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レーテの川の水  作者: 鮎川 了
λήθη
2/26

―書―





 私の覚えている事、思い出した事を書き出して置くようにとノートを貰った。ごく普通の大学ノートだ。

 担当の医者は藪崎やぶざきと云った。医者なのに藪とは。覚えやすくていいが。


 ノートに“担当・藪崎先生”と記入する。それと……


 私の名前……新城明日香

 私の年齢……十六歳、高校二年生

  

 友達は……居たんだろうか?

 彼氏は……解らない


 こうしてノートに書いてみると、驚く程覚えている事や思い出した事が少なくて途方に暮れた。ほんの数行しか埋まらない。

 それに藪崎先生が云っていた“レーテの川の水”と云う言葉がとても気になる。


 ノートの端にそれを書いて置いた。私の事を教えてくれないのなら、代わりにそれくらいは教えてくれるだろう。


 あまりにも書く事が無さすぎて退屈になり、余白に絵を描いた。犬……マルチーズだ。 


 その絵を何気なく描いて、ふと、何か思い出したような気がした。何故“マルチーズ”なんだろう?チワワでもトイプードルでもゴールデンレトリバーでも無く何故“マルチーズ”?

 絵を描こう。と思った途端私は何も考えずにその絵を描いた。まるでいつもその絵を描いているみたいに。サインか何かのように。



 


 藪崎先生はその絵を見て「モップ?」と云った。私はあまり絵が上手く無いらしい。


 「犬です。マルチーズ」


 「ああ、あの、毛で目が見えない白い小さな犬だね」


 「退屈だから絵でも描こうと思った途端、無意識にその絵を描いて居たんです……すいません、ノートに落書きして」


 藪崎先生は胸ポケットから赤いボールペンを出すと、私の描いたマルチーズの絵を丸で囲んだ。


 何故医者や看護師はあんなに白衣の胸ポケットにペンやら何やら沢山入れているんだろうか?重くないのだろうか?ペンなど一本あれば十分だろうに。藪崎先生に至ってはペンだけでも七本入れていた。


 暇なのでそんな、どうでもいい事に目が行く。


 「好きなの?」


 「えっ?」ペンが?


 「マルチーズ」


 何だ、絵の事か。


 「さあ……でも多分私、犬は好きだったと思います」


 そう、その絵を描いている時、とても楽しい気分になったから。

 そして何故だか、ほんの少しだけ悲しくなったのだけど。


 「レーテの川の水?」

 

 ふと、藪崎先生はノートの端に書いた言葉を読み上げた。


 「昨日先生が云ってて……気になったものだから」


 「ああ」何だか少し表情が強ばっている。


 「それは気にしなくていいよ。私はたまに解り辛い事を云うと周りにも云われているんだ。これは……自分だけに解る医学用語みたいなものだよ」


 医学用語だとしても、気になるじゃないか。

 

 それにしても退屈だ。病室の外には行ってはいけないし、本やテレビを見るのも禁止だ。理由はそれらの物を見て得た情報を自分の本来の記憶とすり替えてしまう恐れがあるから。だそうだ。


 何かを見て、それがきっかけで思い出す事もあるかもしれないのに。

 薬臭い病室の壁や天井ばかり見ても何も思い出せ無い。誰も見舞いにすら来てくれない。

 まあ、来てくれたとしても私はそれが誰なのか判らないだろうが。










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