第3章 それぞれの帰省 それぞれの違和感
理佐が旧交を温めていたころ、優菜、ミキマキ、るいはそれぞれの帰省を果たしていた。
1.
優菜――エンデュミオール・ルージュは一通りスキルを撃ち終ると、大きく息をついた。
ここは、とある閉鎖された複合施設の奥にあるイベントスペースである。その施設は港の再開発地区に8年前にできたもので、オープン当時中学生だった優菜は親に頼み込んで付いてきてもらった記憶がある。学校区外だったためで、その時一緒に行った友人たちとはその後も帰省時に集まって遊んでいる仲である。
その友人の1人、友香が、感に堪えないと言った表情で手を叩いた。
「優菜、すごいじゃん! 正直うちのちーちゃんより!」
「んなこたぁないだろ」
友香は三河支部のサポートスタッフとして働いていた。帰省時に練習場を貸してくれという依頼の電話をした時、どこかで聞いたことがある声だとは思ったのだが。
「……なんか、違和感があるなぁ」
そのちーちゃんこと炎系のエンデュミオールが首をかしげる。
「どんなところ? ぜひ教えてほしいんだけど」
ルージュは軽く両手を合わせて指摘をせがんだ。実際、考え過ぎて自分でもよくわからなくなっているのだから。
「あのね――」
「うん」
「なんでそんな男口調なの?」
「そっちかよ!」
ルージュは思わずツッコミを入れて、すぐに旧友をにらんだ。彼女がちーちゃんの横で、口に手を当てて笑いをこらえているのが見えたからである。
「なんだよ友香」
「ん、相変わらずだな、と思って」
そう、優菜の男口調は別に"大学デビュー"というわけでもない。フランク在住だった小学生のころはそんなことはなかったのだから、日本に戻ってきてからなのだ。だが、それがいつからなのか、優菜には思い出せない。
「なに言ってんの! 入学式の後のクラスでいきなり"よっ、あたし、田所優菜。よろしく"だったじゃん!」
「そうだっけ?」
旧友の記憶のほうが確かなようだ。そこから2人で昔話に浸っていると、優菜の危険感知センサーが警報を発した。
「も~ルージュちゃんかわいいぃぃぃ!」
咄嗟にかわそうとしたが間に合わず、ちーちゃんにハグされてしまった優菜はもがく。なかなかに恵体なのが、同性としては――そしてその気が全く無い優菜にとっては――気持ち悪い。
「いや、あの、ちょっと――」
「ルージュちゃん!」
「な、なに?」
思わず応えてしまった結果、ハグの力が強まることにルージュは気づいたが、時既に遅し。
「うちで飼われない?」
「断る! ていうか、違和感があるって言ったのはお前だろうが! 友香助けろ!」
「あはは、まあちーちゃんの発作だから」
「答えになってない!」
笑ってばかりで助けに来ない旧友に怒鳴ったが、それもハグハグの具にされてしまった。
「違和感。そうよ、違和感よ!」
「だから、その違和感の正体を教えてくれよ!」
「こんな可愛い子がうちの支部じゃないなんて!」
「そっちかよ!」
「まあまあちーちゃん」と遅きに失した助けが周囲のエンデュミオールから来た。
「ルージュはほら、例の黒い男の子とラブラブなわけだし」
「違う!!」
なぜかちーちゃんまでハモっての叫びが、周囲のコイバナ大好物女子には通じない。
「えー? 氷雪系の子と血で血を洗う抗争を繰り広げてるって聞いたよ?」
「そうそう! んで、電撃系の子が漁夫の利を狙ってたんやけど、先日見事撃沈したいうて、ほんま一寸先は闇やで正味の話」
