第65話 七年前‐全ての始まり‐
エウロッパ大陸から見て北東に位置するムルグラント国。そこからさらに北東に向かった場所に位置し、エイジア大陸北部一帯に当たる国、〈スヴェロニア〉。東西に広がる広い国土は八つに分けられており、それぞれ火・水・風・土・雷・木・光・闇を司る神の名を冠しており、それをまとめる〈王国〉があった。
その中で、ナイン・リバーと呼ばれる河と、ラウド・リバーと呼ばれる河の近くにある第二の警備都市〈チェルノボーグ〉。元は一つの国で、名は〈ルマーニャ〉と言った。古来より吸血鬼や不死者の存在が伝えられ、ある者は迫害から逃れるために姿を隠し、またある者は人間を襲った。害の有無は関係なく、そこに住む人々は吸血鬼に関わる者をひどく嫌い、彼らと戦う力を持った吸血鬼始末人でさえ、畏怖の目で見る始末だった。だが、この国のそういった事情は、外はおろか首都であるはずの〈王国〉にも知らされず、内部でひそかに処理されていた。
ある日の夕暮れ時、二人の少年が遊んでいた。白い髪をした少年はクルス、黒い髪の少年はクドラ。二人とも、幼い頃から一緒に遊んだ幼馴染だった。
「明日はお前の誕生日か。プレゼントは何がいい?」
最初にクドラが、クルスに聞いた。
「別に気を使わなくてもいいのに。一緒に祝ってくれさえすれば、それでいいよ」
「欲がないなぁ。まあ、そこがお前のいいところなんだが、な」
そう言われると、クルスはしばらく黙って考えことをしていた。
「どうした?」
「じゃあ・・・・・・欲を出して言うけど・・・・・・俺は―――」
その時、教会の一番上に設置されている鐘が鳴った。この国では、夕暮れ時から吸血鬼や不死者が横行し始めるので、教会の鐘が鳴ったら子供は帰らなければならないと決められていた。
「もう、時間か。じゃあな、クルス。また明日」
「ああ、また明日」
そう言って、二人はそれぞれ帰路についた。明日もいつもと同じ日々があり、それがずっと続くだろうと、二人とも信じて疑わずに。
この時、二人は気付いていなかった。明日、クルスの10歳の誕生日。この日を境に全てが変わり始めるということに。
―※*※―
窓から朝日が差し込む部屋の中、ベッドに寝ている少年が目を覚ました。髪は白く、年は17、8歳ほど。この少年こそ、現在のクルスだった。
「あの時のことを・・・・・・夢で見ることになるとは・・・・・・」
体を起こし、頭を押さえてそう呟く。その顔は、ひどく弱っているように青かった。
「(思えば・・・・・・あの時から全てが始まったんだ。・・・・・・あの時から・・・・・・)」
ふと、隣の棚に置いてある写真立てに目をやる。そこに入れてある写真には、クルスとクドラが写っていた。どちらもまだ幼く、無垢な笑顔をしている。おもむろにクルスはその写真を手に取った。
「(いったい・・・・・・どうして・・・・・・)」
写真を見つめるクルスの脳裏に、あの出来事が蘇る。七年前の、あの出来事が。
―※*※―
クドラの10歳の誕生日から、半月経ったある日のこと。クドラを初め多くの子供たちは、辺りが暗くなり始めるまで遊んでいた。やがて、日が暮れて家に帰る時間を知らせる教会の鐘が鳴る。
「あ~あ。もうちょっと、遊んでいたかったな~」
「仕方ないだろ。夜になったら吸血鬼が暴れだすんだから」
「そういえば、クルスくんってヴァンパイアハンターの訓練を受けてるんだよね?」
一人の少女が聞くと、「ああ」とクドラが答える。
「この前の誕生日に教会の人に素質を認められて、訓練を受けることになったんだって」
「いいなあ、俺もヴァンパイアハンターの力が欲しいよ」
「それは無理よ」と、一緒にいる少女が言う。
「ヴァンパイアハンターに必ずなれるのは、生まれた時に羊膜っていうのに包まれていた人なんだよ。それ以外の人がなるには、物凄い訓練と努力がいるって」
「おっ?だったら、クドラはなれるんじゃないのか?俺の父さんが、お前は羊膜に包まれて生まれたって言ってたから・・・・・・」
