29:黒煙の先に見たもの
29:黒煙の先に見たもの
ロイスの目は開いていたが、光を宿していなかった。
「ロイス! ロイス、起きてってば!」
リリコが肩を揺すっても、彼はまるで夢の中を彷徨っているかのように、ただぼんやりとこちらを見返すだけ。
呼吸は正常。意識はある。けれど、意志が繋がっていない。
(ダメ……今の彼じゃ、ただの荷物)
その判断を下した瞬間、隣の部屋で金属と金属が激しくぶつかる音が響いた。
ジンが交戦に入ったのだ。
部屋を飛び出したリリコが見たのは、屋根の上で対峙する二人の影だった。
ジンと、全身を黒い布で覆った男。
その腕から伸びる刃は、まるで神経のように動き、意思を持ったように襲いかかっている。
(あれ……刃、じゃない。神経だ)
敵の能力は、活性化された神経を体外に伸ばし、鞭のように操るものだった。
反射速度も尋常ではない。視覚、聴覚、触覚、すべてが鋭く、ジンの一撃すら読まれていく。
「おいおい……初手から距離感とってくるタイプかよ。つまんねぇな」
ジンが小さく毒づく。
だが、彼は冷静だった。初動で無理に間合いを詰めず、相手の“神経の挙動”と“反応速度”を観察し続ける。
(反応が速すぎる。目で見てから避けてるんじゃない……音だ)
小さな着地音にすら反応して神経が向けられている。
つまり――
(視覚ではなく聴覚特化型。なら、音を遮断すれば――)
ジンは次の瞬間、鞄から爆薬入りのスモーク弾を取り出し、屋根の下へと叩きつけた。
大きな破裂音と共に、辺りが一気に白煙と雑音に包まれる。
敵の神経が迷走する。方向を失い、空を切る。
「お前、耳がいいのは分かったけどよ――」
ジンの声が、煙の中から低く響いた。
「俺の気配、読めるか?」
瞬間、音もなくジンが背後を取る。
“紫焔”が閃き、敵の背中を斬り裂いた。
黒い布が裂け、血が飛ぶ。だが敵は即座に反撃、神経の刃が周囲をなぎ払う。
ジンは紙一重で跳び退きながら、斬った感触に僅かに眉を顰めた。
(浅い。まだ動ける)
戦闘は一進一退。だが、ジンは焦っていない。
敵は今、明確に“自分を狙っている”。
つまり――リリコやロイスに手出しする暇はない。
一方、宿の外へと出たリリコは、街の中心方向から漂う焦げた匂いに鼻をつまんだ。
「……まさか」
彼女が視線を上げた瞬間、遠くの建物が赤く染まっているのが見えた。
それは夕焼けではない――炎だ。
(本当に……燃えてる)
ロイスの言った言葉が脳裏で再生される。
街の外から、整然とした足音が聞こえてきた。
その足音は、まるで軍靴の行進のように規則的で、無機質だった。
影のような部隊が、街の出入口を包囲しつつある。
(包囲……? まさか、こんな短時間で……!)
リリコの背に冷たい汗が伝った。
この街は、もう安全地帯ではなかった。
「ジン……急いで決めて……!」
彼女は振り返って屋根の上を見る。
ジンは敵を翻弄しながら、少しずつ“ある一点”に誘導していた。
(足場、そこだけ――)
敵が一歩踏み込んだ瞬間、ジンは真下の屋根瓦に向かって紫焔を突き立てた。
屋根が崩れ、敵はそのまま真下の木箱に叩きつけられ、動きを止める。
音に頼るその能力が、狭所では使い物にならないことを見抜いた、ジンの完全な読み勝ちだった。
「……一撃入れて、地の利で仕留める。これで充分」
ジンはそう呟くと、肩を回して一息吐いた。
リリコはロイスを支えながら、ジンの元へと走る。
「街が……囲まれてる。政府軍の部隊かも。火も出てる……!」
ジンは頷き、屋根の縁から街を見下ろす。
「なら、決まりだな。ここでのんびりする時間は、もうねぇってことだ」
ロイスはまだ視線をさまよわせていたが、その耳元でジンが静かに囁いた。
「なあ、起きろよ。“お前”がいねえと、外の奴ら……抑えきれねぇかもな」
次回、「脱出編」へ。




