第114話 新たなる決意を胸に
スメールにあるメール山。ここの動きは他の地域と比べて穏やかなものだった。なぜなら、この地域の人間たちは神々の聖域に侵入するようなことはしなかった。それどころか、他の地域の人間と違い、創造神ブラフマーをはじめとするメール山の神々を敬っていた。
この地は大丈夫だろう。誰もがそう思っていた。・・・・・・今この時は・・・・・・
「シヴァさま、少しよろしいでしょうか?」
半人半鳥の精霊ガンダルヴァが、ヒンドィア三主神の一人、破壊神シヴァに話しかける。
「なんだ?そんなに改まって」
「実は・・・・・・オリュンポスのゼウス殿が、ここを修行場に使わせてほしいと・・・・・・」
その時、シヴァから刺々しい気が放たれた。
「『ここ』とは、このローカパーラのことか?」
「・・・・・・・・・・・・はい・・・・・・」
恐る恐るガンダルヴァが頷いた時、「ふざけるな!!!」と神殿に雷が落ちた。
「―――なぜ我ら神々の聖域を、人間などの修行場に使われなくてはならんのだ!?」
「この世界で暗躍している敵に打ち勝つには、人間界での修行では事足りぬらしいのです」
「だからって、なぜローカパーラなのだ!?オリュンポスやらティル・ナ・ノーグやら、他にもたくさんあるだろう!!!」
「それが・・・・・・全て満員らしいのです」
それを聞いてさすがに、シヴァも怒る気がなくなった。
―※*※―
「セルス・・・・・・」
顔を上げると、病室の入り口にディステリアが立っている。セルスが視線を落とすと、中に入ったディステリアはゆっくり彼女のベッドの側にある椅子に座った。
「ディス・・・・・・メリスと・・・・・・ロウガが・・・・・・」
「・・・・・・聞いた」と、ディステリアは静かに答えた。
「私たちのすぐ側だったんだね・・・・・・」
「ああ」と答えると、セルスが両手を自分の頭に当てる。
「助けられなかった・・・・・・すぐ近くにいたのに・・・・・・」
「・・・・・・怪我していたんだ・・・・・・仕方ない・・・・・・」
「そんな一言で済ませられるの!?そんなの・・・・・・言い訳にしかならない!!」
大声で叫んだ後、我に返り「ごめん・・・・・・」と謝ったセルスを、ディステリアは黙って見ていた。
「・・・・・・でも、怖いよ・・・・・・これから先も・・・・・・誰かが死んじゃうと考えると・・・・・・ディスやクウァル、セリュードがいなくなるって考えると・・・・・・・・・・・・怖いよ・・・・・・」
両手で顔を覆って泣くセルスに、「当たり前だよ・・・・・・」と呟く。
「・・・・・・怖いと思うのは、生物が本能で危険を感じたからだって、聞いたことがある・・・・・・」
淡々と語るディステリアに、両手を下ろしたセルスが「ハハ・・・・・・」と笑う。
「すごいよ、ディス。いつも以上に冷静じゃない。・・・・・・仲間の死なんて・・・・・・どうとも思ってないんだ・・・・・・」
「・・・・・・そうじゃない・・・・・・」
「嘘・・・・・・」
声が震えたディステリアにセルスが呟くと、「嘘じゃない・・・・・・」と返す。
「嘘だよ・・・・・・本当だったらそんな冷静でいられない・・・・・・適当なこと言わないで!」
「嘘じゃない!」
思わず怒鳴り返すディステリアをセルスが睨むと、ハッと彼が泣いていることに気付く。今のディステリアは、表面は冷静に見えるが、無力な自分と仲間の命を奪った敵に対する怒りで心の中は煮えたぎっていた。
「・・・・・・俺だって悔しい・・・・・・。自分の弱さを呪ったし、思い切り泣いた。それでも・・・・・・事実は変わらないから・・・・・・怒りをぶつけたところで、感情に駆られたところで・・・・・・死んだ仲間は返ってこない・・・・・・」
虚ろな声のディステリアを、セルスは心配そうに見つめる。
「ディス・・・・・・ごめん、ひどいこと言って・・・・・・でも、私・・・・・・もう・・・・・・ディスやみんなが傷つくのは嫌・・・・・・」
泣きそうなセルスを、ディステリアは無意識の内に優しく抱きしめた。
「大丈夫だ・・・・・・守って見せる。何があっても・・・・・・」
