表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紺青のユリⅢ  作者: Josh Surface
妻女編 西暦37年 22歳
4/108

第一章「郷愁の念」第四話

「くっそ!共和政主義のジジイ共め!」


兄カリグラは荒れていた。

まるで真夜中の山脈に吹き荒れる豪雨のように、予測不可能な嵐の如く、周りにその憤りをあたり散らしていた。


「ガイウス様、どうかお怒りをお鎮めください」

「冗談じゃない!これが奴らのやり方というならば、ローマ国家は機能しないも等しい!何故だ!?なぜ市民が望む娯楽一つを提供したいだけなのに、あそこまで予が反論されなければならない?」

「ローマとはいえ、元老院議員には共和政を死守してきた礎がありますので、彼らも必至なのでしょう。彼らにしてみれば、先帝統治時代に厳しく監視されていた諸外国との癒着が、今回、ガイウス様が帝位を継承したことで緩和され始めている時期として読んでいるのでしょう」

「くっそ!俺を馬鹿にしているのか!?」


兄は飲みかけの葡萄酒のグラスを壁に投げつけた。まるで兄の怒りを象徴するかのように、激しい音と共にグラスは粉々になって割れる。


「ヘロデ!ヘロデ・アグリッパはいるか!?」

「はい、ガイウス様。こちらに」

「俺は奴らをどうしても許せん!なんとか一矢を報いたい。何か良い策はないか?」


ヘロデ・アグリッパ一世は、ローマに敵対するユダヤのハスモン朝の血を引いており、彼の祖父は、ハスモン朝滅亡後にユダヤ地区を統治し、多くの身内を虐殺したあの悪名高きヘロデ大王であった。彼が三歳の頃、父親がハスモン朝の血を引いていたという理由だけでヘロデ大王に処刑される。しかし、息子であったアグリッパ一世は処刑を免れ、大王から直々に、ローマの富裕層へ人質として送られた。ローマの指導層と友好関係を築くことで、自らの政権の基盤を固めるヘロデ大王の思惑があったからである。その後、私達の祖父軍神アグリッパ様の庇護を受け、名前をローマ人らしくマルクス・ユリウス・アグリッパと変え、祖母アントニア様やティベリウスの庇護の下、ローマで育っていったのである。慎み深いヘロデは、自分の立場を弁えながら兄カリグラに近寄った。


「恐れながらガイウス様、敵勢の望む形で一矢を報いるのは如何でしょうか?」

「何?」

「ユダヤの不動産投機で利潤を得ようとしている、彼らの目論みは明白であるわけですし、それらを容認するよう誘導しつつ罠に誘いこむのです」


兄カリグラは顎に手を添え、黙ったまま聡明なヘロデの提案に耳を傾けていた。


「ある意味彼らは、ガイウス様の政治的手腕を蔑視しているのです。しかしガイウス様は、先帝ティベリウス様とは違って世界各国から望まれて帝位を継承された御方。それでも元老院の反対勢力が、あえて諸外国との共存関係強化を望むというのであれば、それこそ、ローマ精神に準ずるガイウス様の強固な手腕を披露できる絶好の機会かと」

「それならばヘロデ、具体的な政策は考えているのだろうな?」

「もちろんです。先ずは手始めにヨルダン地方の掌握から始めるのはいかがでしょうか?」

「なるほど、それは面白いな」


確かに兄カリグラはプライドが高く、そして激情に駆られる事は多々あった。先帝達のように忍耐強く、巧妙に策を練るようなタイプではない。しかし、そんな兄でも決断するまでは、決して側近の話に耳を傾けないタイプではない。興味のある事であれば、その場に応じて柔軟に主張を変え、最善の方法を吟味した上で元老院に挑む。議会を懐柔する技には長けている理由には、そういった側面があるのも確かなのである。今回の兄は、元老院の敵勢に一矢を報いる為、参謀でもあるヘロデの助言に従ったのである。


