華麗なる回転
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ううむ。ナメクジってネバネバしないのかな?塩を振ったナメクジの残骸は床に貼り付いて地味に剥がすの面倒だった記憶がある。しかし、実際に触った事なんか無い。貼り付いたナメクジの残骸って云うか死骸だって、分厚いティッシュ越しだったから面倒だったのかも知れない。せめてカタツムリを触った事でもあれば、少しは想像し易いんだろうけど、カタツムリも無いんだよね。ぶっちゃけ、わたしは小さなイキモノ嫌いだったんだよねえ。虫も魚介類も両生類も。ついでに哺乳類も。とか云うと『え?』と非人道的な発言をしたかの様に見られるだろうから云わなかったけど………だって犬や猫も煩いし咬んだり引っ掻いたり庭荒らしたりするじゃない。嫌いだわ。小さい子供も理屈が通じないから嫌いだわ。すぐに汚すし煩いし暴れるから嫌いだわ。でも別に児童虐待は当たり前だけどしてないし、動物虐待だってしてた訳ではない。何で嫌いってだけで人格を疑われなけりゃならないのよ。理不尽だわ。とか思わないでは無かった。明言したこと無いから実際にそんな視線を向けられ
た事も無いのだけど、何か子供を含めて小さいイキモノが嫌いって思うたびに、ちょっとした疚しさを感じて、更に嫌いになると云う悪循環があった様に思う。しかし私もそんな事を云う人が居たら、多分その人に仲間意識を持つよりも、その人の人格を疑うだろうとも思った。だから仕方ないよね。って事で、絶対に口に出して告げた事は無かった。それはもう徹底して、よっぽど親しい相手にさえ例外は作らなかったからね。って、そんなところが、私のヨロシクないとこなんだろうけど………だからって私の性格は特に悪く無かったと思うんだよ。気の所為かも知れないけど。自分が可愛いのは当たり前だもんな。
そんな私なので、ネバネバだろうがフワフワだろうが、小さなイキモノなんかに触った記憶が有ろう筈が無いのだ。しかし、多分こんな現象は何か違う。
わたしは差し出された人差し指に、ヨイショと体を伸ばして乗り込む。泣きたくなる程にスローモーな動きしか出来ないため、実際には移動すると云うよりはしがみつくって感じかな。
上体を乗せるとミチリと張り付く。そのまま上げられた指にヨチヨチと蠢くが、目指す手のひらだったり手の甲だったりには遅々として辿り着く事は無い。ナメクジって吸盤……あるのかな。いや、自分の身体だけど、吸盤が実際にあるかどうかは吸着してるから見えないし、知らない。知らないけど、吸盤っぽくね?地味に疑問は尽きない。
大抵の場合、まだ指先に残ったまま、目的地に下ろされた。くそう、今回は第二間接にも届かなかった。等と、意味の無い悔しさを感じつつ、鏡の前に下ろされる。
つうか鏡の縁?桟?