「うん・・・・・・」と目を閉じて、セルスはディステリアを抱きしめ返した。
「セルス・・・・・・俺・・・・・・」
「・・・・・・いい雰囲気・・・・・・そのまま・・・・・・ほら、行け・・・・・・」
「・・・・・・じれったいわね。男だったら、さっさと・・・・・・」
「・・・・・・仕方ないよ・・・・・・だし・・・・・・」
ドアの向こうから聞こえる二人の女性の声が、ディステリアとセルスを現実に引き戻した。
「・・・・・・ちょっと、あなたたち何やって・・・・・・」
「・・・・・・もうちょっとなんだから、邪魔しないで・・・・・・」
「・・・・・・二人とも・・・・・・に。まだ気付かれてない・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
顔を見合わせた後、ディステリアが高速バックステップでドアの所に移動してすぐに開けると、ドアの前にアフロディーテとフレイア、アテナがいた。
「・・・・・・神様が覗きですか・・・・・・?」
「ち・・・・・・違う!覗いていたのは、フレイアとアフロディーテで・・・・・・」
しかし、アテナが弁明している間に、フレイアとアフロディーテは逃走していた。
「・・・・・・あの二人・・・・・・」
「苦労するな」
悔しそうに拳を握り締めるアテナに、いつのまに後ろにいたアウグスが肩に手を置いた。
「アテナ・・・・・・禿げるなよ」
アウグスが何を言いたいかわかったのか、「それは迷信だ」とアテナは自分の頭を押さえた。
―※*※―
再び、ブレイティアの本拠地〈名も無き島〉にある屋敷。その中にある研究室から、何人かの話し声がきこえてきた。
「クドラもリリナも、死徒再生とは違う。吸血鬼化した要因は不明だ」
その一つ、クルスの声の後に、「死徒再生・・・・・・とはつまり・・・・・・?」とクトーレの声がする。
「・・・・・・吸血鬼に血を吸われて死んだ者、あるいは吸血鬼の血液が体内に侵入した者が吸血鬼化する現象・・・・・・かつては『感染』と呼ばれていたが、表現に問題があると変更された」
「いや違う。つまり、吸血鬼化にはなんらかのウィルスが作用すると言うことか?」
それを聞いてしばらく呆然とするが、やがて「ははは」と笑い出す。
「例えだよ・・・・・・例え。もし、実際にそうだとしても、どうしようも・・・・・・」
薬品が入れられたビンやビーカーが置いてある部屋の中、クトーレは机の上にある大量の資料を見ており、その近くには心痛な面持ちで腕組みをしているクルスが立っていた。
「・・・・・・話を戻すが、クドラもリリナも共に『真祖』ということになる。だが・・・・・・それを聞いてどうするつもり・・・・・・」
ハッと何かに気付いて「まさか」と呟くと、クトーレは資料に付箋紙を張ってページをめくる。
「おい、その資料を見せろ!!」
慌てるように机に駆け寄ったクルスが資料の一つを手に取るが、クトーレは右腕で即座に取り戻した。しかし、一番上の紙に書かれていた言葉を見て、クルスは資料の内容をある程度、理解した。
「『ヴァンパイアの吸血性のみを消去する方法』って・・・・・・本気で言ってるのか!?」
信じられないという顔のクルスに対して、クトーレは平然と資料を読み続ける。やがて一言、「ああ」と呟いた。
「本気も本気。科学の力を発達させれば、それも不可能ではあるまい」
「無茶苦茶、言うなよ。第一、血を吸われた人間がなぜ吸血鬼になるのかもわかっていないのに、本気でできると思っているのか!?」
資料を読む手を止め、厳しい表情でクルスのほうを振り返った。
「・・・・・・例え変えられないとしても、運命には立ち向かわなければならないんだ。万に一つの可能性にかけて・・・・・・とても小さな可能性だが・・・・・・人の想いは、不可能を可能にする。俺は・・・・・・そういう『人間の可能性』を信じたい・・・・・・」
クトーレが言いたいことはよくわかる。かつて自分もそういう理想を持っていたし、実現しようしていた。だが、対不組織〈ルマーニャ〉内でヴァンパイアハンターとしての訓練を受けながら過ごす内に、理想を持ち続けることに疲れ、いつしか気付いた。