少年がそう言った時、クドラは苦しそうな顔をして胸を押さえていた。
「どうしたんだ?クドラ」
「具合でも悪いの?」
クドラはよろめくと、「そうみたいだ」と呟いた。
「だったらもう帰ろうぜ。どの道もう帰らなければいけないし」
「うん」
子供たちが頷いたその時、辺りに生暖かい風が吹く。不安そうに周りを見渡した次の瞬間、空から巨大な黒い塊が落ちてきた。子供たちが何かと思ってそれに目をやると、それは全身を黒い体毛で包まれ、鳥の翼のような腕の先に手を持った巨大な怪物。大きく咆哮を上げると、口の中にある鋭い牙が見え、子供たちを恐怖で包み込んだ。
「う・・・・・・うわ~!!」
「ば・・・・・・化け物だ!」
すぐさま子供たちは、散り散りになって周りにある物陰に隠れた。怪物はゆっくりと頭を左右に振り、巨大な足で歩き出す。少年二人が恐る恐る顔を出すと、怪物が進んでいる先に少女が隠れていることに気づいた。
「―――!!・・・・・・まずい」
歩みを止めた怪物が足元の物陰にうずくまって震えている少女に目をやると、巨大な爪を振りかざす。
「ハッ」
気付いた少女がとっさに避けたが、大きな衝撃が起きて少女が地面に倒れた。
「ああっ!!」
隠れていた少年たちが叫ぶと、すぐさまクドラが駆け出した。
「大丈夫か?」
「う・・・・・・うん・・・・・・あっ、後ろ!」
指差した方向を見ると、怪物の左爪が振り下ろされる所だった。その場にいる全員が息を呑み、誰もがもうダメだと思ったその時、クドラの中で何かが弾けた。気付いたら、怪物に向かって突っ込んでいた。
「無茶だ!!よせ!!」
「うおおおおおおおおおおおっ!!」
誰もが無謀だと思っていたが、クドラはそのまま突っ込んだ。突き出した右腕と怪物の爪がぶつかり合い、その辺りから爆発が起こる。
「・・・・・・あ・・・・・・ああ・・・・・・」
恐怖を浮かべた表情で呟くと、煙が晴れて怪物が姿を現した。だが、クドラの右腕とぶつかった左腕は肘から先がなくなっており、その傷口から黒い液体が滴り落ちている。そして、煙が完全に晴れると少女の側には、クドラが立っていた。だが、その腕は暗い紫色の剛毛に包まれており、さらにそこから同じ色の翼が生えている。本人は、変化が起こった自らの両腕を見て、唖然としていた。
「これは・・・・・・いったい・・・・・・?」
「グルルルルッ・・・・・・」
頭上でした唸り声で我に返る。クドラが見上げると同時に右の爪を振り下ろす怪物。すぐに迎え撃とうとしたが、近くに少女がいることに気付きとっさに彼女を投げ飛ばした。そのため回避が間に合わず、攻撃の直撃を受けてしまう。
「きゃあ!?」
「大丈夫か!?」
飛ばされた少女を、その先にいた少年が抱き起こした時、怪物の右腕が肩まで消し飛んだ。直後、煙の中から飛び出したクドラの腕からは黒い魔力が揺らめき、それを怪物に向かって思いっきり振り下ろした。
「うおおおおおおおおっ!!!」
「ガアッ・・・・・・」
口を大きく開き、牙を突き立てようとしたが、その瞬間、クドラの腕の闇の魔力は大きな刃となって、怪物を頭から両断した。唖然となる子供たちと、目を見張るクドラ。倒れた怪物の体が消滅した後、地面に着地して自分の両腕を見ていた。
「(な・・・・・・なんなんだ・・・・・・これは?)」
敵を倒して唖然となっているクドラを、子供たちは恐怖の眼差しで見ていた。ふと、クドラが子供たちのほうに目を向けると、子供たちは悲鳴を上げて逃げ出した。
「う・・・・・・うわああぁぁ!!」
「た・・・・・・助けて~!!」
「ば・・・・・・化け物だ!!」
口々に叫んで逃げる子供たちを見て、クドラは立ち尽くす。近くの池を覗いて見ると、そこに映っているのは黒い翼を持った化け物の姿だった。
「化け物・・・・・・」
静かにそう呟くと、その場から姿を消した。
―※*※―
それから数分後。町の人から通報を受けたヴァンパイアハンターたちが、教会の中で会議を行なっていた。
