第4章 惨劇のレーヌ(前篇)
1.
その日、北東京支部では、恒例の納涼花火大会が開かれていた。といっても開催場所は支部長宅の庭。場所的にも予算的にも大尺玉を打ち上げるわけではなく、スーパーで買ってこられるレベルの花火を、女性15人できゃいきゃいしながらやるだけなのだが。
支部長の顔に、浮かない色が見える。そのことを、会が進んでから、祐希は思い切って尋ねてみることにした。
「支部長? どうかしたんですか?」
支部長は突然の問いに戸惑った様子ながら、ゆっくりと答えてくれた。
「今ね、思うところが3つほどあって」
その声の意外な重さと多さに、ほかの面子も聞き咎めて花火を切り上げ、支部長と祐希の周りに集まってきた。そのことに驚きながらも、支部長は訥々と語り始める。
「なんだか平和すぎて、気持ちが悪いのよ……何か裏で、とんでもないことが企まれてるんじゃないかって」
「確かに、情報が何も無いっていうの、不安ですよね」と北野楓も同調する。別のフロントスタッフが声を上げた。
「西東京支部に敵が注目してるのも、良し悪しですね。潜伏してるバルディオールの情報もないし」
「ていうか、うちらのところには潜伏すらしてなさそうだし」
そうサポートスタッフの1人がのんびりと言いながら、缶チューハイをごくりと飲んだ。
「ああ、そういえば昨夜、長野支部の管内で1人、バルディオールが捕まったらしいわよ」
支部長の突然の報告に皆どよめいた。それによると、帰省中のるいが、そのバルディオールと協力して鳥人を倒し、バルディオールを投降させたという。
「へー、るい先輩、めっちゃ有能じゃん!」
「拠り所を攻撃した時は『こいつ大丈夫か?』ってくらい腑抜けてたのにね」
「まあ、気分屋みたいだからね、あの子」
雑談を受けての支部長のコメントに、祐希と楓は顔を見合わせてくすりとした。気分屋どころか、かなり自己中心的な言動のるいが、今回はスイッチが入ったということなのだろうか。
「んじゃあ、来週の西東京支部との模擬戦は盛り上がりそうですね」
フロントスタッフの意気も上がったところで、祐希は支部長の懸念がまだ2つ残っている事に気づいた。
「ん? ああ、この状態のことよ」
「?」
「年頃の女の子が13人も、こんなところで花火やってて大丈夫なのかしらって」
「それを主催者が言いますか。ていうか、酔ってます?」
楓がツッコみ、支部長が受ける。
「酔ってないわよ?」
「人数、間違ってますよ?」
「なんであなたを"年頃の女の子"に入れるのよ人妻!」
ぐぬぬとなった楓は、飲み物を取りに母屋に行った。
「楓さん、離婚調停うまくいったんですかね?」
祐希たちは仰天した。発言したサポートスタッフが、周りの反応を見て瞬時に後悔した模様。
「えええと、ごめんなさい忘れてください! 家庭裁判所から出てくるところにばったり出くわしちゃって……」
そんな状況報告までされて忘れられるはずがないが、涙目の彼女に免じて祐希は無理やり話題を変えた。
「支部長さんのお子さんって、そろそろ大学進学じゃないですか?」
「そうなのよ」
支部長は、ほっとしたような困ったような、微妙な表情を浮かべた。
「それがね、九州の大学に行くって行ってるのよ。なんでわざわざそんな遠くに行くの、って聞いても答えないし……」
「女ですね」
いつの間にか、楓が戻ってきていた。
「付き合ってる女の子と一緒のガッコに行きたいってところだと思いますよ。いますよね? カノジョ」
「いない……と思うけど」
「じゃあ、好きな子がいるんですよ、きっと!」と祐希も話に乗る。
支部長の複雑な表情に構わず、祐希たちは花火を再開した。
赤、金色、銀色の火花が庭の各所で花開く。花火を見ていると、どうして人は雑念が消えるのだろう。そして、そんなことを考えていると、
「もう消えちゃった……」
「はかないわね、花火って……」
楓が手持ち花火に火を点けることも無く、既に火が消えて黒い棒になってしまった祐希の花火を見つめていた。その表情は暗いというべきか、過ぎ去りし日々の思い出に浸っているのか。先ほどのサポートスタッフの発言もあって、祐希にはいつものように気軽に問いかけられない。
自分たち以外の場は、それなりに浮かれていた。そこに、かかってきた一本の電話。
「現れたわ」
その一言に、支部の浮かれた空気は一変した。
2.