「バカな・・・・・・そんなのは理想・・・・・・幻だ・・・・・・」
所詮、人が抱く夢はただの幻。任務の中でそれに気付いた。例え相手が吸血鬼であろうと、一緒に暮らそうとした者もいたし、人間として暮らそうとする者もいた。自分が心を惹かれたリリナもその一人。だが、ヴァンパイアとそれを狩るヴァンパイアハンターは、決して結ばれることはない。
「・・・・・・諦めればそこで終わり・・・・・・理想と諦めれば、それは・・・・・・理想のままだ」
再び資料を読み出したクトーレに、「それは・・・・・・そうだが・・・・・・」と呟くものの、クルスの心は何かモヤモヤしたものに包まれていた。
「・・・・・・俺は、この資料と研究を引き継ぐ。・・・・・・メリスがお前らに残した・・・・・・この研究を・・・・・・」
「えっ?」とクルスが聞くが、「ちっ、なんでもない」と呟いて、部屋のドアを横目に見た。クルスは気付かなかったが、部屋の外ではリリナがドアにもたれ掛かっていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
―※*※―
数日後。ガストロープニル前に、ディステリア、セルス、クウァル、セリュードが立っていた。しばらくした後、ナップサックを肩に担いだセリュードが二、三歩前に出た。
「じゃあ、俺はもう行くよ」
「忘れないでね・・・・・・『必ず会う』って約束」
セルスに「ああ」と答えると、セリュードはガストロープニルを後にした。
「俺も行くぜ。あまり長くいると、別れが惜しくなる」
「うん。じゃあね、ばいばい」と素っ気無いセルスに、クウァルはこけそうになった。すると、セルスは「冗談だよ」と笑った。
「質の悪い冗談はよせよ。まあ、これが見納めか・・・・・・」
「さっきの言葉をそのまま返すよ」と言うセルスに、「いや」と首を振る。
「・・・・・・今度会う時は、その子供っぽい癖がなくなっているだろ」
「誰が子供っぽいよ」と笑うセルスに、ディステリアも笑みを浮かべる。
「じゃあな、修行中にくたばるなよ」
「そっちも、死んだら承知しないよ」
去って行くクウァルに言った言葉は、半分は冗談でもう半分は本気の心配。そこに残されたのは、ディステリアとセルスだけになった。
「後は・・・・・・私たちだけだね・・・・・・」
「ああ」と答えると、ふとセルスのほうを見る。彼女はクウァルの行ったほうを見続けていたので、ディステリアは黙って立ち去ることにした。しかし、一歩足を踏み出した瞬間、何かに右腕を体が後ろに傾いた。驚いて後ろを振り向くと、ほぼ同時に「ちょっと」とセルスが声を出した。
「・・・・・・黙っていくつもり・・・・・・?しばらく会えなくなるのに・・・・・・」
「いや・・・・・・見送りくらい、水を差さないようにするだろう」
「・・・・・・そうだったの。じゃあ、感謝・・・・・・する訳ないでしょ!・・・・・・・・・好きな人とのお別れくらい、ちゃんとさせてよね・・・・・・」
「えっ、今なんて・・・・・・」
聞き取れなかったディステリアは聞こうとしたが、「内緒」と笑って離れた。
「ディス・・・・・・あたし・・・・・・」
向かい合った二人はしばらく見つめ合い、何を言おうとするが、お互いに言葉が見つからないようだった。だが、お互いにいつまでもこうしている訳にも行かなかった。
「「・・・・・・いつか・・・・・・!」」
ほぼ同時、しかも同じ言葉だったので、二人とも「「えっ」」と驚いた。互いに顔を赤くして次の言葉を探していたが、ディステリアは少々、強引にでもこの場を立ち去ることにした。
「じゃあ・・・・・・」
また言葉が被ったが、どうせお互い同じ考えを持つならば、今ここで思っていることを全て言うことにした。
「いつか―――」
「修行を終えて―――」
「「再会したら―――」」
二人は背を向け合い、歩き始める。
「「その時に―――」」
セリュード、クウァル、セルス、そしてディステリア。クトゥリアによって集められた彼らは、己を高める修行のために散り散りとなる。大切な人を、その人がいる世界を守るため、仲間と共にこの戦いを終わらせるために。