第36話 嵐が過ぎて
闇に包まれ、ほとんど光が入っていない部屋に、アポリュオンが入って来た。椅子に座っている男の前に来ると、膝を折って頭を下げた。
「申し訳ございません。ソウセツさま」
頭を下げるアポリュオンに、ソウセツと呼ばれた男が話しかける。
「君がここまでの失態を犯すなんて、珍しいね」
しかし、その話し方から、あまり怒りは持っていないようだった。
「まあ、これでわかったと思うよ。神々を相手にするのが、人間と比べてどれだけ難しいか」
「しかし、私は人間相手に不覚を取り、多くの兵士を失いました」
「だが、その兵士を形作っているマイナスエネルギーは、ちゃんと回収してきた」
ソウセツの横に立っている、全身に黒いマントを羽織っているデズモルートが口を挟む。
「それを踏まえれば、テュポニウスを失った失態は帳消しになる。で、いかがですか?」
しばらく間をおいた後、ソウセツが口を開く。
「うん、いいよ。それだけのことはできると見込んだから、君に『大佐』の位を与えたのだからね」
それを聞いたアポリュオンは「ありがとうございます」と頭を下げ、部屋を後にした。
―※*※―
「アテナ。無事だったか」と、デュオニソスが話かけてきた。
「デュオニソス!?お前もいたのか?」
オリュンポスの神々と合流したアテナたちは、仲間との再会を果たしていた。するとそこに
「アフロディーテさま~!」
と大勢の女性の声がした。アフロディーテがそちらのほうを向くと、彼女の侍女であるカリテスたちがこちらに向かって来ていた。
「アフロディーテさま、良くぞご無事で・・・・・・」
アフロディーテに、涙を流すアグライアが抱きついた。
「ちょっとアレスさま。アフロディーテさまを危険な目にあわせるようなことだけは、絶対にしないでください!!」
文句を言うエウプロシュネに、「ちょっと待った、悪いのは俺なのかよ!?」とアレスが悲鳴を上げる。
「ヒメロスとピロテスなんか、泣きじゃくっていました」
心配顔のタレイアに、「そうだったの」と呟いた。
「じゃ、早く行って、顔を見せてあげないとね」
カリテスの三人とアフロディーテは、先ほど話に出てきた二人の神の元に急いで向かった。
―※*※―
それからしばらくした後、神酒を飲んで力を回復している神々の所に、翼を持った少女が訪れた。その少女は、ゼウスの使いとしてやってきたハーピーの一人、アエロー。彼女たちはオリュンポス山に棲んでいるから、神々と一緒には避難していなかった。
「では、あの人は・・・・・・ゼウスは無事なのですね?」
心配で仕方ないと言う顔で、ヘラが問いかける。
「無傷・・・・・・と言う訳ではありませんが、今はペルセポネさまが看病をなさって・・・・・・」
その時、話を聞いていた神々の中から、とてつもない殺気が放たれた。それはヘラと、もう一人。
「すぐにオリュンポスに戻るわよ!!」
「私も行きます!あの浮気癖のあるゼウスなら、ペルセポネに手を出しかねない!!」
いきり立つヘラとデメテルに、「しかし、危険では・・・・・・」とアテナが言う。しかし、
「事態は刻一刻を争うのです!!」
女神二人の気迫に押され、ここまで非難していたオリュンポスの神々は、来た道を戻り始めた。着いて間もなく、ヘラとデメテルはゼウスが寝ている部屋に入った。思ったとおり、ゼウスはペルセポネに迫っており、ペルセポネはそれに迷惑そうな顔をしていた。
「い・・・・・・いくらゼウスさまでも、困ります・・・・・・」
「よいではないか、ペルセポネ」
その瞬間、ヘラの怒りがゼウスを直撃し、また滅多に怒りそうもないデメテルの怒りも命中した。ペルセポネを含め、それを見ていた神々は、ただ、呆然として思い知らされた。『女性の怒りは、恐ろしい』と。