そこは、かつてバルディオールに、オーガたちの拠点となる拠り所を作られたスーパー銭湯跡であった。北東京支部の面々がそこに到着した時、彼女たちは目を疑った。
「オーガがいっぱいいる?!」
むわんとする熱帯夜の闇に包まれた廃墟。それを手当たり次第に壊して暴れているオーガは、今まで体験したことがないほど多数である。皆思い思いに物陰に潜んで彼方を見やる中、サポートスタッフの1人が双眼鏡を手に、オーガのカウントを始めたのだが、
「……10、11、12……12体もいる……」
「てことは、バルディオールが2人、ないし3人いるってことね」
そこまで推測して、俄然緊張が高まる一同に附和して、祐希はじっとりと汗を掻き始めた。
大丈夫だ、今日はお盆明けプラス花火大会で、フロントスタッフが7人全員揃っている。そう思っても、この廃墟の、あるいは近辺の暗がりのどこかにバルディオールが、それも複数潜んでいるのかと思うと、身が縮こまるのを止められない。
そんな状況で肩に手を置かれた祐希は、盛大に痙攣してしまった。
「! 大丈夫?」
「は、はい!」
「わ! バカ!」
声を掛けてくれた楓に応えようと、努めて元気な声を出したことが災いして、オーガたちに気付かれてしまった。
「よし! 行くよ! 変身!」
楓の掛け声に呼応して、全員が白水晶を手に叫ぶ!
「変身!」
白水晶から溢れ出た光が、系統ごとの色に変化して彼女たちの身体を鎧う。イヤフォンから支部長の指示が来た。
『トゥオーノとアンバーは少し下がり気味で、いつもどおりね』
電撃系の2人を味方のやや後方に配置して、不意討ちを受けないため戦場全体を監視しつつ支援攻撃を行う。それはフルメンバーで戦う時の定番のフォーメーションである。
『そこだ!』
アンバーが放った電撃がオーガの1体をかすめ、怯んだ隙に攻め込もうとした前衛が押し戻される。
(うう……混戦になっちゃった……)
トゥオーノは、というか電撃系自体が精密な攻撃を得意としないため、もう少しばらけてもらわないとスキルを放てない。普段はこんなに敵味方が大勢入り乱れるようなことはないので、スキル発動のタイミングがつかめない。同士討ち覚悟でいけば別だが。
(そういえば、先日の会長の支援攻撃は豪快というか大雑把だったな)
味方を巻き込むどころか戦闘不能になることを何とも思っていないかのような。まるで、人の営みを意に介さない災厄のような、そんな攻撃だったことをトゥオーノは思い出す。
と、彼女の思考を読んだかのように、エンデュミオール・リッカが大きく後ろへ跳躍! オーガが1体、その体を暴露された!
「今だ! いっけぇぇ!」
トゥオーノの拡げた両手に電光が瞬く間に溜まる。それをパンと手拍子の要領でぶつけて、投射スキルの発動!
「ティロ・エレトリカ!」
指鉄砲の形に組んだ両手の内から電撃の砲弾が発射! バチバチと放電の火花を上げながら真っ直ぐ飛んだ電弾は狙いあやまたずオーガに命中し、怪物は電撃で身を硬直させる。
「よし! 次、次!」
硬直したオーガに再び突進するリッカを見ることなく、トゥオーノは勇んで次の標的を探した。少しずつでも、みんなの役に立てればいい。こうやって、少しずつスキルを磨いて、いつかはわたしも、アンバーやリッカみたいに――
「メルシィ デ・ラ・レーヌ 」
朗々と、しかし禍々しい響きの女性声が、トゥオーノの甘い未来予測を打ち砕くきっかけとなった。スーパー銭湯の屋根の上から放物線を描いて、白い光が降ってくる。
「みんな、避けて!」
アンバーの叫びは、的外れであるとすぐに判明した。白い光はオーガの群れを追い込みつつあるエンデュミオールたちではなく、なんとオーガたちに命中したのだ! そして、誰ともなく、愕然とした声が上がる。
「治癒、してる……」
そう、トゥオーノからの遠目にも、オーガたちの負傷が治癒されているように見えるではないか。トゥオーノは焦った。
「くっ! もう一度やり直しか!」
「大丈夫だよ! 体力は削ってる! さあ、もう一度食らいな!」
アンバーはエンデュミオールたちを励ますと、スキルを発動しようと身構えた。
3.
