絶対複数作品同時執筆
一本の小説を集中して執筆するべきなのでしょうか?
それとも、複数の小説を少しずつ、同時進行していくべきなのでしょうか?
飽き性の私は、断固として複数作品を同時に書くことにしています。
書き途中の作品を転がしておいて、常に意識し続けています。
そうすることで無意識のうちに、頭が勝手に物語を完結させてくれることを期待するのです。
小説を完結していくには、段階的なひらめき、インスピレーションを期待しなければなりません。
一つの作品のためだけに、インスピレーションを待つというのは、効率が悪すぎます。インスピレーションのための窓口は複数持ちたいのです。
加えて、他の作品を書いている間、寝かしておくと、その作品を客観視できるようになります。他の作品に集中することで、心機一転できるのです。
寝かせることで、過去の自分のミスを修正できて、完成度も高まります。
そして、複数同時執筆の最大の長所は、なんといっても、モチベーションの維持がやりやすいことです。
長大な作品を進めていくのには、労力も時間も要します。
これを、愚直に最初から書いていこうとしても、著者の側がダウンしてしまいます。
執筆的スタミナの関係上、よほどの経験者でない限り、長編をノンストップで書き上げるのは難しいでしょう。
『執筆は苦しいもの』というデータを脳にすりこまないようにも、何か自分にご褒美をあげておかなければなりません。
小説家にとってのご褒美と言えば? ……新しい小説を構想することでしょう。
複数同時執筆の欠点として、一つ一つの作品の完成スピードが落ちるとか、一つの作品が別の作品の影響を受けてしまうとか、慣れるまで難しいとか……まあ、いろいろあります。
どんな執筆法にだって、長所短所はあるので、いかに著者の側が適応するかですね。
私は常に、五つくらいのプロットに注意を払っています。
言葉にするのは難しいのですが、五つのスクリーンを同時に見ているイメージでしょうか。いや、五本の川が流れているのを橋の上から見下ろすイメージですね。
スクリーンは静的すぎます。ストーリーラインというのは一本の流れなのですから。
で、それぞれのプロットを覗きつつ、ひらめいたら手を加えていく。流れを長く、太く、勢いよくしていく。
一つの流れが別の流れに影響を与えることもあります。
ある物語の主人公の勝利が、別の物語では失敗につながる。全く別個の作品が、リンクし始める……。そういうことも起こります。そして、執筆時、私は流れに身を任せる主義なので、リンクが生じたらそれを利用します。
それぞれの物語が相互に補完して、相乗効果を生むことを期待するのです。
社会人にとって、マルチタスクは常識です。
一度に一つの仕事しかできないようでは……残念ながら人の上には立てないでしょう。
執筆でも、『いま、一つの作品が忙しい』を理由に、別の作品を書かないというのはなまけすぎだと感じてしまいます。
とまあ、マルチタスクの素晴らしさを賛美してみました。
一方で、同時に、東洋の思想の根底にある『一つの行動に全身全霊をかける』にも興味をひかれます。
禅からヨガまで、一つの行動に極限まで没入して、集中力を高めることをテーマにあげています。(呼吸、ポーズ、座禅、心の平静etc)
東洋の達人たちが会得したるは、周囲から自分を切り離せるほどの強化された集中力!
そんなものを身につけることができれば、応用力は高そうです。