「いいか。あれから時間も経っていないから、そう遠くへは行ってないはずだ。見つけ次第、退治しろ」
ハンターたちが頷いた時、教会の扉が開いた。
「誰だ」
ハンターの一人が怒鳴って振り向くと、そこには三人の子供たちがいた。
「君たちか。悪いが、今は会議中で話を聞くこともできない。あのヴァンパイアは必ず退治するから、安心して家に帰るんだ」
「ち・・・・・・違うんです!!」
少女が声を上げると、ハンターたちは次々と首を傾げた。
「お願い、クドラを・・・・・・クドラを助けてあげて」
「あいつ、ヴァンパイアになっちまったけど・・・・・・俺たちを守ってくれたんだ。だから・・・・・・」
子供たちの必死の訴えを聞き、ハンターたちは顔を見合わせた。
「悪いが、それは出来ない」
「なんで!?」と少女は叫んだが、彼女自身すでに理由はわかっていた。
「ヴァンパイアが血を吸うのは、本能によるもの。どれだけ、押さえようとしても、押さえられはしない。・・・・・・だから、例え知人だったとしても、ヴァンパイアである以上、退治するしかないんだ」
昔から、ヴァンパイアは必ず滅ぼさなければならない怪物であり、絶対悪だと教えられてきた子供たちは、黙り込むことしか出来なかった。
「辛いかもしれないが・・・・・・これが現実なんだ。今、理解しなくてもいいけど、いつかは理解してくれ」
そう言うと、他のハンターたちに向かって「行くぞ」と言い、教会を出た。子供たちは、それを見送ることしか出来なかった。
「どうするんだよ。このままじゃ・・・・・・クドラが・・・・・・」
「でも・・・・・・俺たち、どうしたら・・・・・・」
その時、少女は「クルス」と呟いた。
「クルスに頼んで、クドラを匿ってもらおう。そしたら・・・・・・」
「ダメだよ。大人はヴァンパイアハンターのことを、吸血鬼と戦わせる道具としか思っていない。クドラを匿ったことがばれたら、大人たちは絶対、クルスをひどい目に遭わせるに決まってるよ」
すぐにクルスの誕生日のことを思い出す子供たち。この国では、昔から10歳の誕生日に教会で祝福を受ける風習がある。普通は神父から祝福の言葉を受けて終了だが、クルスの場合はその中に、差し出された十字架に触れることが追加されていた。クルスが十字架に触れた途端、彼の体が白い光に包まれた。
「間違いない・・・・・・この少年は、ヴァンパイアハンターとなる子供だ・・・・・・」
それを聞いたクルスの両親は、口では喜んでいたものの、その素振りはどこかでは子を恐れていたようにも見えた。その翌日、クルスはヴァンパイアハンターの組織に連れて行かれ、そこで訓練を受けることになった。
「大人たちは、新しいヴァンパイアハンターが生まれるのを心待ちにしていたように言ってる。でも実際は・・・・・・化け物を見るような目でしか見ていない。戦いの邪魔になるから近づいちゃだめって父ちゃんは言うけど、あれは絶対に恐れている!!」
子供たちがクルスの様子を見に行こうとした時、それを聞いた両親に猛反対をされた時があった。
「今思えば・・・・・・あれって、大人がヴァンパイアハンターになったクルスを、恐れているってことだろ。俺たちを守るためになろうとしてるのに、そんなのってないよ!!クルスは・・・・・・俺たちのために・・・・・・」
子供たちは三人とも、悔しさに手を握り締めていた。
この三人はある意味幸運だった。人の苦しみや葛藤を利用しようとする卑劣な者が、今この場にいなかったのだから・・・・・・
―※*※―
「いたか?」
「いや、こっちにはいない」
「次、向こうだ」
ハンターたちが立ち去った後、建物の上から一羽の大きな黒い鳥が降りてくる。その鳥は少年の姿に変わると、ハンターたちが走っていった通りを見た。その少年は、ハンターたちに追われているクドラだった。
「(俺を探しているのか?無理もないか。俺も今じゃ、ヴァンパイアだ)」
いったい、何を持って自分がヴァンパイアになったと思っているのか疑問だったが、今クドラが追われているのは紛れもない事実。そして彼は、自分が育った町に迷惑をかけたくないと思い、町を出る決意をした。
