―夢―
◇
足元を何かがくすぐる。
真綿のような感触、ああ、これは覚えている。ペコだ。
私はペコと散歩に来ているのだ。
リードを忘れたようだけど、ペコはお利口さんだから私から離れたりしない。
それに、ほら。
車なんて一台も走っていないし、人だって居ない。大丈夫。
野の花に縁取られた舗装されていない道、どこだろうここは、こんな良い所が在ったなんて。
でも、何だろう?酷く喉が乾いた。暑い訳でもないのに。
ペコが真っ白い体で兎みたいに飛び跳ねながら私を呼ぶ。
なあに?ペコ。そっちに何か有るの?
水の音がする。綺麗な小川。
手を伸ばしてその流れに浸けると、冷たく清い感触がする。
喉が乾いた。
こんなに綺麗な川の水なら飲めるだろう。
その液体化した水晶のような水を両手に掬い、口元へ運んだ時だった。
「駄目だよ」
見ると、川の辺りに父が居た。
「駄目だよ、明日香、それはレーテの川じゃないよ、折角忘れてた事を思い出してしまう」
掬い上げた水は指の間からはらはらと溢れて元の流れに戻ってゆく。
「お父さん、思い出したら駄目なの?何故?」
私の足元には冷たい水が流れる。こんなに喉が渇いているのに飲んではいけないなんて。
「忘れてしまった方が幸せな事だってあるんだ。だから明日香、お前はレーテの川の水を飲んだんだろう?」
その言葉には厳しさが有るのに、父は笑っている。
ペコも相変わらず嬉しそうに飛び跳ねている。
ああ……
これはきっと夢なんだろう。
だって、父もペコも、もう……
目覚めた時、私は泣いていた。幸せな夢は時に残酷な刃を向ける事を知った。