第4章:毒の萌芽
三度目の軍議。もはや賈詡の目に光はなかった。
人道も、改善案も、全てが死に繋がる。生き残る道は、ただ一つしかない。
(―――この男の、欲望の奴隷となれ)
遷都の詔が下され、廷臣たちが静まり返る。賈詡もまた、石像のように微動だにしなかった。
やがて、危惧されていた問題が側近の一人の口から上がった。
「しかし太師、遷都には莫大な費用がかかります。焼き払った洛陽の民に食糧を与えるにも、軍を動かすにも、もはや国庫にその蓄えはございません」
董卓の眉間に深い皺が刻まれる。金がない。それは、いかなる暴君であろうと覆せない現実だった。
その時。
静寂を破り、一人の男がゆっくりと進み出た。賈詡であった。
彼の表情は能面のように固まり、その声は感情の欠片も感じさせなかった。
「御心配には及びますまい、太師」
董卓が怪訝な顔で彼を見る。賈詡は、恐ろしいほど平然と、その言葉を紡いだ。
「この洛陽には、後漢歴代皇帝の陵墓がございます。そこに眠る金銀財宝を、遷都の資金とすれば、万事解決いたしましょう」
一瞬、宮殿から完全に音が消えた。
歴代の皇帝の墓を暴く。それは、人の道に悖るだけでなく、漢王朝そのものを根底から冒涜する、悪魔の所業であった。廷臣たちは顔面を蒼白にし、賈詡をまるで化け物でも見るかのように見つめた。
だが、玉座から聞こえてきたのは、怒声ではなく、腹の底から湧き上がるような哄笑だった。
「ククク……ハッハッハ!面白い!実に面白いぞ、賈詡!なぜ今までそのことに気づかなかったのか!」
董卓は玉座を降りると、賈詡の肩を力強く叩いた。その目には、猜疑心など微塵もなく、同類を見出したかのような親密な光さえ宿っていた。
「気に入ったぞ!貴様こそ、ワシの腹心よ!」
賈詡は、ただ無表情に頭を下げるだけだった。
彼は生き残った。三度目の正直で、ついに死の運命を乗り越えたのだ。
だが、その心に歓喜はなかった。宮殿を後にする彼の足取りは、まるで鉛を引きずるように重かった。
自らの命を繋ぐために、彼は漢王朝の魂を売り渡し、死者の安寧を汚す道を選んだ。
この日、賈詡という男の中で、何かが決定的に死んだ。
そして、その死骸の中から、後に天下を震撼させる「毒」が、静かに芽吹いたのである。
賈詡が墓荒らしを提案したという話は史実ではないのですが、この小説の上ではこのような設定にさせてもらいました。
ただ、実際に提案しそうだな、とも思ってたりします。
略奪がより広がるよりはマシ、という判断もできますので。