「あれ? 共倒れ狙ってんのって、水系の子じゃないの? あれ?」
「ちょっと待て」とようやくちーちゃんをパージして一息ついた優菜が、喧々囂々の噂話を止めた。
「それ、どこから流れてきた話なんだ?」
「どこって、そっちの支部の関西弁の子だけど」
「ね ー や ん か !」
なぜ、真紀はわざわざ三河支部に連絡なぞしてきたのだろう。ちーちゃんのすり寄りをかわしながら、ルージュは考えた。
「こっちに真紀の知り合い、いる?」
「ううん、いないよ。なんかねー、優菜に伝言をお願いしたいって」
「それを先に教えろよ!」
叫んでばかりで疲れてしまった。優菜は変身を解くと、荷物置き場にスポーツドリンクを取りに行った。
「で?」
「んとね、『全体攻撃で、鳥人間がずっと空中に留まれないようなの作って』だったよ」
「ふーん……」
理屈は分かる。
あの羽ばたきは、鳥のそれとは違い筋力をさほど要しない。人外の血の力が為せる技なのだが、ゆえに翼の関節部分に負担がかかるため、1時間ほどしか滞空できない。そして使えば、例の"貴血限界"とやらで次の日の活動に支障が残る。それが鴻池から得た情報である。
スポーツドリンクをごくりと飲んで、優菜はまた考える。アンヌを自由に飛び回らせない。それが、あの夜の反省だった。戦場を一面火の海にするのは得策ではないし、そんなスキルは体力の点からいっても不毛だろう。ならば――
考えをまとめようとして、優菜は周囲の視線に気づいた。当人にコイバナへのコメントを求める気満々の、女子たちに。
考えをまとめて練習のためにもう1日、滞在せねばならないようだ。優菜は溜息を吐いた。
2.
「お、美紀。もう終わったん?」
「うん、すぐやったで」
「そかそか。で?」
「異常なし。ねーやんこそ、どうやったん?」
「どこも異常はあらへんかったで」
「おとん――」
「うん?」
「おとん、うちらが帰ってきて喜んでたな」
「せやな、えらい喜びようやったな。んでんで?」
「――ちょっと! どこ触ってんの、このエロねーやん!」
「ここかここか、ここがええのんか? ん?」
「このドアホ!」
「痛いがな!」
「当たり前や、まったく」
「美紀」
「ん?」
「なんか変わったな、自分」
「せやろか?」
「うん。だからこそのユニゾンやし」
「意味分からへん」
「うん、うちも分からん」
「……ねーやん」
「! なんやね、この子は……」
「……」
「美紀、美紀……抱き着くか泣くか、どっちかにしたら?」
「うちな、ほんまはこんな……」
「こんな?」
「……ううん。うち――」
「うん?」
「うち、真紀の妹に産まれて、良かった」
「うちもやで」
「ほんま?」
「うん。美紀の姉として産まれて、ほんとに良かった」
「えへへ……」
「……さあ、涙拭いて。アメちゃんやろか?」
「オバハンか!」
「痛いがな!」
「まったく……ねーやん」
「ん?」
「怖くない?」
「ふふん、実は、ちょっと楽しみ」
「うちもや。でも」
「でも?」
「ほんまにうまくいくんやろか?」
「うまくいくようにせな」
「せやな。あの人にお願いした甲斐がないもんね」
「ほんまやな……」
「ねーやん? なに夢見る乙女風になってん?」
「いや、正味の話、夢みたいやったな、と」
「反芻してんねや……」
「いや反芻て。……そんな汚いもん見るような眼ぇしといて、実は美紀もしてんねやろ?」
「……実は、時々」
「ふふふふ」
「ふふふふ」
「さあ、揃ったところで、いってみよか」
「うん。では」
「「変身」」
3.
