表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

第2章 理佐の帰省

1.


 理佐は、実家に帰省していた。

 道場に久しぶりに出て、父の門人たち――今日来ているのは全員ほぼ父と同年代だが――と一緒に稽古をするのは高校卒業以来だ。稽古の後半はその門人たちと槍を交え、結果は全勝。その結果に心浮き立たない自分がいる。

 その沈黙を謙譲と受け取ったのか、門人たちは理佐を称え、帰っていった。道場に残るのは師範である父と、理佐の2人。窓格子を通して夕焼けに染まる道場の両端に端座していたが、どちらからともなく立ち上がり、槍――もちろん先にタンポを付けた稽古用の――を構える。

 父が牽制を細かく繰り返してくるが、理佐は動じない。慣れた相手だからではない。まだ来ないという気配が理佐には"見える"のだ。そして、焦れた父が仕切り直しと動きを止めた隙を、理佐は突いて前へ出た。

「セっ!」

 真っすぐに伸ばしたタンポ槍の穂先は父の心臓の位置を正確に突き、立ち合いは終った。

「あっさり、か」

 そう口にした父の、落胆とも安堵とも取れる態度に、理佐はふいに切なくなった。

 モデルを辞めて、この実家に母とともに帰って来た時、父はしょんぼりしていた理佐の頭をくしゃくしゃにして撫でてくれた。ひとしきり泣いて、ようやく顔を上げた小学4年生の目の前に差し出されたのは、一本の槍。

『泣くのは終わりだ。戦え、理佐』

 その日から、ほぼ毎日の稽古が始まった。転校前も後も友達の少なかった理佐にとっては、仕事もなく鬱屈していた時間がそれに代わっただけでも有意義だった。門人たちは理佐にとっては"越えていくべき壁"であり、1枚1枚越えようと鍛錬を繰り返すうち、理佐は中学生になっていた。その2年次の晩秋、理佐の生活に転機が訪れる。

 勉強に飽きた理佐が部屋の窓に閉めてあったカーテンの隙間から外をふと見た時、目を疑うような光景を目の当たりにしたのだ。

 それはお向かいの隣家2階の窓枠をくぐって姿を現した、高校2年の純子お姉さん。ちゃんとハーフパンツにスニーカーまで履いて準備万端の彼女の表情は厳しく、

(うわ、門限が厳しいって聞いてたけど、夜10時過ぎに抜け出しますか)

 出てきた部屋の、いや、屋内の様子をしばらく伺っていたお姉さんは、2分ほどして安堵の吐息を音もなく漏らすと庇の上に屈み、そして、跳んだ!

(あ!!)

 お姉さんは右隣の家の屋根に見事無音で着地し、少し屋根上を走ってまた跳ぶ。それを繰り返してあっという間に理佐の視界から消えた。

 カーテンと窓を開けて行方を追いたい衝動こそ抑えたが、それからの理佐はもう勉強どころではなくなった。どう考えてもカレシに会いに行くための行動とは思えない。特に最初の跳躍は、助走なしで1.5メートルほどを跳んでいるのだ。

 何かある。

 急いで風呂に入り、もう寝るからと母親に告げて部屋に戻ると、あれから1時間が経過していた。ドキドキしながらカーテンの隙間を気にし続けること15分、彼女は来た。

 また屋根伝いに帰ってきたお姉さんは、なんだかぐったりしていた。自分の部屋の前で少し腰を落として息を整えると、窓をそろりそろりと開け、室内に滑り込んでいく。やがてまた静かに窓が閉まり、理佐の覗き見も終わった。

 それからのたゆまぬ観察で、純子お姉さんは週2回ほどあの"夜のお出かけ"をしていることが判明した。朝の登校時に家の前で行き会うと、にっこり挨拶をされる、あの穏やかそうなお姉さんが。

 挨拶代わりに訊きたい。どこへ、何をしに行っているのか。訊けないままモジモジしているのを親に見咎められて、『ちゃんとあいさつしろ』と説教されたり。

 そんなこんなで1カ月ほど経ったある日のこと。

「そろそろ帰って来るかな、お姉さん」

 期末テストまでもうすぐなので、さすがに頻繁に窓の外を監視することはしていない。が、外で物音がするとつい目が行ってしまって、勉強がはかどらないことこの上ない。もう止めなきゃ。そう思いながらまた外で"トン"という音がする。

(帰って来た)

