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第12章 雷雲招来の幕間劇

1.


「――というわけでぇ、」

 夜10時を回って、『あおぞら』西東京支部の控室はさすがにエアコンが必要ないくらいの涼しさになってきた。るいが双子を見やる。

「ミキマキちゃんも、気をつけたほうがいいよ」

「「なんで?」」

「いや、なんでって」と優菜は双子を止めに入る。無駄だとは思うが。

「理佐が今回は前の男以上に入れ込んでる感じだからさ。あたしらにもだいぶツンケンしてきて大変なんだよ。だから」

「うわぉ、そんなに緊迫感満載なんだ」

 これは同席してファーストフードの夜食をぱくついている長谷川。なんだか目がキラキラしてる。

「だって、なぁ?」「なぁ?」

 双子がお互いに投げかけあって、ユニゾンが始まる。

「変身してもうちに勝てへん人やん? 生身ならワンパン余裕やしぃ」「しぃ」

「誰がうちに勝てないって?」

 理佐が来た。タイミングが良いと言うか悪いというか。長谷川はアチャー、るいはニヤニヤ、優菜は来なきゃよかったと後悔を始めた。双子は――

「「あんたやあんた。残念ねーやん」」

「なんでそこで煽っていくスタイルなんだよお前ら!」

 明らかに面白がって、しかしただのおふざけではない印に席から立ったミキマキを見て、優菜の胃が痛み始めた。

「ちょうどよかったわ。煽られついでに言っとくけど――」

 理佐の目が細まり、口調が刺々しくなる。

「隼人君の周りをうろつかないで」

「「「い や で す ぅ」」」

 声のユニゾンは2つではなく3つ。るいまで、こちらは座ったままだが理佐をからかい始めたではないか。

 理佐のこめかみに青筋が立った。

「私の彼に近づくな、って言ってるのが聞こえないの?」

「なんで近づいたらあかんの?」

 真紀が腰に手を当てて、上背で勝る理佐を見上げる。完全に立ち向かう気満々だ。美紀も同じポーズで姉の言葉を継ぐ。

「うちら、同じゼミやし。なんで学業のことまであんたの指図を受けなあかんの?」

「それ以前にさぁ、べっつに隼人君にちょっかい出そうなんてこれっぽっちも考えてないんだけど?」

 るいがヤレヤレ顔で机に頬ひじを突いて放った言葉に、双子もユニゾンでうなずく。

「るいもミキマキちゃんもカレシいるんだしさぁ。あ、優菜はいないからまだチャレンジチャレンジだけどね!」

「あたしを混ぜるな!」

 今夜こそ、優菜は心の底からお決まりのセリフを叫んだ。

 理佐が何事か叫ぼうとした機先を制して、長谷川ののんびりとした声が聞こえる。

「ほんとに無いの? るいちゃんもミキマキちゃんも?」

 控室のドアがノックされた。

「ちわー! あれぇ? 隼人は?」

 元気よく入ってきたのは、千早と圭だった。手に提げていた大き目の箱を机の上にそっと置く。控室しか明かりが点いていないのでこちらに持って来たのだと言う。

「ああ、今日は支部長も横田さんも休みだからな。で、なにこれ?」

 優菜の問いに千早が答えようとしているところで、また控室の戸が開いて、今度は隼人が来た。

「よう、隼人。これ、このあいだあんたと理佐ちゃんに助けてもらったからさ、横浜支部からお礼だよ」

「まさか……これ……」と隼人の顔が曇る。

「そう!」

 圭がにやりとした。

「シュークリーム詰め合わせ。今日中に食べてね」

「……お前らなぁ」

「あははは、まさか下剤混入まで忠実再現じゃないよね?」

 長谷川がひとしきり笑うと、腰を上げた。そういえば、明日は朝早く出て旅行に行くのだと言っていた。冷蔵庫に入れといてと言い残して、長谷川は帰って行った。

