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告解室のシスター

作者: こうが

 森の外れにある古びた教会にはシスターが一人いる。

 包帯で覆われた素顔は誰も知らない。

 その教会は忘れ去られたように、ただひっそりと建っていた。

 霧が深いその日、その教会を訪れた人物がいた。


「ここは……貴女一人で?」


「えぇ、司祭様も訪れません。既に忘れられた場所かもしれませんね」


 質素な教会には不似合いな上質な上着を纏ったその人物は、深く溜息を吐いて十字架のない礼拝堂をぐるりと見回した。

 異様な姿だろうが、彼は自然とそれを受け入れていた。


「そうか、司祭はいないか……」


 ふっと唇を上げた彼は薄暗い中に佇むシスターに頼んだ。


「告解室へ。懺悔をしても?」


「許しは与えられませんが、それでもお望みですか?」


 静かな声は少し嗄れていたが、背筋を伸ばし歩く姿に、もしかしたら若いシスターなのかもしれない、と彼は一瞬考えた。


「許しはいらないんだ。ただ、懺悔をさせて欲しい」


「では、どうぞ」


 狭い部屋の中、仕切りの向こういる彼女に彼は語る。

 その手はしっかりと、祈るように組まれていた。


「婚約者が、いたんだ。彼女はとても優秀で、心から尊敬できる人だった。私には兄が二人いる、優秀なんだ。だから私は優秀ではいけない。少し頼りないくらいがちょうどいい。―そもそも私は、争いは嫌いだった。ほんの小さな言い争いも、仲間同士の喧嘩も、女性達の嫉妬も、見ないふりをしていた。彼女はそんな私によく注意していたよ。―婚約者として、立場的に彼女しか言えなかったのに。最初は、いつも通りデビュタント間もない子爵令嬢が困っている様子だったからほんの一言声をかけただけだった」


 彼は荒くなりそうな息を整えた。


「彼女は感謝以上の感情を向けてきた。それこそ誰が見ても明らかな程に。その想いに応える気などなかった。私は争いが嫌いな卑怯者だが、婚約者を裏切る事だけはしないと誓っていた。それだけが私ができる誠実だった。―そんな事は求めていなかっただろうと、今なら分かるんだ」


 シスターは何も言わずに聞いていた。

 彼は震える手を抑え込むように強く組み直した。


「噂は途轍もない速さで拡がっていった。彼女は誇り高い人だった。決して誰かを貶める事はしないと分かっていた。―分かっていただけじゃ、ダメだったんだ。彼女が子爵令嬢を虐げている、侍女に酷い折檻をしている、一族郎党国に叛意を抱いている。そんな噂、噓だと私は分かっている。幾ら証拠を掴もうとしてもそんなものある訳がない。しかし、民衆にはそんなこと関係なかった。身分違いの恋、健気な子爵令嬢を虐げる公爵令嬢、子爵令嬢を守る王子、そんな物は舞台だけだ。お伽噺を熱望する民衆は日に日に増える。遂には公爵家の馬車を襲う程に」


 彼は目を閉じて息を深く深く吐いた。


「婚約者はいなくなってしまった。無事なのか、消息は分からない。無残に打ち捨てられた馬車だけが残っていた。……もう、彼女の呆れたように私を呼ぶ声も、舞台を見て涙ぐむ横顔も、差し出した花に頬を染める顔も、なくなってしまったんだ」


 力を入れすぎた手は白くなり、彼の瞳の奥は赤くなっていた。

 喉が震え、後悔なのか、怒りなのか、遂に懺悔を聞く彼女には判断できなかった。


「民衆の望み通り、私は子爵令嬢を妻に迎えるだろう。そうしないともう収まらない。だが、私と彼女の間に子が出来ることはない。お伽噺は、二人の結婚式が幸せのピークなんだ。それから先はどうなろうが、民衆には関係のないことだ。彼らが望むのは結婚式の幸せそうな花嫁の笑顔だけなんだから」


 言い切った彼は組んでいた手をほどいた。


「それが、不誠実な私に似合いの人生だろうな。いつも、彼女は言っていたのに。―妻になる令嬢は、夢を見ているんだよ。王子に愛されている身分の低い令嬢。高位貴族の妨害を乗り越えて王子が選ぶのは平凡な自分、選ばれたのは自分だと」


 彼は疲れたように笑う。その笑みはシスターには見えないけれど、空気で彼が笑った事は、シスターには分かっていた。


「夢は、いつか覚めるから夢なんだよ」


 それきり、彼は口を噤んだ。


「懺悔は、終えましたか?」


 沈黙が続く中、シスターの静かな、少し掠れた声が静かに響いた。


「ああ、感謝する。私は、許しではなく、覚悟を聞いて欲しかったんだろうな。これから先、私は、民衆の望む姿を演じていく。だが、令嬢を許すことができない。消そうとした数々の噂は、また燃え上がった。その中心には、いつも彼女がいた。裏に誰がいたのかなんてどうでもいい。婚約者の家を邪魔に思う奴らなんて幾らでもいた。利用されるだけの彼女に心を許すことができない。―それが、婚約者の言葉を真摯に受け止められなかった私の罰だ。許されてはいけないんだ」


 彼は立ち上がり、シスターに礼を言った。


「ありがとう、聞いてくれて。これが、私の最初で最後の懺悔だ。許されない事実だけあればいいんだ」


「お気を付けて。この先、困難があっても、きっと貴方は乗り越えるのでしょうね」


「そう、願うよ」


 霧の中、彼の背を見送ったシスターは静かに涙を零した。


「貴方が、安らぎを感じる時がありますように」


 包帯で覆われた顔、掠れた声、今の姿は既に彼の記憶の中の姿とは全く違っている。

 彼女の絶望も、憎しみも、彼が持って行った。


 その教会は、森の外れにある。

 十字架のない礼拝堂で、シスターが一人、今日も、祈っていた。

 その手には、押し花の栞があった。


 終

告解室で許しを与えられるのは司祭以上と、昔カトリックの友達から熱弁されたことを思い出しました。

因みに王子はシスターが元婚約者とは最後まで気付いていません。そういうとこだぞ、と。


シスター・・・元公爵令嬢、王子の婚約者。馬車を襲撃されても何とか生き延びた。教会の事は知っていたので療養中。まだ移動がしんどい。

王子・・・八方美人。多分商人に雇われる立場なら出世できた。上に立つタイプじゃない。公爵家を起こして一代で終わりにする。

子爵令嬢・・・悪気がないから性質が悪い。

公爵家・・・怒り心頭、クーデター起こそうとして公爵令嬢が止めた。領地に引きこもって娘の帰りを待っている。定期的に食料と医者とメイドさん派遣。

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― 新着の感想 ―
今は民衆に沿った物語を演じるのは仕方ないとしても、ひっくり返していかないと王家はお飾りと化してしまうと思います。この王子には無理でも、少しは危機感を持って動いている者はいるでしょう。そうなったときに、…
 噂話と偏見で民を暴走させるのは天災疫病だけじゃないんですね。野心の度合いや望む望まぬ関係なしの身分絡みの嫉妬からの悪者でっちあげ含め、怖さが現代でも皆無と言い切れず、怖いです。  それにしても、個人…
民衆は虐げられる子爵令嬢に味方して、悪の公爵家を打つ自分達を“正義”だと思ったんでしょうね。実際にその人を見たことも、人となりを知ることもなかったのに。 戦う力を持つことを嫌った王子には守る力もなかっ…
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