45:前夜
45:前夜
夜の帳がすっかり降りきった拠点。
その一角にある、使い古されたブリーフィングルームに、埃っぽい空気が静かに沈殿していた。
外の風音だけが、時おり鉄骨の隙間をすり抜ける。
蛍光灯の半分はすでに切れているのか、照明は不安定にちらついていた。
中央の会議テーブルには立体ホロ装置が置かれ、灰色のパネルがぼんやりと光を灯している。
リリコは椅子に座り、誰にも気づかれないように小さく息を吐いた。
隣にはジン、その向こうにロイス。
向かいにはアーサとシーナ――この部隊の全員が、ここにいる。
「……じゃ、始めるわね」
いつものように淡々と、しかしその声色はどこか張り詰めていた。
シーナが、短く呼吸を整えてから言葉を続ける。
「明日の作戦。目標は、政府軍が最近設営した小規模拠点の無力化。
拠点自体は大きくないけれど、戦線の隙間を繋ぐ補給中継点。ここを叩ければ、味方の進行ルートが開く。……つまり、“支援作戦”ね」
そう言って、彼女が操作すると、ホロ投影に地形と建物の輪郭が浮かび上がった。
拠点外周、警備の配置、内部構造――すべてが緻密に再現されている。
ジンが小さく「すげぇ……」と呟くのが聞こえたが、それを遮るようにアーサが冷静な声を挟んだ。
「今回は私たちだけで正面突破する作戦じゃない。
あくまで内部からの撹乱と支援。破壊より“混乱”が目的だ」
「……撹乱って、どうやって?」
リリコが不安を滲ませながら問いかけた。声の端がかすかに揺れる。
「そこが今回の要よ」
シーナの視線がゆっくりと彼女を横切り、全員を見渡す。
「私の能力――を使って、拠点内部に一気に“転送”する」
一瞬、全員の動きが止まった。
空気がわずかに凍る。
「て、転送って……? そんなこと、できるの?」
ジンが椅子ごと少し前のめりになった。
「条件付きで、ね」
シーナは静かに言った。
「転送先には、“座標”が必要。空間を繋ぐには、まず誰かが現地に潜入して、私に信号を送らなきゃいけない。
場所が不確定だと、転送先は崩れてしまうわ。だから、先行して潜入する必要がある」
「……つまり、先に誰かが“地雷原に飛び込む”ってわけだな」
アーサの言葉は、冷徹なようでいて、事実を正確に言い表していた。
「その役目は……ロイス」
シーナの視線が、彼に向かう。
「隠密性と判断力、それに未来視。危険の予知ができるのはあなただけよ」
部屋の中で、椅子が少し軋む音がした。
全員の視線がロイスに集まる。
しかし、当の本人はただ一言だけ返した。
「……了解」
表情も変えず、声に抑揚もない。
でもそれは、逃げないという意志の証だった。
リリコは小さく息を呑んだ。
(ロイスが……単独で敵地に……)
「……転送されたあと、私たちは?」
リリコが、少し遅れて質問した。
気丈に見せようとしても、その声はかすかに震えていた。
「施設内部で撹乱を行って。できる限り、補給倉庫や発電ユニットの破壊を優先して。
直接の戦闘よりも、“機能の無効化”が目標よ」
「戦場のど真ん中に突然、降って出るのか……なんつー派手な登場だな」
ジンが笑いを交えた声で呟いた。
けれど誰も笑わなかった。
「……転送って、安全なの?」
リリコの問いかけは小さな声だった。
それでも、誰よりも切実だった。
シーナは少しの沈黙のあと、正直に答えた。
「完璧ではないわ。座標の精度、外部干渉、環境差……不安定な要素はいくつもある。
でも、私は一度もミスしていない。だから、信じてほしい」
リリコの目がわずかに揺れた。
誰かがそっと息を吐いた気配がした。
でも――
彼女の指先は、サプレッサー付きのハンドガンのトリガーガードに、静かに触れていた。
自分が“誰かを撃つ”かもしれない。
自分の行動が誰かの命を左右するかもしれない。
そんな現実が、ゆっくりと、体の奥に染みていく。
(あたし、こんな場所にいて……何をしてるんだろう)
ほんの数週間前までは、制服を着て、デスクの前で未来を夢想していた。
今は――戦いの渦中にいる。
戦う理由すら、曖昧になってきている。
それでも、逃げなかった。
いや、逃げられなかったのかもしれない。
「リリコ?」
その時、不意にロイスの声が届いた。
「っ……なに?」
「手が、震えてる」
彼女は驚いて、自分の手元を見る。
わずかに汗ばんだ手が、ハンドガンをぎゅっと握りすぎていた。
「……だ、大丈夫。ちょっと、寒いだけ」
「そうか」
ロイスはそれ以上、何も言わなかった。
でもその静けさが、なぜか救いだった。
(……私には、この人たちがいる)
バラバラの過去。
重すぎる秘密。
それでも――今は“仲間”と呼べるものが、ここにある。
シーナがゆっくりとブリーフィングを締めくくった。
「……各自、休んで。最終確認は明朝。遅れないで」
椅子の脚が床を擦る音が、静かに響く。
誰も言葉を発さず、各々の足取りで部屋を後にした。
リリコは、最後にひとり立ち止まり、
投影が消えた後の暗いホロ装置を見つめた。
(明日は、“命を懸けて”何かを壊す日だ)
それが、戦うということ。
彼女の中にあった“日常”の感覚が、完全に消え去った瞬間だった。
――夜は、静かに深くなっていく。
次に目を覚ます時、世界はまた一段と、彼女たちを遠くに連れて行くだろう。