その頃、隼人と理佐はスキルの練習をするべく、昨日の採石場に来ていた。昨夜は原付での帰り道、暗夜の砂利道にタイヤを取られてひっくり返って大変だったとメールしたら、夕方理佐がレンタカーとともにやって来た。塾生たちのキラキラ光る眼から逃げるように運転席に乗り込んで、それでもどうにかロケットスタートだけは避けて、また山道をやって来たのだ。
「ふーん……」
「な? ここならどんだけぶっ放しても、誰にも見られなくて済むぜ」
「隼人君、車なんてどこで運転してるの?」
「そっちかよ」
車の運転が必要なバイトがあることを説明したが、ご納得いただけない様子。
「……あのさ、何か不審な点でもあった?」
「……実は誰かの車、運転してるんじゃないの?」
誰かって……隼人は考え込む。杉木は確か持ってたな。ジャーマニア車だったかな。平弓も確か持ってたな。あとは……
「もういいわよ。さあ、練習練習!」
ぶんぶんと頭を振ると、理佐は隼人を待たずに変身した。怪訝な顔のままの隼人も変身して、自分の課題に取り組むことにした。
昨夜言われたこと。すなわち、『後ろからチマチマ援護射撃しているのではなく、前に出て体を張れ』というアドバイスを実現するための練習なのだ。後半は隼人が勝手解釈で付け加えたのだが。
鍛錬も兼ねて走って、手ごろな大きさの岩を探す。2分ほどで見つけた岩に、インフィニティ・ブレイドで斬りかかる!
「ありゃ、いまいち短いな……」
隼人――ブラックは既に光剣の立ち消えた右手を見つめた。
インフィニティ・ブレイドは、エストレインフィニティが左手に装着したインフィニティブレスを使って形成する光の剣である。それをコピーしたブラックも、これまで左手でスキルを発動して使っていた。だが、今一つ使い勝手が悪い。理由は2つ。光剣の形成はともかく、維持に多大な体力を消耗することと、利き腕ではない左手で振り回しているからだ。
代わりに近接戦闘用主武装として金属製の三段ロッドを装備し、これに薄い光をまとわせて使っている。省エネな点はいいのだが、エンデュミオールのスキルで省エネはイコール低い威力である。もちろんツボを心得たスキルの使い方をすればまた別ではあるが、どれだけ考えてもツボは思いつかなかった。
そこで、『前に出て体を張る』ために、インフィニティ・ブレイドを右手で使うことにしたのだ。エストレファンとして忸怩たる思いがしないでもなかったが、美学を守って滅ぶ気は無いし、美学よりもみんなを護りたい。
美学破りついでにと、ブラックは左肩を前に突き出して岩にタックルをかましてみた。結果は見事に失敗。岩の角で左腕をしたたか打って、くぐもった悲鳴を上げていると、いつの間にか理佐――ブランシュが近づいてきていた。
「なにやってんのよ……アメフト部にでも今さら入るつもりなの?」
左腕をさすりながら、ブラックは笑った。
「違うよ、これを出したかったんだ」
言い終えてすぐに気合を入れると、ブラックは左腕に添うように鈍く光る盾を生成した。
「シールドバッシュって知ってる? 盾ごと敵にバーンてぶつかるやつ。それをやろうと思ってさ」
「なんでよ!」
ブランシュが突然大声を上げて、ブラックは驚いた。
「前衛はわたしとグリーンでやるって言ってるじゃない! どうしてあなたが前に出てくるのよ!」
「このあいだの戦闘、さ――」とブラックは言った。
「現場では必死だったから何も感じなかったけど、DVD見返してみるうちに、なんかこう、違うなって思ってたんだよ」
そして昨夜、楓たちから『チマチマ遠目から光線技を撃ってる』のに違和感があると教えられて思い立ったのだということを説明する。
「前に出て、奴を直接止めたいんだ。遠くからスキルを撃ってちゃ間に合わないんだ。あの人の速さは」
