28日後 ―神経学的に成長を考える―
先日、講演会で面白い話を聞きました。
強引に執筆法と結びつけて考えてみたいと思います。
講演会の演題は、マウスの神経を人為的に成長させて、知力を向上させるために、怪しい薬を脊髄投与しようというプロジェクトについてでした。
その後、マウスを迷路に放り込んで、うろうろするのをビデオで撮影して、知能の向上した兆候を探します。
さあ、この怪しい薬、効果はあるのか!?
結論から言うと、効果はあるようで、こいつを投与されたマウスは迷路を、ご褒美のチーズ求めて、より迅速に突破できるようになるそうな。
怪しい薬の正体は、投与すると、何かと有名な幹細胞を神経組織に分化させる分子のようです。
小説家にとって重要なのは、マウスに薬を投与してから、効果が出るまで二十八日ばかりかかるという事実です。
投与してから、迷路のタイムが短縮するという形で効果が見え始めるのは、最速で二十八日かかるということです。
薬という外的刺激が幹細胞に到達して、分裂して、他の脳のネットワークと連結して、さらにその新しいネットワークを自在に使用して、知力の向上という形で恩恵を得られる……その課程には幾許かの時間的余裕が不可欠です。
要するに、神経系が成長するのには時間がかかります。
筋トレは二日に一度行うのが効果的だと言われています。筋細胞が修復するのに二日かかるからだそうです。
口内炎は三日ぐらいで痛みがなくなり、一週間ぐらいで跡形がなくなるでしょう。
それが、粘膜の上皮が再生するのにかかる時間です。
体の表面である皮膚の傷は、防御力を高めるために角化というプロセスを行うため、もうちょい時間がかかります。
こういった筋や上皮、線組織と比べると、神経は成長に時間のかかる組織なのです。
まあ、マウスとヒトの間には多少、事情が異なる部分があると言えるかもしれません。
最大の違いは、ヒトは自意識を支えることができる程度に複雑な神経ネットワークを初めから持っていることです。
ヒトは、マウスと違い、謎の薬を投与してもらわなくても、自力で学習して、知能を高めることが可能なのです。
これは便利です。
知力を主観的に評価するのは難しいので、記憶力に置き換えて考えてみましょう。
記憶にもいろいろ種類があります。
記憶と聞くとまず、電話番号を聞いて、数秒間覚えておけるような短期メモリーのことを思いつきます。が、この記憶力は執筆には大して役に立ちません。
(この短期メモリーの記憶力も、訓練によって向上することは可能です。一般の人は、七桁までの数字を短期間記憶しておくことができますが、訓練によって二十桁レベルまで記憶できるそうな)
創作家として身につけたい記憶力とは、早起きしたり、ポジティブに考えたり、生産性の高い執筆法をマスターしたりするのに必須である、長期的な記憶スキルでしょう。
新たな行動様式を作り、継続するために体に記憶させる。新たな神経経路を脳内に構築する、そのための記憶力というものが創作には求められます。
継続できない人のことを、ことわざで三日坊主と言います。
今回のマウスの実験から、三日坊主は神経学的に無駄であると考えることができるのです。
何か新しいことを初めても、神経経路が構築されて、効果が出るのは最速で二十八日後です。
二十八日かかることを考えると、三日ではどう考えても不足です。
三日坊主が、三日だけ継続しても、残りの二十五日間、他のデータがどんどん入力されてきて、三日分のデータはノイズだらけになってしまいます。
そんなデータを自分の脳に定着させることは望めないでしょう。
本格的に新たなスキルを身につけたければ、二十八日坊主を目指さなければならないのです。
何を学ぶにしても、一ヶ月は専念する心構えが大切なのですね。