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神曲(11-1)  作者: 名倉マミ
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第十一章-1 「ワルキューレ」

私は間違っている。しかし、世界はもっと間違っている。

:アドルフ・ヒトラー

《二〇二〇年 岐阜》


 「ぼくの本やブログを読んでくれているということだから、よくおわかりだと思うけれど、応答型真性異言という超常現象は生まれ変わり以外に説明がつかない。ある人が全く習ったこともない外国語でネイティブの人と、ほんの少しだけでも会話が成立するというのはね」

 催眠療法家の龍堂寺功は言う。年の頃七十過ぎだがまだ壮年の意気、背が高く逞しい体躯で、豪放磊落といった形容が相応しい。

 元々は小学校の教員だったが、一子相伝の催眠療法家の家系でもあり、子供の偏食や夜尿などは簡単に治したという。

 ある時、成人のクライエントに退行催眠を施術していると、深いトランス状態に陥った彼女の口から前世の記憶と思しきものが語られた。それまで徹底した無神論者で、魂や輪廻転生の存在などは完全に否定していた龍堂寺だったが、被虐待児で自傷行為のあった彼女に発現した目覚ましい治癒効果を見て、少しずつ関心を持つようになった。

 だが、当初は「『前世の記憶』なるものはクライエント自身の潜在的な願望が創作したファンタジーである可能性が高い」という立場だった。「それでも心身の病気や障害に対する劇的な治療効果があるならそれで良い」という考えで時折、前世療法を取り入れ、クライエントに「前世の記憶」を「蘇らせて」いたものの、二〇〇五年と二〇〇九年に驚くべき経験をすることになる。

 「はい。『フキの事例』も『ラタダジュールの事例』も読みました。ラタダジュールの方は映像も観ました。あれはガチやと思う」

 龍堂寺の大きな私宅のセラピールームのソファに座ったわたしは答える。

 二〇〇五年の「フキの事例」は被験者・若菜に退行催眠を施術したところ、江戸時代に生きた女性・フキの記憶が非常にはっきりとした発音で、理路整然と、龍堂寺の質問に答える形で語られたというものだ。彼女は十七歳で、一七八三(天明三)年の浅間山噴火を鎮めるための人柱として吾妻川に沈められたというが、それらのエピソードは、若菜が予め調べることができたとはとても思えない稀少な史料と高い符合を示した。朝右衛門という養い親の名前まで一致したというのだ。

 この経験から、龍堂寺は、「前世というものは想像や信仰の類ではなく、実際に存在するのではないか」「人間は生まれ変わるのではないか」と考えるようになった。そうすると、「生まれ変わりの主体」というものが存在することになる。仮に「魂」と名付けるならば、「記憶」というのは脳という臓器だけではなく、その正体不明の「魂」にも蓄積され得るということになる。

 この仮説を決定的に裏付けたのが二〇〇九年の「ラタダジュールの事例」だ。被験者は同じく若菜で、何度かのセッションに亘って、十九世紀ネパールに生きた男性・ラタダジュールの記憶が語られた。彼はその後、龍堂寺が現存を確認したある村の村長だったという。

 龍堂寺は三人の医師や大学教授らと共に、「応答型真性異言研究チーム」を結成した。「応答型」とは「会話型」ということ。つまり、一方的に話すのではなく、相手との間にやり取りが成立するということ。「異言」は、学んだことのない外国語もしくは意味不明の複雑な言語を突然話し出すことをいうが、キリスト教などの宗教的な文脈で用いられる場合と区別するため、日本語では敢て「真性」という単語を付け加えている。

 「習ったことのない外国語でその言語を母語とする話者と会話する」応答型真性異言は、人類史上、いくつか例があるが、世界で初めて、そして恐らく現状では唯一、映像で記録することに成功したのが龍堂寺だ。

 龍堂寺がブログにupしている、TV放映もされたというその映像をわたしも観た。画面には姿の見えない龍堂寺と何人かの研究者が見守る前で、ソファに寄りかかって眠っているような女性に、ネパール人の研究者が母国語で話しかけている。ほとんどが譫言のような片言の単語だが、若菜は彼女の質問に答える形で、ネパール語らしい言葉をいくつか話している。

