44:エンドポイント
44:エンドポイント
深夜の拠点は、まるで戦いの一歩手前に息を潜めるように、ひとつの大きな塊となって眠っていた。
仮設棟の明かりはすでに落ち、巡回兵の足音だけが、遠く微かに規則正しく響いてくる。
だが、その中でもひとつだけ――灯りが消えていない場所があった。
それは、かつて司令室として使われていた一角。
壁の一部が焦げて剥がれ、機器の多くは破棄されていたが、奥まったスペースにだけ、かろうじて電力が通っている。
その薄明かりの中で、シーナはひとり、机に地図と端末を広げていた。
タブレット型の表示板には、ルートマップと数式が並び、転送領域のシミュレーションが淡く光っている。
それはまるで、彼女の神経を直接映したかのように、滑らかで冷たい光を放っていた。
「……ここの通路が塞がれていたら、第二ルートで行くしかない。けど……“第二”は接近が遅れる。反応速度が落ちるとロイスが先頭に立つ……それは避けたい」
低く抑えた独り言が、静寂に染みていく。
転送能力で戦力を“敵の内側”に送り込む作戦。
それは成功すれば瞬間的な突破を可能にするが――一歩、計算を誤れば、味方は座標のズレによって壁の中、地中、あるいは空中に弾かれて“消える”。
彼女はそのすべてを知っていた。
だからこそ、背筋を丸めたまま指を止めない。
地図の上をなぞり、転送点の候補を吟味し、ありとあらゆる失敗パターンを頭の中で演算し続けていた。
「……地下通路が存在する可能性も……いや、封鎖されてる可能性の方が高い。なら……」
指が止まる。思考が一点に詰まる。
その時だった。
背後で、ふっと空気が揺れた。
わずかな足音。だが、気配は静かだった。
「……寝てないのか」
低く、感情の薄い声。
振り向くと、そこにはロイスが立っていた。
彼は壁の影から現れ、わずかに光の中へ踏み出す。
その表情はいつものように読めず、ただ彼女の作業を見下ろしている。
「……あなたこそ、何してるの?」
「通りすがり。灯りが見えたから」
「ふうん……気になるの? 作戦の中身」
シーナは椅子を回し、少しだけロイスに身体を向けた。
だがその手は、まだタブレットの角を離さない。
ロイスは一歩、机に近づき、無言で地図を覗き込む。
「それより……顔、疲れてる」
その何気ない一言に、シーナは不意を突かれたように視線をそらした。
「……見ないでよ」
わずかに、頬に赤みが差す。
それは、今までの彼女の中では見せたことのない反応だった。
「……プレッシャー?」
ロイスの問いは、あまりにもあっさりとしていた。
だが、その中にあった“察している”という空気は、彼女の防壁をかすかに崩した。
「プレッシャーなんて……そんな子供みたいな言葉で片付けられるものじゃない」
「でも、誰よりも考えてるのは……多分、お前だろ」
「当然でしょ。
私がこの部隊の“頭脳”だって、みんなが思ってる。だから……ミスは許されない」
タブレットに映った光が、彼女の目元に映る。
「転送って、便利なように見えるけど……
“失敗”すれば、即死と同じ。
私の判断ひとつで、リリコやジンを殺すかもしれない。
……それを理解したうえで、この能力を使わないといけないの」
唇がかすかに震えていた。
それを見ていたロイスは、しばらく何も言わず――そして、低く呟く。
「それでも……お前がやると信じてるから、誰も口を出さない」
「それって……信頼?」
「少なくとも、俺はそう思ってる」
シーナの目が、わずかに揺れた。
ロイスが、こんなふうに感情を言葉に乗せるのは稀だ。
それが自分に向けられたと知った時、彼女の中に何かが微かに溶けた。
「……おだてられても、あんたに褒められても……嬉しくない」
「そうか」
「……でも」
彼女は地図の一点を指差した。
「ここ。旧地下施設跡。もしかすると、隠し通路が残ってるかもしれない。
古い都市構造なら、緊急避難用の退避ルートがあるはず」
「情報は確定してない?」
「ええ。資料が不完全で。……転送は、正確な座標がなければ成立しない。
不確定な空間に送れば、それこそ壊死する」
ロイスは、わずかに目を細めた。
「その判断を下すのは……結局、お前だ」
「わかってる。……だからもう少しだけ、時間が欲しい。
必ず、最善を見つけてみせる」
その目には、不安も焦りもあった。
だが、それ以上に“覚悟”があった。
ロイスはゆっくりと立ち上がった。
そして、背を向けかけながらぽつりと告げた。
「……あまり、背負いすぎるな。
お前の肩に全部乗せるには、命が……重すぎる」
その言葉に、シーナは小さく目を見開いた。
だが、すぐに表情を戻し、淡く微笑んだ。
「……ありがとう。でも、私は全部背負うって決めたの。
だから――きっと、やりきる」
ロイスはそれには何も答えず、足音もなくその場を去っていった。
シーナはその背中を見送り、ふっと笑う。
「……ほんと、読めない男」
再び向き直ると、地図の一点を指で撫でる。
そこにあるかもしれない“逃げ道”は、今の彼女にとっては希望ではなく、“守るための道”だった。
作戦の時は近い。
その重みを、誰よりも理解しているからこそ――
彼女は今日も、光の少ない場所で戦っていた。




