第30話 アムドゥアド攻防戦(後編)
翌日。オシリスたちの報せで、ジェプト国、特に地下世界クトニアンにある冥界アムドゥアドに非常警戒態勢が取られ、冥界に可能な限り神々が集まった。一方で、手薄になりがちな地上に必要最低限の数だけ残したが、その中には異国から来たこんな奴が。
「ぬぅ~・・・・・・あいつら、ムルグラント国にも喧嘩売ったとか聞いてたけど、まさか本当にここにも攻めてくるとは・・・・・・」
ヘルメスが、ことの次第を伝え、状況しだいでは援軍を送ってもらおうとこの国に来てから一夜が明けていた。
「ふ~、ほんとに大丈夫かな~。親父にアポロン、アルテミスにアテナ、それに・・・・・・」
その時、突然、後ろからした「ヘルメス!?」という声に振り向くと、地下世界から出てきたトトが立っていた。
「なんでお前が!?・・・・・・あっ、そうか。ラグシェ国から来た使者って、お前以外にいないよな」
「まあ、俺は伝令神だからな」
仲間が心配なのを隠し、無理して笑うヘルメス。二つの国の知恵の神は、親しげに話し合った。
「この国の北の海岸線に敵の部隊が展開されているらしいので、援軍を・・・・・・っと、思ったのだが、この状況では・・・・・・」
「おそらく、無理だろうな・・・・・・」と、トトは晴れ渡った空を見上げながら呟く。
「これも、奴らの仕業だろうか」
「そうだろうな」
二人が見上げた空は、まるで何事もないかのように青く澄み渡っていた。
―※*※―
地下世界クトニアンの中にある、とある神殿。その中で、アムドゥアドに来た神々が会議を開いていた。
「アムドゥアド内を重点的に探索していますが、いまだ発見には至っていません」
「奴ら、どこに隠れたというのだ」
「ぬう~・・・・・・」
セルケトの報告とネイトの言葉に、オシリスは唸る。とその時、
「大変です!!」
ジャッカルの姿をした闘神、ウプ・ウアウトが会議室に入って来た。会議室の神々の視線が向くとタテネンが聞く。
「どうした!?」
「今さっき、混沌の深淵、ヌンより、アポピスが開放されました」
「なんだと!?」とオシリスが叫び、会議室にいた神々は騒然となった。
「どういうことだ。あいつら、混沌の深淵から死者を開放するために、アーマンを狙っていた。逆を言えば、アーマンの中の『罪深き死者の心臓』がなければ、混沌の深淵に何かをすることは・・・・・・」
アヌビスがそこまで言った時、ネイトが「まさか・・・・・・」と呟いたのをきっかけに室内の神々、全てが気付いた。
「奴らが『罪深き死者の心臓』を狙ったのは、それがなければ目的を果たせないと錯覚させるため・・・・・・?」
「我らを・・・・・・欺くためにわざと戦いを挑んだという訳か・・・・・・くそっ、してやられた!!」
オシリスたち神々は苦虫を噛み潰したような顔になるが、今はそうしている場合ではなかった。
「蛇退治の女神、バステト、マフデトに連絡を。それまでは我らが押さえる」
ウプ・ウアウトが「わかりました!」と答えると、神々は会議室から出てアポピスの出現した場所に行こうとしたが・・・・・・。
「ちょっと待った。俺たち、どこにアポピスが出現したか、聞いてないぞ!」
アヌビスの指摘に、「何を言っているのだ!」とネイトが言う。
「アポピスのことだから派手に暴れているはずだ!」
その時、現場に向かっているオシリスたちのすぐ目の前に、巨大な蛇が飛び出した。
「そちらから来るとは、な!!」
大蛇の目がネイトたちに向くのと、彼女らが散るのはほぼ同時だった。大蛇、アポピスは咆哮と共に口から毒液を噴出した。毒液は石畳を溶かしたが、それにかまわずネイトが横から矢を放った。矢は閃光となりアポピスに突き刺さる。