 いそいそと箱を開け始めたるいが歓喜の声を上げるのを聞きながら、優菜とミキマキ、隼人で取り皿の準備をして、早速いただくことにした。

「理佐ちゃん? なんで立ってるの?」

「……なんでもない」

 隼人に優しく促されて、理佐は渋々、でも嬉しそうに隼人の横に座る。圭が自分の皿を机から取り上げた。

「ああ、そういえば、さっきの……えーと……」

「長谷川さん?」

「そうそう。あの人の言ってたとおり、混入されてたのは下剤だって」

「えげつないなぁ」

 そう言いながら、優菜がしているお茶の準備が待ちきれず、るいは食べ始めてしまった。

「まあ不謹慎だけど、どうせなら劇薬でも入れて――「「それはないな」」

 理佐の発言に、双子の言葉が被せられた。

「なんでよ?」

「劇薬は入手経路から容疑者が絞られてまうし」

「それに、劇薬による大量殺人なんて、それこそ警察が本腰入れて捜査開始やで? レーヌとしてはそれは避けたいやろうしな」

「……なんか、ミキマキちゃんが怖い」

 と千早がおどける。その勢いのまま、理佐のほうを向いた。

「どう? 隼人は」

「どうって言われても」

「いやいやいや、大変でしょ? だからそんなお疲れ顔なんでしょ?」

「そんなことないわよ」

 千早が何を言いたいのか、優菜たちには分からない。隼人は察しがついたのかモトカノをにらむが、お構いなく攻勢は続く。

「お疲れでしょ? 特に腰とか」

 にやり、とした千早の表情にようやく思い至った様子の理佐は、しれっと答えた。

「そんなことないわよ。いたって淡白だし」

「えっ?」

「えっ?」

 隼人がシュークリームを急いで飲み込むと、理佐の手を取った。

「さ、理佐ちゃん。一緒に帰ろ」

「あ……うん!」

 顔に満面の笑みを咲かせた理佐は、隼人と連れ立って帰って行った。これ見よがしに、彼の腕に絡みついて。

 あとに残った女たちに、シュークリームを頬張る音とお茶をすする音がするだけの、つかの間の静寂が訪れる。

「ねぇねぇゆうなー」

 それを破るは、やっぱりこいつ。

「優菜の時は、淡泊だったの?」

「し て な い って言ってんじゃん!」

 優菜はめまいがしてきた。いったいいつまでこのネタを引っ張られるんだろう。

「ねーやん、"たんぱく"ってどーゆーこと?」

「そりゃ"タンパク"言うたら男の人の――「カタカナにすんな!」

 このエロ双子め。優菜は真っ赤になった顔をさらすまいとあらぬほうを向いた。

「そういえば、耳寄り情報がありまっせ! お嬢さん方」

 圭が急にヘコヘコして、揉み手までしだした。

「なになにー?」

「「ついに圭ちゃんに春が来たとか?」」

「あー、それはこないだから来てるから」

 と千早がすかさずフォローを入れ、圭が盛大に照れ始めた。

「へぇ! 王子様が見つかったんだ」

 優菜も向き直って囃すと、圭はますます照れて真っ赤になってしまった。

「で、本題はそこじゃなくってね、」と圭がお茶をぐっと飲む。

「くるみちゃんが"わたし、あの人嫌い"だって」

「「え?! あの人て……あー……」」

「なんかあったの?」

 るいの疑問を聞いて、優菜は記憶を手繰った。

「……そういえば、理佐と一緒にお見舞いに行った時、なんかいきなりくるみちゃんが怒り出したことがあったな」

「そうそう!」と美紀がうなずく。

「隼人君と仲良うしとったからヤキモチ妬いてんのかと思ったのに」

「理佐ちゃんは大変やね」

 真紀が笑った。声色ほど心配しているように見えない。

「前門のくるみ、後門の優菜ってえわけか」

「なんであたしが……」

 優菜はもはやどなる気力も無く、シュークリームの残りとともに黙る道を選んだ。


2.


