第5章 混沌の中の激闘
1.
惨劇から3日後の葬儀は、雨模様だった。風すら時々強く吹き、葬儀場を揺らす。まるで、死者を悼み、泣きながらその身を悶えさせているように。
西東京支部は、手分けして葬儀に参列することにしていた。急遽帰京してきた優菜とるいを交えて、理佐と4人で話し合った結果、隼人は楓の葬儀に行くことになった。
バイト先の藤堂塾に断りを入れて代講を塾長にお願いすると、二つ返事で引き受けてくれた。そのことに安堵して、隼人は濃紺のスーツに黒ネクタイを結んで、冷房が効き過ぎている会場の後方にあるその他の参列者席から楓の遺影を見つめていた。
その遺影は、いつの物なのだろう。まさか用意しているとは思えないから、何かの記念写真を加工した物なのだろう。そう思えるくらい、楓の笑顔は自然で優しげなものだった。
(あの打ち上げの時も、あんな感じだったな)
途中から話が妙な方向へ流れてしまったが、本人曰く『ほぼ専業主婦』は隼人のイメージしていた"主婦"とは違っていた。むしろ一生懸命"女性"であろうとしていて、それゆえにお酒も飲めないのに飲み会で男を捜すなんて無茶をしていたのだろう。
「隼人先輩……」
回想に浸っていた隼人の背後から、聞き覚えのある声がして振り向くと、祐希がいた。誰かから借りたのだろうか、サイズの合っていない黒のリクルートスーツを着て、萎れている。
隼人は立ち上がると、声を掛けた。
「大変だったな。その……」
そこから言葉が見つからず、取りあえず座ったらと自分の横を指し示したが、祐希は何も答えず、すとんと隼人の後ろの席に座ってしまった。二の句が継げず、隼人も元の席に座りなおす。
「どうして――」
か細い声が、背中に刺さる。
「どうして来てくれなかったんですか」
行く行かない以前に、知らなかったんだ。隼人はその反論をぐっと飲み込んだ。
「どうして、みんなが死ななきゃいけないんですか」
怨念を込めた視線が隼人の心臓を貫き、ぼそぼそと続く指弾は止まない。
「支部長まで、支部長まで亡くなって、わたしたち、もうバラバラに……」
そう、北東京支部長も戦死していた。エンデュミオールが3人斃されたのを見た彼女は変身し、サポートスタッフを含む全員に即時撤退を命令すると、敵に立ち向かっていったのだ。彼女が文字通り身命を賭してくれたおかげで、もう1人エンデュミオールが戦死しただけで、祐希たちは逃げることができた。――そう、隼人たちは聞いていた。
祐希の繰り言を聞いているうちに葬儀は始まっていた。親族席には喪主含めて10人、その他参列者は隼人と祐希など20人ほどが座っていた。どこやらの住職が紹介されて導師席に着き、おごそかに読経が行われている。それも5分ほどして終わり、喪主である楓の夫が挨拶することとなった。
妻に対する惜別と哀悼の辞は、はかどらなかった。たびたびつっかえ、涙ぐみ、またとちっては涙ぐみ。
「――それが、と、突然の心不全で、……」
そう言わざるを得ないだろうな、と隼人は喪主の心中を思いやる。外傷は全く無いのだ。まさか"過労死"とも言えない。
最後の語尾が語られること無く喪主はその場に崩折れた。親族に肩を貸してもらって席に戻ると、逆にいたって事務的な抑揚のついた声で、葬儀場の係員が告げる。親族以外の参列者による最後のお別れの時が来た。
「さ、祐希ちゃん」
隼人は背後に小声で促して前へ進み出ると、純白の厚布で覆われた棺に横たわる楓の遺体の側に立った。
その面影は、自分に突然訪れた死を受け入れかねるように、厳しいものだった。
それを見た隼人の脳裏に、自分が殺したバルディオール・ラクシャの絶鳴と死に顔が浮かぶ。あの女性も、少なくとも彼女にとっては無念の死、人生の予期せぬ終結だった。後日るいから聞いたところによると、利次――バルディオール・フレイム――の死に顔はもっと苦虫を噛み潰したようなひどい形相だったようだ。
「あの、お客様――」
俯いての回想を、哀惜の念と受け取ったのだろう。声を掛けてきた会場係の女性が、ステンレスの四角いお盆を差し出してきた。その上には、幾本かの切り花が乗っている。
「故人にお花を、供えてあげてくださいませ」
隼人はそのうちの百合を1本手に取ると、すでにたくさんの花々に囲まれた楓の遺体の胸の上に手向けた。ふいに、涙が一粒零れて落ちる。隼人はそれを隠すでもなく、楓に向かって手を合わせると元の席に戻った。