「グウギャアアァァァッ!!」
一度、悲鳴を上げるが、今度は身体をひねり、腕を振りかざしてネイトを襲う。空中でさらにジャンプしたネイトは、再び矢を放つ。同時に、下のほうからセルケトが援護の攻撃を放つ。
「シャイン・バースト!」
「ゴアッ・・・・・・」
閃光の矢と光の弾がアポピスに直撃し、呻き声を上げる。そこに、間髪入れずにネイトが矢を放ち、追い討ちをかけると、騒ぎを聞いたバステトとマフデトがやって来た。
「おぅ、これまた派手に・・・・・・やってんジャン!!」
バステトは会話をするなり魔力を爪に込め、光の爪を伸ばしてアポピスに切りかかった。
「畳みかけるよ!!」
爪を振りかざすバステト、矢を放つネイト。セルケトは移動しながら援護する。しかし、オシリスたちはそれをただ観戦していた。
「さすがは、蛇退治の女神たちだ。我らが手を出す必要もない」
「言い方を変えれば・・・・・・『邪魔』ってことですよね・・・・・・」
そう言った時、二人は落ち込んだ。ふと、アヌビスはあることに気付いた。
「どうした?」
「ええ・・・・・・マフデトは・・・・・・どこにいるのかと・・・・・・」
「ん?そういえば、見かけぬな・・・・・・」
アヌビスの問いにオシリスが見渡すと、そこへ「遅くなりました」とマフデトがやって来た。
「ああ、マフデト。いったいどこで何をしていたんだ?」
オシリスにそれを聞かれると、「う、ああ」と都合が悪そうに答えた。
「何をやっていたのだ、マフデト。アポピスを封じるには、我ら四人の力が必要だというのに」
ネイトにどやされると、「すまない。その分は今、取り戻す」とマフデトが、アポピスの前に立ち両手を合わせると、アポピスの下に光の円陣が現れた。それが合図だったのか、左右、後方から他の女神たちが一斉にかかる。
「シャイニング・クラッチ!!」
「シャイン・アロー!!」
「バイティング・レイ!」
バステトの巨大な光の爪、ネイトの無数の閃光の矢、セルケトの巨大な光のハサミがアポピスを捉えた。
「グワアッ!!」
そのすぐ後に、マフデトが両腕をゆっくりと広げた。
「混沌たる者よ。あるべき場所へ戻れ!!」
大きく腕を振ると、魔法陣の中から光があふれ、アポピスを飲み込んでいった。
「グガアアアァァァァァッッ・・・・・・!!」
断末魔の叫びと共に、アポピスは元いた場所、混沌の深淵ヌンへと戻って行った。
「ご・・・・・・ご苦労さん・・・・・・」
声をかけたオシリスに、「あれっ?男どもはずっと見てたの?」とバステトが呆れる。
「そのようだ。戦っていたのは、我らだけのようだったからな」
ネイトが溜め息をつき、「はぁ・・・・・・使えねぇなぁ~・・・・・・」と再びバステトが呆れる。
「・・・・・・・・・す、すまぬ・・・・・・」
さすがの冥府の王も、アポピスとの戦いで何もしていなかったので、言われたい放題でも頭を下げるしかなかった。ただ、マフデトだけは表情が曇ったままだった。
「?どうしたのだ、マフデト?」
ネイトの問いに、「すみません、皆さん。ちょっと、先に戻らせて頂きます・・・・・・」と言うと、足早に去って行った。
「どうしたのだ?」
アヌビスが首をかしげると「何かあったのか?少し様子を見てくる」とネイトが駆け出した。
―※*※―
しばらく走ったマフデトは、石の壁にもたれかかり、地面に座り込んだ。頭の中では、先ほどの出来事が繰り返される。
―回想―
義理の姉妹であるセシャトと共に、アムドゥアドに侵入した二人組みの捜索をしていたマフデトは、不覚にも隙を突かれてセシャトを人質に取られてしまった。