 そう思って窓のほうを見た理佐は、すんでのところで大声で叫ぶところだった。窓の外の純子お姉さん、そのサイズは実物大。つまり、理佐の部屋の窓直ぐ近くに屈み込み、右手を小さく振ってこっちに笑いかけているのだから。

 やがて、お姉さんがクレセント錠を指さした。『開けて』の意と察した理佐だったが、正直迷う。

(どうしよう……入ってきた途端怒られるかも……)

 少しためらって、でも室外の笑顔から醸し出される圧力に押されて、理佐は開錠した。

(おじゃましまーす)

 既に夜の11時近く。小声での訪いに一応配慮は感じられたものの、有体に言えば侵入者である。その思いが伝わったのだろう。純子お姉さんは理佐の密かなアクションを見逃さずに微笑んだ。

(危害を加えに来たわけじゃないからさ、その棒、置いてくれない?)

 背後に隠し持っていたのは、稽古用の槍の柄。この笑顔を信じるべきか、それともあの常人とは思えない身体能力を警戒すべきか。理佐が迷っていると、お姉さんは笑顔を崩さず切り出してきた。

(一緒にボランティアしない? キミ、なれると思うんだ)

(? 何に?)

 お姉さんの笑顔がちょっとすまし顔に変わって、紡ぎだされた言葉は、

(エンデュミオールに、だよ)

 その後はトントン拍子に話が進んだ。純子お姉さんと"たまたま"一緒になった帰り道、高齢者介護のボランティアをしているというお姉さんの話に理佐が"興味"を持って、期末テストが終わったら見学に行くことになった。

 もちろん中学生に――高校生にもだが――夜間のボランティアをやらせるような不健全な団体ではないことは、見学後の加入手続きの際、支部長がわざわざ理佐の自宅まで来て、請け負ってくれた。後にその白々しさを思い出して、理佐は苦笑することになるのだが。

 そして、クリスマスも過ぎたある日。すっかり親しくなったお向かいのお姉さんとそのボランティア仲間3人を交えて、理佐はパジャマパーティにお呼ばれすることになった。

「んじゃこれ」

「あ、はい!」

 外に光が漏れないようにしっかり対策を施した、お姉さんの部屋。そこで彼女が手渡してくれた白水晶は、その外見に反して仄かな温かみがあった。

「掛け声は、変身、だからね」

「……」

「ん? どしたの? 理佐ちゃん?」

 お仲間の一人が発した不審げな声に、理佐は素直に答えた。

「いえ、変身っていうのが、なんとなく子供っぽいなって」

 ムッとされるかと思いきや、先輩たちにも思うところがあったらしい。笑う者、うんうんとうなずく者、苦笑気味に頭を掻く者と、否定的な雰囲気ではなかったことに理佐は安堵した。

「そーいや、なんでなんだろうね?」

「さあ? 会長直々の指定だし」

「あ、そうなんですか?」

 ほかの掛け声では意味がないようだ。仕方がないと理佐は覚悟を決めた。

「じゃ、いきます。変身」

 平静を装った掛け声と同時に額に当てた白水晶から溢れ出した光が、理佐の頭上で雪の結晶を形作る。それが天地を往復して、理佐はエンデュミオールへと変身を遂げた。

「ふうん、氷雪系か」

「純子ちゃん、後輩ができたね」

 そう言われて、ちょっと嬉しそうなお姉さん。だが、理佐は素直に喜べずにいた。そのことに気づかれて、理佐はコスチュームを確認しながら素直に感想を口にした。

「実は、てっきり武器強化系だと思ってたんです。それで……」

 皆、それを聞いて同感といった面持ちになった。

「あ、そっか。槍使いだもんね」

「まあでも正味の話、槍持って歩き回るわけにもいかへんし」

「そうだよ」と純子お姉さんは理佐の肩に手を置いた。

「変身した後、氷の槍を作ればいいから。……わたしの後輩は、いや?」

 滅相もないと生真面目に答えて笑われる理佐であった。

「名前は何がいいかねぇ?」

「いや、ストレートにホワイトでいこうかと――」

「ごめーん」とお姉さんが理佐に手を合わせてきた。

「それ、私がもう使ってるから」

 そこから15分ほど、ああでもないこうでもないと5人で雑談に近い相談をした結果、結局フランク語の"白"に落ち着いた。

 こうして、理佐の今日に至るボランティア生活が始まった。純子お姉さんと同じように部屋の窓から抜け出していくことに対する良心の呵責も、すぐに消えた。なんとなれば、隠密行の先には敵がいたから。父や門人たちとも違う、本気で理佐を倒そうと襲ってくる、バルディオールとオーガが。