続いての親族による最後のお別れは、まさに喪主によって愁嘆場と化した。人目もはばからず泣き崩れ、遺体に取りすがる喪主。まさか止めろと諌めるわけにもいかず、職業的仮面で表情を鎧って佇立する会場係たち。それとは反対にもらい泣きをする親族のすすり声が、棺の周りそこかしこから聞こえる。それもやがて已み、また喪主は親族に抱えられて喪主席に戻り、隼人たちその他の参列者はここまでとなった。
雨がやんだのを幸いと、葬儀場の外で二人して出棺を見送った後、隼人はとぼとぼと離れていく祐希に声を掛けた。せめて霊柩車が見えなくなるまではと着ていた上着を脱ぎつつ、隼人は嫌な役回りを遂行する。
「明日、よろしくね。西東京支部に夜10時――」
「――くなら……」
「え?」
「あんなに泣くなら、もっと楓さんを大事にしてあげればよかったのに……」
祐希は泣いていた。涙を拭い、隼人を見上げる。その眼は怒りに燃えている。
「愛も無いのに、あんなに泣いてわめいて……男の人って、どうしてあんな見え透いた演技ができるんですか?」
「どうして、愛が無いって分かるの?」
隼人の問いは、祐希の意表を突いたようだ。その驚きと怒りに見開かれた眼をしっかりと見据えて、隼人は言葉を継ぐ。葬儀場では我慢していたが、祐希の繰り言と指弾に対する反論をついに抑えられなくなったのだ。
「君はあの旦那さんと話したことあるのか? そんなの関係無しに、他人の心がのぞけるのか?」
「どうしてそんな話になるんですか! わたしは、楓さんが――」
「楓さんがどうあれ、旦那さんが奥さんの葬式で泣くのが、そんなにグジグジ言うくらいおかしなことなのか? 俺はそうは思わない」
祐希は怒らせたままの目を潤ませて、隼人をにらむ。
「隼人さんに何が分かるんですか……楓さんが旦那さんの浮気でどれだけ悩んでたか」
「ああ、分からないよ。旦那さんの浮気が本当の事かどうかも、な」
言われて改めて目を見開いた祐希の脇を、蒸し暑さと疲れでだらけきったほかの弔問客たちが駐車場へと歩いてゆく。通り過ぎるのを待たず、祐希は声を絞り出した。
「男の人らしい擁護ですね。最低です」
「そうだね」
明日よろしく。もう一度念を押すと、隼人もまた疲れた身体に鞭打って駐輪場へ向かった。
2.
「ばっかだなぁお前、そんなのいくら言い返したって聞かないっつーの」
翌日の夜10時5分前。西東京支部に到着した隼人は、偶然行きあわせた優菜とそろってビルの外付け階段を上った。昨日の葬儀の時、祐希に言われたことを話した反応がこれだった。
「俺の後ろに座ってから、終わって外に出るまでずっとブツブツ言ってるんだぜ? いいかげん言い返したくなったんだよ」
あーだこーだと言い合いながら入った大会議室には、支部長を筆頭に理佐とるいが窓側に、横田と永田、長谷川が反対側に陣取っていた。正面にスクリーンが下りていて、画像はまだ映っていない。そのスクリーンに正対する位置に、北東京支部のフロントスタッフたち3人が座っていた。隼人と優菜が挨拶をすると祐希以外は返してくれたが、彼女は押し黙ってスクリーンをにらみつけて動かない。
優菜と隼人が窓側に座ると、待ちかねたように支部長が立ち上がった。
「じゃ、時間もそんなにないから、早速始めるわよ」
スクリーンに暗めの画像が映し出される。先日の北東京支部によるバルディオールとの戦闘の記録が、序盤のオーガたちとの戦闘を省略されて流れ始めた。オーガたちに降り注ぐ光に驚く。
「光線系だな、確かに……」
優菜のつぶやきを片耳で聞きながら、隼人は画面に見入っていた。バルディオールの出現にあわせて、慌ててカメラが振られる。
「でかいな……オーガって、160センチくらいだよね?」
るいの言葉に理佐がうなずいている。そう、画面がいまいち安定しないので見積もりしづらいが、件のバルディオールはオーガより頭2つ分ほど高い気がする。
「ヒール履いてたよ、あいつ」と北東京支部のスタッフが言った。そのことに驚くまもなく、エンデュミオール・リッカによるオーガへの斬撃が、光の壁で遮られる。そして――
「楓さん……」
もはや、北東京支部の面々は顔を伏せて、スクリーンを正視できなくなった。祐希は耳まで塞いで、小さくなって震えている。るいですら口に手を当てて、一言も発しなくなってしまったのだ。