―※*※―
「・・・・・・で?」
「で?とは?」
比較的被害が軽く、明日にでも復興が行われる予定のパルティオンで、不機嫌そうなディステリアがクトゥリアに声をかけた。
「なんであの時、俺を止めた?どうして民間人であるクウァルたちに戦わせたんだ?」
「素養があるかどうか見極めるため・・・・・・と言ったら納得できるか?」
「できない」
「だろうな」
まるでわかっていたかのように、クトゥリアは肩をすくめた。
「今回のことでわかったことがある。やはり我々は人手が足りない。奴らの行動に対応するだけでも、最低でも四人は必要だな」
「クウァルをその四人に加えるつもりか?」
「切り出してはみる。決めるのは彼だ」
「だが、彼は一般人だぞ!」
ディステリアの叫び声に、帰りかけていたクウァルとセルスが振り返る。
「ディステリア。誰でも最初から兵士だったり魔術師だったりするわけじゃない。技術や知識は他者から引き継ぐもの。二人にはそれが必要だ」
「二人?まさか・・・・・・」
目を見張ったディステリアはセルスのほうを振り返る。事情が飲み込めない彼女は首を傾げている。
「事情を知ってる俺たちだけで解決できないのか?」
「あれだけ大勢の兵士を見てないのか?あの雑兵の向こうには、アポリュオンと近いレベルの奴がごろごろいるかも知れない。それをたった数人で相手しろと言うのか?」
質問の意味と答え。それは『自殺行為』を指している。人手が足りない、だから素養のある者に持ちかけてみる。その『自殺行為』をせめて生き抜けるレベルにするため。
「だ、だが・・・・・・オリュンポスの神々に頼めば人手くらい」
「そういえば知らなかったな」
自身の声を遮ったクトゥリアの冷たい言葉に、ディステリアは言葉を切る。だがクトゥリアは答えず、背を向ける。
「・・・・・・今日はもう疲れただろう。もう休もう」
―※*※―
海の上に浮かぶ妖精の王国ティル・ナ・ノーグに、一見、海を渡るのに適していそうにない一隻の小船が、普通の船と変わらないスピードで辿り着いた。船に乗っているのは旅人用マントの下に軽い鎧を身に付けた背の高い男性と、幼い少女。
少女のほうはきょとんと周りを見渡していたが、男性のほうはいきり立っていた。陸地に到着するとその船は陸に乗りあがり、そのまま海と変わらないスピードで進んでいく。そして一軒の館の前に止まるや否や男性はすぐさま飛び降り、館のドアを開け放った。
そこには燃える火のような色の髪をしているものの、ゆったりとした青い服を着た女神、ブリジットが立っていた。
「えっ、マナナン・マク・リール!?」
「ケヒトはいるか!?」と、マナナン・マク・リールが物凄い剣幕で聞く。
「えっ!?いったい、どうしたの?」
すると、後ろから「うえ~ん、パパ~、パパ~!!」と、女の子の泣き声がした。思いもかけない状況にブリジットは唖然とした。
「あ・・・・・・あの・・・・・・」
「あいつの対応は、とりあえずおまえに任せる。とにかく今はケヒトを・・・・・・あのバカを探せ!!」
「ば・・・・・・バカ・・・・・・?」
今までになく怒っているマナナン・マク・リールに、ブリジットは戸惑った。
「くぉ~ら~!!ケヒト~!!」
怒鳴り込んで入った医務室には、ケヒトとその息子のキュアンとミアハ、娘のアミッドとエーディンがいた。
「マナナンさま、お帰りになっていたのですか?」
「マナナンさま。ここは医務室ですから、もうちょっとお静かに・・・・・・」
ミアハとエーディンに注意され、「ああ、すまない」とマナナン・マク・リールは謝った。が、
「って、おい、ケヒト!!」
