婚約破棄された夜、冷酷公爵に拾われましたが、元婚約者が土下座してももう遅いです
「エレノア・フェルディナンド。お前との婚約は、今日限りで破棄する」
――王都最大の舞踏会。
音楽が止まった。
貴族達の視線が、一斉に私へ突き刺さる。
「……理由を、お聞きしても?」
震える声を押し殺して尋ねると、婚約者だったレオニードは露骨に顔を歪めた。
「理由? そんなもの決まっているだろう。お前は嫉妬深く、陰湿で、淑女として失格だからだ」
その瞬間。
レオニードの腕へ、勝ち誇ったように女が絡みつく。
金髪縦ロール。
甘ったるい香水。
王都で“男を食い潰す毒花”と呼ばれる女――ミレイユ・クロフォード。
「まぁ……レオ様。そんな言い方、お可哀想ですわ」
いや、全然可哀想じゃない。
お前、昨日までレオニードと不倫旅行してただろうが。
知ってる。
全部、知ってる。
だけど私は黙っていた。
侯爵家のため。
家名のため。
……そして、十年も好きだったから。
「エレノア様ったら、レオ様を束縛ばかりして。男性はもっと自由であるべきですの」
「自由、ですか」
「ええ。愛の形は人それぞれでしょう?」
開き直りやがった。
しかも周囲の貴族達まで頷いている。
は?
なんで?
不倫した側が被害者面してるんだけど?
「レオ様は真実の愛に目覚めたのですわ」
「真実の愛ねぇ……」
口から乾いた笑いが漏れた。
終わった。
何もかも。
私は悪役に仕立て上げられた。
婚約破棄の“加害者”として。
「今後、我がクロイツ公爵家はミレイユ嬢との縁談を進める。異論はないな?」
ある。
ありまくる。
でも、言ったところで無駄だ。
ここにいる全員、もう結論ありきで動いている。
だったら――。
「承知しました」
私は頭を下げた。
ざわめきが広がる。
もっと泣き喚くと思っていたのだろう。
残念だったわね。
泣く価値もない。
「では失礼いたします」
踵を返した、その時だった。
「……面白い女だな」
低い声。
空気が変わった。
ざわついていた貴族達が、一斉に道を開ける。
現れたのは、漆黒の軍服を纏った男。
銀灰色の髪。
凍えるような青い瞳。
帝国最強。
冷酷無慈悲。
氷血公爵――アシュレイ・ヴァルフォード。
「ヴァルフォード公爵……!」
誰かが息を呑む。
当然だ。
この男、滅多に社交界へ姿を見せない。
しかも。
「君、エレノアだったな」
「……はい」
「俺の婚約者になる気はあるか?」
は?
待って。
今なんて?
会場が爆発した。
「ヴァ、ヴァルフォード公爵!?」「何を!?」「正気か!?」
いや本当に。
私もそう思う。
「理由を伺っても?」
「簡単だ」
アシュレイ様は、レオニードへ冷たい視線を向けた。
「浮気した男に捨てられてなお、取り乱さなかった。見苦しく泣き喚く女より、遥かに好ましい」
レオニードの顔が引き攣る。
「ふ、不倫などしていない!」
「ほう?」
アシュレイ様が指を鳴らす。
すると黒服の部下が、一冊の手帳を差し出した。
「王都西区、“白薔薇亭”。三日前、二人で宿泊。さらに南区の別邸にも頻繁に出入りしている」
「なっ……!」
「証拠ならまだあるが?」
会場が静まり返る。
ミレイユの顔から血の気が消えた。
あーあ。
終わった。
「ちなみにその費用、クロイツ家の軍資金から流れていた。横領としても問題になるな」
「…………」
レオニード、死亡。
「さて」
アシュレイ様は私へ手を差し出した。
「どうする、エレノア」
その瞬間。
私は理解した。
この人、最初から全部知ってた。
その上で。
わざわざ助けに来たのだ。
「……お受けいたします」
手を重ねる。
すると彼は僅かに目を細めた。
「そうか」
