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レーテの川の水  作者: 鮎川 了
λήθη
9/26

―記―





 「病室に知らないおじさんが居たら、誰だってびっくりするわよねえ」


 小さい子をなだめるように看護師がそう云ったが、自分でもあの驚き方は異常だと思う。

 幸い、息は正常になったし話しも出来る。 

 

 「過呼吸を起こしたんだ」と藪崎先生は云った。


 雨はいつの間にかあがっていて、窓にはオレンジ色の雲が浮かんでいた。もう、夕方なのか。何もしない、何も出来ない、ただ一日を消化する毎日に嫌気がさして来たと云うのは勿論ある。


 「先生」


 眼鏡の中の目が、私を見る。 


 「私、思い出したんです」


 そう、思い出してしまった。レーテの川の水の効果は消えてしまった。


 「そうか……」


 笑いながらも悲しい顔をするのは何故だろう?


 やはり、私の忘れていた“記憶”は藪崎先生の知りたかった“記憶”と同じなのだろう。



――――――――――


 その日、帰宅した私は、玄関から居間に向けての廊下にペコが寝ているのを見た。


 なんであんな所に?

 たとえ寝ていても私が帰るなり出迎えてくれる筈なのに、ぴくりとも動かない。


 きっと疲れているんだろう。何故、私はその時そう思ってしまったのだろう?


 ペコの事を誰よりも知っている筈なのに。熟睡していても、私が学校から帰って来た時は気配を感じただけで飛び起きて、兎のように跳ね回るのに。


 何か厭な匂いがして来る。

 

 居間の明かりは点いているのに家族の話声はしなかった。

 代わりに妙な物音がする。何かを打ち付けるような、柔らかい物を叩いているような。


 いつもと違う家の様子。なのに私はいつも通り、何の躊躇ためらいいもなく、居間に入ってしまったのだ。





 其処で最初に目に入ったのが、テレビの前に座る弟。ゲームのコントローラーを握っているのに、何故かテレビ画面は真っ黒だった。


 次に、ソファで寝そべる母を見た。珍しい、母がこんなに寛いでいるなんて。


 父は居間の入り口のすぐ横に居た。そして私は初めてあの厭な匂いと妙な音の正体に気付いた。


 段通の絨毯が敷いてある床に倒れている父に“何者か”が馬乗りになり、執拗に刃物を刺していた。血塗れでもうその刃物が包丁なのかナイフなのかも識別出来ない程だった。


 父は既に絶命しているのだろう。もう、腹部が抉られたように血に濡れてずたずたに成った中の肉を、臓器を、露にしている。 


 それでもまだ、その“何者か”は父を刺すことを止めない。


 ふと、母と弟を見ると、母は胸から、弟は首から、血を流しているのに気付いた。


 ……皆死んでる……


 茫然と立ち尽くしていると、父を一心不乱に刺している“何者か”が私に気付いた。

 

 あまりの恐ろしさに、声も出ない。動けない。


 私の鼻先まで迫ったその顔は、憎悪に歪んでいた。


 やっとの思いでそいつを突き飛ばし、玄関へ向かって走った、途中ペコを踏みつけてしまい、その時初めて、ペコが死んでいる事に気付いた。


 でも、今は悲しんでいる暇は無かった。


 ドアノブに手をかけ、そのまま靴も履かずに家の外へ。


 “奴”が追って来る。


 返り血を浴びて真っ赤な“奴”が。


 私は近所のコンビニに飛び込んで助けを求めた。



――――――――――





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