「でも……」
とつぶやくブランシュの気持ちは嬉しいが、ブラックは決意を変えるつもりは無い。
「俺の手で、みんなを護りたいんだ。もうみんなを、あんなズタボロな目に遭わせたくないだよ」
(なんで"みんな"なのよ……)
ブランシュの理佐としてのつぶやきは、当然隼人であるブラックにも聞こえた。
「もちろん、理佐ちゃんを護りたいよ。ほかの誰よりも」
言われたブランシュの眼が、驚きと嬉しさに見開かれる。
「でも、だからってほかの子をほっとけないし、たとえ理佐ちゃんだけを護るとしても、後方で援護射撃だけじゃだめだと思うんだ。分かってくれよ」
見つめ合うというには厳しい眼でしばらく対峙したあと、ブランシュは折れた。
「分かったわ。じゃあ、模擬戦をしようよ」
「いや、もうちょっと――」
ブランシュに苦笑された。
「分かってるって。まだ未完成なんでしょ? 15分別々に練習して、休憩してからよ」
そう言って、ブランシュはもといた場所まで帰って行った。
そして、エンデュミオール・ブラックとブランシュは向かい合った。
ブランシュは槍を構えて、低い姿勢を取り始める。対するブラックは、光剣と光盾を最初から出した。盾で左半身を守りつつ、剣を正眼に構える。というか、構えはこれしか知らない。
しばらく細かい牽制をしたあと、ブランシュが襲いかかってきた。足下から突き上げるように迫ってくる槍先! 盾をもって防ごうとするも遅く、ブラックは脚を刺されてしまった。
「ブラック、早く治癒して」
ブランシュは、ちょっと怒っているように見える。が、痛みに顔をしかめて治癒の光を我が脚に施すブラックには、その理由を詮索する余裕が無い。
(くっ、やっぱ見てから動いてちゃダメなんだな……)
だとすると、万遍なく光っているせいで向こうが見通せない光盾を構えっぱなしなのは不利か。ブラックはそう考えて、光盾を消した。
「ふーん、思い切ったわね。行くわよ!」
宣言とともに、氷の槍が唸りを上げて襲いかかってくる!
光剣で、そのひと突きひと突きが致命傷になりかねない槍先を懸命にさばく。光剣は重量がほとんどないので、実体剣を振り回す時のように振り疲れるのはだいぶ先なのだろうが、それでもいずれ限界は来る。
(どこかで真っ直ぐ突き込んでくる……そこで盾を作って防いで……)
そこでわざと隙を作れると、マンガみたいでカッコいいんだけどな。ブラックがふっと笑ったのが小癪に見えたのか、はたまた本当に隙ができたのか。ブランシュが気合いもろとも槍をブラックの腹目がけて鋭く突いてきた!
「ここだ!」
重たいもの同士が激しくぶつかる音がして、半身に開いたブラックの身体を激突の衝撃が揺らす。ぐっと踏ん張って見すえた前方には、渾身の一撃を跳ね返されて吃驚したブランシュがいた。チャンスだ!
「ここで、シールドバッシュ! ……ってわぁ!」
勇んで盾を構えて突進したブラックは、つまずいて転倒した。いや正確には、当然いると思った盾の向こうのブランシュにすっとかわされて、すっ転んだのだ。
「あ、ごめん。来るのが分かってたから、避けちゃった」
盾のおかげで小石と突起だらけの地面に顔面スライディングすることは避けられたが、ブラックはちょっと悲しくなった。なかなかうまくいかないもんだな……
「当たり前でしょ! そんなに簡単に新技がうまくいったら苦労しないわよ! はい立って立って」
気を取り直して、今度はまたあらかじめ光盾を作って対峙する。ただし、首から膝までを守るように、少し小さめの盾を構えてみることにした。光盾も重さはあまり無いため取り回しに苦労はしないのだが、先ほどのシールドバッシュの時に意外と空気の抵抗を感じたのだ。
厳しい表情を崩さぬブランシュの繰り出す槍は、顔を狙ってきた!