スクリーン上に繰り広げられていたのは、味方が一方的に虐殺される場面だった。遠くからエンデュミオールたちの怒号と悲鳴、近くから撮影しているサポートスタッフの動揺した声が加わって、ドキュメンタリーというには余りにも生々しすぎた。なんといっても、かつて共に戦い、打ち上げもした仲間なのだ。その彼女たちが、無残にも屍をさらしてゆく。北東京支部長まで……
優菜が口元を押さえて大会議室を飛び出していったのをきっかけとして離脱者が堰を切り、記録の上映はそこまでとなった。
隼人は窓を開けた。淀みきった室内の空気を換えたかったのだ。だが、晩夏の熱気と車の排気に生活雑音がブレンドされた外気にうんざりしただけだった。
椅子の上でぐったりしている理佐とるいを気づかうと、かなりのダメージを受けている様子。かくいう隼人もかなり心にキていたが、そこを踏み越えて彼女たちに近づく。
「大丈夫?」
「あ……あー、まあね」
るいは我に返ったようだ。理佐はまだうつむいたままで、時々溜息をつきつつ頭を振っている。
「隼人君、優菜の様子、見てきてよ」
るいの頼みを聞いて、隼人は会議室を出た。探すまでもなく、フロア隅の自販機の横でへたり込んでいる優菜を見つける。声を掛けると、吐いてすっきりしたのか弱々しげながらも微笑み返してくれた。
「隼人――」
「ん?」
「お前、平気なのか?」
そのまま壁に2人してもたれて、自販機で買ったスポーツドリンクをすする。隼人は答えた。
「平気じゃないよ。でもな」
隼人は空いているほうの手のひらを、じっと見つめながらつぶやいた。
「心の中で、『奴を絶対許さない。だから目に焼き付けろ』って叫んでる自分がいるんだ。楓さんやほかの人も殺されて、悲しいはずなのに……」
優菜が、隼人の腕をそっと握ってきた。
「だめよ……無茶しないで。あなたまでやられちゃったら、あたし……」
その揺れる瞳を見つめ返すことしばらく、隼人はゆっくりとうなずいた。
優菜と連れ立って大会議室に戻ると、理佐の物問いたげな視線を浴びた。ほかの人たちももうすぐ戻ることを伝えたが、なぜか納得がいっていない顔つきをされる。
その真意をただそうとしたが、そこへタイミングよく皆戻ってきた。最後に支部長が急ぎ足で戻ってきて、会議は再開する。取り回しをする支部長の声は、重い空気をなんとかして払いのけようともがいているように感じる。その顔は泣きはらしたあとのようにも見えるが、そんな事にお構いなく、会議は進む。。
スクリーンには、隠れ家にいる鴻池の姿が映っている。彼女の口からお悔やみの言葉が発せられ、北東京支部のスタッフは黙ってそれを受けた。そのスタッフより、現場に到着した時オーガが12体いたことが告げられた。
『12体、か……』
「そんなに呼び出せるもんなんですか?」
優菜からの問いに鴻池はしばらく考えたあと、答えた。
『呼び出せないこともないが、まずやらないな』
「どうしてですか? 体力を消耗するから?」
『それもある。だが、そんなに大勢呼び出しても、制御しきれないだろう。私も含めて、皆それぞれ制御しやすいオーガの数というものがある』
隼人は鴻池――バルディオール・ミラー――と対戦した時のことを思い出して、それを口にした。
「たしか鴻池さん、6体呼び出してきたことありましたよね、あれが鴻池さんのリミットだったってことですか?」
『いや、あれはやり過ぎだった。オーガが全く言うことを聞かなくてな。数での劣勢を補おうとしたんだが……』
鴻池は苦笑した。
『まあ、まだ分からん。実はあと2人ほど隠れていただけかもしれないしな』
「それはどうでしょうね?」
とるいが発言した。頬杖こそ突いているが、意外に真顔だ。
「祐希ちゃんたちが逃げる時に、追い討ちをかけないなんて不自然ですよ。そう思いませんか?」
『……だとすると、大変なことになるぞ』
鴻池は腕を組むと、難しい顔になった。
『伯爵が以前言っていたことがある。『願いが強いほど、力は強く、姿はかけ離れる』と』
「そういうもんですか」とつぶやいた隼人に、みんなの視線が集中する。
「なんだよ?」
「女装願望が強いほど、力は強く、姿は――」
「そんな願望、無いから!」
るいの茶化しに、画面の向こうの鴻池まで乗っかってきた。
『伯爵やニコラ・ド・ヴァイユーに、そんな願望があるとは思えんな。そっちの黒はともかく』
「無いです。マジで」
「ところで、こいつはやっぱり見覚えないですか?」