と一端、静かになったものの再び騒がしくなったマナナン・マク・リールは、道具袋から取り出した空の小瓶を突きつけた。
「こいつに〈常若薬〉が入ってたぞ。いったい、どういうことだ!!」
ケヒトが「なんじゃと!?」と叫ぶと、そこへ「失礼します」と、小さな女の子を抱きかかえたブリジットが入って来た。
「あっ、パパ♪」
嬉しそうに手を上げる少女に、ミアハとエーディンは「パパ~!?」と驚く。
「・・・・・・さっき〈常若薬〉がどうとかと言っておったな。では、その子は・・・・・・」
ディアン・ケヒトの問いに、「ああ、そうだよ!」とマナナン・マク・リールが叫ぶ。
「回復薬と思ってこいつに飲ませたのが〈常若薬〉だったんだよ!どうして入れ替わってたんだ!?」
「そ、そうは言われても・・・・・・」
ピリピリした空気が医務室を包み、「ぱ、パパ~・・・・・・」とミリアは怖がっていた。
「あ、あの~・・・・・・お怒りはごもっともなんですけど、この子の前では・・・・・・」
「・・・・・・頼むから、悪ふざけしないでくれ」
「あんたがそれを言える立場なの?」
さっきのかわいらしい態度から一転、ミリアは不満そうに眉を寄せて言い返す。そのやり取りから、ディアン・ケヒトは状況を察した。
「ブリジット・・・・・・悪いが、しばらくその子の相手をしていてくれ」
「わかりました」
マナナン・マク・リールの頼みに、ブリジットはミリアを抱きかかえて医務室を離れた。二人の気配が完全に消えた後、「さて」と再びケヒトに詰め寄った。
「どういうことか説明してもらおうか!なんでポーションが〈常若薬〉になってるんだ!俺たち、神には若さを保つ効果しかないが、人間が飲んだら・・・・・・」
「まあまあ、落ち着いて。すぐに解毒剤を調合するから・・・・・・」
ディアン・ケヒトからそれを聞いたマナナンは「急げよ!!」と怒鳴って、医務室を後にした。
「・・・・・・父さん」と、アミッドが情けない声を出す。
「そのような声を出すな。この機会に中和剤が作れるかも知れん。アミッド、ミアハ、手伝ってくれんか?」
アミッドもミアハも「ええ、まあ」と言って、隣の保管庫で作業に取りかかりだした。
―※*※―
そこから東に数千キロ。エジリア大陸南部に位置する国、ヒンディア。そこにある巨大な霊峰、メール山の頂上にある宮殿。ここは天帝が中心となり、仙界や神界の平和と秩序を守る者たちが勤める場所である。その宮殿の一角を、縁が白い赤色の服を着た、ほぼサルと同じ顔と体をした男が歩いていた。それはかつて、『孫悟空』と名乗り、『三蔵法師』らと共に、天竺へ経典を受け取る旅をした『斉天大聖』。今の名を『闘戦勝仏』と言った。
「いったい・・・・・・なんでお呼び出しなのだろう・・・・・・」
闘戦勝仏が不思議に思いながら通路を歩いていると、目の前の通路を歩いている一団がいた。渾身羅漢、浄壇使者、八部天竜、そして、旃壇功徳仏。全員、かつて大罪を犯し、人間たちの世界に転生して共に旅をした仲間である。
「お師匠さまたちも、天帝さまに呼ばれたのか?」
「『も』と言うことは・・・・・・闘戦勝仏も?」と、浄壇使者が聞く。
「俺たち・・・・・・また何かやってしまったのか?」
「・・・・・・まさか。俺は何も・・・・・・」
不安そうな渾身羅漢に闘戦勝仏が言う。
「どうかな?兄貴は結構、喧嘩っ早いから・・・・・・」
「なんだと!?」
闘戦勝仏が殴りかかろうとした時、「おやめなさい!!」と旃壇功徳仏が言った。
「旃壇功徳仏さま・・・・・・」
かつての三蔵法師の愛馬、八部天竜が不安そうな顔で旃壇功徳仏を見る。
「あの旅で、私たちは様々なことを学びました。お前たちがそれを無駄にするなどと、私は考えていません。あなたたちに、身の覚えはないのでしょう?」