それだけ。
それだけなのに。
胸が、痛いくらい熱かった。
◇
「広っ……」
ヴァルフォード公爵邸。
控えめに言って城だった。
「今日からここが君の家だ」
「まだ婚約しただけですが!?」
「結婚する」
「圧が強い」
何この人。
怖い。
なのに。
「夕食は?」
「え?」
「好きな物を用意させる」
「……お気遣いなく」
「遠慮するな」
「ではビーフシチューを」
「分かった」
五分後。
料理長が泣きながら最高級ビーフシチューを運んできた。
仕事が早過ぎる。
そして怖い。
でも。
不思議だった。
アシュレイ様といると、心が静かになる。
優しい言葉を並べるわけじゃない。
甘い笑顔を向けるわけでもない。
だけど。
私が傷付いた部分を、黙って守ってくれる。
「……どうした」
「いえ」
涙が出そうになった。
こんな風に扱われたこと、なかったから。
◇
一週間後。
社交界は大混乱だった。
当然だ。
クロイツ家は不正横領疑惑。
レオニードは女性遍歴が暴露。
ミレイユは複数貴族との関係が発覚。
完全に破滅コースである。
「全部、アシュレイ様が?」
「最低限だ」
「最低限で国家崩壊レベルなんですが」
「俺は温厚だからな」
絶対嘘。
「……怖くありませんの?」
「何がだ」
「私を婚約者にしたら、面倒事も増えます」
すると。
アシュレイ様は静かに私を見た。
「君は被害者だ」
「……」
「傷付けられた側が怯える必要はない」
駄目だ。
この人。
言葉が強過ぎる。
泣く。
本当に泣く。
「あと」
「はい?」
「君を侮辱した連中は、全員後悔させる」
怖い怖い怖い。
でもちょっと嬉しい。
◇
そして迎えた夜会。
会場へ入った瞬間、全員の視線がこちらへ集まった。
以前とは違う。
嘲笑じゃない。
畏怖だ。
「エレノア様!」
そこへ駆け寄ってきたのは、やつれ果てたレオニードだった。
「頼む! 誤解だったんだ!」
「不倫してましたよね?」
「み、ミレイユに誘惑されただけで……!」
「自分の意思ゼロですか?」
ダサい。
想像以上にダサい。
「君を愛してるんだ!」
「私は愛してません」
即答した。
するとレオニードは絶望顔になる。
いや知らん。
「エレノア!」
次に現れたのはミレイユ。
髪は乱れ、以前の余裕など欠片もない。
「あんたのせいで全部滅茶苦茶よ!」
「自業自得では?」
「レオ様を返しなさい!」
「いりません」
押し付けないでほしい。
本当に。
「――俺の婚約者に近付くな」
低い声。
空気が凍った。
アシュレイ様だ。
その瞬間、レオニードとミレイユが真っ青になる。
「次はない」
ただ、それだけ。
二人は腰を抜かした。
強い。
というか圧だけで人を殺せそう。
「行こう、エレノア」
「はい」
差し出された腕を取る。
その時だった。
「アシュレイ様」
「なんだ」
「ありがとうございます」
「当然のことをしただけだ」
「それでも、です」
すると彼は少し黙って。
本当に僅かに。
笑った。
「……君が笑っているなら、それでいい」
心臓が止まるかと思った。
何この破壊力。
冷酷公爵どこ行った。
◇
三ヶ月後。
私達は正式に結婚した。
そして。
「エレノア、寒くないか」
「大丈夫です」
「本当にか?」
「近いですアシュレイ様」
「夫婦だから問題ない」
毎日これ。
溺愛が重い。
重過ぎる。
でも嫌じゃない。
あの日、婚約破棄された時は世界が終わったと思った。
けれど。
終わりじゃなかった。
裏切られた先に、本当の幸せが待っていたのだ。
「エレノア」
「はい?」
「愛している」
真っ直ぐな声。
私は微笑む。
「私もです、アシュレイ様」
もう二度と。
この手を離したくないと思った。