「ローマの元老院諸君達よ!このガイウス・ユリウス・カエサル・ゲルマニクスは、今後の国家において、最も重要な諸外国並びに属州国との共存関係に関して、本日、諸君ら元老院議員と討議を重ねたい!」


議事堂では反対勢力である長老層の議員達がどよめいた。あれほど剣闘士グラディアトル闘技会の開催を熱望していた兄カリグラが、百八十度転換して、自分達の提案していた討議を希望するなどと考えてもいなかったのだ。


「諸君も存じているように、ローマによるユダヤ属州に対する政策は、混迷を極めているといっても過言ではない。また属州国や諸外国におけるユダヤの民の権勢は、日に日にその力を増しているばかりである。先帝統治以前から、混迷し続けるユダヤ属州国の統治問題について、鋭利に加工した黒曜石で切り込むように、予は、真正面からこの問題に取り組みたいと思っている」


まるで別人のように、その卓越した演技力でその場にいる長老層の意識を自分へと向けさせた。当然長老層の中でも、ユダヤの富裕層と癒着を深めて不動産投機に関わる人間と、一方で、不正に利潤を得ているローマ人を許さないとする人間もいた。


「素晴らしきガイウス様の御提案、私は全てにおいて大歓迎でございます。先帝ティベリウス様統治時代、不正に利潤を得ているローマ人の数は膨大でありました。ユリウス様の制定された法律の抜け道を探る輩共は、正にヴェリタスのかけらも無い、ローマ人として問うに落ちず語るに落ちると言わざるを得ない!」

「な、何を根拠にそのような発言を成されている!?そもそも先帝統治時代には、そのような不正すら発覚されなかった要因は、摘発を行うべきセイヤヌス自身が、ユダヤの総督ピラトゥスと裏で手を組んで癒着を行っていた事実があるではないか!」

「じゃが!火の無い所には煙は立たないもの!ローマ人が高金利で土地を貸付している事実や、それに伴うユダヤの富裕層との不正な癒着こそ、現時点でもガイウス様仰るように、ローマにとって目の上のたんこぶとも言われてきたユダヤ属州国の統治問題の進展を遅らせている要因と言っても過言ではない!」


正にヘロデの助言によって兄カリグラが切り込んだ問題は、対ユリウス家として共闘していた反対勢力の同胞同士を争わせるに充分であった。対抗勢力内部で敵を作り出すことによって、状況を有利にさせる事もあるのだ。機が熟した所で、兄カリグラは間髪入れず、ある事を提案した。


「諸君らの白熱した議論に水を差すつもりはないが、すくなくともユダヤの統治問題においては、これ以上の不毛な討議を重ねる事は得策ではない。むしろ現実を見据えた上で、改善策を取ることの方が好ましいであろう」

「しかしガイウス様、ご存じの通りユダヤの民は一種独特な宗教観を持っております。そう簡単に、新しいローマの法律を受け入れるような事はしないでしょう」

「誰が新しい法律と言ったんだ?ローマ人にはローマ人を、ユダヤ人にはユダヤ人を。頭を挿げ替えるだけで事足りる。先ずは、ヨルダンにおいて委任統治権を持つフィリポスの不信任案の決議を提案したい」


再び議事堂内はどよめいた。

唐突でありながらも現実的なカリグラの提案には、今までのようなお飾りだけでは評価しえない、説得力が伴ってる政治的手腕であったからだ。それと同時に、ユダヤ総督であったピラトゥス総督の解任と本国への送還以降、フィリポスを介してユダヤの富裕層と癒着を深めていた元老院議員達にとって、痛恨の一撃とも言える提案であった。これにより、不信任案を回避すべく躍起になる議員達と、是が非でも不信任案を確定させたい議員達によって、敵勢であった共和政支持派は真っ向から対立。長時間の討議の末、擁立候補者の選定へと議論が進んでいく。


