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第9章 カレカノ横浜初デート

1.


 暑い。しっかり者の部屋主・圭らしく、エアコンを明け方にタイマーで切ったせいだろう。隼人は布団からむくりと起き上がると、そのまま立ち上がってお茶を飲みに行こうとしたのだが。

「をい」

 圭が隼人の左脚に抱きついて眠っていた。ハーフパンツに頬を寄せて。

「圭、ちょっと、離れろ」

「…ん~、い~じゃ~ん……って! ワアッ!?」

 寝ぼけていたらしい。圭は抱きついていたものが隼人の脚と知覚するや、驚愕そのものの表情で離れてころころ転がった。

「おはよう、圭」

「おはよう……ね、ねぇ、隼人?」

「なんだ?」

「ボク、変なこと言ってなかった?」

 寝転がったままモジモジしながら見つめてくる圭に、隼人は素直に答えてやる。

「俺も今起きたばかりだから、なんも聞いてないぞ」

 安堵の溜息を漏らす幼馴染。どうせ最近できたというカレシとの夢でも見てたのだろう。隼人は今度こそ立ち上がると、お茶を飲みに冷蔵庫へ行く。コップを2つ持って、臨時の寝所と化しているリビングに戻ると、圭はソファでスマホをチェックしていた。

「ほい」

「お、サンキュー」

 破顔一笑、受け取ったお茶をコクコクと飲み干す圭。隼人は着信通知で光る自分の携帯のディスプレイを見て、何とも言えない渋い顔になった。

「当てて見せようか?」

「……何をだよ?」

「理佐ちゃんからのメールが11通来てる」

「残念」と隼人は口角を歪めた。

「13通、だ」

 うへぇ、と呆れた圭は立ち上がると、

「朝食は食べてくでしょ?」と言いながら、ソファの背にかけてあったエプロンを手に取った。

 今日は理佐と一日デートの日。10時に待ち合わせなので、まだ2時間近くある。

「お前、また料理の腕が上がったな」

「ふふ、そりゃそうだよ。前に作ってあげたの3年前じゃん」

 不断の努力の賜物と言いたいようだ。実際、食卓に並んでいく朝食は美味しいものばかり。それを大して手間をかけている様子も見せずにどんどん作っていくのだ。

「でもなー」

「なんだよ?」と隼人はオムレツを平らげながら、まだ何かを作っている圭の背中に問いかけた。

「雑巾舌さんに言われてもなぁ」

「すいませんね」

 圭の口調に悪意を感じなかった隼人は軽く返して、にんじんサラダに取り掛かった。圭のほうからは、肉と何か調味料の焼けるいい匂いがしてくる。

 ジー、ジー。

「技術的な話をしてるんだがな。オムレツも火が通り過ぎて卵焼きみたいだったのに、ふわとろにできてるし」

「そーそー! 頑張ったんだよ、それ!」

 圭が振り向いてにっこり。ちょうど出来上がったらしく、フライパンごと隼人の座る食卓へ寄ってきた。

「うお、美味そう……って、これなんだっけ?」

「レバニラだよ、レバニラ」

「あの、これから理佐ちゃんと会うんだが」

「だから、だよ」

 圭は隼人と自分の皿にレバニラ炒めを取り分けながら、にやけ顔を近づけて囁く。

「今晩はお楽しみ、でしょ?」

「さあな」と隼人は平然としたもの。

 ふん、と鼻で笑うと、圭はご飯を茶碗によそって席に着いた。

 ジー、ジー。

「ま、出がけに牛乳飲んでいけば? 匂いが抑えられるっていうし」

「それ、レバーを牛乳に浸しとくと臭みが抜けるのと混同してねぇか?」

 隼人の発言は、圭に衝撃を与えたようだ。

「お前からそんなウンチクが聞けるなんて、結構ショック」

「なんでだよ」

「えーだって、食べられればなんでもいい人じゃん、お前ってさ。料理もしないし」

「まあな」

「それは何? 理佐ちゃん情報?」

「違うよ。前の彼女」と隼人は仏頂面。

 ジー、ジー。

「なるほど。……なぁ、隼人」

「ん?」

 いろいろ言いながらもレバニラ炒めをがっつく隼人の注意を、圭が彼の携帯に向けさせた。

「メール、理佐ちゃんじゃないの?」

「ん、そうだなきっと」