るいは枡酒をきゅっと呷ると、息を吐いた。
ここは長野支部の近くにある居酒屋。スキルの練習もそこそこに、この店に引っ張ってこられたるいは、今日にいたるまでのあれやこれやについて質問攻めにあった。てっきり隼人の、エンデュミオール・ブラックの話かと思いきや、さに非ず。バルディオールと鳥人の話題で会話の8割近くが進むという、意表を突かれた形となった。
それもそのはず、実は長野支部の管轄内に、最近鳥人が出没しているというのだ。
「バルディオールは?」
「山のほうに逃げて行方知れずよ」と長野支部の支部長――西東京支部の支部長の1つ下らしい――は答えて、こちらも枡酒を空ける。
通りかかった店員にお代わりを頼むと、支部長はぐるりと個室を見回した。
「まったく、最近の若いもんは――」
その視線の届く限り、死屍累々。
「つか、うちのボランティアって、呑める人はとことん呑めるし、呑めない人はほんと呑まないですよね」
「うちは呑めない人だらけよ」
いいのだろうか。るいは届いた追加の酒を口に含みながら思う。その鳥人が今攻めて来たら、誰が戦うのだろう。
支部長が怪訝そうな顔をしたので、るいはその疑念を口に出してみた。
「あなたよ」
「るいですか」
「そう、るいちゃんのワンマンステイジ」
そう言われるとなんとなく嬉しいような、でも激しく面倒くさいような。
「その鳥人間、逃げたバルディオールを探しに来てるんですかね?」
「かもしれないわね」
そう言いながら追加で頼んだタコわさが来て、嬉しそうな支部長である。
「支部長さんは?」
「ん? ああ、ウィスキーに変えよっかな」
「いやそうじゃなくて、戦わないんですか?」
「私? この私?」
支部長は店員呼び出しチャイムを連打する。
「どう?」
「何がですか?」
「16連射」
「お店と戦ってる……」
まあいいか、酔っ払いは放置放置。そう思いながら、すっ飛んできた店員にウーロン茶を頼むるいであった。
ちょうどいい、という思いもある。鳥人対策を試してみる、絶好の機会だ。
そこへメール着信。部屋の全員に、しかしキャリアごとにバラバラなタイミングで来るのがおかしい。
「あらら」
文面を一瞥した支部長は両頬を自分で打つと、取りあえず手近なスタッフから起こし始めた。
それから20分後、るいと支部長は鳥人が出没した場所にタクシーで乗り付けた。フロントスタッフはおろかサポートスタッフまでも全員飲酒していたため、さすがに支部の車両を運転させるわけにはいかなかったのだ。
現場は閑静な住宅街――といえば聞こえはいいが、田舎にありがちな"人通りが少ないゆえうら淋しい"地帯である。その家並みのかなたに、光の弾が尾を引いて飛んでいくのがほの見える。おそらく鳥人間の口から発射される光弾だろう。なんだありゃと騒ぎ始めたタクシーを帰らせてから、支部長はワイヤレスヘッドセットを装着して叫んだ。
「さあるいちゃん! やっておしまい!」
「アイアイサー!」と調子を合わせて叫ぶと、るいは変身した。
(あの光弾の着弾先に、何かがいるんだよね)
でなければ無差別テロか、頭のおかしい奴ということになる。その光弾の発射光が突如止み、るい――エンデュミオール・アクアは彼方の空からの視線を感じた。
「……もしかして、変身の光で見つかっちゃった?」
推測は、10秒後に裏打ちされた。月明かりの下、鳥人がアクアのほうへと飛翔してきたのだ。逆光で表情は読み取れないが、友好的な雰囲気が微塵も感じ取れないことはアクアでもわかる。普段から"空気を読まない"と友人たちから揶揄されることしきりのアクアですらそうなのだから、普通人にとっては警告の金切声も上げたくなろうというもの。
