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レーテの川の水  作者: 鮎川 了
Μνημοσύνη
21/26

―死―





 悲しみが大き過ぎると涙すら出て来ない。

 頭の中で、ペコの首の骨が折れる音が繰り返し響く中、キッチンのシンクの下の扉を開けて包丁を取り出した。 


 これは確か、父が何回目かの結婚記念日に母にプレゼントしたものだ。ドイツ製の高価で有名な物らしく、母はとても喜んでいた。


 

 ―ますますお料理頑張らないとね― 


 その時の、母の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。

 結婚後、何年経っても仲の良い夫婦だ。と、親戚や近所の人から冷やかされる程だった父と母。 


 そんな夫婦になるのが夢だった。

 そんな家庭を作るのが夢だった。



 幸治さんならその夢を叶えてくれると思ったのに。

 たとえ何年かかろうが、その夢を持ち続けていればどんなに辛い事にも堪えられたのに。


 休みの日は一緒に公園に散歩に行こう。


 子供が生まれたら、ペコは焼きもちを妬かないだろうか?


 幸せのシュミレーション。同じ事を何度でも想像しても飽きる事は無かったのに。



 包丁の柄が、暖まる。

 早く、楽になろう。

 


 左の手首の、うっすらと青く浮き出た動脈に、包丁の切っ先を向ける。


  その時、居間の方から恐ろしい程の大きな音がした。例えて云うなら猛獣の咆哮の様な。


 驚いて、心臓が跳ねたが、音の正体はすぐに解った。


 この音は、あの男のいびきだ。いい気なものだ。


 気を取り直してもう一度、包丁を手首に当てた。これを一気に横へ滑らせるだけで楽になれる。


 頭の中ではペコの首の骨が折れる音。そして、その直前の断末魔の鳴き声。


 ふと、その頭の中のフラッシュバックが男のいびきと被った時、云いようの無い怒りが込み上げて来た。


 悲しみでも、絶望でも無い。“怒り”だ。


 何故、私が死なねばならない?

 父亡き後、勝手に家に居座った、どこの馬の骨とも解らないあの男にいいようにされて、ペコまで殺されて、その上何故私まで死なねばならないと云うのだろう?


 死ぬべきは……


 私は裸のまま、包丁を持って居間へ向かった。


 廊下ではペコの死体が私を見上げている。










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