 ちらとだけ携帯を見やって、隼人は答えた。

「いいの?」

「俺は今、何してる?」

「……朝ごはん食べてる」

「そう、お前と飯食ってる。だからだよ」

 そこまで言って、隼人は幼馴染の奇妙な行動に当惑した。額に手を当てて溜息をつく、圭の仕草を。

「どうした?」

「そういうことを素でするんだよな、お前は」

 圭が何に呆れてるのか、隼人にはわからない。

「今のがなんでだめなんだ? 理佐ちゃんにはちゃんと言ってあるんだぜ? 急用の時は電話かけてくれって」

 ジー、ジー。

「いやそうじゃなくて、さ」

 圭はいかにも困った風の表情。

「それのせいで、どんだけ女の子が勘違いして泣いてると思ってんだ、ってことだよ」

「そう言われてもなぁ」

「美紀ちゃんにも『ごめんなさい』したんでしょ?」

 不意打ちでその名前。サラダを口いっぱい含んでいた隼人は少しむせて、お茶で流し込んだ。

「……なんで知ってんだ? お前」

「ちっぱい団の団長さんから連絡が来たんだよ。『うちの団員を泣かせた奴が今度そっちに行ったら、成敗しといて』って」

「るいちゃんはなんで他人任せなんだ?」

 不審がる隼人の言葉を聞いて、圭は最後のレバーを口に放り込むと笑った。

「ボクも団員だし」

「いつの間に……」

 るい恐るべし。いや、真紀が勧誘したのだろうか。

 ジー、ジー。

 そこからしばらく、2人とも無言で箸を進める。調理に取り掛かる前に再生した、圭チョイスのベストソングメドレーが2周目に入った時、圭が口を開いた。

「理佐ちゃんにさ、なに食べさせてもらったの?」

「え? いや特に何も」

「……隼人」

「なんだよ」

「お前、やっぱり変わったな」

「そうか?」

「そうだよ」と圭は言いながら皿を片付け始めた。

「昔はよく食べ物で釣られてたじゃん」

 反論を探そうとして、隼人は諦めた。

「何が気に入ってんの? 理佐ちゃんの」

「なんでそんなマイルドな尋問調なんだ?」

「ヤキモチだよ。ヤ・キ・モ・チ」

「心にもないことを」

 隼人は流し台に向かう圭の背中を軽くひとにらみした。

「……そうだな……かわいいところ、かな。っておい、なんだその深いため息は」

 皿を洗う水道の音に紛れて聞こえた圭のため息。さらなる隼人の問いかけを制したのは、淹れたてのコーヒーだった。

「はい、どうぞ」

 感謝して素直にコーヒーをすする。

「ほんとにもう」

「今度はなんだ?」

「続きだよ」と対面に座った圭が言った。

「いつも"かわいいから"しか言わないじゃん。かわいいは禁止!」

「禁止じゃなくて正義って学校で習わなかったか?」

 さっくり無視された。

「おまえ、かわいくなったよな。高校ん時もかぁいかったけどさ」

「また心にもないことを真顔で……」

「マジで言ってるのに……」

 ジー、ジー。

 いいかげんジト目に変わってきたので、隼人は話をもとに戻すことにする。

「んー……不器用なところ、かな……一生懸命やってるんだけど、ちょっとずれ気味というか、今ひとつというか。でも、あきらめない前向きなところが、かわいいんだよ」

「ふーん」

「こんなこっ恥ずかしいこと言わせといて、ふーんかよ!」

「珍しいな、って思っただけさ」と言って圭はコーヒーをこくりと飲む。

「何がだよ」

「そーやって詳しく語るのが、さ」

 圭が隼人のほうに身を乗り出してくる。

「無理してる」

「してねーよ」

「理由を探してる」

「してねーよ」

「ああ、あれか」と圭は机に頬杖を突くと、独りで納得しだした。

「珍しくスレンダーな子に惚れちゃったから、自分の好みとのギャップを埋めようとしてるんだね!」

「してねーっつーの」

「ほんとに? 好きでしょ? 胸とかお尻がおっきいの」

「さ、歯みがきハミガキ」

 隼人は逃亡を図った。

「せめて千早くらいあればいいのになぁ、って思ってるでしょ?」

「…思ってねーよ」

「その半秒の間はなにかね?」


2.