 夢中で戦ううち、門人たちに立ち合いで槍をつけることもできるようになった。だが師範である父はさすがに強く、大学進学のため家を出るまでついに勝てなかったのだ。それが今は――

 対戦相手である父への礼もそこそこに籠手と面を取って、理佐は手洗い場へと小走りした。水道の蛇口を上向きにして、栓を思い切りひねる。

「お前……何してるんだ?」

 頭から水道水をかぶっている娘の姿を見た父としては、当然の疑問だろう。

「あ、暑かったから……」

 目論見通り、汗とともに涙も流れてくれた。水道の栓を閉めて勢いよく起き上がると、父が差し出してくれたタオルを礼を言って受け取る。

「はあ、ついに負けてしまったか。もう、お前に教えることは無くなってしまったな」

 そこでだ、と調子よく話を持っていこうとする父を、理佐は遮った。

「わたし、師範にはならないから」

「まあそう言わずに、ゆっくり考えよう。な?」

 そこまで言われて、理佐は改めて父のほうを見た。

 1年前に定年退職をして、父は老けた。理佐の兄は槍の稽古から早々に逃げて、そもそも実家そのものから逃げて、盆と正月にしか返ってこない。だからこその勧誘なのだろうが、理佐にはまだ大学でやることがある。

 なおも追い込みをかけてきそうな父に曖昧な笑みを返して、理佐は母屋に逃げた。


2.


「それで、どうなんだ?」

「だから、師範にはならないってば」

 居間で夕食。天井から釣り下がる古ぼけた照明も手伝って、理佐と父母がいるこの空間は、理佐にはなんだか暗く感じる。

「いや、そうじゃなくて、だな」

 父には別の疑問があるらしい。言いよどむ父を理佐が促すが、ほんの5秒後には後悔することになる。

「このあいだ言っていた彼、トシツグくんだったか? 彼とは、うまくいってるのか?」

 胸が締め付けられる。堪えきれずに俯くと、そのまま畳に沈み込んでいきそうな感覚さえ覚える。

「彼は……亡くなったの……」

 固まってしまった今の空気の中で、それが理佐に絞り出せた全てだった。

「すまん……」

 理佐が顔を上げると、父が萎れていた。その前にバシッという音を聞いたから、おそらく母に背中をはたかれたのだろう。

「まったく、ボケるにもほどがあるわ! 話をしたじゃない!」

 言われて、母に利次の顛末を話してあったことを理佐は思い出したが、父はどうやらすっかり忘却の彼方だったらしい。

「理佐、気にしなくていいわ。お父さんなんかほっといて、次よ、次!」

 父は、本当に大丈夫なのだろうか? 今『なんだそれ?』って顔をしたのを理佐は見逃さなかった。

「ていうか、お母さん、話してるの? お父さんに」

 もはや平手ではなく拳で良人の記憶を呼び起こすことにしたらしい母に、理佐は赤面しながら問いただす。

「当たり前よ! 彼氏が家に来て『お義父さん、お嬢さんを僕に下さい』なんて時に今みたいな顔されたら、私の拳が唸りを上げちゃうじゃない!」

「お母さん、その拳のせいでお父さんの記憶が飛んでるんじゃ……」

 相変わらず手の早い母と、その拳をかれこれ30年受け続けている――でもちょっと嬉しそうな――父と。実家ならではのドタバタが眼前で展開されて、先ほどの消沈から少しだけ救われた理佐であった。

 その2人に促されて、隼人の話をする。まだ付き合っているわけではないこと、同じボランティアをしていること、アルバイトで生活費と学費だけでなく妹の治療代を稼いでいること……

「親は一体何をしとるんだ!」

 父の憤慨に、理佐は言いよどむ。彼の事情を詳らかにするのがはばかられたのだ。歓迎会の席で淡々と語ってくれはしたが、あの日以降、彼の口から家族のことが語られたことはない。なごみとくるみの姉妹、あの2人の近況を除いては。

 察してくれたのだろう、母が話題を変えてくれた。従妹が1人、結婚するらしい。

「招待状来てるけど、理佐はどうする?」

「ちょっと考えとくわ。返事、まだいいでしょ?」

 隼人のこともある。敵のこともある。でも、従妹の晴れ姿も見てみたい。悩みながら理佐は御馳走様を言って席を立ち、風呂へと向かった。

 湯船に裸身を沈め、ふぅっと息を吐く。

(隼人君、今何してるかな?)