 一度だけ、自分から、はっきりとこう言った。

 「Tapai Nepali huncha ?」

 ネパール人研究者が驚きに目を見張って龍堂寺を振り返る。

 「何て言ったの!?」

 声だけの龍堂寺が興奮して尋ねる。研究者は喜びと懐かしさに顔を輝かせながら答える。

 「『あなたはネパール人ですか』って」

 「『あなたはネパール人ですか』って言ったの!?ネパール語で!?」

 若菜を囲む面々が静かな熱狂の渦に呑みこまれるのが時も場所も隔てた画面越しにも伝わった。

 「Ho,ma Napali」(はい、わたしはネパール人です)

 と研究者が答えると、若菜は満足そうに微笑み、

 「O,ma Nepali」

 と答えた。龍堂寺のブログにアクセスすれば誰でも視聴することができる。

 誰でも考えるのが、「若菜がネパール語を全く知らないというのは嘘で、本当は過去に学んだことがあるのだろう」というものだ。だが、これに関してはフキの事例も含めて、龍堂寺自らがチームメンバー立ち会いの下、ポリグラフ(噓発見器)まで使って確認を取っている。そんな嘘をつくのが如何に難しいか、また、如何に無意味であり不必要であるかを、ブログでも著作でも徹底的に論証している。

 それでも、「それくらいなら、ラタダジュール人格が現れた初回のセッションから応答型真性異言が発現したセッションまでの間に、若菜がネパール語に興味を持って調べたのだ」と言い張る人もあるかもしれない。しかし、若菜が発話したネパール語には、ネパール人研究者ですら知らなかったその地域独自の訛りまで確認されたというのだ。

 「私の書いたものを一通り読んでくれているわけだから、改めて説明するまでもないと思うけど、念のためにお話しすると、私はフキが溺れ死ぬ瞬間をセッションで共有した時から、『これは若菜さんがフキだった時の記憶を思い出しているのではない』『今、溺れ死ぬ瞬間のフキが若菜さんの肉体を借りて顕現しているんだ』と直観したんです。ラタダジュールもそう。ラタダジュールの人格が今でも若菜さんの中で生きていて、深い催眠状態になると、暗示によってその人格を呼び出すことができる。ラタダジュール自身だからこそ、彼の母語であるネパール語を操ってネパール人と話すこともできるわけです。

 私は魂の二重構造仮説というのを取っていてね、魂は中心核と表層の二層で構成されていると推測している。魂の表層部にはこれまでの前世人格がミラーボールの鏡の一片のように位置付き、また、各々の人格が友愛を結んで現世人格をバックアップしていると考えている。つまり、前世人格というのは肉体を失っても、不滅なる魂の表面で『生きて』おるんですよ。これは勝手な想像ではなくて、これまで何百何千というクライエントに施術して蓄積したデータから抽出した仮説だよ。私の催眠によってそのミラーボールが回転して、十朱ミクさんという現世人格から、メールに書いてあったそのドイツの将校さんに交代してもらうというイメージです。私は『自己内憑依』と呼んでいるんだがね」

 「早くかけてほしいです」

 とわたしは言った。急に男みたいな声になって習ったこともないドイツ語を話し出すとは思わなかったけれど、「龍堂寺メソッド」で商標登録もされている龍堂寺独自の手法は普通の前世療法とは違ってとてもおもしろいとネットで聞いていた。

 「まあまあ、『魂状態の自覚』まで催眠を深化させるには時間がかかりますから焦りなさんな。私の見たところ、十朱さんは非常に催眠感受性の高い、潜在意識と顕在意識との結びつきが強い方だと思いますよ。なんせ、ご自身が十代の時に書かれた小説に、無意識にご自身の前世の姿を描き出していた可能性があるのですから、私も興味のあるケース、興味のあるクライエントです。

 ではまず、そのソファに深くかけて、軽く目を閉じて、ゆっくり深呼吸するところから始めて下さい。マスクは外してもらって良いです。ゆっくり、ゆっくり呼吸していきます」



《一九四四年 四月 ベルリン》


 「カナリスが解任されて、俺らやゲシュタポの監視下に入ったのはかなり痛手だったはずだが、旧アブヴェーアの反ナチ残党は懲りてないな。一部でヴェルマハトと連携しての不審な動きがある。有事の時、ベルリンで予備軍動員の連絡役くらいできる奴もいるし、書類偽造経験を活かしてクーデター計画の通信網を調整なんてあいつらにとっては薬籠中のものだろう。引き続き監視を強化だな」