『来るわよ!』
長野支部長の切迫した声がイヤホン越しに聞こえた次の瞬間、アクアは右に大きくステップした。彼女がいた空間を、光弾が轟音を上げて通り過ぎ、畑に着弾した。その土煙とくぐもった音を置き去りにして、アクアはダッシュ! 空中を駆ける鳥人とすれ違いざまに、"ゴーマー・パイル"を発動した。
「うりゃうりゃ!」
いささかふざけ気味の掛け声とともに両手から放たれるは、青い半透明のジェル。そのこぶし大の塊を合わせて6つ発射し、鳥人の腹や脚に4つ付着させることに成功した。
「*¥q?+!」
優菜がいれば通訳させるところだが、残念ながらアクアにはさっぱりわからない罵声を吐く鳥人。仕草からすると、ジェルをくっつけられて嫌がっているようだ。指を接着面にこじ入れて剥がそうとしているその行為を見て、アクアは叫んだ。
「こら! 剥がすな!」
それを聞いてまた何かわめく鳥人の口元に、急速に光が溜まり始める。
(へー、しゃべりながら発射準備ができるんだ)
憶えとかなきゃ、とつぶやきながらアクアは身構えた。
「&>+*!!」
これは嫌でもわかる。『死ね!』の類だろう。なぜなら光弾がアクア目がけて発射されたから。そして、アクアは慌てることなく防御スキルを発動する。
「アトランティック・ウォール!」
半透明――照明のほとんどない郊外の闇が溶けてほとんど黒に近い水壁の一点が白く光る。敵の放った光弾だ。その光は急激に大きくなり、やがて水壁に衝突して沸騰させた。
「さあ、どうだ! って、わあ!」
水壁の一部を沸騰させた光弾はエネルギーを奪われてやや縮んだものの、勢いを失わず貫通してアクアを襲った。慌てて左へ跳ぶも間に合わず、アクアの脇腹が痛みを訴える。
「痛ててて……やっぱ無理か……ならばこれで!」
治癒スキルを軽く使って脇腹の傷を癒した後、もう一度飛来した光弾をアクアは横っ飛びで避けると、再び額の白水晶を輝かせた。
「アトランティックウォール 特厚!」
十分に溜めを作って、しかし察知した敵に飛び越えられないタイミングで。アクアは水壁を、今度は通常の2倍近い厚さで作ったのだが。
「よっと!」
またしても壁を沸騰させて、光弾はアクアの顔目がけて飛んできた。さすがに半分程度に縮み、速度もやや落ちたそれをダッキングでかわしてアクアは考える。
(厚さを増しても完全防御は無理か……想像以上に強力だな、あの弾……)
自分のアトランティック・ウォールとエンデュミオール・ブラックのプリズムウォール、この2つでバリケードを作って敵を迎え撃とうと考えていたのだが、先日の戦闘でプリズムウォールは直撃を受けると四散していたし、この貫徹力では作る端から壊されてしまうだろう。
(組み合わせて複合装甲みたくすれば……いけるかな?)
ここまでで思考を止め、アクアはまたジェルの連射で鳥人を迎え撃った。もちろん逃げ回りながらではあるが、先に付着させたジェルがそろそろ消滅しそうな時間が経過しているからである。狙いは1つ。
『ジェルを付着させることで、どれだけ鳥人間の動きを重くすることができるか』
そしてあわよくば、もう1つ。
『鳥人間の鼻か口を封じてみると、どうなるか』
5月にやった実験で、隼人の顔をジェルで塞いでしまい、ひと騒動だった。鳥人対策を考えていた時、ふとその光景を思い出したのだ。
存外、あの光弾であっさりジェルは蒸発してしまうかもしれない。あるいは――
そのジェルが、意外に鳥人間には重荷になっているようだ。あるいは楽観的なバイアスがかかっているのかもしれないが、時々ジェルを剥がそうとするのに気を取られて飛行の軌道が一直線になることが多い。
(そろそろいくか、攻撃!)