 待ち合わせ場所の大時計下に隼人が着いたのは、10時15分前だった。平日なのに結構な人出の中、明らかに彼女の周りは空気が違った。

 ベージュのベルトをアクセントにした白いノースリーブのワンピースに、やや大ぶりな麦わら帽子を浅めに被った理佐は、眼を閉じてじっと人待ちの態。壁にもたれている彼女を中心に1メートルほど空間が開いているのは、その凛とした雰囲気に近寄りがたいからなのか。

 もちろん、彼女の待ち人たる隼人がそんな雰囲気に臆するはずもない。

「お待たせ、理佐ちゃん」

 隼人の声を聞いた理佐の顔に、ぱあっと笑顔の花が咲き、

「さ、行こう!」

 と元気な声が出たのもつかの間、また先ほど来の厳しい表情に戻ってしまう。

 もしかして、何か心配事でもあるのだろうか。隼人が声をかけようとしたが、先に理佐が口を開いた。

「……ごめん。気を抜くと、暑さが攻めてくるから」

「なるほど。んじゃ、行こっか」

 隼人は彼女の誘導に素直に従った。

 百貨店の店内に入ってしばらく、エスカレーターを降りたすぐ近くのショップで、理佐の服を見る。

「これ、どうかな?」と隼人が指差して、

「ん……」と理佐が取り上げチェックする。これを何度か繰り返して試着の後、理佐はようやく服を1着選んだ。

 支払いをしようとする隼人を制して、理佐がクレジットカードを出す。

「俺払うよ」

「ううん、ポイント付けたいから。お昼おごって」

 なんだかうまくかわされた気がするが、ちょっとほっとしている自分がいて、隼人は頭を掻いた。

 店員の声に見送られて店を出ると、隼人は携帯を見た。

「あれ? まだ10時半じゃん。もう昼飯?」

「んなわけないじゃない」と呆れ顔の理佐に、隼人は意表を突かれる。

 ぎゅっと、手を繋がれて。

 隼人の顔も見ず、彼の手を引き始めた理佐に従うこと数分で、メンズフロアに到着した。

「隼人君のね、服を選ぼうと思って」

「ああ、そうなんだ。じゃあ、どこに――」

「こっちよ」

 また手を引っ張られて、理佐はまるであらかじめ下調べしてあるかのようにスイスイと進む。他の客のあいだを小魚のように泳ぎながら、隼人が連れてこられたのはいかにも高そうなショップだった。

「……おぉ」

「どうしたの?」

 さっそくショップ内の物色を始めた理佐が、隼人のほうを振り返った。

「……いや、こういう店に来るの初めてだな、と思って」

「そうなの?」と理佐は服を選ぶ手を休めて隼人をなぜかにらんでくる。

「いっぱいいたモトカノの誰かと来てるんじゃないの?」

「来てないよ」と隼人は渋い顔をした。

「俺のバイト代じゃ、高校の学費払ったら大して残らなかったし」

「そっか……」

 安心したような同情したような、いろいろとない交ぜになった表情を浮かべて。理佐は服の吟味を再開した。そのまま待つのも変なので、隼人も服をいくつか手に取ってみる。

(高ぇ……)

 普段着ている服の6から8倍のお値段が、タグに印字されているではないか。

「あの、理佐ちゃん――」

「これとこれ、それからこれ! 隼人君、着てみて!」

 今日の理佐は速攻が多いな。隼人は内心驚きながら試着室へと向かう。

 室内でまたさりげなく値札を確認して、外で待つ理佐に聞こえない程度に唸って。

(正直、俺には過ぎた服だと思うけどな……でも、せっかく理佐ちゃんが選んでくれたんだし)

 時間はかかったが3着を順に試着して、理佐にお披露目。頬を少し赤く染めた彼女は満足げに何度も頷き、店員を呼んで一言。

「じゃ、これ3つとも下さい」

「いや待て」

 正直なところ、2番目に試着した服はちょっと派手で、隼人の好みから外れているのだ。そのことを理佐に正直に述べたのだが、「似合っているからいいの」の一点張りで、またもカードでお買い上げされてしまった。

 宅配便で下宿に送るため伝票に記入しながら、隼人は思う。

(理佐ちゃんって、前の彼氏の時もこんなふうだったのか?)

