然ではあります」

 ふむ、となんとなく腑に落ちて、アンヌはワインを一口飲んだ。爽やかな酸味が口に広がり、この嫌な気分をほんの少しだけ癒してくれる。

「あるいは――」

「あるいは?」

 ベルゾーイは声を低めて、アンヌの前に身を屈めた。

「お嬢様に近しき者がそうなのかもしれません」

「……クララか?」

「はい」と肯定する執事の顔は、悲しげに歪んでいる。同僚を疑うことが心苦しいのは、アンヌにもよく理解できる。

「それならば、あのバルディオールのことをお嬢様に問いただしたのも説明がつきます」

 アンヌは眼を閉じ、頭を振った。なぜこんな……なぜ……

「我が家臣を疑わねばならんのだ……」

 そしてどうやって、敵は当方の家臣を取り込んだのか。調べさせたいが、アンヌの家臣で今手元にいるのはソフィーのみ。彼女はそういう内偵を得意としていないし、昨夜の負傷で起床もままならないという。エデュワルドのほうがまだできたろうが、彼は敵に捕らえられた。

「ままならんな……」

 ベルゾーイを下がらせて、アンヌは溜息とともに再び床に就くと、ぽつりと誰にとも無く漏らした。もう一度、十分休息を取って、再起を図らねば。だが、貴血限界や敗戦から来る倦怠感とは別の鬱屈が胸の中で渦巻いて、彼女を眠らせなかった。


3.


「はったり?!」

「そだよ?」

 るいのしれっとした顔に、一同は唖然とするほかなかった。今日は昨日と違ってサポートスタッフも全員が会議に参加していて、彼女たちのざわめきが会議室の天井から跳ね返ってくる。

「まったくの口から出まかせってわけじゃないけどね」

 別に面白くもなさそうな顔で、るいの解説は続く。支部の大会議室にいる仲間たちが聞いているかどうかなど、気にしていないかのように。

「あの日の戦闘の翌日が、貴血限界とかで動けないのは分かってる。でもそれなら、翌々日は何してたのさ? そのあとは? 怠慢だと思わない? あのパツキンねーちゃんが、そんな怠慢な人だとは思えないじゃん」

 フランク本国で何かあったのだろう。しかも、すっきり明快一件落着とはいかない終わり方で。だから、はったりをかましてみた。そう、るいは結んだ。

「なんですっきりしない終わり方だって分かったの? それ」

 長谷川が首をかしげると、るいは初めて笑った。

「勘ですよ、ただの」

「ヤマ勘かよ」

「るいらしい……」

 優菜と理佐が顔を見合わせて苦笑している隣で、隼人はじっと腕を組み、考えに耽っていた。

 るいが話した内容を、口止めするべきだったのだろうか。この部屋に、あるいは支部全体に盗聴機が仕掛けられているかもしれない。いや、敵への内通者がこの部屋の中にいて、るいのあの発言が(状況証拠を検証した上での内容とはいえ)ただのヤマ勘であったことを知って内心ほくそ笑んでいるかもしれないのだ。

 だが、隼人は言い出せなかった。るいにその手の話題を振ると、面白がって暴走しかねないという懸念もある。実際には、昨夜の双子との会話の続きが隼人の言動を重いものにしていた。