 ニコラ・ド・ヴァイユーの日本における代理たるミシェルは、その本拠としている高級マンションの前で車を降りた。そのまま車を出発させ、同乗していた女性を送っていかせる。彼女との逢瀬を終えて、その甘いひと時から現実的な実務へと頭を切り替えようとしたその時、まさに不意を突くがごとくミシェルはその名を呼ばれた。

「あら、ミシェルさん。ごきげんよう」

 聞き覚えのある、しかしこのような場所で聞こえてくるはずのない、年配の女性の声。ミシェルは身を硬くすると振り向いた。

「こ、これはタカトリの……」

 鷹取家の総領が、ミシェルから5歩ほど離れた場所にお供を2人連れてたたずんでいた。落ち着いた色合いの和服を着たその顔にはアジア人特有のあいまいな微笑が見て取れる。

「伯爵家の方々を最近都内でよく姿を見かけるって聞いたんですけど、あなたまで観光にいらしてるとは意外でしたわ」

「いやいや、私もニホンの文化には興味がありまして」

 あらそう、と総領の顔に笑みが広がる。

「こんな一等地にマンションまで、しかも上から2フロアも購入されて、ご熱心なのね。ありがたいことですわ」

 ミシェルの背筋に冷たいものが走る。財閥の総帥として多忙なはずの彼女が、偶然ここにいるはずもなく、まして立ち話で時間を浪費するなどありえない。マンション購入のことまでばれているからには――

「ご用件を伺いましょうか」

 居直ったミシェルの問いかけにも、総領は茫洋とさえ言える笑みを崩さない。

「偶然ここを通りかかったら、お姿を拝見したものだから」

 嘘吐け、この老狐め。ミシェルの内心を知ってか知らずか、総領は穏やかな声色を崩さぬまま斬り込んできた。

「せっかくだから、お国のことや伯爵様のご様子もお伺いしたいわ」

 マンションの上階を、いや、ミシェルたちのアジトがある階を見上げながら、総領の申し出は実質的には要請に等しい。ミシェルはまたしても心の中で舌打ちをしながら、総領一行を応接間として使用している部屋に通さざるを得なかった。

 こちらも用心に下役を2人ソファの後ろに立たせて、ミシェルは総領との会談に応じた。フランク共和国の政治や経済の現況、"ディアーブル"討伐の戦況、そして、伯爵の容態。ミシェルは問われるままに、しかし言葉を慎重に選んで答えた。

 いつかこの国への侵略が進んだ段階で、鷹取家とは角突き合せねばならないとの想定はあったため、彼にも心の用意はあった。だが、それがこうも早く来るとは。

「そう、あまり思わしくないのね……」

「いえ、思わしくないというほどでは。それに、ニコラ様がしっかり補佐なさっていますし」

「そうね。それに、アンヌさんがしっかりなさってらっしゃるから」

 前髪をかき上げながら、総領の目が細まる。まるでミシェルの内心の動揺を見透かすように。

「アンヌさん、こちらにいらっしゃってるんでしょう? 秋庭原でお買い物をされてたとか」

 日本人のお友達までできたようで、満喫なさっていてなによりですわ。総領の言葉が、ミシェルに確信を抱かせる。

 監視されている。ここも、我々も。

「今日はお見えにならないの? 一言ごあいさつを差し上げたいのだけれど」

「……あいにく、お出かけなさってまして」

 嘘ではない。ここから車で30分ほど行ったところに、剣の修練をする場所を確保してある。アンヌ専用というわけでもないが、ここ数日彼女はそこに朝から通い詰めであった。

「そういえば、ご息女はお元気ですかな。さぞや総領様に似て、おきれいになられたでしょう?」

 仕切り直すためにコーヒーをぐっと飲んで、ミシェルは反撃に出た。総領の娘である沙耶がしでかした不始末は、正式な通知として伯爵家にも届いていた。鷹取家の総領としても実母としても、触れられたくない話題のはず。

「きれいになったかどうかは分かりませんわ。この2年、全く会っていませんから」

 居住まいを正した総領の表情は変わらない。

「そうですか……後継者がそのざま……アアいや失礼、そのような状況では、不安が募るばかりでしょう。心中、お察しいたします」

 わざと言い間違えたうえにおためごかしで締めて、総領の座るソファの後ろに立つ海原家の女性の顔色が2人とも変わった。が、ミシェルの眼前に座る女性は悠然としていた。

「大丈夫、予定者はもう1人いますから。沙耶にもしものことがあっても、あの子が育てば何も問題はありませんわ」

「ああ、ミクさんですね? 確か、仲里小学校の2年生でしたかな?」

 言わずともよい小学校名まで出して、こちらもお前たちのことは把握しているんだと言外の威圧をしたつもりだった。しかし、総領が乗ってこない。

「そうなのよ! 可愛くってね、お母様に似たんだわきっと。孫びいきが過ぎるってよく息子に注意されるんだけど、可愛いものは可愛いんだもの。ね?」

 意図が通じなかったことに密かに腹を立て、もう一太刀浴びせようと記憶を手繰るミシェルより、総領のほうが先んじた。

「これ見てくださる? 美玖が先々月お友達と一緒に七夕祭りに行った時の写真なの」

 苦笑しながら、まあ可愛いものを見るのは――それが8歳とはいえ女性ならなおさら――嫌いではないミシェルである。総領がうきうきした顔で差し出したスマホの画面を覗き込んで、彼の思考は止まった。