 この時間なら、まだバイト中のはず。それが終わったら、北東京支部の練習場に行くって言っていた気がする。

 熱心なのはいいのだけれど、北東京支部にはあの人妻がいる。まさかとは思うけど。

 理佐は自分の肢体を眺める。綺麗だと誰もが褒めてくれる、均整のとれた白い身体。彼は、どう言ってくれるのだろうか。

 会いたい。でも、まだ会えない。このままでは。あの女に勝つ算段がつくまでは。

 理佐は目を閉じて、湯船にたゆたう。

 もはや、父とて理佐の相手ではなくなってしまった。父の伝手を頼って、ほかの流派の師範と立ち合うか? 

「違う……」

 理佐のつぶやきは、冷め始めた風呂の湯からまだ立ち上る湯気とともに、天井へと消えていく。

 違う。槍では、アンヌには太刀打ちできない。できないのだ。それが『人を殺す覚悟』の差だと、鴻池は言った。理佐にはそれが今、痛いほど分かる。

 真紀、優菜、祐希、楓、そしてるい。アンヌは何のためらいもなく剣を振り抜き、あるいはとどめを刺そうとしていた。

 自分にそれができるか。オーガに対してしてきたように、槍を握る手元に来る確かな手ごたえを、穂先が肉を食むあの感触をヒトに対して求められるのか。

「お話し、したいな。隼人君と……」


3.


 隼人は、北東京支部のエンデュミオールたちと、彼女らが普段使用している練習場に着いた。先日の怪光騒動はかなりの余波が起きており、浅間大学の裏山やその界隈には連日人がうろついているようだ。それゆえに、原付で40分ほどもかけて、隼人ははるか昔に採石場だったという山奥までやって来ていた。

 今日の課題、それは、既存のスキルをブラッシュアップすることではない。この機会に新しいスキルを試してみることである。

 中・長距離攻撃手段である『ラ・プラス フォールト』、『スライスアロー』、『ラディウス光線』、『ヴェティカルギロチン』。近接戦闘用の『インフィニティ・ブレイド』と三段ロッド。防御手段である『プリズム・ウォール』ほかバリア類。これが、エンデュミオール・ブラックが持つ現在のスキルである。

 自分としてはバランスのとれた構成だと思っていた隼人にとって、アンヌ――鴻池情報ではバルディオール・エペと名乗っているらしい――との戦いで『プリズム・ウォール』以外役に立たなかったことは、かなりの衝撃だった。

 もっと速く飛び、もっと威力のあるスキル。それを求めて、遠路はるばるこの地までやって来たわけだが――

「んー、どれもこれも今までのと大差ないような……」

 祐希――エンデュミオール・トゥオーノに小首を傾げられてしまった。楓――同じくリッカにもあごに指を当てて、考え込まれてしまっている。代わりに別のエンデュミオールが口を開いた。