 今朝、バイトに行く前の時間を利用して、隼人はファミレスで双子と会って相談したのだ。支部長以下全員にそのことを伝えるべきか、と。

 答えは、否だった。

 なぜと問う隼人に、美紀は言った。

『言い出しづらいやん。ゆうてもウチら、新参者やし』

『え?! なんか壁でもあるの?』

 揃って首を振るミキマキに安堵する。隼人には、とてもそんな雰囲気には見えなかったからだ。

『壁は無いんやけどな』と真紀がコーヒーをすする。

『向こうはそれ以上に一体感ちゅうか、仲ええのよ』

「そうそう、ウチらが分からん昔のことで盛り上がってたりとかね』

 美紀もうなずき、こちらもコーヒーを一口飲む。

 確かに、それは隼人もこの4ヶ月あまりで時々体験していることではある。

『そうか……あの人たちに向かって『犯人は、この中にいます!』とは言えないよな……』

『名を賭けるじっちゃんもおらへんしな』と真紀が笑う。

『じっちゃんでもばっちゃんでも何でもええんやけどな、証拠が何一つ無いねん』

 美紀は隼人と真紀の軽口に渋い顔。

 その後しばらくして隼人の時間制限が来たので、取りあえず今晩の反省会後に支部長にだけ相談することにしたのだった――

「隼人君? どうしたの?」

 理佐が隼人の顔をのぞきこんでいた。ちょっと考え事をしていたと言いわけして、今の話題を尋ねると、例の黄緑のエンデュミオールについての話題に移ったようだ。

「あれ、るいでもできるかな?」と目を輝かせるるいを、

「「無理やろうな。ウチらくらいに普段からユニゾンしてないと。それにウチら双子やし」」

 しょんぼりしたるいを慰めながら、永田が双子を見やる。

「あれ、コードネームって何にするつもりなの?」

「「あ、ヴェルデで」」

「? それ、緑じゃん。サルディーノ語だっけ?」と優菜が不思議そうな顔をする。

「うん、ねーやんのグリーンがベースやから」

 実は"黄緑"でネット翻訳してみたもののピンと来る単語にめぐり合えず、美紀が譲ったのだそうだ。

「てことは、質量操作系……」「でも電撃も放てるし……」と北東京支部の人たちが雑談を始めたを見て、理佐がにやりと笑った。

「電撃が撃てて、あの棒振り回して突撃するんだから――」

「「なになに?」」

「電凸系ね」

「「クレーマー扱いされたで!? ひどいやないの隼人君!」」

「なぜ俺」

 様式美に、どっと沸く一同。優勢勝ちとはいえ勝ちは勝ち。室内に明るい雰囲気が流れるのも当然だろう。サポートスタッフ同士で掛け合いをし、それでまた一座が笑いに包まれる。それには加わらず眺める横田の顔も、普段の憂い顔は影を潜めているのだ。

 だからこそ、と隼人は決意した。

 この人たちに、仲間同士を疑りあうような話はしない。させない。できるなら、盗聴機くらいであってくれれば、なお良い。たとえ内通者の存在を発見したとしても、隠密裏に支部長に処理してもらえれば。



 反省会は終わって、でもさすがに飲み会はまだ不謹慎だろうということになって、解散した。バルディオール・レーヌが出てくる可能性があるため、支部長は部屋で不寝番をするようだ。隼人はその支部長室へ行こうとしたのだが、理佐に呼び止められた。

「今朝、どこにいたの?」

「ファミレスだよ。ミキマキちゃんと一緒に」

 双子との相談事を終えるまでメールの返事を打たなかったのだから、質問は来るだろうと予測していた。そしてこれも予測どおり、理佐の眉間に稲妻が走る。

「――何してたのよ、3人で」

「ん、ゼミ旅行の相談だよ。ミキマキちゃん、幹事だし」

 ファミレスで待ち合わせて開口一番に美紀からそのネタを振られたときは驚いたが、『どうせ理佐ちゃんに問い詰められるんやから、アリバイアリバイ』とウィンクされて腑に落ちた隼人であった。

 だが理佐は納得できないらしい。

「ファミレスで会わなくったって、いいじゃない……」

「「あんな、理佐ちゃん」」

 見かねたのか、ミキマキがフォローに来た。

「予算の話とか行程表の案とか、メールではできへん相談をせなあかんかったんよ」

「ほかの担当の割り振りとかさ」

 階段を下りようとしていた優菜が、涙目になり始めた理佐を囲む人々を呼んだ。

「帰ろうぜ、みんな」

「あ、ごめん」と隼人はすまなそうに手を挙げた。

「俺、バイト仲間んところに今から行くから」

 理佐のますます悲しげな表情が、突然弾けた。双子に背中をはたかれたのだ。

「「どっしり構えなはれ! 正妻ちゃんがキリキリしててどないすんねんな!」」

 もぉ、と双子に向かって膨れた理佐が、顔を赤くしながら隼人のほうに向き直った。

「明日の朝、連絡ちょうだい」

「ああ、うん」

 ごめんな、理佐ちゃん。ありがとな、ミキマキちゃん。隼人は心の中で3人に頭を下げると、アリバイを完遂するためヘルメットをかぶり、原付のエンジンを始動した。

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