 スマホに映し出されているのは、そもそも女の子ですらなかった。今自分の後ろに立っている――

「あらやだ間違えちゃった。齢を取ると駄目ね、こういう機械の操作が……あらこれ、リシャールさんじゃない?」

 目の前のスマホを取り上げて破壊したい衝動を必死に抑える。ミシェル配下の実働要員であるリシャールがアロハシャツにジーンズというラフな格好で、とある路上を歩いているやや遠目のスナップ写真だった。フランク人一同が動揺している隙を突いて、総領の質問が飛んでくる。

「リシャールさん、こんなところで何をなさってたの?」

「プ、プライベートですので、お答えできかねます」

 ややどもりながらも模範回答。これができるからミシェルは彼を便利に使っているのだが、総領の追撃もまたある意味模範的といえるものだった。

「あらやだ、また間違えちゃった」

 と白々しくも小さく笑いながら提示された写真に、ミシェルもリシャールも今度こそ凍りつく。先ほどの写真に写っていた路地を入ったところでリシャールと立ち話をしている2人の日本人男性が、顔も鮮明に映し出されているではないか。

 それは、『あおぞら』のスタッフを襲撃させるべくリシャールにコンタクトを取らせた裏組織の人間だった。どういう成り行きか敵にあっさり見抜かれて対策をとられてしまったが、彼らにはこの東京地域だけでなく、全国につながりがある同様の組織に襲撃を手伝わせるよう、高額な前金を払ってある。

 後ろ姿のリシャールの腕は前に向かって伸ばされていて、まさにその前金を渡す瞬間であることはすぐに分かった。

「リシャールさん、この方たちと何をなさってたの?」

 総領の顔も声も、勝ち誇るでもなく勢い込むでもなく、しかし的確に急所を突く簡潔なものだった。恐らく顔中に脂汗を掻いているであろう、リシャールが声を絞り出す。

「……プライベートに係わることには、その、お答えいたしかねます」

「あらそう」ここで初めて、総領の目が三日月のように歪んだ。

「この後ろ姿がご自分だとお認めになるのね?」

(嵌められた……!)

 ミシェルはもはや隠そうとせず、唇を噛み締めた。遠目ゆえはっきりしない人物特定を本人にさせるための誘導尋問。リシャールの最初の返答は模範回答でもなんでもなく、それに引っかかった無様なそれだったのだ。たとえ2枚目で知らぬ存ぜぬを決め込んでも、もう遅い。

「この方たち、ちょっと筋の良くない方たちだから――」

 総領は元の穏やかな顔に戻って言った。リシャールではなく、ミシェルの目を見すえて。

「今後はお付き合いはなさらないほうがいいわ。鷹取家としての忠告よ」

 それから、とミシェルの反論を待たず、総領は告げる。

「お宅の方々が、この日本を楽しんでくださるのは一向に構いませんけど――」

 立ち上がりながらも、ミシェルへの視線は外さない。

「あまり方々へ飛び回るのは感心しませんわ。特に、夜にね」

 対抗して立ち上がったミシェルに、総領は告げた。

「このこと、本国のニコラ様にお伝えくださいな」

「承知しました」

 ふん、伝えるさ。こちらの首が飛ばない程度に薄めてな。

「ああそうそう。来週ね、フランクに行くのよ」

 ニコラ様にもお会いすることになってるわ。総領の一言で、ミシェルは心臓に釘を刺されたも同然になった。

「あまりやんちゃをされると、今度は沙耶がお邪魔することになるわ」

 近々鷹取家で寄合が開かれて、沙耶の今後の処遇が決まる。そのことはミシェルも把握していた。その席で、沙耶の蟄居が解かれるというのか。確か、大勢は蟄居解除に反対のはず。そうニコラからは聞いていた。