「(次に会う時は、敵同士なのかな?クルス・・・・・・)」
再び黒い鳥に変身して飛び立つと、突然、目の前に全身が白い鳥が現れた。突然のことで驚くクドラだったが、すぐにその鳥がクルスに変身したものだとわかった。なぜなら、彼と二人きりで遊ぶ時、二人はなぜか使える変身能力を使って、野山を駆け巡っていたのだから。白と黒の鳥はしばらく睨み合っていたが、やがてクドラは目を背けて街の外に飛び立とうとした。
「待てよ、クドラ!」
とっさに呼び止められ、クドラはその場に羽ばたいていた。
「お前・・・・・・クドラだろ!?なんで町を出て行こうとするんだ!?」
「いたぞ!!」
そこに下から声が響く。クルスがそちらに気を取られた隙に、クドラは街の外に向かって滑空した。それに気付いて、クルスが慌てて追いかける。
「見ろ!クルースニクが追いかけているぞ」
「さすがは吸血鬼始末人だ・・・・・・。我々より早く吸血鬼を見つけられる」
「きゅ・・・・・・吸血鬼?」
下にいるハンターの声に戸惑ったクルスは、どういうことか聞くために、思い切り羽ばたいて加速した。
「どういうことなんだ!?お前が吸血鬼って、何かの間違いなんだろ!?」
だが、クドラは何も言わず体を斜めにして急降下し、それに合わせてクルスもとっさに急降下の体勢をとる。下では、あっという間に姿を消した二羽の鳥にうろたえているようだったが、クルスは気にせずクドラの後を追った。急降下の後に風を受けて急上昇。と思ったら、左へのターン。と思ったら、ゆるやかな波線カーブ。まるで空中というハイウェイで展開されるカーチェイスならぬ、バードチェイスだった。
「す・・・・・・すごい・・・・・・」
「あれほどの追跡劇を繰り広げるなんて・・・・・・あいつも素人じゃないな?」
街を囲む城壁に上がって、クルスとクドラの追跡劇を見つめるハンターたち。だが、その中の一人はそれを、不審そうな表情で見ていた。
「(あの動き・・・・・・確かに、素人のものではない・・・・・・だが、相手に決定打を与えようとはしていない・・・・・・あの者はいったい・・・・・・)」
やがて、空中ですれ違うクルスとクドラ。それに合わせてクドラは、クルスに耳打ちをした。
「・・・・・・早く戻れ」
すぐに後ろを振り向くクルスだが、クドラは羽ばたいて少し高い位置に来ると、翼を大きく振ってそこから一気に急降下した。慌ててクルスも追いかけ、両者共にスピードを維持しつつ、今度は地表付近をハイスピードで飛び回る。やがて、木々が近づいて来ると、クドラは思いっきり翼を羽ばたかせ強引に曲がったが、クルスは曲がりきれずに葉が多い茂る木の枝に突っ込んでしまった。
「ああ!?」
思わず人間の姿に戻ったクルスが、枝の中から顔を出した時には、クドラは遠くの空を飛んでいた。
「くそっ・・・・・・クドラ・・・・・・なんで・・・・・・」
そう言ってクルスは、いつまで経っても遠くの空を見つめていた。
―※*※―
「・・・・・・!?・・・・・・」
日が差した野原に生えた木の根元で、それにもたれかかって寝ていた少年が、ハッと目を覚ます。黒い髪をしているその少年は、クドラであることは間違いなかった。クルスと同じように弱ったような表情で、頭を押さえる。
「もう・・・・・・永遠に思い出すことはないと思っていたのだが・・・・・・」
あれから、クルスは数え切れないほどの吸血鬼を退治し、クドラもまた数え切れないほどの街を回り、吸血鬼を退治してきた。その度に、クルスはいつか友を同じように退治するのかと悩み、クドラも同族を殺しているという感情に苦しめられていた。奇跡か偶然か、今まで二人が出会うことは一度もなく、そして今に至る。
「啓示・・・・・・なのか・・・・・・。クルスとの・・・・・・戦いが近いという・・・・・・」
その後、立ち上がって朝日が上る遠くの空を見ると、悟りきったような表情をして、溜め息をついた。