―誤―
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その人は、自分の見ている光景の意味が理解出来ないと云った表情をして私と目が合っても身動ぎひとつしない。
一体、今更何をしに来たと云うのだろう?あれほど、私が辛い目に遭っている事を話しても助けに来ようともしなかったくせに。
「明日香ちゃん」
凍った表情のまま、やっとの思いで口を開くが、その声は凍りついていた。
「どうしても、誤解を解きたくて……来たんだ」
恐い男の存在を知っていて、それでも家に上がり込んで来たと云う事は本気でそう思っていたのかもしれない。
この状況を見て逃げ出さないどころか悲鳴ひとつ上げないのは、本当に私の事を愛してくれているのかもしれない。
「幸治さん……」
少しだけ、少しだけ嬉しくなった。
もう、何の反応もしない男の冷えゆく身体から立ち上がり、彼の元へ。
彼ならこの血を拭ってくれるかもしれない。
優しく抱き締めてくれるかもしれない。
しかし、私が歩み寄ると彼の目は恐怖の表情を浮かべた。
凍り付く眼に私の姿が映る。裸で血塗れの。
ああ、彼が逃げないのは余りの恐怖で脚がすくんで居るだけなのだ。
突然、彼は奇声を上げ、身体の向きを変えた。それは全ての関節が錆びて軋んでいるようなぎこちない動き。
そして、走りだそうとしたその時、またあの音がした。ペコの首の骨が折れる音。彼はこともあろうにペコを踏みつけ、足を取られて倒れたのだ。
ペコの身体が妙な方向に捻曲がる。
可哀想に、ペコ。また骨を折られて。
倒れたまま、なかなか立ち上がれないでいる幸治さんに包丁の柄を握らせた。
「さようなら幸治さん」