「そうなれば、倒壊寸前では済まなくなるわよ。あのお屋敷みたいに」

「お気をつけてお帰りください」

 総領のにこやかさを敢えて無視して、ミシェルは沙耶の話をブラフと判断して追い出しにかかった。

「またいずれ拝見させてください。お孫さんのお写真を」

「あら」と帰りかけた総領が振り向く。

「未成年の女の子に興味がおありなの?」

「は?! いえそういうわけでは――」

 では、ごきげんよう。

 お供のくすくす笑いを残して、扉は閉められた。

「ミッシェル殿、どうされますか?」

「報告はせざるをえないな。全く忌々しい……」

 また唇を噛んでしばし、ミシェルは閃いた。リシャールたちを呼び寄せて肩を抱き、内緒話の態をとる。

「アンヌにはこの話、知らせるな」

「なにゆえでございますか?」

「分からぬか? 鷹取家の総領自らの警告を無視したということになれば、どうなると思う? 我らは伝えたのだ。いいか? 伝えたのだぞ?」

 配下の顔が策謀に歪むのを見ながら、ミシェルはニコラにどのように連絡するか、文案をまとめ始めた。



 ベルゾーイは廊下で扉に耳を押し当てて、ミシェルたちの密談を盗聴していた。中から人が出てくる気配にさっと扉を離れて向かいの部屋に飛び込む。用意よく止めてあったストッパーを蹴り飛ばして扉を閉めると間一髪、ミシェルたちが廊下に出てきた。その声が廊下から完全に消えるのをじっと待つ。

 ベルゾーイは同じ方法で、鷹取の総領とミシェルの会談の一部始終を聞いていた。ミシェルの陰謀は、この執事のかねてからの推測を裏付けるに十分であり、その事実が彼の全身に冷たい汗を流させた。

(お嬢様が危ない……!)

 そっと部屋を出て、ミシェル一味と鉢合わせしないように通路を選びながら、ベルゾーイは思案する。

 アンヌの味方が、ここには少なすぎる。ソフィーは今日国元から来るニコラ配下のバルディオールに治癒してもらう予定だが、もはや確実な配下は彼女しかいない。

 ミレーヌに通報するか。だが、セバスティアンの情報では彼女も行動の自由が制限されつつあるようだ。あるいはニコラに取り込まれつつあるのかもしれない。不甲斐ない――少なくとも本国からはそう見えている――姉の戦績に不満を漏らしているようでもある。

 となれば――

(選択肢は用意しておかねばならんな……)

 ベルゾーイは伯爵家にではなく、アンヌ個人に忠誠を誓っている。ディアーブル討伐に関与していない執事なればこそだが、たとえ迫られてもアンヌへの忠誠を曲げるつもりはない。彼女を生かすために、取れるべき手段は全て使わねば。幸い、連絡先は知っている……

 ベルゾーイはクララを探して買い物に行くことを告げると、エレベーターに乗った。秘密の電話は、外でするに限る。


3.