「お姉ちゃん!!」
「お前ら・・・・・・セシャトを離せ!!」
叫ぶマフデトに、「そうはいかない」とディザが言う。
「この娘を離すには、それ相応の見返りを貰う」
「何!?」
「要するに・・・・・・こちらが出す条件をのめってことだ。さもなければ・・・・・・わかっているな?」
カルマが懐から出したナイフを、セシャトの首元につける。ジェプト国の神は体が丈夫ではあるものの、不死という訳ではない。下手をしたら殺されてしまう。
「・・・・・・条件とは・・・・・・」
声を絞り出すマフデトに、「お姉ちゃん!!」とセシャトが叫ぶ。
「・・・・・・アーマンを・・・・・・罪深き死者の魂をこちらに差し出してもらおう。そうすれば、こいつは無傷で解放してやる」
カルマの要求に、「そのようなこと!!」と叫ぶ。
「できぬか?それとも、我らが信じられぬか・・・・・・なら・・・・・・」
ディザが巻き付けた腕でセシャトの首を締め上げたので、「やめろ!!」とマフデトが叫ぶ。
「なら、要求を呑め。いや、『考えらせてくれ』と言っても待ってやる」
カルマが言ったその時、神殿があるほうで大きな音がした。そのすぐ後にけたたましい咆哮が響き渡る。驚いてそちらのほうを向くマフデトに、余裕の表情でカルマが、「行けよ」と言った。
「混沌の深淵、ヌンよりアポピスを開放した。再びヌンに封印するには、お前を含めた女神四人の力が必要なのではないのか?」
「行けよ。そして、よく考えろ。明日までに、賢明な判断をして見せろ。分かったな」
そう言ってディザとカルマの二人は、セシャトと共に姿を消した。マフデトは「くっ・・・・・・」と歯軋りしながら、マフデトはアポピスの元へ駆け出した。
―回想終わり―
「くそ・・・・・・セシャト・・・・・・ごめん・・・・・・」
うずくまったマフデトの目からは、涙が流れていた。
―※*※―
アポピスが現れてから、数時間後。地上世界では夜になっていた。アーマンを狙った理由が囮だと完全に片づけられないため、神々はアーマンにつける警護を外す訳にはいかなかった。少なくとも、敵の目的がハッキリとするまでは。そんな中、スフィンクスが見張っている神殿に一人の女神がやって来た。
「様子はどうだ?」
「これは、マフデトさま!はい、今のところ以上はありません」
トゥトゥの答えを聞き、「そうか」と呟いたマフデトの表情は、どこか複雑なものだった。
「交代しようか?」
「いえ。まだ、大丈夫です」
「そのようなことを言って、もし何かがあれば取り返しが付かないぞ」
いきなり後ろからした声にマフデトが振り返ると、石の階段をネイトが上って来ていた。
「は・・・・・・母上・・・・・・!」
「トゥトゥ。我らはラグシェ国の神と違って、不死ではない。もちろん、疲労も溜まっていく。だから、休める時に休んでおけ」
「し・・・・・・しかし、母上たちが見張っている間に、何かがあったら・・・・・・」
心配するトゥトゥに、「ほう・・・・・・」とネイトは呟いた。
「お前も言うようになったが、私を誰だと思っている?」
余裕の笑みを浮かべるネイトに、「わ・・・・・・わかりました」と、トゥトゥはしぶしぶ了承した。
「じゃあ、あなたたちは休んでいて」
マフデトに「そうします」とトゥトゥが答えた。
「そうそう、中にはアヌビスさんがいますから、話を通しておいてください」
石の階段を下りていくトゥトゥとスフィンクスを見送って、二人は神殿の前に立った。
「さてと・・・・・・アヌビスに話をつけなくては。マフデト。すまぬが行ってくれぬか?」