「うおっ!!」
まあ予想していたとはいえ、顔目がけて槍の穂先が突っ込んでくるのは怖い。そして予想していたが故に、ブラックは頭を振って槍を交わすことができた――が。
「せいっ!」
ブランシュの掛け声に遅れること僅か、そのまま右手の光剣を突き出してカウンターをと思っていたブラックの左半面に激痛と衝撃が走る。ブランシュは顔面突きが避けられたと見るや――あるいはあちらも予想していたのか――槍を旋回させて槍の柄でブラックの頭を横薙ぎに殴打したのだ。
「~~! ま……だ、だ!」
ぐわんぐわんする頭の中を顧みず、ブラックは前へ詰めて光剣をブランシュに突き込む! 慌てることなく槍の柄でそれを払ったブランシュに、今度こそ盾ごと体当たり!
悲鳴を上げて転倒するブランシュに、まさか成功するとは思わなくてガチで突っかかってしまったブラックが覆いかぶさる状態で、これまた転倒してしまった。倒れ込む間際に光盾を消したので、彼女の身体をプレスすることは避けられたのだが。
「……」
「ブランシュ、大丈夫?」
「……ほんとに、女の子になっちゃうのね」
「? 何が?」
いや確かに、ここ最近覚えがないくらい顔が近いけどさ。
「……手、そろそろどけてくれない?」
言われて手元を見れば、ブランシュの胸のふくらみに手が思いっきり乗ってしまっているではないか。
慌てて手を引いて謝ると、起き上がりながらなぜかむくれ始めた。
「なんだ、同性だから平気で触りに来たんだと思ったわ」
「ほう。ブランシュちゃんは同性もイケる人だったのか」
ニヤリ笑って言うと、ブランシュは頬を赤くして声を荒げた。
「んなわけないじゃない! まったくもう……」
なんとなくやる気が削がれてしまった二人は、ここで休憩タイム。ブラックは左耳をさする。
「まだ痛いぜ……」
「実戦はそんなものじゃすまないわよ」
思いのほか厳しい眼でにらまれてしまった。まあ、槍術の師範にもなれるくらいの相手に即通用するとは思ってはいなかったが、かなり道は険しいようだ。
「わ! なにここ圏外なの?!」
ブランシュはスポーツドリンクを取りに行きがてら、携帯をチェックしていたのだ。
「そうだよ圏外だよ、さっきそう言ったじゃん。連絡もSOSもできないんだぜふっふっふっふっ」
「ミキマキちゃんみたいな含み笑い、止めなさいよ」
「ではなぜ距離を取るのかねお嬢さん?」
ジト目でにらまれることしばし、溜息まで吐いて、ブランシュはブラックの傍に腰かけてくれた。
「まさか今時電波の届かない場所が、この日本にあるなんてね」
「な? そうだろ? 理解してくれた?」
ブラック、いや隼人は、往路の車中で理佐から詰問されていたのだ。『どうして昨日、携帯の電源切ってたの? 誰と会ってたの?』と。
「……ごめんなさい」
「俺さ、理佐ちゃんに嘘ついてないし、これからも嘘つくつもりは無いよ」
と、隼人はあえてダメ押しをした。彼女の友人たちから、彼女が嫉妬深いことはさんざん聞かされている。これでそれが改まるとは思わないが、せめて隼人の真情だけは伝えておきたいと思ったからだ。
「それは分かってる。分かってるけど……」
「けど?」
彼女は、うつむいてしまった。
そのまま、お互いにペットボトルを傾けるだけの時間が過ぎる。隼人は話題を変えることにした。
「みんな、どうしてるのかな? るいちゃんはハイテンションなメールが来たけど」
「ああ、鳥人間を倒して、バルディオールを投降させたんだよね?」
なぜかむくれ出す白い人。ブラックが怪訝な顔をすると、
「だって、そんな力があるなら2月から出しなさいよって思ったの!」
「まあなー」と隼人は苦笑い。
「正直、俺が加入したての頃のアクア、めっちゃ自由人だったからなぁ」
いまだに自由人な点は変わらない気がするが、多少なりともメンバーの一員という自覚が出てきたのだろうか。
「優菜からの連絡は来てないの?」とブランシュが聞いてきた。
「ああ、来てないな。ブランシュには?」
「……ほんとに来てないの?」
「なぜにそこで疑うの? 来てないよ」
そう言ってもブランシュはまだ納得できない様子であったが、そんな彼女から、優菜からはヒントを掴んだらしいメールが来ていたと教えてもらった。また痛くもない腹を探られるのはかなわないので、ミキマキからも順調という感じのメールが来ていたことを話す。
「ほんとに仲いいわね、あなたたち」
「まあ、ゼミ仲間だしな」
言って、ブラックは立ち上がった。
「さ、もう一勝負。今度は盾だけじゃなくて剣もヒットさせてみせるぜ!」
これ以上話してると、ブランシュの嫉妬が増してくる。そんな気がしたから。
4.