支部長の問いに、鴻池はうなずいた。
『まさか名乗るとは思えないが、何か言ってなかったか?』
それを受けて、北東京支部のスタッフが首をかしげた。
「名乗りはしてなかった……と思います。スキル名も、よく分からなかったし」
「フランク語っぽかった……」
祐希のつぶやきに、隼人は思わず優菜を見た。理佐やるいからも注目を浴びて、物凄く複雑な表情をしている。鴻池も手元のDVDで確認すると言われて、ついに彼女は諦めた。
「……分かったよ、確認すりゃいいんだろ」
ごめんな、優菜ちゃん。最初にアクションを起こしてしまった手前、申しわけなくてうつむいていた隼人のTシャツの襟首が、突然掴まれた。
「おら行くぞ、隼人!」
「俺? 俺も!?」
抵抗を試みた隼人は、それが無駄なことをすぐに悟った。優菜の潤んだ眼に。
「あたしに、独りで視させるの? 隼人……」
「優菜が、搦め手から攻めてる……」
「隼人君……なに黙って見つめ合ってんのよ……!」
理佐はギリギリと歯噛みも音高く立ち上がった。
「私も行くわ」
そして今度は、るいの襟首が掴まれる。
「え、なになに?!」
「るい、あなた、第2外国語はジャーマニア語でしょ?」
理佐の顔には『ついでに道連れ確保』と書いてあるように見える。
「英仏独中4ヶ国語。これだけあればどれか当たるでしょ」
「俺、中国語はニーハオしか分からないぞ?!」
「るいもイッヒリーベヴィッヒしか――」
隼人とるいの抗議も空しく、2人は半ば引きずられるように控室へと連行された。
15分後。
「確かにフランク語だと思います。かなり棒読みですけど」
「ふーん、そーなんだぁ。さすが優菜ちゃんだね」
虐殺映像おかわりでかなりげんなりした様子の優菜の報告に、長谷川が手を叩く。
『"reine"が必ず出てくるな』
「そうですね」
「どういう意味なの?」
うなずきあう鴻池と優菜を見て、支部長が尋ねた。
「女王、ですね」
「なにが女王よ……!」
祐希の声は低く、重い。
「ふざけた名前付けて、バカにして……」
悲痛で怨念のこもった叫びに、会議の出席者は一様に面を伏せたが、隼人は昨日から彼女の愚痴を聞いていて耐性ができている。
(俺たちも色とか系統に関連する名前で、真面目に付けてるわけじゃないけどな……)
そして気付く。"女王"という名乗りの特異さに。
「まあ取りあえず、えーと、レーヌだっけ? 本当にそう名乗ってるかどうかは分からないけど、仮称ということで」
支部長がそう締めて、その件はこれでひとまず終わった。次は横田の報告だ。
「今から3時間ほど前ですが、現地を確認してきました。やはり、"拠り所"の形成は認められません」
『……なぜだ?』
沈黙が訪れる。いや、言えないのだ。るいですら。だが、
「殺しにきてる、ということですか。俺たちを」
隼人はあえて言葉にする。自分自身に叩き込むために。
会議室内に緊張が走ったその時、大会議室の電話が鳴った。皆一様にびくりと震えて、一瞬お互いに顔を見合わせたあと、横田が部屋の隅に設置されたそれに小走りで駆けよる。それを眺めながら、隼人の心の中に何か違和感が生まれていた。
(なんだこれ? 今、何か……)
横田がすぐに受話器を置き、支部長に向かって大声を上げた。
「支部長に電話です! ヴァイユー家の執事って名乗ってます!」
スクリーンの鴻池が驚いて何か言いたげに口を開いたが、声を出さずに急いで手元に何か書き始めた。すぐに走り書きのメモが示される。
『スピーカーをオンにしてくれ』
(ああそうか、鴻池さんがこちら側にいることは、ばれちゃダメなんだ)
その間に電話機に近づいた支部長が、うなずいてスピーカーのボタンを押してから、話し始めた。
「もしもし、支部長ですが」
『始めまして、というのも妙ですが。我があるじの伝言をお伝えします』
スピーカーから流れてきたのは、やや外国人風の訛りはあるものの、渋みのある落ち着いた男性の声だった。
『今から30分後に、いつぞやの倉庫街までお越しください。今度こそ決着を付けよう、との仰せでした』
「行かなかったら?」
その答えは想定していなかったのか、執事はくぐもったうめきを漏らした。が、また渋い声が聞こえてくる。
『その場合は、怒れる我があるじがそちらに攻撃を仕掛けるでしょう。日本の警察の介入を恐れる理由が、我々にはありません』
(どういう意味だ? まさか、治外法権があるってことか?)
