↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

オブシディアン・ヴァンガード――我らは帰らずとも、希望は生まれる

作者: LackRock
掲載日:2026/10/01

彼らの正体に気づいたとき、この物語はもう一つの恐怖を見せる。

挿絵(By みてみん)


 出発の支度をしていると、リラがレイヴンを呼んだ。


『いま、動いたの。触ってみて』


 妻に手を引かれ、レイヴンは彼女の腹に掌を当てた。しばらく待つと、内側から小さく押し返された。まだ顔も見ていない子供が、そこにいる。


『元気だな』

『あなたに似たのね。じっとしていられないところ』


 リラは笑った。レイヴンも笑い、もう一度掌を当てた。


 生まれてくる子供たちに食べさせるものがなかった。


 昨日、最後の配給を終えた。大人たちは自分の分を減らしていたが、それでも食料庫は空になった。北側にある巨人の居住区へ行けば食料を手に入れられる。しかし、前回そこへ向かった班は、一人も戻らなかった。


『本当に、今夜行くの?』

『子供たちが生まれる前に、食べ物を用意しておきたい』

『それは私も同じ。でも、あなたが帰ってこなかったら』


 レイヴンは装備を置き、妻の隣へ座った。リラは彼の腕へ身体を寄せたが、顔を見ようとしなかった。


『待っているだけなのも、怖いのよ』

『……そうだな』


 勇気づける言葉を探しても、見つからなかった。無事に帰る保証などない。彼は妻の手を握り、その手が冷たくなっていることに気づいた。


 初めて抱き合った夜も、彼女の手は冷たかった。


 外を巨人が通り、住処が揺れるたび、リラは入口を振り返っていた。レイヴンが抱き寄せると、彼女は胸に顔を埋めた。


『ここにいて』

『いるよ』


 その夜、二人は初めて身体を重ねた。外の音が静かになっても、リラは彼を離さず、彼もその背を撫で続けた。


 あの夜に授かった子供たちが、もうすぐ生まれる。


『帰ってきたら、一緒に名前を考えて』


 妻が言った。


『もちろん』

『食料を届けて、またすぐ出ていったりしないでね』

『わかった。今度はちゃんと休む』


 レイヴンは妻の額へ口づけた。リラはようやく顔を上げ、彼の唇に触れた。


『待ってるから』


 彼は頷いた。離れたくなくなる前に、立ち上がった。


     ◇


 回収班は三名だった。隊長のレイヴン、古参のニードル、新兵のモス。三人の装甲は黒く、モスのものだけは傷がなく、照明を艶やかに反射していた。


『食料を確保したら、来た道を戻る。巨人が現れた場合は、すぐに遮蔽物へ隠れろ。見つかったら、荷物を捨ててでも逃げろ』


 レイヴンが説明すると、モスが顔を上げた。


『捨てていいんですか』

『生きて帰れば、もう一度取りに行ける』

『はい』


 ニードルが若い兵の肩を叩いた。


『外へ出たら、俺の後ろについてこい。見失っても、勝手に走るなよ』

『その場で待つ、ですよね』

『そうだ。迎えに行く』


 住処の出口は、壁の下に開いた狭い隙間だった。


 三人は一列になって外へ出た。平らな地面が遠くまで続き、上方には四本の柱に支えられた巨大な台があった。レイヴンは柱の根元へ身を寄せ、帰りに使う出口の位置を確かめた。