「自分で設定できるんだから、もっとこう、スキルの名前どおり光の速さにできないの? 質量操作系のあたしが言っても説得力ないけどさ」

「いや、それが意外と難しいんだよ」とフォローしてくれたのは、炎系のエンデュミオール。

「温度って上限がないはずじゃん? だけど、例えばわたしの周りにいるみんなを一瞬で蒸発させちゃうような高温のスキルって、どうも作れないみたい」

「ああ、なるほどそうか」と楓が顎から指を離し、納得顔をした。

「見たこともないものは作れないってことね?」

「あるいは想像もできないようなすごいものは、ですね」と隼人も得心がいった。

「そういうことよ。別にブラックだって、わざわざスピードを遅くして作ってるわけじゃないでしょ?」

「いや、俺の場合、思い当たる節はあるんですよ」

 怪訝そうな顔の仲間たちに、ブラックは頭を掻きながら説明する。

「俺のスキルって、正直エストレの光線技のパクリですから――」

「ああ、わかった!」トゥオーノが、理解の印に手を打ち鳴らす。

「あれ、結構遅いですよね? テレビで見ると」

 ブラックはうなずくと、補足する。

「あの映像の記憶より速く飛ばすように、イメージはしてるんだけどね」

 ブラックは溜息を吐く。このままでは、いけない。このままでは、あの子たちを護れない。あの子たちを傷つけさせないためには、相手より早く攻撃しないといけないのに。

 その焦燥は、今夜の仲間たちにとっては格好の雑談ネタのようだ。

「いいなあ、あの子たち」と炎系が溜息を吐いた。

「何がですか?」というトゥオーノの疑問を、

「わたしも誰かに護ってもらいたい」と炎系が返す。

 質量操作系が笑って言った。

「あんた、強いんだからいらないじゃん」

「そうじゃなくて! やっぱこう、『護られてる』っていう安心感?」

「ああ、そうか」とリッカが声を上げた。

「なんか違和感があったのよね。ブラックに、ずっと」

「? 違和感ですか?」と隼人は聞き返す。

「そう。なんかチマチマ遠目から光線技を撃ってるのがね」

 数瞬後、ブラックは悟った。自分の進むべき方向を。


4.


 風呂から上がり、自分の部屋に携帯を取りにいこうとした理佐だったが、母の呼び声に足を止めた。

「お向かいの純子ちゃん、来てるわよ!」

 制止された苛立ちは一瞬で吹き飛び、理佐は呼ばれた玄関へ走る。

 玄関には純子だけでなく、あのパジャマパーティの時のメンツもいた。その喜色満面の集団に理佐は飛び込む!

「わあっ! 危ない危ない!」

「お久しぶりです、皆さん」とぺこり理佐。

「あはは、この所業からいきなり冷静に挨拶かいな!」

「うわあ、また二段も三段も美人になってるし!」

「ええ、ありがとうございます」

「相変わらず謙遜しないな! まったく」

「まあね」と純子がくすくす笑いながら理佐の肩を抱く。

「ここまで次元が違うと、嫉妬も沸かないしね」

「ああ、異次元人ちゅうことやね」

 その言葉に笑いながらも、理佐の眼に再開の涙が浮かぶ。

 せっかくだから行っといで、と母の許しを得て、近くの居酒屋にみんなで向かう。

 今日はこのグループのまとめ役が入籍したお祝いで集まったのだが、途中で純子が家に電話を入れたところ、理佐が帰省していることを親から聞きつけたため誘いに来た。そういう経緯を教えてくれた。

 入籍のことでひとしきり話に花が咲いたのち、話題はボランティアのことに移った。

「大変だよね、西東京支部」

「え? そうなん?」

 このグループでボランティアに残っているのは、入籍する先輩のみであるため、彼女と理佐で近況の説明が行われた。

「ふぅん、黒水晶が破壊できちゃうんだ、その子」

「ええ、彼を狙って敵が来るんです。このあいだも撃退したんですけど、それがほぼ相打ちに近い状態で――」

「ちょっと待った」

「?」理佐は突然説明を止められた。

「彼?」

「あ、ええ」と理佐は苦笑する。自分的にはすっかり既成事実なのだ、ということを再確認する。

「そうそう」と先輩が声を潜める。

「男子なんだよね? その黒い人」

 へぇぇ、とほかのメンツにはやはり意外な事実のようだ。

「なんでまたあんな女子の花園に入ってこようと思うねんな? その男子は」

「最初はサポートだったんですよ、彼」と理佐は弁解を試みる。

「いや、それがなんで変身することになんねや、ちゅう話やで?」

 理佐はうつむいてしばらく、経緯を説明した。みんなの顔が、何ともいたたまれない顔になる――はずだったのだが。

「そっか、西東京支部が倒したフレイムって、……」

 沈痛な表情になったのは、まとめ役の先輩のみ。純子がハイボール片手に、空いた手で理佐の肩を抱いた。

「で、今はその黒男子に慰めてもらってる、と」

「え? な、なんでそんなこと?!」

「だって、ねぇ」と、純子と先輩たちは顔を見合わせてにやり。呑みが急速に進み始めた。

「声がもう」

「声?」

「彼の話をするときだけ、声色が違うんだもん。丸わかりよ」

「ていうかそもそも、"彼"なんて言ってる時点でねぇ?」

「普通は"その人"とか"そいつ"だよね」

 なるほど、これを集中砲火というんだわ。理佐はふいに鼻の奥がつんとして、俯いてしまった。

「あーあ、純子ちゃん、泣かした」

「わたし?!」

「いえ、そうじゃないんです。嬉しくて……」

 こうして、しがらみ無しで話せる人たちがいなかった。そのことに、理佐は気付いたのだった。彼女は涙を拭うと、水を向けた。先輩たちこそ、どうなのかと。

 純子たちは皆、彼氏がいるようだ。

「なんかねぇ、結婚したいんだかダラダラしたいんだか、分かんないんだよね」なんて言ってる純子の眼元は赤い。照れ隠しにほっけの残りを箸でつつくのが、かわゆく感じられる。