「いずれにせよ、30分は無理です。1時間後にしていただきたいですわ」
『悠長なことですな』
「わざわざお誘いの電話をかけてくる方に言われたくありません」
男性が後方に指示を仰いでいるような声がしばらく続き、結論は出た。
『それで結構です。せいぜい戦力を整えて来るがよい、とあるじからの伝言です』
「ご親切にどうも。ところで、私は心配しているんですよ?」
『……何を、ですかな?』
支部長は、大して面白くもなさそうな顔で言った。
「あなたがたのお葬式をしてあげられるような立派な教会が、都内にしかないものですから」
『……ご親切にどうも』
電話は切れた。顎に手を当てて音声に聞き耳を立てていた鴻池が、ぽつりと切り出した。
『ベルゾーイだな。アンヌの執事だ』
「執事さんに訊いてみてもよかったですね」とるいが呑気な声を出す。
「何を?」
「今まで何してたの? って」
確かに、先の戦闘からそれなりの日数が経っている。訊いても答えてはくれないだろうが。
永田が焦りを見せる。
「どうして1時間にしたんですか? 向こうにも時間を与えちゃうんじゃ?」
そう問われる支部長は、自分の席に座り直していた。
「今ここに迎撃に向かえる戦力が揃っていることを、敵に知られたくなかったの。なんとなく、だけど」
支部長はそこで眼を固く閉じると、また開きしな立ち上がった。ぐっと前を見すえる。
「北東京支部のみんな」と。
「敵討ちには、ならないかもしれない。奴が、レーヌが出てくるかどうかは分からない。でも――」
うつむきから、支部長へと視線を上げて。北東京支部のフロントスタッフたちの顔に、意志の光が宿る。
「分かりました。助っ人ですね」
「よし、準備だ!」
優菜が立ち上がり、隼人たちも続いた。だが優菜は出口ではなく、祐希のほうへ向かった。まだ座り込んで机上に目を落としたままの彼女に、声を掛ける。
「祐希ちゃん、気分が乗らないなら、お留守番してる?」
「何言ってだよ優菜ちゃん!」
と隼人は場に介入した。たちまち目を怒らせた祐希を見下ろして、隼人は語気を強める。
「祐希ちゃん。君は、エペとレーヌ、両方と戦ってる貴重な経験者なんだ。君の力が必要なんだ。それに――」
隼人はこれでも意気の上がらない萎れた祐希に、苛立ちを抑えて語りかける。
「もし奴が現れたら、今度は『どうして誘ってくれなかったんですか』って愚痴るのか? 君の怒りを味方にぶつけて、何が楽しいんだ?」
やはり抑えきれず畳み掛けようとした隼人の腕を、理佐が掴んだ。
「そこまでよ、隼人君」
「……行ってください。わたしは、行けません……」
それが、もはや顔も上げずに漏れた祐希の答えだった。
3.
倉庫街は、いつものわびしさと、その割に熱気をはらんだ風が吹き抜ける場所だった。防犯上の関係でところどころ点灯している照明が中途半端な位置にあり、それゆえに光と闇の奇妙なコントラストをかもし出している。
真紀と美紀からは、戦闘開始時間に間に合いそうもない、まだ新幹線の車中との連絡を聞いて、隼人たちは諦めた。よって戦力は6名である。
警察の張った立ち入り禁止のテープをくぐって入ると、エンデュミオール・ブラックは気を張った。前回の戦闘では広い駐車場で待ち構えていたが、今回もそうとは限らない。鴻池からそうアドバイスを受けていた。アンヌが今回も独りでいるとは限らない、とも。
そう言われてきて現場を眺めると、そこかしこの暗がりに敵が潜んでいるような気がする。倉庫の際や歩道に生える雑草が揺れるたび、敵出現かとびくっとする。
「ブラック、ちょっと落ち着けよ」
ルージュにたしなめられる始末に、ブラックは頭をかいた。が、気合いを入れ直そうと上を向いた時、空に敵影!
「はっ!」
すかさず放ったスライスアローーが光の粉を撒き散らしながら、鳥人目がけて飛ぶ!
慌てて散開して周囲を警戒する仲間たちを背に、ブラックは光矢を誘導する。とっさの単発が災いして難なくかわされそうになったが、
「ここだっ!」
叫んだルージュの白水晶が光り、地上から火柱が上がった! さすがの動体視力で避けようとした鳥人だったが、体が付いてゆかず火柱に右半身を焼かれて絶叫する。
「やった!」
「よしよし、やっぱそれ、使えるね!」
ブランシュとアクアのリアクションを遮って、北東京支部の炎系エンデュミオール、ロートが鳥人を指差す。
「追跡しないと! 仲間に治癒してもらいに行くのかもしれないし」
「危ない!」
ブラックがとっさに彼女に飛びつくと、すぐ背後を光弾が上からかすめていった。舌打ちの音も高らかに鳥人が飛び過ぎて旋回してくる。
「もう1匹来た!」
アクアが叫んで白水晶を輝かせる。さっき攻撃してきた鳥人より、ガタイがいいように見える。歩道に降り立ったその鳥人は、長剣を振りかざして襲いかかってきた!