「これで、侵略を諦めてくれるでしょうか?」

 リムジンの後部座席に同乗している海原摂奈うなばら せつなの心配そうな問いを、総領もまた憂い顔で答えた。

「無理でしょうね。時間が少しでも稼げれば御の字だわ」

 摂菜の隣に座る妹の茉里まつりも、それを聞いて眉をひそめる。

「ある程度以上の資金や人材を投入したプロジェクトには、引き返す決断が鈍るのよ。撤退する勇気が試されるというべきかしら」

 そう言って、総領は微笑む。

「あなた方には釈迦に説法だわね」

 海原財閥で企業を複数任されている姉妹はそれを聞いて謙遜で笑い、すっと企業人の顔に変わった。

「では、取引先からの伯爵系企業の締め出しを行いますか?」

 摂奈の問いの真意は、伯爵家への資金源を断つことにある。目的自体は了として、総領は居住まいを正した。

「それだけじゃなくて、買収もしましょう。もちろん、良い買い物があればだけど。逆に、伯爵家から同様の攻勢がかかる可能性があるわ」

 摂奈も茉里も同意の印にうなずく。

「雪乃様には私から話を通しておくから、来週頭までに締め出しと買収の候補リスト、作成をお願い」

 うべなった茉里が、おずおずと切り出した。

「……沙耶ちゃんは、どうなるのでしょうか?」

「寄合での、あの子の取る態度次第よ」

 総領は目を閉じると、物思いにふける振りをしてこれ以上の質問を絶った。

 それからしばらくして、運転手からのコールが鳴る。

『渋滞に巻き込まれましたので迂回いたします』

 申し訳なさそうな声に鷹揚に許しを与えて、総領は窓の外を見やる。随分大回りをしているようで、住宅街に入りつつあるが、伯爵家のアジト訪問に際し多めの時間を取ってあったため、かなり余裕がある。

 摂菜が何かを思い出したように妹の袖を引いた。

「茉里、ここの辺りよ。琴音ちゃんにこのあいだ連れて行ってもらったケーキ屋さん」

「えーいいなー」

 と茉里が女子学生のような声を上げた。その勢いのまま、前を向く。

「総領様、ちょっと寄って行きませんか?」

「あなたたち、お仕事は?」

「もう、総領様ったら」と姉妹で笑う。

「総領様と一緒の会議に出る。それが今日の午後の仕事ですから」

 腕時計を見れば、あと1時間ほどある。ま、たまにはいいか。総領は運転手に予定の変更を告げると、また窓の外を見た。



 そのケーキ店・ヴィオレットでは、鈴香と琴音が隼人に浅間大学の裏山での体験談を報告していた。楽しそうに語っているのは主にいつものおしゃべり娘で、今日は他に客もいないためか、隼人はいつもの控えめな態度ではなく朗らかに対応してくれていた。