エンデュミオール・トゥオーノは、呆然と立ち尽くしていた。
オーガの群れを再び攻めた彼女たち。1体をどうにか倒すことに成功したものの、また屋上から光が降ってきて、オーガの傷は癒えてしまった。オーガと同様に、エンデュミオールたちは疲労の色が濃くなってきている。
「アルファ! 西東京支部はどうなったんですか?」
支部長から返ってきた答えは、絶望的なものだった。西東京支部のフロントスタッフと、誰も近くにいないというのだ。鳥人対策のため、ブラックとブランシュ以外は帰省しているという。
「じゃああの2人は?」
『……いないわ』
その声は、フロントスタッフのリーダーのもの。
「いないって……?!」
『今日も練習場使いたいってブラックからメールがあったのよ。ブランシュと一緒に、って……』
「そんな……」
採石場は携帯の圏外。2人が切り上げて戻ってこない限り、増援は来ないことになる……
『いま可奈から会長に連絡取ってもらってるから、もう少しだけ持ちこたえて』
支部長の声は、オーガの群れの向こうから響いてきた声によって掻き消された。
「ふふふっ、そろそろ狩り時だね」
「! バルディオール!」
それは、長身に黒髪をなびかせた女であった。黒を基調としてところどころに白い線が入る上着。スカートは膝下まである長いもので、黒と白のストライプが交互に入る派手ないでたち。ピンヒールで背の嵩増しまでしてつんとした風情は、同性であるトゥオーノにすら"キレイな女"と認識させるほどの整った面貌が多いに一役買っている。
おそらく携帯にがなっているのだろう、支部長の声を無線の向こうに聞きながら、最初に動いたのはエンデュミオール・リッカだった。さっきまで重たげに下げていた氷の薙刀を振り上げ、バルディオールの登場と同時に左右に退いたオーガのうちの1体へと挑みかかる――いや、挑みかかろうとしたのだが。
「アイジ デ・ラ・レーヌ」
そうゆっくりと唱えたバルディオールが右手を軽く上げると、リッカが斬りかかろうとしていたオーガの前に、光の壁が現れたではないか!
それでも構わず振り下ろされた氷の薙刀が、鈍い音を立てて折れた。
「光線系……? 嘘でしょ……!?」
アンバーのつぶやきに、トゥオーノは猛烈に嫌な予感を覚える。光線系、あのエンデュミオール・ブラックと同じ系統。ということは――
「リッカ! 逃げて!」
トゥオーノだけでなく他のエンデュミオールもスキルを発動して、独り突出する形になってしまったリッカの後退を援護しようとするのだが、敵のほうが速かった。その掌がリッカに向けられ、そして嘲笑うような掛け声とともに光線が発射される。光の槍ともいうべき鋭角な先端のそれは真っ直ぐ飛び、精一杯身を捩って避けようとしたリッカの胸を貫いた……!