「参る!」
ブランシュが一声発して立ち向かった。繰り出した槍と剣がかち合い、激しい音を立てる。そこへ、空から鳥人が降ってきた!
「*+*@#?!」
図らずもその鳥人を正面から受け止める形となったガタイのいい鳥人が、フランク語で何事かをわめいて仰向けに転倒する。墜落してきたほうの鳥人はと見れば、
「……あれ、アクアの……?」
「トライアド!」
ブランシュの確認を遮るようにアクアの攻撃スキルが発動し、墜落したままもがく鳥人に水槍が命中! びくんと1回跳ねたあと、ぐったりと動かなくなってしまった。
「ア、アクア! あなた――」
「ゴーマー・パイル!」
続けざまのアクアのスキル発動は、今度はジェル。夜の闇を吸収して黒っぽい深みのある青色なそれが、ようやく起き上ったもう1体の鳥人目がけて飛ぶ。気付いて剣で叩き落とそうとした鳥人だったが果たせず、その刃筋にべっとりとジェルを付着させてしまった。ここぞとばかりに殺到するエンデュミオールたちに恐れをなしたのか、翼を羽ばたかせて空中へと逃げてゆく。
鳥人がかなたへと飛び去るのを確認してブラックが近寄ると、アクアは倒した鳥人の側にかがみこんでいた。よく見ると、鳥人の鼻に張り付いたジェルを消しているようだ。
「死んでるのか? そいつ」とルージュも来た。
「ううん、急所は外れちゃったよ?」とアクアは答えて、鳥人の腕と足をジェルでまとめた。すぐに、
「アルファ! 鳥人間1匹確保! 回収願います」と無線で呼びかける。
そのアクアに依頼されて、ブラックは鳥人の負傷を治癒してやる。
「治癒なんかして大丈夫?」
と北東京支部のエンデュミオール・アスール――こちらも水系――が心配そうにしていたが、アクアはあっけらかんと笑う。
「せっかくだから、生け捕りのほうがいいかな、と。ま、死んじゃったらごめんなさいでいいんじゃない?」
また鳥人が飛んでこないか警戒しながら動き始めた集団は、驚きと戸惑いに満ちた。ブラックを除いて。
ブランシュの声が震えているのは、早足のせいだけではないだろう。
「アクア、あなた……」
「なぁに?」という声とは裏腹に、アクアの表情は真剣なものになった。
「向こうは殺しに来てるんだよ? アクアたちを。返り討ちにしただけじゃん」
納得できない。そんな表情を見せるブランシュたち。だが議論をしている暇はなく、そのまま無言で倉庫街を進み、例の大型駐車場に出た。
そこにいたのは、アンヌ・ド・ヴァイユー。いや、既に変身しているから、バルディオール・エペか。その顔は苦虫を噛み潰したように、厳しい。
それもそうだろうな、とブラックは考える。配下の鳥人が1体は半身を焼かれ、1体は戻ってこず。彼女の背後には先ほど飛び去った鳥人が縮こまっているだけである。負傷した奴の姿が見えないのは隠れているだけかもしれないが、配下が無様に追い散らされて、機嫌が良かろうはずもない。
反対に意気上がるはエンデュミオールたち。ブラックも気付いていたがあえて言葉を発しなかったお嬢様の外見の変化について、口々にさえずりだした。
「なんか、ショートカットになってるんだけど」とブランシュが目を見張る。
「え? そーなの?」とロートが驚き、アスールが青い長髪を揺らして首をかしげる。
「イメチェン……とか?」
「いいや違うね!」とアクアがにやりと笑う。
「パワーアップ変身で、髪が短くなるんだよ! あと2回」
「んなわけあるか」とさすがにブラックは止める。
「最終形態がスキンヘッドになっちまうだろうが」
「お前ら……私をバカにしているのか?」
こちらのおしゃべりが聞こえたようで、エペの顔が剣呑なものへと変わる。
「よくも配下をと言いたいところだが、ここはよくぞと褒めてやろう。だが――」
すらりと抜き放つ長剣が、照明の光を跳ね返す。
「ここでお前たちを倒す」
応えて一斉に身構える仲間を離れて、ただ一人だけ前へと歩を進める者がいる。
「ルージュ?」
ブラックが付いていこうとするのを手で制して、ルージュはエペの10歩ほど手前で歩みを止めると口を開いた。憂いと、決意を秘めた表情で。
「アンヌ――」
変身前の名を呼ばれたバルディオールの顔に、驚愕が走る。止めようとするエンデュミオールと詰め寄ろうとする鳥人をそれぞれが制して、今度はエペがためらいがちに口を開いた。
「ユウナ……なぜお前がエンデュミオールなんかに……」
「あなたたちが侵略してくるからよ。当たり前でしょ。ここはあたしの国よ」
それはそうと、とルージュは強引に話題を変える。
「"reine"はどこにいるの?」
「 reine ? なんのことだ?」
ブラックはルージュの意図を感づいて、鳥人の顔を凝視した。鳥の顔ゆえ表情はヒトのそれより乏しいが、それでもルージュの問いの意味が分からない様子である。
(存在を知らないのか? この人って、伯爵家の重要人物じゃないのか?)