そう思い始めた矢先、まったく想定外の方向から攻撃が放たれた。
「氷球撃!」
威勢のいい声とともにアクアから10メートルほど向こうの闇から放たれたのは、氷の球だった。月明かりできらりと光りながら鳥人間目がけて一直線に飛んでいき、声で気付いた相手に回避する暇を与えず、腹部に重い音を立てて激突した。
「&'(%$!」
「あー、『痛ってぇ!』って言ってるんだろうな……ていうか、バルディオール!」
「やあ」
ちょっと気の抜けるような挨拶とともに空き地の闇から現れたのは、コスチュームのところどころに入る色と、先ほどの攻撃からして氷雪系と見られるバルディオールだった。その彼女がすぐにキッと空をにらむ。
「ちっ! 来るぞ!」
その言葉に2秒ほど遅れて、怒声とともに光弾が降ってきた! だが、それはアクアとバルディオールのちょうど中間に着弾し、アスファルトに穴を開けたに過ぎない。そして怒りの鳥人間は、ついに剣を抜いた。光弾と、急降下による斬撃を織り交ぜながら猛烈に攻め立ててくる。
立ち止まっているのは危険と細かいフットワークを使いながら、アクアはバルディオールに話しかけた。
「ねーねー、あんた、もしかして共闘路線の人?」
「当たり前だろ」
とこちらはダッシュと急停止を繰り返しながら敵の急降下攻撃をかわして一息ついたバルディオールが、アクアのほうを見てにやりと笑った。
「それともあれか? 三つ巴オッケーちゃん?」
それを聞いて笑いながらアクアは斬撃を避け、またジェルを敵に3つ貼り付けた。
ジェルがやはり忌々しいのだろう、何やら声高に悪態をつきながら鳥人が空高く舞い上がる。
「ねーねーバルちゃん」
「なぁにエンちゃん」
ノリのいい相棒は嫌いじゃない。
「さっきの氷球、あっこまで届く?」
「無理ね。遠投ならともかく、ライナーでは」
「バルちゃん、野球部?」
「ソフト部」
「んじゃ」アクアは笑った。
「打って」
一瞬戸惑ったのち、バルディオールもまた笑う。そして黒水晶を光らせると、両手を組みあわせた。少しだけ溜めて、そこから一気に腕を広げると、彼女の胸の前に1本の白いバットが氷で生成された。
「よし、いっちょ……おーい!」
「ん? もうちょっと近いほうがいい?」
「投げるなよ! トスバッティング!」
アクアはバルディオールの真向い3メートルほどに離れて、水の球を投げようと思ったのだが。
「トスバッティングってなに?」
「知らねーのかよって、わあ! また来た!」
アクアとバルディオールの支度と掛け合いを黙って見ているはずもなく、鳥人間の光弾が降ってくる。
「うっとおしい!」
アクアは叫ぶと、白水晶を輝かせた。
「アトランティック・ウォール 平行!」
水系エンデュミオールのスキルコールとともに、水の分厚い壁が、なんと地面から5メートルほど上空に、しかも地面と平行に現れた! 滞空している鳥人間が全く見えなくなる。だが、なんの支えもない水壁が長く空中に留まれるはずもなく、ほんの数秒で丸ごと地面に落下した。
ただ一球を除いて。
「っしゃぁぁぁぁ!」
バルディオールが氷のバットをフルスウィングして、水壁を叩いたのだ! バットに触れて氷結した水が不完全ながら球となり、唸りを上げて鳥人へと飛翔してその胸にめり込んだ!
