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31:選択と代償

31:選択と代償

「次、右……少し奥に……人影は、ない。はずだ」


ロイスの声はかすれ、浅い息の合間を縫うようにして絞り出される。

額には玉のような汗が浮かび、指先にかすかな震えすら見えた。


「“はず”って……ちょっと、ちゃんと見えてるんでしょ?」


リリコが不安と苛立ちを押し殺した声で問い返す。

狭い通路の中、彼女の言葉は反響して、かえって静寂を引き裂くように響いた。


「……見えてはいる。でも、ブレる。たぶん、起こされた影響だ」


ロイスは口の端に苦笑のようなものを浮かべ、力なく肩をすくめた。

その仕草にはどこか無力な諦めが混じっていて、見ている者の胸をざらつかせる。


彼の持つ“未来視”は、意識が不安定なままでは正確に機能しない。

それは、ロイス自身が最もよく理解していた。


「……こっちは遊びじゃないんだけどね」


リリコが吐き捨てるように言った。


ジンがその言葉にちらりと目を向けるが、口を挟むことはなかった。

この場では、静かな怒りすら贅沢なのだと、誰よりも知っているから。


地下水路の構造は思ったよりも単純だった。

旧時代の町にありがちな、排水と点検のためだけに作られた直線的な通路。

水深は浅いが、ぬかるみと老朽化した鉄柵が行く手を阻む。


空気は湿っていて重く、壁面の水滴が不規則に垂れ落ちる音だけが支配する空間だった。


「……あそこ、照明の反射が……」


ジンが、わずかに顔をしかめて立ち止まる。


「誰かいる」


その声が落ちきる前に、通路の先から叫び声が響いた。


「発見! 三名確認! 応援を要請する!」


まるで待ち伏せのようだった。

闇の中、反響とともに銃声が炸裂する。

細く狭い水路に鋭い音が跳ね、乾いた音とともに壁に弾が食い込む。


「くそっ……!」


ジンが素早く前に出る。

身を屈めながら壁際に張り付き、射線を切る。

水しぶきが跳ね、光が水面に乱反射する中――


「ここは俺がやる。ロイス、下がってろ!」


彼の声は、今までになく鋭かった。


「でも……!」


ロイスが一歩踏み出そうとする――


「“今のあんた”じゃ無理よ」


リリコが間髪入れずに言い放った。

その言葉は、ロイスの胸を容赦なく突いた。


彼女の目には、もう迷いも疑いもなかった。

あるのは、現実を直視した上での決意だけ。


「ここで死ぬなら、それはそれ。あたしは……あんたみたいにうじうじしてる暇なんかないの」


そう言って、彼女は腰に忍ばせていた小型の閃光弾を取り出した。

政府の訓練時に密かに持ち出していた“保険”だった。


「目、つぶって!」


光が爆ぜた。

一瞬、世界が白く焼きつくような閃光に包まれ、兵士たちが叫び声を上げる。

視界を奪われた彼らの隙をついて、ジンが音もなく駆ける。


鉄と骨がぶつかる音。

濁流が弾ける音。

誰かの呻きが一度だけ響いたあと、再び静寂が戻った。


通路の角――

リリコは壁に片手をつき、深く息を吐く。

背中にはうっすらと汗が滲み、手の平は冷たく湿っていた。


「……あたし、やっちゃったな」


「なにが?」


ジンが息を整えながら、振り向く。


「決めたの。もう、戻らない。あたしは……完全に政府を敵に回した」


リリコの声には、どこか吹っ切れたものがあった。

その目を閉じた表情には、恐れも迷いもなかった。


――あるのは、責任を引き受けるという、ただ一つの覚悟だけ。


その横で、ロイスは壁に背を預け、うつむいていた。

目の奥に、にじむような痛みと、自らへの嫌悪が浮かんでいた。


「俺……」


かすれた声に、リリコは冷静な眼差しを向けた。


「何か言いたいなら、はっきり言いなよ。……今のあんた、ここで足引っ張ってるよ」


その言葉に、ロイスはぐっと唇を噛んだ。

否定できなかった。

彼女の言葉は冷たかったが、間違っていなかった。


期待されていた力。

頼られていた未来視。

でも、現実の自分は――一度崩れたら、何もできない。


拳が、じりじりと震えていた。

それを誰も咎めなかった。

リリコも、ジンも、ただ先を見ていた。


やがて彼らは、兵士たちの死角を縫うように進み、

水路の終端にある古びた昇降口までたどり着いた。


鉄のハシゴを一段ずつよじ登ると、冷たい外気が頬を撫でる。


地上に出ると、日が傾き始めていた。

だが空は赤黒く、遠くの空に煙が上がっている。

鼻腔をくすぐるのは、焦げた木と油の匂い――


「……あの街、もう終わったな」


ジンがぽつりと呟いた。


リリコはその言葉に短く頷く。


「でも、あたしたちはまだ……終わってない」


リリコはそう言って、ロイスの方を見る。

彼は何も言わず、ただ目を閉じていた。

その表情に、どこか痛みと恥のような感情が滲んでいた。

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