「マネキンが吊り下げてあったんですか? タチ悪いっすね、それ」

「ほんとですよ、もう鈴香なんか私の耳元で絶叫してくれちゃって」

「しようがないじゃない! マジでびっくりしたの! あれを驚かないあんたがおかしいの!」

 会話のだしにされて、鈴香はむくれた。隼人が何かを思い出すように遠くを見る。

「……そういえば、大学の掲示板に『先日裏山で女性の悲鳴が聞こえる事案が』とか貼ってありましたよ。詳細を知っている人は学生課までご一報をって」

「あ、あの、通報するんですか?」

 鈴香の悲しそうな顔から察してくれたのだろう、隼人は笑って、

「昔派手に寮生がやらかして、しばらく立ち入り禁止になったことがあったからですよ。鈴香さんが学生課に出頭するのもかわいそうだから、やめときます」

 ところで、と隼人が話題を変えてきた。

「琴音さんって、海原さんですよね?」

「はい」

「海原満瑠さんって、ご親戚か何かですか?」

「姉ですけど」

「お姉さんですか? へーそうなんだ。そう言われれば似てるな……」

 何か隼人と縁があるのだろうか。

「このあいだ、コンサートに行ったんですよ。横浜で」

 琴音と二人で驚いた。こんなことを言っては失礼だが、隼人にそんな趣味があろうとは思わなかったからだ。そしてそれを正直に口に出して怒られないのが、琴音の特性だろう。

 笑って口を濁す隼人の後ろから、明らかにからかう声が飛んできた。

「隼人さんがそんなの独りで行くわけないじゃないですか。カノジョとですよカノジョ」

 アルバイトの女の子に揶揄されて、困り顔の隼人。琴音まで、困惑したようなことを言い始めた。

「そうなんだ……残念だわ」

 鈴香は目を見張った。初めてこの店に来た時、『なかなか男前ね』とか言ってたのは、やっぱりそういう気があるからのセリフだったのだろうか。

「第2回調査の時に一緒に来てもらって、鈴香の相手をしてもらおうと思ってたのに」

「あたし?!」

「あはは、それいいですね!」

 困惑を越えて苦笑いに変わった無言の隼人におかまいなく、バイト女子が乗ってきた。

「そうそう、鈴香もあんな闇夜をつんざく絶叫じゃなくて、もっとかわいく叫んで男の人にすがりつかなきゃ」

「で、そこへカノジョが飛んで来て修羅場になると。いや~んビデオカメラ用意しないと!」

「……なんのために誰のために?」

「もちろん!――」バイト女子は薄い胸を張った。

「るいちゃんのために」

 店主がレジで呼ぶ声がして、苦りきった顔の隼人とウキウキバイト女子は店頭に戻っていった。

「まったく、なんであたしがそんな真似――どうしたの? 琴音」

 嘆息から我に返れば、琴音がじっと隼人の後ろ姿を見つめているではないか。

「執事さんって――「よし! 分かったよ、琴音」

 きょとんとする琴音の表情が不審だが、鈴香は自分を親友と呼んでくれる人のために、一肌脱ごうという気になっていた。

「まず、そのカノジョの情報を探ろう。どんな人か知らないけど、琴音が負ける要素なんてまずないと思うよ、あたし」

「なんで私が執事さんのカノジョと対決する流れになってるの?」

「? じゃあなんで執事さんの背中を見つめてたの?」

 琴音は理解したらしく、真っ赤になった。普段は鈴香の保護者気取りで大人ぶるが、こういう話題になると初心な一女子大生に戻ってしまうのがカワイイ。

「ち、違うわよ! そんな気ぜんっぜん無いし!」

「またまたぁ。じゃあなんで?」

 アイスティーをごくごく飲んで頬の赤みを減らした琴音は、半ば呆れたように説明を始めた。

「執事さん、エストレ好きなのかな、って思ったから……」

「は?」今度は鈴香が分からない。

「さっき執事さんが言ってた言葉、エストレジャイアの主題歌の一節なのよ」

「たまたまじゃない?」と切り捨てた。

「あんたの一族がみんな変身ヒーロー大好きだからって、他人もそうとは限らないし」

 むぅ、とふくれる琴音。今日は珍しい表情がいろいろ拝めるな、と鈴香はもう一撃見舞うことにした。

「で、話をもとに戻すけど、どうよ?」

「しつこいわね、そんなの全然ないってば!」

「その割には楽しげにしゃべってるじゃない。この数年で一番しゃべってる男子じゃない?」

 琴音はついにそっぽを向いてしまった。

「そんなことないわよ! サークルの男子ともちゃんとしゃべってるし」

「ちゃんと、て」

 なにその義務で仕方なく感。店員たちのあいさつが聞こえ、お客が入店してきた。

「あら、琴音ちゃん、鈴香ちゃん。今日も来てるの?」

 鷹取の総領と、海原家の女性2人だった。慌てて立ち上がってあいさつをする。3人が別の席に着いたところで、隼人がお冷とお手拭を持って来た。

 琴音の足を、ちょこっと足先で小突く。びくんと痙攣して、赤面してにらむ琴音を見て忍び笑いをしていると、向こうから総領の密やかな声がかかった。

「琴音ちゃん鈴香ちゃん、今の人、どう?」

「いやあの人は琴音がチャレンジ表明済みで――」

「す ず か ぁ ぁ ぁ !」

 店内を流れる落ち着いたクラシックに似つかわしくない騒々しさが、喫茶室に満ちた。


4.


 理佐は鳴らないスマホを、じっと見つめていた。もうどれほどそうしているのだろうか。家庭教師のバイトを終えて帰ってきてからずっと、彼からの返信を待っているのだ。

 鳴らない。今日は確か、塾講師の日。9時に授業を終えて生徒からの質問を受け付けてから帰ると言っていた。鳴らない。

 リビングの壁にかけてある時計を見やる。9時32分。鳴らない。いつもはこのくらいに終わってるはずなのに。生徒とやらの質問が長引いているのだろうか。鳴らない。

「どうして……」

 これから末永く付き合っていくわたしではなく、来年には止めてしまう塾講師を優先するのだろう。鳴らない。塾の生徒と、もしかして、浮気……

「あの女なの……?」

 隼人が言っていた女のことを、理佐は思い出して歯軋りする。鳴らない。坂本とかいう、会長からのお届け物を届けにきていたガキ。彼はその女を疑っていた。鳴らない。横浜支部に下剤入りシュークリームを届けに来た女も、そのガキと同じ髪型だったから。確かめようもないことだけどと苦笑いして、その話はそれっきりになった。鳴らない。

