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レーテの川の水  作者: 鮎川 了
Μνημοσύνη
22/26

―殺―





 偽物の弟は相変わらずゲームに釘付けだったし、母はその画面を漫然とした目で見ている。


 あの男は、居間の絨毯の上で大きな口を開けて寝ている。


 私が、こんな格好で側に行っても、本人はもとよりあとの二人も何も反応しない。 


 勇気?そんな物は要らない。


 切れ味が身上のドイツ製の包丁は、ここが自分のさやだと云わんばかりに男の腹に飛び込んでいったから。


 男が奇妙な声を上げると同時に、私は包丁を引き抜いた。確か何かが身体に刺さった時は抜いてはいけないと教わった事が有るが……敢えてその逆をやった。


 血が、もの凄い勢いで吹き出した。


 成る程、こんな風に出血してあっという間に失血死するから抜いてはいけないのか。


 反撃を恐れていたが、男はおそらくその生涯で一度も味わった事の無い酷い激痛に身を捩り、それどころの騒ぎでは無いようだ。


 後ろを向くと、生意気な“偽物の弟”が、ゲームのコントローラーを握り締めたままこちらを向き、表情を凍り付かせている。その髪を掴んで私は男に


 「見て」と云い、包丁を強く子供の細い首に当て、一気に引き抜いた。


 同時に二人が奇妙な声を出したが、言葉にはなって居ない。


 子供の方は直ぐに絶命した様だが、男はまだ、苦痛に喘いでいる。こいつも首を切ってやった方がいいか、と思ったら、母が動くのが見えた。


 母は電話に手を伸ばし、うわ言のように


 「警察……警察……」と云っている。


 何故?

 母だってこいつらに苦しめられて来たと云うのに。


 「母さん!」 


 私がそう叫ぶと、母びくりと身体を震わせて、電話から手を離した。そして私に向かって


 「人殺し!」と叫ぶ。


 頭の中が真っ暗になった。“人殺し”と云われたからでは無い。


 母は何故、“あいつら”を助けようとしているんだろう?


 母だって、辛い目に逢わされたのに。

 

 私より“こいつら”が大事なんだろうか?


 私があの男に組み敷かれている間も助けようともしてくれなかった。警察を呼ぶとしたらその時だった筈なのに。ペコも死ななくて済んだ筈なのに。


 「母さん……」 


 壊れてしまった。でも、心の何処かに以前の母が残っていると思った私が馬鹿だった。


 「来ないで!人殺し!」


 母のその言葉を聞いた時、反射的に包丁を持った腕を降り下ろした。







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