「そっか……」

「ん?」

「わたしも頑張ろう、と」

 理佐は自分に言い聞かせるようにつぶやくと、生ジョッキの残りをくいっとあおった。



 実家への帰り道。話はどうしても目下の課題のことになってしまった。残念ながら、先輩たちにも武器強化系との対戦経験はなく、ただただ唸られるのみ。

「理佐ちゃんはさ、そいつに勝ちたいの? それとも彼、隼人君だっけ? その子を護りたいの?」

 純子がそう言って、隣に並ぶ理佐の顔を覗き込んでくる。

「両方です」

「無理だと思うよ。わたしは」

 理佐の即答に、純子も打ち返してきた。

「理佐ちゃんが大学行ってから変わったかもしれないけどさ、キミ、そんな器用じゃないじゃん?」

 言い返せない、自分がいる。

「だからね、キミの本分に立ち返るべきだと思うのよ。お姉さんは」

「!」

 本分。純子のくれた一言が、理佐の心に響いた。

 エンデュミオールになった時に誓った『みんなを護るために戦いたい』という言葉を思い出したのだ。

「なるほど……ありがとうございます!」

 皆とはそれで分かれて、理佐は自宅に向かって走る。玄関の鍵を開けるのももどかしく飛び込むと、自分の部屋に向かってまた走った。

「こら! 家ん中は走るな!」

 続けて、靴が脱ぎ捨てられた玄関の惨状を嘆く母。それを置き去りにして、理佐は自分の部屋にたどり着いた。少し呼吸を落ち着けて、スマホを見つめる。隼人からのメールが来ていたのだ。

 最後の挨拶がおざなりになってしまったことに少し後悔しながらも、彼女たちのニヤニヤ顔は察してくれているはずと結論付けて、理佐はメールを開いた。彼からのメールの文面は、

『今、電話していい?』

 もちろん、理佐のほうから電話する。彼に通話料金は払わせない。お昼を抜かれるわけにはいかないから。

『もしもし』

 なんだか、久しぶりに聞く気がする。今、帰りの道中にコンビニで夜食を買っているところのようだ。店を出て行く電子チャイムの音が聞こえ、代わりに道路の騒音が伝わってきた。

 今日の出来事を話したい。彼と長く繋がっていたい。しかし、理佐は自重した。今日を我慢して明日いっぱい彼との時間を満喫できる、いいアイデアを思いついたのだ。

「ねぇ、明日の夜、もう一度その練習場に行こうよ。わたしも練習したいし」

『ん? ああ、いいんじゃない? 北東京支部の人に話通しておくよ』

「……あの人妻に?」

『え? 違うよ、4年生の人だよ』

 しれっとした声が聞こえて、理佐は少し眉をひそめる。本当だろうか。確かにあの支部のリーダー格は4年生の炎系の人だが。

「今日は、あの人いたの?」

『あの人って、どの人?』

 そんな稚拙な引っかけにはまる隼人ではないことがわかっていても、やらずにはいられない。

「……人妻よ」

『今日は楓さんも来てたけど、なんにもなかったよ。祐希ちゃんもいたし、ほかの人と一緒に真面目に練習して、スキルの話をして、先に帰ったよ。旦那が帰る時間に間に合わせなきゃとか言って』

 ああそういえば、と隼人の話は続く。

『楓さんと話してて、1つ思いついたことがあるんだ』

「なによ!」

『わあ! どしたの、急に』

「……別に」

 どうして分からないのだろう? ほかの女と話したことを嬉しそうに私に話すなんて。理佐は奥歯を噛みしめる。隼人は気付いていないのか、気付かないふりをしているのか、また話し始めた。

『んじゃ、俺、家帰るから』

「あ、じゃあ、集合時間はまたメールするね」

 おやすみと言われてオウム返しをして。まあいいか。明日明日。理佐は想いを振り払って、明日の逢瀬の算段を立て始めた。

 彼女の提案が、惨劇に繋がるとは思いもせずに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