今のわたしには充分な空間だけどもさ。ヨチヨチと蠢きつつ、なんとも云えない感慨をいだく。地味にストレスを感じるのだ。
そりゃ以前の私はそんなにスピードに溢れていた訳では無かった。優秀では無かったが特に鈍くも無く、運動神経も反射速度もごくごく普通だった。
人間の動きは、現在のわたしにしてみれば極めてスピーディーと云える筈だ。しかし、視界に映す限りでは、その動きを追うのに苦労は無い。飽くまでも、身体的に追えないだけで、見るぶんには、特に以前と違う感じもしない。いや、まあ。大きさの問題は、もはや違和感しか与えないけれども。うん。寧ろ、以前の私よりも、ハッキリと「見える」気がする。
なんとなく、イメージとしては、なんだけど。
例えば速く動く豹などの動物と、スローモーな動きをする芋虫やカタツムリ等を比べれば、その目に映る世界は、違うモノだと思っていた。あ、レンズの違いで見える映像の違いでは無くてね。
何て云うのかな。それは動物や虫等の種族の差異以前に、身体が覚えたスピードによって、世界は遅くも速くもなるように思えたのだ。
実際に、ナメクジになってみれば。
自分の遅さにこそ苛立つが、特に視界に変化は無かった。大きさは仕方ないとして…って云うか、自分が小さいから違和感があるだけで、同じ大きさだったら然して変化が無いとも云えるよね。でも大きくなりたいかと云えば、それは絶対に無い。人間と同じ大きさのナメクジなんぞ、どんな化け物かって話だ。
焼き殺されちゃうよ。
でも、なあ。苛々しちゃうんだよね。ナメクジにしてみれば、これは当たり前の鈍い動きで、つまりナメクジである私は、苛立つ理由なんか無い。筈。なのだけれど、事実苛立つ。何たって見える分には変わらない、いや寧ろ速い動きは「見えなかった」モノも「見える」。飼い主がキャイキャイし乍ら観てるフィギュアスケートの回転も、スローで見なくてもハッキリ細部まで見えるし、回転数もわかる。
飼い主のパパさんが観戦する野球のボールも、その回転する様子さえ「見える」んだから………絶体、理屈で云えば、少なくとも持論で云えば、わたしはもっとずっとスピーディーに動けなければイケないのだ。
なあんて。
別に持論がどうとかなんて、本気で主張してた訳ですら無いんだけどさ。ただ単に、スローモーションな自分自身の動きが、時々やたらと気に障るだけだ。
いや、まあ。大抵は飼い主やら飼い主が学校行ってる間は結構ママさんが運んでくれてるし、何だかんだ順応しちゃって喰っちゃ寝生活満喫してるけどね。
それとこれとは別って云うかさ。
たまに。不意に。突然に。
イラァッてなるのよね。
ほら、だって、昔の私は、ナメクジじゃ無かったから。
わたしが、本当にナメクジかどうかは、この際考えない事にして、ナメクジでは無いにしろ、こんなスローモーションな生活に耐えられる訳が無かろう。………満喫してるけど。
でもでもイラっとはするのです。ホントに切実なのですよ。その時は………。
視界は良好。しかして身体は動かない。何でや。
持論が否定された事なんかどうでも良い。わたしはもっと自由に動いてみたいのだ!
ナメクジ生活半年目にして、わたしの精神が不満を訴えた。
ちょっとこの辺りもスローモーかも知れない。
って、あれ?
おや?
わたしはクリンと背後を振り返った。気の所為では無かった。
銀色の道程が、明確にわたしの移動距離を教えた。
そう。わたしは一瞬にして移動を果たしたのだ。
感動である。
スバラシイ。ヒューヒューわたしカッコいい!?
何故か疑問系で心で叫んだわたしだった。
飼い主が、目を丸くしてわたしを見下ろしていた。
「ナメちゃんスッゴーい。」
ふ。中々わかっているでは無いか。
わたしに手があって髪があれば、カッコつけに書き上げてフッとかワラってみちゃうところだよ。
そうだよね。スゴいよね?だって推定ナメクジのわたしが、一瞬にして移動したんだよ?
その距離、およそ十センチ。
普段のわたしならば、辿り着く前に諦めている距離である。
どうやって移動したか?
解説してしんぜよう。
わたしは苛立ちのまま駄々を捏ねる子供に立ち返り、コロンと身体を横倒しにしたのです。で、そのまま仰向けになったのですよ。クルンと回転するわたしは、何とはなしに常より素早かった。そりゃあそうだ。何故なら、単に重力やら何やらの自然な推進力に任せていたからね。
そうだよ。上体だけなら結構速く動けるんだよ。
駄々っ子を演じようと仰向けになったワタシだが、仰向けになった時点でひとつの可能性に気付いていた。そのまま推進力に任せて、コロコロと、それはもう華麗に回転したのさ。
見たか!これぞ先人の知恵!わたしはただのナメクジでは無いのだ!
ああ。まあ、ナメクジじゃあ、無いんだろうけどさ。でも、ナメクジな外見だし、ナメクジじゃないならナニさって話だから突っ込みは不要です。
ナメクジ生活半年目。
ナメちゃんは回転する事をオボエタ!
だから何って話ではある。
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