「では、不信任案を提案されたガイウス元首にお伺いしたい。仮に元老院においてフィリポスの不信任案が可決された場合、擁立すべき候補者は既に考えられておられるのでしょうか?」

「当然だ。ローマ国家における全ての政策は、適材適所こそ正しいあるべき姿と考えている。先ほども述べた様に、ローマ人にはローマ人を、ユダヤ人にはユダヤ人を。これこそが、双方が納得できる解決策であろう」

「といいますと?ヨルダンにはユダヤ人の後任者を?」

「そして、ローマ人にはローマ人をである。すなわち、予が擁立する後任者は、ヘロデ大王の孫であるマルクス・ユリウス・アグリッパである!」


議事堂内には、今まで以上の動揺が広がったが、しかし大半の議員達はこれに賛同して拍手でこたえた。ユダヤの血を受け継ぐヘロデは、幼少期をローマで過ごしている。ローマとユダヤの仲介役としては、これ以上の選任は無いからだ。


「お待ち下さい!ガイウス様。ヘロデ・アグリッパは先帝ティベリウス陛下の死を熱望したとして、投獄されていた人物ではありませんか!そんな者が、まともにヨルダン委任統治権の行使ができるとお思いなのでしょうか?」

「それでは貴様に問いたい。現時点において、ヘロデの伯父でもあるフィリポスが、継続してヨルダンを統治できると考えられるか?もしできると応えるのならば、彼の適正を調査すべく、癒着や不正を白日のもとへ晒す必要があるだろう」

「!?」

「ここにいる元老院諸君らが、まさかフィリポスと共にそのような、ローマ人らしからぬ行為に手を染めているとは考えにくい。だが、もしそれが事実となれば、予も先帝統治時代と同じように、全ての権利を行使して、ローマ人の不正に対しては厳しく罰するつもりである!」


すなわち、兄カリグラがちらつかせた鞭と餌は、ヨルダン委任統治の後任者をヘロデとして不信任案の可決を引き換えに、ローマ人による今までの不正の事実は水に流すというものであったのだ。これには、反対勢力の議員達も従うしかなかった。それと同時に、兄の抑止力的な鋭い政治手腕は、ローマ人の不正に対して、一切の妥協をしない議員達をも虜にしたのである。


「どうやら、我々の判断は間違っていなかったようだ」

「御乱心から数日、見違えるような手腕を見せつけるとは」

「これには我々長老層も、感心ばかりしているわけにはなりませんな」

「少なくとも、ユリウスのお飾り元首ではなさそうですからな」


こうしてヘロデ・アグリッパは、この年、見事にローマから委任統治権を受諾しヨルダンの統治を任されることとなった。その際に、兄カリグラは御茶目な記念品をヘロデに贈ったという。


「ありがとうございます、ガイウス様」

「いいから、とにかく開けてみろ」

「何でございましょうか」


それは、ヘロデがローマで投獄されていた際、手首につけていた鉄の鎖と同じ重みの黄金の鎖であった。


「なんと!?ガイウス様!」

「ヘロデ、これからの俺達の繋がりは、正に、この黄金の鎖と等しい」

「これはまた、粋なお計らい。心より感謝致します」

「実はな、こんなお茶目な事を考えたのは俺ではない。他でも無い、こいつなんだ」


カリグラの差した指先には、あの陽気な笑顔を浮かべる人物がいた。


「あはははは、どーも」

「アエミリウス様!あなたでしたか!」

「ガイウス様は、首都ローマを離れる貴方に、良い関係であることを思い出して欲しいとの事でしたので」

「アエミリウス様のユーモアには脱帽しました。さっそくエルサレムに戻り次第、祖父が建築した神殿の捧げ物としましょう」


だが、この時の兄カリグラは全く気が付いていなかった。このアエミリウスこそ、心の奥底からユリウス家の崩壊を望む人間であることを......。


続く


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