 それは、聞けぬ質問。いくら敵だったとはいえ、隼人がその彼氏を殺したのだ。理佐の目の前で。

 彼氏こと利次の絶叫が隼人の心の中で反響し、隼人は思わず目を堅くつぶった。それはその前日に殺したバルディオール・ラクシャの断末魔と重なり、隼人の心を苛む。

(やっぱり俺は、これのせいで、とどめが刺せなくなってるのかもしれないな……)

 隼人がこの数ヶ月、時々考えていたことがそれだった。バルディオール・バルカやアルテから取り上げた黒水晶は、片手の平に光を発生させて握りつぶすことで滅失させることができたのだから、やはり人を殺せなくなっているのだろう。

 一手間増えるだけ(実際には元バルディオールの軟禁という手間を『あおぞら』にかけさせているのだが)なのだし、何より人殺しはよくない。そう、よくないんだ。でも、でも奴は……隼人が目下の仇敵のことを考えてさらに俯いた時、

「隼人君? 隼人君! 大丈夫?」

 少し金切り声になりかけた理佐の問いかけに、隼人は目を開けて理佐をみつめた。

「気分悪いの? 顔、青いけど」

「ん、大丈夫」と無理して答えて、隼人は急いで伝票を書き上げた。


3.


 百貨店内の飲食店は既に混雑していて、理佐チョイスの和食屋にて着席できたのは12時を少し過ぎてから。思い切って外に出ることを提案したのだが、『暑いの、イヤ』と雪女様がおっしゃる。それでこの成り行きとなっていた。

「……なに?」

「ん? いや、理佐ちゃんは目立つ人だな、と」

 ここまで2時間と少し。デートとしてはまだまだこれからな経過時間なのだが、隼人は正直驚いていた。

 百貨店に入ってからショップを巡ってこの和食屋の前で順番待ちをしている間、理佐は周囲の客の目を引きっぱなしだったのだ。老若男女を問わずその目には『美人だなぁ』と『背、高いな』という感想が明瞭に読み取れた。実際、『モデルさんじゃないの?』と連れに囁いている声も聞こえてきたほど。

「ん? ああ、そんなことも言ってたわね」

 理佐に水を向けると、あっさりした答えが返ってくる。

「そこは謙遜しないんだ」

「しないわよ。モデルだったし」

 初耳に呆然とした隼人にくすりとした後、理佐は話してくれた。幼稚園児の頃から小学4年の秋まで都内に住んでモデルをしていたという。

「もったいない。そのまま続けりゃよかったのに」

「だめよ」

「なんで?」

「わたしにやる気がなくなったから」

 お店の人が持ってきたメニューを眺めながら、さらりと語る理佐。すぐに注文を済ませると、隼人にメニューを渡してくれた。

「あ、俺も同じので。……やる気がなくなったって、こう言っちゃなんだけど、そんな理由で辞められるもんなの?」

 冷たいお茶をこくりと飲んで、理佐は話を続けた。

「辞められるわよ。事務所のエースってわけでもなかったし、わたしくらいのタマなんて大勢いたし」

 それにね、と理佐はさらに続けた。

「母が精神的に参っちゃったのよ。ママさんたちとの間でいろいろドロドロあったみたいなの」

 やはりというべきか、モデル本人同士だけでなくママたちの確執もあって、それに耐えきれなくなったらしい。

「やっぱあるんだな、そういうの。ていうか理佐ちゃんですらその他大勢って、どんだけ美女の群れなんだよ、モデルさんたちって」

「ありがと」

 素直な感想だったのだが、褒め言葉に取ってもらえたようだ。目元をほんのり赤く染めて、でも照れるでもなくあっさり微笑む理佐の仕草に隼人も微笑みで返す。

「美人ってだけじゃだめなのよ、きっと。ほかに何かが必要なんだわ。わたしにはそれがなかった。だから、ドロップアウトしたのよ」

「何か、ねぇ……」

 隼人には正直想像もつかない話だが、"ドロップアウト"という言葉を口にした瞬間の理佐の顔をよぎったもの――寂しさ、悔しさ、恥じらいがブレンドされたような表情を見逃さなかった。

