プロット製作2 長編小説のプロット
原稿三十枚の短編でも、三百枚の長編でも、やることに大した代わりはないと認識しています。
起→承→転→結のサイクルをひたすら回すだけです。
イベントが起こる。イベントがピンチを引き起こす。勇気でもって、あるいは知恵でもってピンチを乗り越える。大団円。
古今東西、世の大半の物語はこれが基本でしょうに。
短編はサイクルが一つ、長編の場合は、小さなサイクルが連なり、大きなサイクルがそれを内包しているイメージでしょうか。
起「サラリーマンがコーヒー屋へ行く」
承「コーヒー屋は怪しいと感じる」
転「でも、コーヒーはめちゃめちゃ美味しかった」
結「おかげでサラリーマンは生まれ変わる」
……プロットなんて、この四行で十分かもしれません。
また、私は長編を書こうと思って書いたことはありません。
書いているうちに、延々と物語が広がった結果、当初は原稿三十枚の予定が、百枚を軽く越えてしまう、というミスを繰り返しているだけです。
一人の敵を倒す。一つの問題を倒す。そういうシンプルのプロットにしておけば、短編が長編になってしまうというミスを防ぐことに役に立つかもしれません。
それでも、一つの問題相手に、延々と苦戦したり、問題解決のために修行していて、枚数がすごいことになる可能性は十分にあります。
執筆中には、流れに身を任せるのが私のモットーです。
広がりつつある話を無理矢理押し込めても、いい結果にはならないでしょう。
逆に、ちゃちなプロットを原稿数百枚に希釈しても、退屈なだけです。
書いていて楽しければ、たいていの場合、読んでいても楽しいものでしょうし、完全に執筆中の『感覚』に頼ってしまっていいのではないのでしょうか。
例外があるとすれば、何らかの理由で枚数制限がある場合ですね。
自然に身を任せて書いて、後で泣きながら大鉈振るって軽量化するか……。
あるいは、意図的にプロットの段階で話を小さくまとめるか。
後者の方がコストパフォーマンスがよさそうです。
でも、私なら執筆の勢いを重視します。トップ・ダウン方式(前者)でばりばり書いて、ばっさばっさ切り捨てる方が性に合っています。
それでもって後日、軽量版と完全版の両者をネットに公開します。
あと、私は起承転結ごとに文章量を計測して決める、なんてことも一切やっていません。
完全に気が向くまま、筆を進めています。
じっくり座って書くということをあまりできずに、電車内や職場でちゃっちゃと走り書くという執筆スタイル上、あまり細かい真似はできないのです。
読み返してみて、違和感を感じれば、直すだけです。
以前、某サイトで私の小説がバカ受けしたので、ちょっと文章量やら文章構成だの分析をしたことがありませんでしたが……見事に、何も判明しませんでした。
何か判明したところで、そのパターンを模倣している時点で、創作が不純になりますわな。
パクリは成長に繋がりません。
それが他人の作品であれ、自分の作品であれ。