「そいつは――「分からないなら別にいいよ」
ルージュのセリフにかぶせるように、いつの間にかブラックの横まで来ていたアクアが大きな声を上げた。驚いて振り向いたルージュにウィンクして、両手を腰にあてて胸を張ったアクアはエペに正対する。理由を問う支部長からの通信まで無視して。
「この国から引き上げる気は無い? 今すぐが無理なら、48時間以内で。アクアたちは追撃しない。あんたたちもこれ以上戦力を減らさないですむ。どう?」
「なにを言っているのか、さっぱり分からんな」
エペの嘲弄するような顔は、アクアの次の一言で色を失った。
「本国の防衛が手薄になっちゃうじゃん? この国でオイタをして、これ以上損害が出たらさ。大激戦だったんだよね?」
(? めっちゃ動揺してるぞ、あいつら。アクアは何でそんなこと知ってるんだ?)
努めてポーカーフェイスを保ったブラックの心の中などお構いなく、エペは言葉を絞り出した。
「……だからこそ、我らはこの国の地脈を手に入れねばならんのだ」
「そっか」
とアクアはあっさり諦めた。彼女らしいと言えばらしい態度ではあるが――と思いきや。
「ま、アクアたちが勝っちゃうんだけどね」
挑戦的なアクアに、エペの口の端は危険な形に釣り上がった。
「いいだろう。この剣でお前たちを皆斬り伏せてくれる」
言い捨てて、バルディオール・エペは疾風怒濤のごとく詰めてきた!
「プリズムウォール!」
支部長が稼いだ1時間を使ってみんなで練った、鳥人対策その1。『まず、ブラックのプリズムウォールが武器強化系の斬撃をどこまで耐えられるか見てみよう』
エペの剣刃に鈍色の光が宿り、ゆっくりとだが、光壁を斜めに切り裂く! すかさずアクアがジェルを発射して、光壁の残骸に足止めされているエペの剣を封じようとしたのだが。
「させない!」
読まれていた。エペ配下の鳥人が主人を追走し、ジェルをぶつけられる役を買って出たのだ。
「すまぬエデュワルド!」
感謝の声とともにひと羽ばたき、エペは空中に舞い上がって突撃を再開する。狙いは――
「俺だな」
ブラックは奥歯を噛みしめて覚悟を決めた。鳥人対策その2を実行するために。そして、その3をルージュが仕込む時間を稼ぐために。その後ろで、ブランシュが構えを取り、大きく氷槍を振り回した。
「フロストスラッシュ!」
槍の穂から青白い霧状の氷針が放たれ、穂先の軌道に従って空中を円形に拡がってゆく。不審の声を出してエペが襲撃をあきらめ、上空に旋回した。そのあいだにブラックとロート、アスールは、ジェルを身体に付着させたまま地上を疾走してくるアルクを迎撃する。
これはヒトも鳥人も変わらないのか、雄叫びを上げながら長剣を振りかぶって走ってくるアルク。炎系と水系の攻撃をかわしきらず、むしろ翼を盾代わりに振るいながら迫りくる!
「はっ!!」
避けたい欲求を我慢して、間合いを見計らったブラックは光盾を発動! 鳥人対策その2『シールドバッシュを試してみよう』ということで、ただ待ち構えるのではなく、鳥人に思いっきり光楯ごとぶつかる!
アルクは、疾走の勢い込みで長剣を振り下ろしていた。その剣だけでなく腕にまでシールドバッシュによるカウンターが入り、続いて胴にまで光楯がぶち当たる。悲鳴とも怒号ともつかないくぐもった声を上げて、アルクは仰のけに転倒した。ブラックも無事ではなく、こちらも反動で尻餅をついてしまったが。
上空のエペを警戒しながら、額の白水晶を輝かせて溜めを作っていたエンデュミオール・ロートがスキルを発動!