 食料は台の下にあった。地面に置かれた白い浅皿に、柔らかな塊が残されている。甘い匂いに混じって、脂の匂いがする。


『これなら食べさせられる』


 ニードルの声が少し明るくなった。


『お前のところも、もうすぐだったな』

『ああ。今朝、女房が自分の配給まで俺に寄越したんだ。帰ったら、腹いっぱい食わせてやりたい』

『それなら早く持ち帰ろう』


 三人が柱の陰を離れたとき、地面が揺れた。


 巨大な足が、進路を横切った。


 モスが動きを止める。ニードルはその腕を引き、柱の陰へ連れ戻した。頭上には、肉色の巨体がそびえていた。体を覆う白い布のさらに上に、顔らしいものが見える。


 巨人は三人に気づかず、壁に埋め込まれた大きな扉を開いた。冷気と光が流れ出す。


『そのまま待て』


 レイヴンは小声で命じた。


 モスは柱に身体を押しつけた。ところが、踏ん張った足が滑り、肩が柱の外へ出た。


 巨人の目が、そちらを向いた。


 叫び声が降ってきた。


 何を言っているのかわからない。ただ、次に現れた巨人が、長く平たいものを持っていることはわかった。それを頭上へ振り上げた瞬間、レイヴンはモスを突き飛ばした。


『走れ!』


 背後に打撃が落ち、埃が吹きつけた。


 レイヴンが柱を回り込むと、敵は追いかけてきた。再び振り下ろされた武器が柱にぶつかり、巨人たちが甲高く叫び合う。


 その足元をニードルが横切った。巨人が跳び退き、もう一体へ衝突する。倒れかけた巨体が台を掴み、頭上から凄まじい音が響いた。


『隊長、こっちだ!』


 ニードルが食料のある皿を指した。


 三人は走った。巨人たちは互いを押しのけながら追ってくる。何を意図した動きなのか、レイヴンには読めなかった。


     ◇


 モスが皿へ辿り着き、食料の一部を切り離した。


 両腕で抱えられる大きさだった。それでも、住処に残る子供たちには十分な量がある。


『確保しました!』

『よし。俺が先に戻る。モスは中央、ニードルは後ろを頼む』


 三人は壁の出口へ向かった。


 その途中、ニードルの前に液体が降った。


 彼は横へ跳んだが、足元にも飛沫が散っていた。転倒した身体を、白く泡立つ液体が覆った。


『ニードル!』

『来るな! お前まで巻き込まれる!』


 レイヴンは引き返し、乾いた地面から仲間へ手を伸ばした。ニードルの腕を掴んで引く。上半身は泡の外へ出たが、足が滑って立てない。


『モス、荷を置いて手を貸せ!』


 二人で両脇を支え、ニードルを引き出した。彼は激しく咳き込み、何度も息を吸おうとした。


『歩けるか』

『少し待て……息が、苦しい』


 黒い装甲の継ぎ目から液体が入り込んでいた。レイヴンが拭おうとしたとき、頭上が暗くなった。


 ニードルが彼の胸を押した。


『避けろ!』


 平たい武器が、ニードルの脚を叩いた。


 モスが叫んだ。レイヴンは倒れた仲間へ駆け寄り、肩を抱き起こそうとしたが、ニードルは首を振った。


『駄目だ。足が潰れてる』

『俺が担ぐ』

『出口まで逃げきれん』


 レイヴンはそれでも腕を回した。ニードルは彼の手を掴み、顔を近づけた。


『女房に食料を届けてくれ。子供が生まれるんだ』

『わかってる。お前も帰るんだ』

『隊長』


 ニードルは、モスを見た。


 若い兵がもう一度近づこうとしている。レイヴンはその腕を止めた。


『モス、食料を持て』

『でも、ニードルさんが』

『持って出口へ行け!』


 頭上で、武器が持ち上がった。


 ニードルはレイヴンの腕を押し返した。


『頼んだぞ』


 レイヴンはモスを抱えるようにして走った。


 すぐ後ろで、もう一度、地面が震えた。


 モスが振り返ろうとしたので、レイヴンは背を押した。


『前を見ろ。止まるな』


 自分も、振り返れなかった。


     ◇


 出口へ続く道には、二体の巨人がいた。


 さらに一体が、黒い筒を地面へ近づけている。低い唸りが始まると、埃も食料の欠片も、その中へ吸い込まれた。


『柱を登れ。上から出口へ向かう』


 二人は柱を登り、巨大な台の裏へ逃れた。黒い筒が下を通過し、先ほどまでいた場所の埃をさらっていく。


 モスは食料を抱えたまま震えていた。


『俺が見つかったから、ニードルさんが』


 レイヴンは若い兵の肩を掴んだ。


『今は、食料を持ち帰ることだけ考えろ』

『俺だけ無事に帰れません』

『あいつは、お前に生きて帰ってほしかったんだ。ここで死んだら、誰があいつの家へ食料を届ける』


 モスは俯いた。少しして、食料を抱え直した。


『俺が先に飛ぶ。敵の注意を引くから、その間に西の壁へ向かえ』

『この荷物を持ったまま、飛べるでしょうか』

『遠くまで飛ぶ必要はない。壁際に降りたら、そのまま走れ』

『隊長も来てください』

『すぐ後を追う』


 台が傾き、隠れていた二人に光が当たった。


 レイヴンは飛び出した。出口へ向かうのではなく、正面にいた巨人の顔へ向かった。


