第12話 銀条院さんのおっぱいについて
ある日の授業。
静寂の中、銀条院さんが突然立ち上がった。
「お手洗いに行っても構いませんでしょうか」
教師から許しを得た彼女は、スタスタと足早に教室を後にした。
立ち振舞に関する全てを完璧にこなす彼女が、授業中にトイレに立つというのは、非常に珍しいことだった。
ここで今一度、銀条院さんについての話をしよう。
彼女は、格式高い銀条院家で育てられた生粋のお嬢様であり、我々庶民とは比べ物にならないほど〈身なり〉に関して気を配っている。
所作。姿勢。言葉遣い。
一挙手一投足にいたるまで常に気を抜かない。
服装についても、彼女は我々に比べてやはり清潔感が一味違う。
いつ見てもYシャツは真っ白でシワ1つないのだ。
スカート丈を短くするような校則違反なども、彼女にとっては絶対にありえない。
……しかし、しかしだ。
銀条院さんには申し訳ないのだが……はっきり言ってそれらの努力は、ほとんど意味がないと言わざるを得ない。
なぜなら、彼女がどれだけ気品さを身にまとい、上品さを取り繕おうとしても、その目立ちすぎる〈おっぱい〉がそれを許さないからだ。
数分後、彼女が教室に戻ってきた。
俺はその、Yシャツの第3ボタンまでを全開にして周囲の目に晒された〈谷間〉に、ついチラっとだけ視線を送ってしまった。
きっと、本人は晒すつもりなんて無いのだろう。
でも、Yシャツに入り切らないんだからしょうがないのだ。
もちろん、そんな着こなしは余裕も余裕で校則違反なのだが、セクハラになるため誰もそれを指摘する人はいないのだった。
そんなことを考えていた俺は、まだ、
銀条院さんの大きな〈異変〉に気が付いていなかった……。
――――――
……銀条院さんが俺に怒っている。
教室内で俺と目が合うや否や、フンッと顔を逸らして、俺から離れて行くのだ。
少しだけ後を追ってみると、逃げるようにどこかへ行ってしまう。
おかしい…………。
銀条院さんは俺をゴミのように無視はするのだが、基本的に避けはしないのだ。
あまりに避けるので俺は心配になって、この事に関して黒沢さんと朱川さんに聞いてみた。
「元から嫌われてるだけなんじゃない?」
「みんな君のこと避けてるし、まあ普通じゃん……?」
とのことだった。
俺に対する心無い発言は置いといて、2人とも銀条院さんのことを何もわかっていない!
もう1度言う。
銀条院さんは俺を無視はするが避けはしない。
放課後、この件について、俺は彼女本人に直接追求することにした。
――――――
銀条院さんが教室で1人、橙色に輝く窓の外へ悲しげに視線を落としていた。
風に揺れるその後ろ姿を、俺は長い影の伸び始めた教室の中央で見つめていた。
「ねえ、俺……銀条院さんに何かした……?
もしそうならちゃんと謝るよ」
「うるさいですわ。
あなたとは話したくないですの……」
彼女は後ろを向いたまま答える。
「……それじゃわかんないよ!
なんで避けるのかちゃんと言ってよ!」
と、俺が少し大きめの声で言ったその時だった。
彼女は振り向いた。
振り向いて、足音を立てながら俺に急接近し、俺のみぞおちを怒りのグーで殴った。
「っっ……!!」
そして、お互いのおでこが触れる程ぐっと顔を近づけ、お嬢様とはとても思えない言葉遣いで言い放った。
「あなたがおっぱいばっかり見るからでしょ?!」
――――――
「いつもいつも、チラ見ならともかく、
バレてないと思ってるのかガン見までしてきて……
ほんっとありえない……!!」
「はい…………ごめんなさい…………」
俺は痛みに耐えつつ正座していた。
言い訳の余地が無かったので素直に謝罪した。
彼女は語り始めた。
「本当に不快でした。
通行人も、学校の先生も、友達も、屋敷の人たちも、親戚も、家族も、
会う人会う人……男女かかわらず全員が私のおっぱいを凝視するんです。
話す時も、みんな私のおっぱいばかり見るものだから、全然目を合わせてくれない……
おっぱいと話してるのかって思っていました。
夜にその視線を思い出してしまい、眠りに付けず、次の日にフラフラの状態で登校したこともありました」
確かに……そんなこともあった。
俺は反省しつつ聞いていた。
「本当に嫌だったんです……。
この前までは……」
……ん?……この前までは?