それを聞き、マフデトは「な・・・・・・なぜ・・・・・・私が・・・・・・?」と驚いた。
「どうした?アーマンを連れ出す、絶好の機会であろう?」
「!?なっ・・・・・・なぜ知って・・・・・・」
「フム。やはりな」
驚いたマフデトに、ネイトが溜め息をついた。その時、彼女はネイトにいっぱい食わされたことを悟った。ネイトはわざとアーマンのことを聞き、マフデトが口を滑らすように仕向けたのだ。もしマフデトがアーマンを連れ出す気がないなら、「なぜ、そんなことを・・・・・・」と聞くはずなので、この時ネイトには、マフデトがアーマンを連れ出そうとしていることがばれてしまった。
「い・・・・・・いつから・・・・・・」
「アポピスと戦った時、様子がおかしかったので、後をつけさせてもらった。しばらくしてお前が、アーマンの警護を言い出したので、私も付いて行くことにした。お前に聞くために、な」
「そうか・・・・・・私は最初から、疑われていたのか・・・・・・」
ふと、彼女の瞳に絶望の色が浮かぶ。私はこれから裁かれるのだろうな、裏切り者として。そんな考えが頭をよぎっていた。
「敵も卑劣なものだ。お前の妹を・・・・・・セシャトを人質に取るとは・・・・・・!」
その瞬間、弾かれたようにネイトを見る。
「・・・・・・そのことも・・・・・・なんで知って・・・・・・!?」
「仲間を裏切る苦しみと、大切な家族を助けたい気持ちの板ばさみの中、セシャトの名を呼んで泣き崩れる。それを見れば、奴らが人質を取っていることなど、見当がつく」
全てお見通しのネイトに、一瞬、全てを打ち明けようかと思ったが、そんなことをすれば奴らがセシャトに何を仕出かすか分からない。
「もっとも、全て私の想像だが、な・・・・・・」
『想像』の部分を強調した後、ネイトは神殿の内部へ向かった。
「ど・・・・・・どこへ・・・・・・?」
「アヌビスの話をつけてくる。結局、放って置きっぱなしだったからな」
だが、神殿の入り口のすぐ前に来ると、一回立ち止まった。
「・・・・・・もし、提示された答えをどちらも選べないのなら、新しい答えを求めれば良い。簡単ではないことだが・・・・・・」
ネイトはそう言うと、マフデトを置いて神殿の中に入って行った。
「・・・・・・ネイト・・・・・・いったい何を・・・・・・」
一人残ったマフデトは、これから自分が何をすべきなのか考えた。アーマンを渡してセシャトを助けるか、それともセシャトを見殺しにするか。どちらを選んでも、マフデトにとっては地獄のようだった。
「(私には・・・・・・どちらも選べない。でも、どちらか選ばないと・・・・・・)」
―※*※―
一方、セシャトを人質に取っているディザとカルマは、とんでもないことに気付いた。
「なあ、ディザ・・・・・・」
「なんだ?」とディザは仏頂面で聞く。
「この世界って・・・・・・時計ってあるの?」
「・・・・・・知らん」
聞いた相手にソッポを向かれたので、今度は人質にしているセシャトに聞くことにした。
「なあ。この世界に時計って・・・・・・」
縛られているにも拘らず強気のセシャトは、「フン!」と話しかけてきたカルマに対してソッポを向いた。
「・・・・・・ディザ・イース~ン・・・・・・」
泣きそうな声を出した途端、ディザの背筋に寒気がした。
「っ!!きっ、気持ち悪い声を出すな!!」
―※*※―
その翌日。周りを森に囲まれ、近くに海がある街、パルティオンを見下ろせる丘の上に、一人の男が降り立つ。その男は、オリュンポス山に攻め入った男、デーモの仲間のアポリュオン。
「まずはあの街からだ」
そう呟くと、アポリュオンはまるで解けるかのように景色の中に消えた。