46:目覚める静けさ
46:目覚める静けさ
――作戦当日、早朝。
拠点の上空を、薄い雲がゆっくりと流れていた。
その切れ目から淡く射し込む朝の光は、いつもより幾分柔らかく、優しかった。
戦いの朝にしては――いや、戦いの朝だからこそ、妙に静かで澄んでいた。
兵舎の一室。
古びたベッドの端に座ったリリコは、静かに荷物の中身を確かめていた。
重たい沈黙の中で、彼女の指先だけが淡々と動いている。
サプレッサー付きのハンドガン。
最低限の装備が詰まった通信端末。
小さな折り畳み式ナイフ。応急用の簡易パック。
ひとつ、またひとつとチェックするごとに、自分が“戦場に行く”という現実が、重みを持って手の中に積み重なっていくようだった。
だが、不思議なことに――
(……怖くない)
自分の胸の中が、あまりにも静かで驚く。
昨夜まで感じていた不安やざわつきは、朝日の中に溶けてしまったのか、それとも、自分のどこかが変わったのか。
リリコは手を止めて、ふと傍らの小さな鏡に目を移した。
映っていたのは、無表情な自分。
口元に緊張はなく、目だけが強く、どこか鋭さを帯びていた。
(なんで、こんなに冷静でいられるんだろ)
自分でも理由がわからなかった。
これから向かうのは、命を奪い奪われる場所。
誰かを撃つかもしれないし、誰かが隣で倒れるかもしれない。
けれど今、心の奥にあるのは恐怖ではなく――静かな問いだった。
(私は……本当に、戦えるの?)
異能力もない。
細胞活性の処置も、まだ受けていない。
アーサやロイス、ジンのような“武器”が、自分には何もない。
(それでも)
(それでも、行きたいと思ってる)
自分がどこまでやれるのか、それを知りたい。
逃げずに、真正面から。
感情が死んでいるわけじゃない。
むしろ逆。
生きている証を、今この手で掴み取りたかった。
「――おーい、点呼するぞー」
アーサの伸びやかな声が、外から聞こえてきた。
それが集合の合図だった。
リリコはゆっくりと立ち上がり、荷物を背負った。
重さはあった。でも、足は自然と動いた。
中庭に出ると、すでに他のメンバーは集まり始めていた。
ロイスは端に立って、空を見上げている。
ジンは背伸びをしながら、緊張を隠すように「眠ぃ」とぼやき、
アーサは口元に煙草を咥え、火は点けずにただくわえていた。
シーナはタブレット端末のチェックに集中していて、誰とも目を合わせない。
誰も浮き足立っていなかった。
この数日間で積み重ねた訓練と交流が、確かに“部隊”という輪郭を作り出していた。
その空気が、リリコを少しだけ安心させてくれる。
(私も……ここにいていいんだよね)
そんな風に思えたのは、ほんの少し前の自分にはなかった感情だった。
「出発するわよ。転送ポイントまで約80分。音を立てずに、慎重に移動して」
シーナが端末を閉じ、淡々とした声で告げる。
誰も言葉を返さない。ただ一斉に頷く。
そして、一行は静かに動き出した。
隠密行動用の車両は拠点の裏手に待機していた。
マットな黒の塗装、エンジン音も極めて静かだ。
小型ながら頑丈に改造され、天井に荷物を積むスペースが設けられていた。
乗車の際にも言葉はなかった。
みな、自分の役割と緊張を噛み締めていた。
森を抜け、街道の裏手を通り、
ようやく車両を降りた頃には、太陽はもう空の高みに差しかかっていた。
足元は柔らかな湿地。
朝露はまだ消えていない。
風が、木々の間をすり抜けていく。
目的地は、森の奥にある廃屋――
数年前に使われていた通信所の残骸だ。
既に使用されていないその建物は、電波の痕跡もなく、敵のレーダーにも引っかかりにくい。
まさに、転送起点として“最適”な場所だった。
シーナが手のひらに小さな円形装置を乗せ、空間に向けて起動させると、淡い光が渦のように拡がる。
「ここから先、戻れないわよ。覚悟はいい?」
その言葉は、誰に向けたわけでもなく、
ただ“空気”に向けて放たれた問いだった。
誰も返事はしなかった。
でも――誰も立ち止まりもしなかった。
それが答えだった。
リリコは、小さく息を吐き、手袋の中で拳を握り直した。
(私はただ……)
(私自身を、試したい)
そう思った時、風が頬を撫でた。
その冷たさが、やけに心地よく感じられた。
それは、命の実感だった。
彼女は目を閉じて、わずかに笑った。
そして、目を開くと、そこに“戦場”の気配が漂い始めていた。
――次の瞬間、全てが動き出す。