ぎゃああああ! と万国共通の叫びを上げて、鳥人はぐらつきから真っ逆さまへと移行した。脳天から激突しなかったのは最後まで意識が保たれていたからか、しかし斜めに畑に突っ込み、ぐるぐると縦回転したあげく仰向けになり、痙攣を始めた。
「っしゃあ! ……で、どーする? あれ」
「決まってんじゃん」
言いながらアクアは手をかざす。その手から発射されたジェルは、狙い過たず鳥人の顔に貼り付いた。
愕然とするバルディオールを置いて、アクアは鳥人に歩み寄る。もはや顔のジェルを剥ぎ取ろうとする気力すら無く、ピクピクと全身を蠕動させ始めた鳥人を、見下ろす。
やがてアクアは、ふうっと大きく息を吐くと、右手をさっと振った。ジェルが消えて安堵したのか、鳥人は大きく呼吸をすると人間体に戻り、意識を失った。
アクアの後ろでも、盛大な安堵が聞こえる。彼女は振り向くと、照れ笑いをした。
「やっぱ、アクアには無理だな。人殺しなんてできないや……」
そして、ファイティングポーズをとる。
「さあ、優勝決定戦、やろうよ」
「お断りだ」
そう言い放つとびしょ濡れの髪を重そうに振って、バルディオールは右肩に着けた黒水晶を外した。それをアクアに向かって放ると、両手を挙げる。
「投降する。あんたを倒しても、また鳥人間に狙われる。軟禁されてるんだろ? 今までに捕まった奴って」
「そーらしいけど」
とアクアは答え、鳥人――今は意識喪失のフランク人の拘束作業に取り掛かった長野支部長を手伝う。
「こいつってさ――」
「ん?」
と近づいてきた元バルディオール、今はスポーティなジャージに身を包んだ大学生風の女性が反応した。
「問答無用だったの?」
「ああ」
女性が髪を手で梳きながら苦い顔になる。
「治癒スキルを会得したからって秘密の通信で連絡したら、会いたいって言われてさ。潜伏先から出てきたらいきなりドーン!」
縛り終えた支部長が支部に連絡している。飲み会に参加していなかったスタッフに緊急招集を掛け、車を手配しているようだ。アクアも変身を解除すると、再び女性に問いかけた。
「……仲、悪いの?」
「上がな」と諦めの表情で返される。
「伯爵の弟とアンヌ……って言っても分かんないか」
「分かるよ。こないだ戦ったもん。パツキンのこわーい剣術使いでしょ?」
「へー。そうか、あいつ敗けたんだ……」
「うんにゃ」とるいは屈託なく笑う。
「双方ズタボロで痛み分け、かな」
それを聞いた女性はしばらく考え込んでいたが、ぽつりとつぶやいた。
「――てことは、こいつはどっちの人間なんだ?」
支部の車が到着して、担架に乗せられたフランク人とともにアクアと女性、支部長も乗り込んだ。助手席の支部長からタオルを受け取って感謝する女性の態度に、支部長が戸惑いを見せる。
「……なんか、今まで戦ってきたのが嘘みたいなんだけど」
「まったくだね。ああ、あたし、村井紫月。よろしく」
身分は休学中の大学3年生らしい。
「ま、あんたらの一斉摘発のせいで休学せざるを得なかったんだけどね」
はあ、と紫月はヘッドレストに頭をもたれさせた。
「どこで歯車が狂っちゃったんだろ……」
「お?! 告解モード?」とるいが茶化すと、紫月が笑った。
「ちゃうちゃう! 伯爵様のために、一生懸命やってきたのになぁ……と」
「そういうこと言ってると――」
支部長がたそがれている紫月をにらむ。
「軟禁が監禁に悪化するよ?」
「ね、ね、伯爵様ってそんなにナイス紳士なの?」
支部長の脅しにかぶせるように、るいは尋ねる。支部長のジト目も、天邪鬼は気にしない。
「なんだよ"ナイス紳士"って」と紫月は笑うと、両手を胸の前で組んで夢見がちポーズを取った。
「人を引き付ける魅力があるって言うかさ、カリスマっていうチープな表現をしたくないくらい素敵なんだ。渋い、いい声でさ、言われるんだぜ? 『私の侵略の手伝いをしてくれないか?』って」
「ふーん」
「あっさり流された?!」
掛け合いに吹き出す支部長。全然関係ない世間話を始めるるいに、呆れ始めた紫月。車は月の出た夜中の道を病院へと向かう。