「フォルテックス・フラム!」
ロートの振り上げた両手から飛び出た炎の塊は、痛みに顔をしかめながらようやく立ち上がろうとしたアルクの頭上2メートルほどで一瞬静止し、すぐ紐状にほどけた。そして炎紐の先端がアルクの傍の地面に触れた途端――
「ぐぉぉぁぁぁ!」
炎紐が高速で地面に円を描き、描きながら内側に巻き込んでいって、羽ばたいてその場を飛び退こうとしたアルクを焼く!
「エデュワルド!」
エペが絶叫して救援に駆けつけようとするが、ブランシュの投射スキルとアクアの繰り出す霧がそれを遮って果たさせない。ブラックは本部を呼び出すと、エデュワルドと呼ばれた鳥人を捕縛するよう依頼し、アスールに監視を頼んだ。
4.
どうにもキレがない。それが、バルディオール・エペと再戦してのブランシュの感触だった。
先日のような迷い無き突進も、敵ながら――口惜しいことには変わりないが――惚れ惚れするような身のこなしも、一振りごとに悲鳴と断絶を呼ぶ鈍色の軌跡も。そのどれにも、今宵はお目にかかれないでいる。時々、鳥人対策その3のために動き回って仕込みを続けているルージュのほうをチラ見するのだが、先日のようにこちらの意表を突いて飛び回るということもない。やはり、先のアクアの指摘が効いているのだろうか。
(おかげでわたしはやられずに済んでいるんだけど……)
自嘲していてはいけない。今夜こそこいつを仕留めて、ブラックを守らないと。ブランシュの焦りには、今のところ自分のサポートに徹しているアクアに対する感情も少なからず加味されていた。あんなにふわふわしていて、あんなに掴みどころのなかったアクア。それが今夜ははっきりと意志の方向を敵にまっすぐ向けている。『自分たちを殺しに来る奴は返り討ち』と。
そのアクアの放った水槍を難なく避けて、エペは加速してきた。ロートのスキルに身を焼かれた配下の元に向かうために。そして、その途上に立ちふさがるブランシュを排除するために。
ぐっと唇を噛み締めて、ブランシュは三段突きを放った!
「ぐぁっ! ……まだだ!」
三の突きでエペの右太ももに氷槍を突きこむことができたが、エペは構わず右手を振り上げた。長剣で氷槍の柄を切断してひと羽ばたきし、ブランシュの頭上すれすれを飛び越えようというのだろう。そう、これを待っていたのだ……!
ブランシュは氷槍を地に捨てた。思い切ったそのアクションは当然エペの空振りを生み、目を見張った彼女の顔が、黒色と鈍色で彩られた身体が宙を泳ぐ。
「はぁっ!!」
ブランシュの額の白水晶が輝き、彼女の右手に氷の結晶が文字どおりの手刀を形成する。その、照明をキラキラと照り返す氷刃で狙うは、差し出される形になったエペの首……!
裂帛の気合いで斬り上げた氷刃は、間一髪の差で届かなかった。エペもまた愛剣を捨てて両腕を首の前で固く組み、首筋への斬撃を防いだのだ。その代償は当然――
「ぐぅぁぁぁ!」
左足でブランシュを蹴り剥がし、両の翼で羽ばたいて後退したバルディオール・エペは、ほどなくして駐車場に片膝を突いた。見れば、右腕の肘から下がぶらんと力なく垂れ下がっているではないか。その顔色は青く、痛みと出血に必死で耐えるのが精一杯に見える。
「チャーンス!」
叫んで白水晶を輝かせるエンデュミオール・アクア。
「みんなの仇!」
絶叫に近いひび割れた声で、アクアと同じくスキルを発動せんとするロートと、サポートスタッフにエデュワルドを任せてこちらに駈け寄ってくるアスール。
その時、西側の倉庫の中から日本語ではない絶叫が轟いて、人影――いや、鳥人の影が走り出てきた。それは、ここへ来る途中でルージュに右半身を焼かれた鳥人だった。激痛が走っているだろう右半身に構わず数歩走ると、口元から光弾を連射し始めた!
「くそっ! これをくらえ!」
ブラックがラ・プラス フォールトを発動! L字型に組まれた腕から発射された光の帯が、一直線に鳥人へと飛ぶ!
「ソフィー!!」
わが身の激痛を忘れたか、配下の名を呼び彼女をかばおうとするエペ。喧騒の中、ルージュが息を飲む音が聞こえる。
次の瞬間、エペとソフィーを守るように、光の壁が立ち上がった。ブラックが放った光線がそれと激突し、ともに四散する。続いて戦場に、いやソフィーとエペに白い光が降ってきた。アスールが愕然とした表情でつぶやく。
「あの時と同じ、光……」
そしてブランシュたちは見た。鳥人とバルディオールの傷が癒えてゆくのを。その光を発した、倉庫の陰にたたずむバルディオールを。