「この前までは、人からの視線が本当に嫌だったんです。
でも、ここ最近……
そう……あなたと黒沢さんが保健室でイチャついているところを目撃してしまってから、私は変わってしまいましたの。
黒沢さんの綺麗なお胸を見て……
そして、そのお胸に翻弄されて……振り回されているあなたを見て……
正直……
〈ゾクゾクっ〉と
してしまいましたの」
ストップ。銀条院さん。
これ以上はなんか嫌な予感がしたので、俺は銀条院さんにブレーキをかけた。
しかし彼女は止まらなかった。
「あ、そっか、
男も女も……みんなみんな……
おっぱいの虜なんだって思いましたの。
こんなぽよんぽよんの肉塊に……笑笑
目が釘付けになってるあなたを見て……笑笑
ああ、今まで私のおっぱいを見てた人達も全員……
あの日保健室で下半身を大きくしてひいひい言っていたあなたと同じだったんだ……
と気づいてしまいましたの。
あ……すごく……かわいいなって…………
思いましたの」
銀条院さんがおかしくなってしまった。
「あの日の夜、私、
お風呂で自分のおっぱいを観察して、触ってみたりしたんですけれど……
自分でも、えっちだなっ……て思ったんですの。
私のおっぱい、すっごいでしょ??」
俺は銀条院さんのおっぱいから初めて目を逸らした。
「不思議なことに……
次の日から、おっぱいへの視線の感じ方が変わったんですの。
不快なのは変わりないんですけれど、なんと言えば良いものか……こう……
奥底から湧き上がるようなものを感じるようになって……。
……もちろん、私だって、こんな風に感じてしまう自分が嫌なんです。
だって、何だか変態みたいじゃないですか」
そうかもしれない、と思った。
「だから、我慢しました。
ぐっと我慢しました。
でも、私のおっぱいへのいやらしい視線は容赦なく注がれ続けました。
朝学校に来て、授業中、お昼、そして帰るまで。……主に〈あなた〉から」
そうかもしれない、と再び思った。
「そして迎えた今日、
授業中……それは突然でした。
私の我慢は限界を迎え、爆発しました。
すぐにトイレに向かい、個室に鍵をかけました。
そこで私は……
これでもかという程、自分のおっぱいを強く揉みしだきました……。
痛いほど強く……。
ああ……見せつけたいなって思いましたの。
この感情がまだよくわからないのですけれど。
でも……もっともっと……
羨望や劣情の視線を向けてほしいなって思いましたの!
そうしたら私、手が止まらなくなって……」
俺は銀条院さんの肩を掴んで言った。
「銀条院さん、もういいよ……もう十分だ……」
「でもね……オタク君……」
銀条院さんは、笑顔で優しく続ける。
「私、こんな悪い子になってしまったのだけれど、こんな自分を変えたいと思っていますの。
おっぱいに視線を受けても、前みたいに普通でいられるようになりたい。我慢しなくてもいいようになりたいのです。
だから……オタク君……
私のおっぱいをいやらしい目で見るのをやめてほしいんですの。
……これが、私がテストで勝った時の条件です」
銀条院さんは俺の目を見て言った。
その目は本気だった。
……しかし、申し訳ないが、俺はうんと頷きはしなかった。
「ごめん、銀条院さん……
その頼み、ただ聞くわけにはいかないんだ。
妖羽さんは、ダメな俺に本気で数学を教えてくれているし、俺もそれに応えようと必死に勉強してる。
勝負を諦めて放棄することは、少なくとも今は……できないんだ」
冷静になって考えると、俺はクズなんじゃないかと思えてきたが、今はあまり考えないようにした。
銀条院さんは目を閉じた。
少し考え、そしてこう言った。
わかりました。では……お互いに本気でやりましょう……。
点数で、決着をつけましょう。