 ゲシュタポから報告を受けたステラン・ゾーファーブルクは、書面を見ながらわけもなさそうに言う。

 「中佐殿は旧アブヴェーアに拘りますな。あんなものはもう何の力もありません。私はやはりヴェルマハトの方を警戒すべきかと」

 報告した男は言う。

 「昔ちょっと因縁のある相手がいてな。やらかして失脚してくれると最高におもしろいんだが」

 ゾーファーブルクは女のような顔に花の笑みを浮かべる。男はぞっとする。もう四十格好だが、三十と言っても通るだろう。容姿も入隊時の選考基準となる親衛隊としても若々しく、きれいな男だ。



《一九四四年 五月 ベルリン》


 「このオレンジの花、何だ?きれいだな」

 窓辺の花瓶に活けられた花を示して、オスカーが言う。

 「ガーベラよ。ゴットフリーデが持ってきてくれたの」

 エルスベットが食事の準備のためにテーブルの上を片付けながら言う。

 「そうか。よく気の付く子だな」

 オスカーは呟く。

 ゴットフリーデは二、三年前からローゼンシュテルン家で使っている通いのメイドだ。フルネームはゴットフリーデ・オズヴァルトというのだが、初めてうちに来た時まだ十五かそこらの小娘だったので、オスカーもエルスベットも子供たちまで、「ゴットフリーデ」と気安く名前で呼ぶ癖がついてしまった。

 何にせよ、余計なことは言わず、真面目に働くので、オスカーもエルスベットもかわいがっていたし、子供たちも懐いている、特にパウラは姉のように思っているようだった。

 最近ではエルスベットが無料でピアノを教え始めていて、オスカーも在宅の時にはよくその音色に心を和ませられた。

 戦争が始まってから、エルスベットもパウラも長らくピアノを弾いていなかった。近所から「贅沢だ」「呑気だ」と思われるという気兼ねもあるが、何よりそんな気分にならなかったようだった。

 どうして心境が変わったのかと妻に訊くと、

 「ピアノくらい弾かなきゃ鬱陶しくてしょうがないじゃない。空襲警報とゲッベルスの演説ばかり聞き飽きたわ」

 という答えが返ってきた。

 ある日、ゴットフリーデが一人でピアノを弾いている部屋にオスカーが拍手しながら入って行くと、彼女は驚いて演奏をやめ、恐縮した。

 「すみません、奥様が、仕事がない時はいつでも勝手に練習していいと言って下さったものですから」

 「謝る必要ないじゃないか。妻がいいと言ったんだろ?やめないでもっと聴かせてくれよ。ベートーヴェンの『歓喜の頌歌』だろ」

 オスカーが椅子に座って言うと、ゴットフリーデはちょっと遠慮しながらも、嬉しそうに演奏を再開した。

 「わたしがこんなことを言うのも差し出がましいようですが、旦那様は何か大変な決意をなさりつつあるように見えます。でも、軍隊にお勤めですし、戦況が悪化しているようですから、奥様もお嬢様もお坊っちゃまもわかっていらっしゃると思います。奥様もお嬢様もお坊っちゃまもわたしも、『必ず生きて帰って下さい』という願いは同じです」

 演奏の合間に、いつも口数少ない彼女が珍しくそんなことを言った。きっと今に召集令状が来て戦地に赴かねばならないか、自分から志願するつもりだと思っているのだろう。

 そうであればまだよかったかもしれないがな。思いつつ、オスカーはやさしく言う。

 「それはゴットフリーデが心配しなくていいことだよ。君は自分自身とご両親と、東部戦線で戦っているお兄さんのことを一番に神様にお祈りしなさい」

 「ありがとうございます。旦那様」

 年若いメイドは、すみれ色の目にうっすらと涙を浮かべてそう言った。

 また、ゴットフリーデはこんなことも言った。

 「何か才能を持って生まれることができてその才能を選べるのなら、天才に生まれることができるなら、旦那様はどんな才能が欲しかったですか」

 オスカーはちょっと考えて、答えた。

 「詩文の才能、文才かな」

 ゴットフリーデはオスカーの顔をまっすぐ見て言った。

 「わたしはやっぱり、音楽です。ここで奥様からピアノを教えていただけて、旦那様に温かいお言葉まで頂戴して、本当に感謝しています」

稲垣勝巳『前世療法の探究』春秋社

稲垣勝巳『生まれ変わりが科学的に証明された!』ナチュラルスピリット社

ブログ「稲垣勝巳生まれ変わりの実証的探究」

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