「ところで隼人君?」

 過去話はこれにてお開きらしい。軽く手を打ち合わせた理佐が、一転して厳しい表情になる。

「朝、どうしてすぐメールの返事くれなかったの?」

「ん? ああ、その時圭と朝飯食ってたから」

「――わたしのメールより、圭ちゃんとの朝ごはんのほうが大事なの?」

「あの時は、ね」と隼人は言葉を選ぶ。理佐の表情や声色に険が篭り始めた。

「わたしを、最優先にしてくれないの?」

「してるよ」それは偽りない隼人の気持ち。

「だからこうして一緒に飯食ってるし、今メールが来ても見ないし」

「わたしをいつでも最優先にしてくれないの?」

「対面で飯食ってる時とか、だべってる時にメールとか見られたらイヤじゃん? だから、そこは許してほしいな」

 納得いかないという態の理佐だったが、お膳が運ばれてきたのを潮に気持ちを切り替えることにしたらしい。これから観に行く映画のことに話題が移り、昼食の時間はなごやかに過ぎていった。

「そういえば、この間帰省したじゃない?」

 食後のアイスコーヒーを飲みながら、理佐がちらと隼人を見て、また暗褐色の液体を見つめる。

「隼人君の話をしたの。家族に」

「へぇ、そうなんだ」

「そしたらね……その……」

 グラスの中を見つめたまま、なぜかもじもじし始める理佐。可愛いと思いつつも埒が明かないので続きを促したら、意外な言葉が飛び出した。

「父が、もしよかったら学費出してもいいぞ、って。隼人君の」

「そんな話、本当にしてるのか?」

(理佐ちゃんの父さんと、どんな経緯でそんな話になったんだ?)

 会ったことも、電話越しに会話すらしたことないのに。そう思う隼人は難しい顔になっていたのだろう、理佐がクスリと笑って話を続けた。

「続きがあるわよ。『もちろん、俺と立ち合って勝ったらな』だって」

「……俺、変身していい?」

「だ め よ」

 メッ、という顔をして笑う理佐。

「も、もしよかったら、私が助太刀――」

「げ! もう映画の時間じゃん!」

 理佐のもじもじしながらの申し出をあえて遮って、隼人は伝票を取るとレジへ向かった。やっぱりそういうのは、自力で戦わなきゃ。そう思いながら。


4.


 映画館は大入り満員であった。といっても、人の流れから推察するに、皆のお目当てはハリウッド超大作――といってもリメイク物でかつ2作目なのだが――だろう。隼人と理佐が観る予定の邦画は、ぎりぎりで受付カウンターに飛び込んだにもかかわらず、前のほうの中央に近い席が並びで取れたのだから。

 上映開始まであと2分というところで、席に収まった。周りはと見ればカップルが10割という状況である。

(みんな、本当に観たくて観に来てるのか? 特に男)

 理佐に誘われておいてこんなことを考えるのも失礼だとは思うが、隼人は今から始まる"泣ける映画"が苦手である。

 どうしてわざわざお金を払って、他人の不幸話を見に来なければならないのか。それも絵空事、つまり"わざと狙って泣かせにくる"お話を、たとえラストがハッピーエンドであったとしてもだ。

 不幸話なら、自分と義妹たちの話だけでもうお腹いっぱいだ。そして、先日飲み会で流れ上仕方なく身の上話をして、優菜を泣かせてしまった。直後に利次ことエンデュミオール・フレイムとの戦闘があって紛れてしまったが、未だに彼女には申し訳なく思っている。

 不幸話なんて、できるだけするもんじゃない。隼人はそう思っている。

(――っと、いかんいかん。映画のほうに気を向けないと)

 いや、理佐のほうに、か。彼女が隼人の左から見つめているから。

「何か、心配事?」

 理佐の言葉に微笑んで首を振ったところで、場内が暗くなった。定番の宣伝が始まる。

 それから1時間半後。

「良かったね、映画……」

 上映ブースから出しなに、眼尻に残っていた涙をハンカチで拭う理佐。頷きながらも隼人は考える。

 確かに良いハッピーエンドだったと思う。ヒロインはキレイな子だった。理佐には遠く及ばないけど。でも。

(あの主人公、よくあの齢まで生きてこられたな……今の親父でも、あいつよりはもうちょっとしっかりしてるぞ)