仲間のエンデュミオールたちにとって耳をふさぎたくなるような絶叫とともに、リッカの額に装着された白水晶が砕け散る。8月下旬の夜、まだ熱のこもったコンクリートに鈍い音を立てて仰向けに倒れたリッカは、糸の切れた操り人形のように不自然な崩折れ方のまま、その身を淡い光が包み、やがて消えた。
「あ……ああ……」
トゥオーノは言葉を失った。つい30分ほど前まで一緒に花火をして、ふざけ合って、冗談を言いあっていた先輩が。先輩が……
立ち直りの早かった仲間が浴びせるスキルの嵐を、バルディオールはまた先の光の壁で防いでしまった。オーガたちがゆっくりと前進を始める中、バルディオールは眼も口も半月にして言った。
「さあ、狩りを続けるわよ」
5.
採石場からの帰りは、理佐がハンドルを握った。隼人は剣と盾を使用しすぎてややグロッキー気味。氷雪系のように得物を作り出せばそれで終わりというわけではないから仕方がないが、ちょっと情けなくもあり、ちょっと可愛くもある。そう思って含み笑いをしたのが聞こえたのか、隼人が億劫そうに理佐を見た。
「なに?」
「……今日はいいこと聞けたな、って」
「俺、なんか言ったっけ?」
「……私を護りたいって、ほかの誰よりもって言ったわよね?」
「うん」
「……あれ?」
理佐は横を向きたい衝動に駆られたが、あいにく山道は信号など無い。
「さらっと言ってみただけ?」
「いやそういうわけじゃないけど」と隼人は前を見たまま言った。
「俺の素直な気持ちを言っただけ、だから」
もどかしい。どうしてそこで黙ってしまうのだろうとサイドミラーを確認がてらチラ見したら、隼人は携帯をいじっていた。やっと電波が来たとつぶやいたのもつかの間、また黙ってしまう。
「隼人君、疲れてるなら携帯見ないほうが――「ヤバイぞ、おい」
隼人の声色に相当の緊迫感を感じ取った理佐は、ちょうど現れたすれ違い用の退避ゾーンに車を止めようとした。
「そのまま走って! 理佐ちゃん!」
「え?! う、うん。どうしたの?」
「北東京支部に災害発生ってメールが来てるんだ!」
動揺した理佐は、センターラインをはみ出して少し蛇行してしまった。対向車が来てたら衝突していただろう。
「いつのメール?」
「えっと……50分くらい前だな。理佐ちゃん、安全運転して」
「もちろんよ」
まだ静まらない動悸を必死で鎮めながら、理佐はどうにかペースを取り戻した。採石場へ行くときは知らない道ということもあって長く感じた道のりが、帰りは別の意味で遠い。
隼人は電話をかけていた。
「ええ――はい、今採石場を出て15分くらい走ったところ――はい、……」
どうしたのだろう、隼人が押し黙ってしまった。隼人のほうをチラ見したいができず、車はなかなか進まず。こんなことならもっと馬力のある車を借りてくるんだったと理佐が悔やんだ時、隼人の声がまた聞こえた。かなり沈んでいる様子だ。
「はい――分かりました。状況が変わったら、また僕と理佐ちゃんに連絡ください。では」
少しだけ直線になったのを幸いと横目にした隼人は眼を閉じ、うなだれていた。
「隼人君、どうしたの? 何か分かったの?」
「理佐ちゃん」
「うん」
「もう少し走ったら、右側にコンビニ、あったよな。そこでいったん休憩しよう。話がある」
了解して車を走らせた10分後、コンビニの煌々とした灯りが文明の地に帰ってきたという感慨を理佐に起こす。
停車と同時に車を転げるように降りた隼人を慌てて追いかけて、無言の隼人の気配に押されて何も問いただせぬまま飲み物を一緒に買った。ここまで沈痛な雰囲気をまとった隼人を見るのは、理佐にとって初めてである。それでもコンビニを出しなに飲み物を一気飲みした隼人の告知は、理佐の予想を裏切る内容だった。
「北東京支部のエンデュミオールが、5人……戦死したって……」
「戦死……? え?! せ、戦死って……体力切れで――」
「違う……らしい。光線系のバルディオールに……白水晶を……」
そこまで説明するのが限界で、隼人は空き缶を駐車場に思いっきり投げ付けた。その空虚な金属音が、理佐の耳にこだまする。
「死んだ……」とつぶやく理佐の視界には、もはやコンビニの光すら滲んで遠い。
許さん、と低くつぶやく彼の声を聞きながら、理佐の頬を涙がつたった。