「わたし以外の女のことなんて、考えなくていいのに」

 わたしと一緒にいるときも、わたしと一緒にいないときも、たとえ北東京支部の関係とはいえ、ほかの女、いや、ほかの人間のことなんて考えなくていいのに。鳴らない。

「わたしのこと好きって言ってたのに。わたしだけって、言ってたのに……」

 鳴らない。

 彼の眼は、口調は、優しく抱いてくれる手は、本当だった。目を閉じるだけで、今までの幸せな時間と感触がいくらでも脳裏に浮かぶのだ。本当と信じたい。わたしだけ。わたしだけ。わたしだけ。でも、鳴らない。

「旅行なんて行かなきゃいいのに」

 どうしてわたしとの旅行は行けないのだろう。彼の弁明は『ゼミ旅行に行くためにバイトのシフトをかなり無理して調整したから。少なくとも1カ月は難しいな』というものだった。ならばもっと無理をして、とは言えなかったそのときの自分を殴りたい。鳴らない。

 いつのまにかきつく握り締めた拳の内側に、血がにじむ。爪が手のひらの皮を破っていた。鳴らない。その赤黒さが、理佐の心の中に広がっていく。

 許さない。わたしの隼人君を狙うメスを。この血のように赤黒いものを体中から搾り出して亡き者にしたい。あの塾に、あの大学に、あのバイトに。

 何で殴り込んだら、彼と二人きりになれるんだろう。

 スマホが鳴った。彼からの電話だ。理佐はにじむ血に構わずスマホをその手に握りしめ、通話ボタンをタップした。

『あ、もしもし、ごめんな遅くなって。今から行っていい?』

「うん! いつ来る? 2分後? 1分後?」

『俺の原付は超音速じゃないよ』と彼が笑う。

 すっかり機嫌を直した理佐はいそいそと、お酒とつまみを買いに近くのコンビニへと走った。


5.


 『あおぞら』長野支部の支部長は、どうにも拭いきれない嫌な感じに囚われ続けていた。

 オーガが3体出た。実に久しぶりで、フロントスタッフは2人しかいなかったが放置しておくわけにもいかず、他のスタッフに招集メールを送ると出動した。

 現地にバルディオールの姿が無い。それが嫌な感じを醸し出している原因の最たるものだろう。これまでもそういうことは再々あったのに。

 バルディオール・レーヌ。彼女が横浜支部を釣り出した方法がそれであった。だが、バルディオールの残党がまだ一部潜伏を続けている以上、オーガ出現の報が警察から入れば、『あおぞら』各支部は動かざるを得ないのだ。

 エンデュミオールたちは連携攻撃でまず1体に重傷を与え、もう1体を跪かせていた。残る1体を囲もうとしたところで、道路脇にある雑木林から声が飛んでくる。

「たった2人で後続無しか、たるんでるねぇ」

 来た! 支部長は歯軋りをして、その声の主、バルディオール・レーヌをにらみつける。

「総員撤退! 機材は放棄! 早く!」

「おっと、逃がさないよ」

 確かレーヌは最大12体のオーガを操れるはず。なのに、今の彼女の周囲には1体も異形の者がいないのだ。それでどうやってこちらの撤退を阻むのか。

 その答えは、レーヌのスキルによって示された。長野支部にとって、痛恨の形で。

「アイジ デ・ラ・レーヌ」

 レーヌが両手を高々と荒天に向かって差し上げて叫ぶ。次の瞬間、エンデュミオール2人の周りに、光の壁が取り囲んだ!

 絶句する支部長。その顔を、戦場を、バルディオールの獰猛な凶相を、稲光がストロボの瞬きのごとく照らし出す。

 荒天は雷雲を招き、見渡す限り覆いつつあった。


悠刻のエンデュミオール Part.5 END

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。感想をいただければ幸いです。

 さて次回は、2015年11月13日(金)公開開始予定です。現時点では、『悠刻のエンデュミオール Part.6』になります。

 シリアスなシーンを入れると、読者が減る。ネット小説では特に顕著だそうで。今作からシリアスなシーンも入り始めたこのシリーズですが、読んでくださってる皆さまはさすがですね。恐らく1人か2人しか脱落してないかと思われます。総勢十四、五人なので、割合にすると大打撃なのですが。

 これからしばらく、シリアス成分は入り続けます。なにせほら、『Part.6』には沙耶の蟄居処分の原因となった“痴情沙汰”だけでなく、『惨劇のレーヌ(後篇)』が待っているのですから。お楽しみに。

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