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レーテの川の水  作者: 鮎川 了
λήθη
14/26

―襞―





 「君は何も気にしなくていい。被害者なんだ。あの人は逆恨みをしているだけだ」


 意識が朦朧とする。左腕の静脈に刺されている点滴には鎮静剤でも入っているのだろうか?そんな物を使わなきゃならない程、過呼吸が酷かったのだろうか?


 「先生、私何だか頭が……」  


 「ゆっくり休むと良い、逆恨みした奴に言い掛かりを付けられて恐かったろうし、それで無くとも急に色々思い出したから混乱しているだろうし」


 そうなのか……

 混乱しているのか私は。

 混乱しているだけなのか私は。


 それを訊いて少し安心し、目覚めたばかりだと云うのにまた眠った。





 祖母が訪ねて来た。

 そう、退院後の私を引き取ると云う母方の祖母だ。

 やっと面会謝絶を解除したらしい。でも他に見舞ってくれる人など居そうにないが。

 

 「明日香、大変だったね」


 久し振りに見る祖母は、少し老けてはいたが元気そうだ。


 「お祖母ちゃん……」


 祖母は目を潤ませながら私の頭を撫でる。

 「もう大丈夫、心配ないよ」と云いながら。


 小さい頃に戻った様だった。祖母の手は魔法の手だ。転んで怪我をしても、誰かに苛められて泣いていても、祖母が撫でてくれると本当に“大丈夫”になる。 


 祖母はそれから、私がもう少しで退院出来ると藪崎先生から訊いた事、和室の一つを私の勉強部屋にしようと思うと云う事を話した。


 さすが、激動の戦後を乗り越えて来たお年寄りと云うのは身内にこんな不幸があったと云うのに毅然としてこれからの事を考えている。


 私もこうなれるだろうか?そんな風に感心しているとふいに、寂しそうな顔でこんな事を云った。


 「お父さんを亡くしたばかりだと云うのに、本当に大変だったね」


 …………え?


 “お父さん”を亡くしたばかり?


 ええ、父は死んだ。あの事件で。


 祖母の言葉は事件前に既に“父は死んで”いて、更にあの悲劇が私と家族にふりかかって来た。と云う様なニュアンスだ。


 だったら、あの、犯人に滅多刺しにされていた父は?


 父はあの時に死んだんじゃ?


 更に祖母は私の混乱に追い打ちを掛けるようにこんな事を云う。


 「あの娘……お前の母さんも何だってあんな男に気を許したのか……」


 “あんな男”? 

 誰の事?


 やっぱり私の記憶には虫食い穴が空いている。


 意識が深い混沌の中に引き摺り込まれそうになりながら、“真実”が脳のひだから染み出て来るのを感じた。 







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