 癇に障ると当り散らして、3分後に後悔してボロボロ泣くか、登場人物から(時折暴力を含む)しっぺ返しを食らう。全編その繰り返し。そんな主人公にひたすら尽くすヒロインが不憫すぎて、そういう意味では泣けたというのが正直な感想である。

「――理佐ちゃん?」

「ん? なに?」

 相変わらずその美貌が衆目を集める理佐の状況をあえて無視して、隼人は尋ねた。

「ああいう男、好きなの?」

「? ああいう、って?」

「あの主人公みたいな男」

 なにやら理佐に衝撃を与えたらしい。ぶんぶんと首を横に激しく振り始めた。

「まさか! 嫌よあんなダメ男!」

「その割には随分同情してたみたいだけど?」

「そ、そんなことないわよ! 私は――」

「私は?」

 理佐の顔が朱に染まる。

「い、行こ! お茶しようよ、お茶!」

 午前中と同じくまた手を引かれて――隼人は理佐の為すがままにされるのを良しとせず立ち止まった。

(あ、エストレの劇場版だ)

 そういや、何年ぶりかの新作だな。制作プロダクションが身売りしたときはどうなるかと思ったけど、前評判はいいみたいだし。

「隼人君? どうしたの?」

「ん? エストレの新作がやってるな、と」

「……そっちのほうがよかった?」

「ううん」と隼人は笑って否定した。

「DVDでたら、レンタルで見ればいいし。今日は理佐ちゃんが観たいものを観る日だから、いいんだよ」

 そして隼人は理佐の手を取る。

「さ、行こうぜ」

 肉付きの薄い、でも以外に大きな手を引いて、隼人は歩き出した。


5.


 浅間市営プールは、夏休みの残りを目一杯遊んで過ごすため――あるいは逃避して過ごすため――にやってきた小・中学生で溢れていた。

 大学生にとってもこの時期は、夏休みの残り少なさをそろそろ意識しだす時期ではある。もっともそれは、『また講義やゼミが始まるよ、かったりい』とか『休み明けしょっぱなからテストだぜダリぃ』という程度の話。今このプールサイドでだべっている大学3年生たちにとってもそれは同じである。

「はぁ、まだまだ残暑だねぇ」とるいがごろごろ寝そべり、

「お前、市営プールでだらしないカッコすんなよ」と優菜にたしなめられ、

「るいちゃん、すっかり元通りやな」と美紀は笑う。

「だってさ、イイ男もいないし、隼人君もいないし」

「金がないから市営プールに集合、って言ったのはお前だろうが!」

「ほんまやで。ねーやんは今頃ヴェンチャーランドの流れるプールで彼氏と流されまくってるのに、こんなだらけきった2人とジャリを眺めてるだけなんてなぁ」

 美紀が口にした台詞は辛辣だが、口調はゆるやかなもの。優菜が反論を試みるようだ。

「あたしを一緒にすんな。るいと」

「確かに、優菜はだらけてるね!」

 るいがまたごろんと寝返ってのうつぶせから顔を上げて、にやりと笑った。

「どこがだよ?」

「なんで去年の水着着てんの? 優菜」

「まったく、隼人君がいないだけでこうも差が出るんやね、優菜ちゃん?」

 赤くなってそっぽを向いてしまった優菜をからかっていると、休憩再開前のラジオ体操が流れ始めた。3人とも立ち上がって、律儀に体操を始める。

「なんでこの音楽が流れると、ついついやっちゃうんやろうね?」

「体に刻まれてるからなあ、子ども会の朝体操とかあったし」

「え? 優菜あれ行ってたの?」

「行ってなかったんかい!」「行ってないのかよ!」

 左右からの突込みにもめげない天邪鬼は、けらけらと笑う。

「だぁって、めんどくさいじゃん。他人に合わせるの」

「……つまり、今のるいちゃんはこれでも大人になったほうだと」

「2月くらいから大人化してくれてれば、あんなに傷だらけにならなくて済んだのに。まったく」

 バルディオール・フレイムとの苦闘を思い出したのだろう、優菜が顔をしかめた。

「さ、終わった終わった! とぅ!」

<そこの学生さん! 飛び込みは禁止です!>と監視台から拡声器でがなられる。

「……さ、優菜ちゃん」

「うん、あっちで泳ぐか」

 注意もさっくり無視して元気に泳ぐ競泳水着の女を置き去りにして、美紀と優菜はそそくさとその場を離れたのであった。

 それからさらに1時間ほどして、次の休憩に入ったのをきっかけに上がることにした3人は、プールからの帰り道にあるファミレスに入った。席に着いて涼しさにだらけていると、るいが美紀に突然尋ねてきた。

