逃避行の始まり
炎に包まれた村を後にして、リオンはセリアの手に引かれながら森を駆け抜けた。焦げた匂い、悲鳴、崩れ落ちる家屋の音……すべてが現実感を帯び、胸を締め付ける。
「大丈夫か?」
セリアが振り返り、少年の顔を覗き込む。汗と煤で汚れた頬に、赤い光が映る。
「……なんとか、息はできてる」
リオンは息を整えながら答えるが、心臓の高鳴りは収まらない。
「森の奥に行けば、一時的に安全よ。魔物もさすがにあの火災からは遠ざかるはず」
「そ、そうか……」
リオンは杖も持たぬ彼女の背中を頼りに、一歩一歩ついていく。
森の奥に入ると、ようやく騒音が薄れ、静けさが戻ってきた。だが、静寂は不安の影も伴っている。足元に落ちた枝を踏むたび、心臓が跳ねる。
「ふぅ……やっと落ち着いた」
セリアは杖を下ろし、肩で息をする。
「村は……もう……」
リオンの声は震えていた。言葉にならない悲しみが喉を塞ぐ。
セリアは少し間を置き、ぽつりと言った。
「……大丈夫。生き残った者がいる限り、希望は消えないわ」
その声は冷静だが、どこか温かさを帯びていた。リオンは胸に熱いものが込み上げるのを感じた。
二人は森の中で少し歩みを止め、互いの顔を見合わせる。
リオンは勇気を振り絞って言った。
「……ありがとう、助けてくれて」
セリアはわずかに目を細める。
「礼なんていらないわ。ただ……迷惑をかけないでね」
その時、遠くの茂みからガサッという音がした。二人は即座に構え、息を潜める。
小さな影が、茂みの中から飛び出してきた。魔物かと思った瞬間――子鹿だった。
「……はぁ」
リオンは力なく膝をつく。セリアも思わず笑みを漏らした。
「ホッとした瞬間に笑うなんて……あんた、意外と人間らしいわね」
「お、お前こそ、こんなときに笑うなよ!」
互いに顔を赤らめ、微妙に目をそらす。初めての二人きりの距離に、リオンは心臓の鼓動を抑えきれなかった。
だが、安堵の時間は長くは続かない。森の奥から、再び低い唸り声が響いた。黒い影が茂みの間を滑るように動く。
「魔物……まだいるのか?」
リオンの手が震える。
「ええ、逃げるしかないわ」
セリアは杖を構え、少し前に立つ。
「……リオン、しっかりつかまって」
リオンは彼女の手を握り、視線を合わせる。互いに無言のまま、恐怖と緊張が共有される瞬間だった。
「はい……わかった」
二人は森の奥深くへ駆け抜ける。息を合わせる足音と、胸の高鳴り。少年と少女、二人の逃避行は、こうして始まった。
――赤い空の下で芽生えた小さな絆が、やがて世界を揺るがす冒険の糸となる。