そう言われて、「ええ、まあ・・・・・・」と四人は答えた。
「なら、もっと胸を張りなさい。やましいことがないのなら、堂々としていることです」
そう言われて「はい!」と四人は答えた。だがその後に、「もっとも」と旃壇功徳仏が付け加える。
「―――あなたたちが覚えていないだけだったら、さすがに庇いきれないと言うことを、覚悟しておいてください」
「ちょ・・・・・・私たちを信じているんじゃ、なかったのですか~」
旃壇功徳仏は「もちろん、信じています」と答えて、四人を連れて天帝の間に行った。
―※*※―
天帝の座っている玉座の間では、すでに天帝の前にかけられている簾が上げられていた。旃壇功徳仏たち五人は、天帝の前に来ると床の上に膝を着いた。
「旃壇功徳仏、闘戦勝物、渾身羅漢、浄壇使者、八部天龍。天帝さまのお呼び出しにより、参上いたしました」
旃壇功徳仏の挨拶に「ウム」と天帝が答える。
「諸君、忙しい中、急な呼び出しに答えてくれて、すまないな」
「いえ。しかし、私たちこの五人をお呼びになるとは、いったいどのようなご用件でしょうか?」
渾身羅漢の質問に天帝は再び「ウム」と言うと、側にいる那魄太子が持っている紙を両手でそれを広げた。
「闘戦勝仏、渾身羅漢、浄壇使者、八部天竜、そして旃壇功徳仏。以上五名に、人間界の視察を命じる」
那魄太子の言葉に、五人は「えええっ!?」と声を上げた。
「お言葉ですが、天帝さま。私たちはまた、何か大罪を犯したのでしょうか?」
すぐさま訳を聞こうとする闘戦勝仏に、「いや、そうではない」と天帝が答える。
「これを頼めるのは、お前たちを置いて他にはいない、と考えたのだ」
「・・・・・・と、おっしゃいますと。今、人間たちの世界で、気が乱れていることと何か関係が?」
「さすがは旃壇功徳仏。その通りだ」
そして、天帝は地上の全世界で起きている事態、その裏で暗躍している者、それに対抗している組織〈ブレイティア〉に関する説明をした。しかし、難しい上にスケールが大き過ぎるので、闘戦勝仏も渾身羅漢も浄壇使者も理解しきれず、唯一、旃壇功徳仏のみがついて来ていた。
「つまり・・・・・・我々にその謎の組織を壊滅させてもらいたいと?」
「さすがは旃壇功徳仏だな。ただ、そのような組織が結成された理由も、できれば調べてほしい」
「その謎の組織は、ただの悪鬼魍魎の集まりではないのですか?」
闘戦勝仏の質問に、「よくわからぬ」と那魄太子は難しい顔で答える。
「だが、クトゥリアという男なら、私より詳しく知っている。訪ねてみるといい。それと、これから先もそうだが、地上世界を巡る時は、天竺を目指していた修行時代の名前を名乗るといい」
天帝の提案に、「ははっ!!」と四人は頭を下げた。
「それと、これは私個人の頼みとなるのだが、私の弟分を探してほしい。名はナタクと言う・・・・・・まあ、もし会ったらだが・・・・・・」
「普通この場で頼むことか。それなら、私は天仙聖母碧霞元君の捜索を頼みたい。人間の世界では『玉葉』と名乗っているはずだ」
「ああっ!天帝さまずるいですよ!!」
「ずるくはない。先に頼んだのはそちであろう」
言い争う二人に、「わかりました」と旃壇功徳仏が割り込む。
「―――では、そのお二方の捜索も引き受けましょう」
「「「「「ええっ!?」」」」」と闘戦勝仏たち四人に加え、那魄太子も声を上げる。
「お・・・・・・お師匠さま・・・・・・」
「大丈夫ですよ。もののついででよろしいんですよね?」
無垢な笑顔で聞く旃壇功徳仏に罪悪感を覚えつつ、「うむ」と天帝が答えた。
「・・・・・・頼んだぞ」
しかし、その声は先程と違い、『命令する』というより『お願いする』という感じになっていた。