 敵の目が見開かれる。大きな口が開き、白い歯と濡れた赤い肉が見えた。熱い息と叫び声が正面からぶつかってくる。


 レイヴンが肩へ降りると、巨人は激しく身体を揺すった。


『モス、今だ!』


 巨大な手が迫る。逃れようと跳んだ瞬間、背中に打撃を受けた。


 レイヴンは地面へ落ちた。


 身体を起こすと、背に鋭い痛みが走った。もう飛べない。


 モスも壁へは届かなかった。荷物の重さで高度を失い、別の巨人の胸へぶつかっていた。白い布にしがみつき、必死に身体を支えている。


     ◇


 巨人が自分の胸を見下ろした。


 その口から、細く震える声が漏れる。ほかの巨人たちが近づくと、胸の上にモスを乗せた個体は、急に大きな声で吠えた。伸びかけた手が引っ込む。


 レイヴンは敵の足元まで走った。


『モス、下へ降りろ!』

『片手が塞がっていて、動けません!』

『食料を落とせ。俺が拾う!』


 モスは下を確かめ、抱えていた塊を放した。


 レイヴンがそれを受け止める。


『受け取った! 早く降りてこい!』


 モスが動くより先に、巨人が白い布を引っ張った。


 足場が伸び、若い兵が滑る。そこへ黒い筒が押しつけられた。


 モスは筒の縁を掴んだが、腰から下が中へ引かれていた。


『手を離せ! 横へ跳ぶんだ!』

『もう……引っ張られて』


 レイヴンは手を伸ばした。届く高さではなかった。飛ぼうとしても、背に痛みが走るだけだった。


『隊長』


 モスが彼を見た。


『食料、落とさないでください』

『わかった。ちゃんと持ってる』

『ニードルさんの家にも』

『届ける。約束する』


 モスの手が滑った。


 レイヴンは名を呼んだが、若い兵の姿は黒い筒の中へ消えた。硬いものが内側を叩く音が、一度だけ聞こえた。


     ◇


 レイヴンは食料を引きずって、壁の隙間へ辿り着いた。


『誰か、受け取ってくれ!』


 奥で待っていたリラが現れた。食料の端を掴み、夫と一緒に引き込む。


『ほかの二人は?』


 レイヴンは答える前に、外を見た。


 巨人の指がこちらを指していた。黒い筒が向きを変え、壁際へ近づいてくる。このままでは、住処の入口に押し当てられる。


『リラ。これを奥へ運んでくれ』

『あなたも入って』

『俺が敵を引き離す』


 妻は食料を置き、彼の腕を掴んだ。


『やめて。もう飛べないんでしょう?』


 レイヴンは、妻が背の傷に気づいていたことを知った。


 彼女の手を握った。出発前よりも冷たかった。


『奴らがここまで来たら、子供たちまで殺される』

『でも』

『頼む。子供たちを守れるのは、君だけだ』


 リラは腕を放さなかった。


 レイヴンは妻を抱き寄せ、唇に触れた。ほんの一瞬でも、そのままでいたかった。


『ホープ』

『え?』

『俺たちの子供の名だ』


 リラの顔が歪んだ。


『帰ってきてよ……』


 彼は答えられなかった。


 妻の手をそっと外し、隙間の外へ出た。


 巨人の足元へ走ると、敵は叫んで後退した。黒い筒もこちらを追い、住処の入口から離れていく。


 レイヴンは壁と反対の方向へ走り続けた。妻と子供たちから、一歩でも遠くへ敵を連れていきたかった。


 吸い込まれる風に足を取られた。


 地面へしがみつきながら、彼は最後の報告をした。


『食料は届けた。リラ、ホープを……頼む』


 身体が持ち上がる。


 住処の入口を見ようとしたが、その前に黒い筒へ引き込まれた。


『名前ひとつじゃ、足りないのよ……』


     ◇


 リラは夫の返事を待った。


 一度呼んで、待ち、もう一度呼んだ。外で唸っていた音が止んでも、レイヴンの声は戻らなかった。


 その夜、子供たちが生まれた。


 リラはニードルの妻と二人で食料を分け、柔らかな部分を小さく裂いた。最初のひとりが食べ始めると、ほかの子供たちも寄ってきた。


『慌てなくていいの。みんなの分があるから』


 言いながら、リラは入口を見た。


 食料を引きずってきた跡が、そこまで続いている。


 子供の一人が、彼女の手を引いた。


 リラは顔を戻し、その子にもひとかけらを渡した。


 壁の向こうでは、食べ残しの乗っていた皿が洗われていた。


 床に撒かれた洗剤が拭き取られ、掃除機は玄関へ運ばれた。ホースの先に袋が被せられ、テープで塞がれる。


 やがて台所の灯りが消えた。


 冷蔵庫の裏では、子供たちが食事を続けていた。


 リラは、最初に食べ終えた子供を抱き寄せた。


『あなたは、ホープ。お父さんが考えてくれた名前よ』


 子供は彼女の胸元へ顔を寄せた。リラはその背を撫で、隣で待っている子供へ手を伸ばした。


 ほかの子たちの名前も、考えなければならない。


 二人で決めるはずだった。


 リラは子供たちを順番に抱き寄せた。


 その夜、台所の住人たちは安心して眠った。


 壁の奥で守られた命が、何十もあることを知らずに。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。