37:名もなき重み
37:名もなき重み
新規隊としての日々は、静かに、しかし確実に――
リリコの価値観を変えていた。
戦うとは何か。
守るとは何か。
そして、生き延びるとはどういうことか。
かつての彼女は、政府軍の庇護下で作戦を“知識”として学んでいた。
指揮官の指示を覚え、戦況を俯瞰し、命を数字とラインで見ていた。
だが、いま目の前に広がる戦場では――
たった一人の判断が、たった一人の命を左右し、
そして、一人の命が隊全体を崩壊させる現実があった。
“失敗すれば死ぬ”という言葉が、比喩ではなく、
日常として染み込んでくる日々だった。
そして――あの夜。
ロイスの無茶に見えた行動は、冷徹な論理と、己への責任の果てに生まれた選択だったと、今は理解できる。
「誰かを助けるには、誰かを見捨てる覚悟が要る」
その言葉が、どこかで心に残っていた。
残酷だ。だが、それでも世界は動く。
その理不尽の中で、人は選び、生きていく。
リリコはようやく――「理解」という段階に足を踏み入れていた。
◆ 選別
新規隊としての一定期間が終わり、成果に応じた再配属の選別が始まった。
広場に集合させられた新兵たちの前で、幹部たちは一人ひとりの名を呼び、その資質に応じた配属先を告げていく。
「マルコ・ロイス、ジン・シリュウ――特級作戦部隊に配属」
静かな声が響く。
周囲の空気が一瞬、ピリッと張り詰めた。
特級作戦部隊。
それは、並の兵士では踏み入れられない“最前線の戦術核”。
情報と戦術を担う少数精鋭の部隊であり、過去に所属した者は一握り――
解放軍の最盛期ですら、伝説として語られる存在ばかりだった。
ロイスとジンの実力に対して、誰も異論はなかった。
ロイスは冷静な分析と未来視による戦局制御を。
ジンは剣術と直感による突破力を――
新規隊の中でも際立っていた。
しかしその直後、思いもよらぬ声が続いた。
「リリコ・チェスカノル――後方支援および連携班に配属」
妥当だった。
判断力も連携もまだ未熟だが、将来性はある。
リリコ自身も、言い渡された配属先に特に感情を見せず、軽く頷こうとした。
その時だった。
「――待て」
一人の士官が声を上げた。
リリコの背に括りつけられた古びたバッグ。
その中から、少しはみ出していた旧式の端末に目を留めたのだ。
「……それ、どこで手に入れた?」
リリコは一瞬戸惑いながら、素直に答えた。
「山越えの途中、小屋で会った人に……渡されて。使えって言われたけど、結局……」
士官が端末を手に取り、解析端末にかざす。
薄いディスプレイに、IDコードと、数件の通信ログが浮かび上がる。
誰かが息を呑む。
「……そのID、まさか……」
幹部の一人が小さく呟いた。
「これは……“シルバ”のコードだ」
場が静まり返る。
あまりに唐突で、突拍子もない名前。
だが、その名が持つ重みは、空気を一変させるに足るものだった。
“シルバ”――
政府にとっては災厄の象徴、
解放軍にとっては幻の英雄。
その消息は長く不明とされていたが、今、ここに――
確かに、その痕跡があった。
「……この娘は、シルバの紹介でここに来たのか?」
誰かが呟く。
「本人は知らずとも、彼が意図して動かしたのなら、それだけで意味はある」
「……なら、配属先を変更する。最前線へ」
決定はあまりにも早かった。
リリコが抗議の言葉を発するより先に、すべてが決まっていた。
「リリコ・チェスカノル――特級作戦部隊へ配属」
空気がざわめく中、リリコは一歩も動けなかった。
「……なんで、私が……?」
その小さなつぶやきに、ロイスが歩み寄ってきた。
彼の顔はいつものように冷静だったが――その瞳には、静かな温度があった。
「理由なんて、後でいくらでもつけられる。
大事なのは、“これから”どうするかだよ」
リリコは、はっとして彼を見た。
かつて感じた冷たさではない。
同じ重さを背負った仲間の目だった。
そのすぐ後ろで、ジンが軽く口笛を吹く。
「面白くなってきたな。こっから先は、誰がどこまで行けるか、勝負だな」
リリコはまだ、その“意味”のすべてを理解してはいなかった。
旧式端末の名が、どれだけの影響を持つのかも――
けれど、たしかにひとつだけ分かることがあった。
――“名もなき少女”だった自分は、
今、知らぬところでひとつの名を背負ったのだということ。
その重みが、これからの彼女を形作る火床となる。
そして、それはもう誰のものでもない。
これからは、リリコ自身の意志で刻まれていくものだった。