「美紀ちゃん?」

「ん?」

「美紀ちゃんって、彼氏いないんだよね?」

 アップテンポな店内BGMに乗った、るいらしいぶっちゃけた質問に美紀は苦笑い。

「お前、もうちょっとこう、オブラートに包んだりできないのかよ」

 優菜も美紀と同感だったらしい。というか、美紀よりもるいとの付き合いが断然長いはずなのに、慣れることはないようだ。

「なんでそう思うん?」

「ん、なんかさ――」

 るいはグレープスルーツスカッシュを吸うのを止めて答えた。

「ちょっと大人っぽくなったな、と思ってさ」

「ほんまに? 初めて言われたわ、うち。ありがと」

 そう言って美紀はチョコパフェに取り掛かる。半ば照れ隠しを混ぜながら。

「……実はな、いるんよ。付きおうてる人」

 パフェの中を見つめながらの告白に、友人2人はどよめいた。

「あれ? もしかして、このあいだのダブルデートの人?」

「たしか、次の日にごめんなさいした、って言ってなかった?」

「ん、その人その人」とスプーンを止めて、美紀は説明した。

「でもな、どうしてもうちと付き合いたいちゅうてきよったさかい、『うち、隼人君のことが好きやってん。それでもええの?』って聞いたらな、それでもって言うから、ちょっと付き合ってみようかな、と」

「……なんつーか、微妙にのろけられてるような」

「なんか初々しいじゃん! そっかそっか」

「ありがと。ま、いつまで続くかわからへんけど、それなりにがんばってみるわ」

 美紀の照れながらのコメント返しに、2人とも笑って、そのまま黙って。

 分かってる。3人とも、触れたくない共通の話題があるのだ。だが、話題が自然とそちらに向かってしまう。

「あいつ……」

「ん?」

 物問いたげなるいの顔を見て、優菜は憂鬱そうに続けた。

「どこまで暴れる気なんだろうな」

「ああ、狐のこと?」

 と美紀が受ける。バルディオール・レーヌは秘匿名称が『狐』と決定されていた。通常『雪』や『雨』など自然災害で表現される秘匿名称が動物となるのは珍しく、この事態の特異さを表しているように美紀には思える。

「どこまでも何も、ここ数日出てこないから分からへんね」

「またうちに来るのかなぁ、あいつ」

 るいがだらけて、ストローを加えたままソファからだらしなくずり落ちそうな姿勢でつぶやく。

「あの壁、厄介だよな。隼人の大きめの攻撃でも破壊しかできないもんな」

 優菜の憂鬱そうな顔を、美紀は久しぶりに見る気がする。るいが一時離脱した時よりも、その影は濃い。やはり、仲間の戦死が堪えているのだろうか。

(それでもこうして話ができるだけ、祐希ちゃんよりはましかな)

「るいちゃん」と美紀はだらけ女に話題を振った。

「なんか策、ないの?」

「ないないなーい」とだらけきった声が、客のまばらなファミレス内に消えてゆく。

「……ムカつく」

「美紀ちゃん、殺しちゃダメ、ゼッタイ」

 知らず剣呑な顔になっていたのだろう、優菜が美紀の手を押さえていた。

「隼人君がいないとなーんにも思いつかなーい」

「「なんでやねん」」と真紀の代役を優菜がしてくれたが、天邪鬼には見事に通じない。

「というわけで、レッツ! ホットライン!」

 ホットラインて、ただ携帯かけてるだけやんか。優菜と美紀は現実を教えてやることにした。

「かけても出ないぞ、隼人」

「理佐ちゃんとデート中やし」

「ぬー……」

 店内を流れる有線は、いつ流行ったのか思い出せないバラードに変わった。

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