27:街の匂い
27:街の匂い
喫茶店での作戦会議の翌朝、街には柔らかな日差しが差し込んでいた。
煉瓦の壁に反射する光は、どこか懐かしく、それでいて異質だった。
山と死の匂いが染みついた旅の中で、この街だけが、まるで時の流れから切り離されたように感じられる。
ロイスは早朝の、まだ人通りの少ない通りを歩いていた。
特に目的があるわけではない。ただ建物の並び、道幅、人の動き――それらを無言で確認するように、街を「読む」ように歩く。
とあるパン屋の前で足を止める。
棚に並ぶ焼きたての小さなパン。店主の老婆が、湯気の立つ籠を布で包んでいた。
「買うかい?」
老婆の問いに、ロイスは黙ってポケットから数枚の小銭を取り出す。
リリコが街中で拾った物資の中に、使える通貨がいくらか混じっていた。
パンを一つだけ受け取ると、そのまま踵を返し、静かに通りへ戻っていく。
◇宿にて
そのころリリコは、宿の洗面所で自分の髪を結っていた。
鏡の中の顔は、軍服を脱いだ途端にどこか軽く、見慣れない他人のように思えた。
肩にはまだ、戦場の匂いが残っている。
「よし……」
髪を一つに結び、顔を軽く洗う。
視線は、傍らに置かれた小さな包みに向く。
中身は、捨てる直前に軍服から外した肩章と名札。
捨てるには惜しく、残すには痛ましい。
彼女はそれを再び布で包み、鞄の底に静かにしまい込んだ。
◇広場にて
ジンは街外れの広場で、子どもたちに囲まれていた。
最初は一人の子どもが、ジンの刀の柄に興味を示しただけだった。
それに応えて軽く居合を見せたことから、事態は“剣術教室”へと発展する。
「すっげー! 本物の剣!?」「もう一回見せて!」
子どもたちの歓声に、ジンは最初こそ面倒そうだったが、やがて少し得意げに笑みを浮かべる。
「これは“紫焔”って言うんだ。うまくやれば火が出るぞ」
「ほんと!?」「火を斬るってなに!?」
「……火を斬るというよりかは…うーん…なんて言えばえばいいのかねぇ…」
冗談とも本気ともつかない言葉。
木の棒を拾って見よう見まねの剣術講座を始めると、子どもたちは目を輝かせて見入った。
遠巻きにそれを見ていた老婆がにこやかに笑ったが、次の瞬間、ふと表情を曇らせる。
それは、ジンの所作に兵士かそれ以上の“訓練された臭い”を感じ取ったからかもしれなかった。
◇再び喫茶店
日も傾き、三人は再び喫茶店へ集まっていた。
リリコはカウンターでココアを頼み、ジンはコーヒーを一口飲んでは顔をしかめる。
ロイスは変わらず無言で窓の外を眺めていた。
「……平和ボケしてるな、この街」
ジンがぽつりと呟く。
「そうね。でも、こういう場所がなくなったら、戦う理由もなくなる」
リリコはココアを一口含みながら、静かに答えた。
ロイスはその言葉に反応せず、紙ナプキンに何かを書き続ける。
そこには、翌日のルート、物資の補充、追跡者がいた場合の退避経路。
それは、どんなに穏やかな日常を装っても、彼らがまだ戦いの中にいることを示していた。
◇夜、宿にて
宿へ戻った夜。
リリコは窓辺に立ち、街を見下ろしていた。
石畳の道。遠くで聞こえる市の鐘の音。
それらが、今だけでも「普通の人間」として生きている錯覚を与えてくれる。
「……ここに居られたらいいのにね」
誰に言うでもなく、ただ独り言のように呟く。
そのとき、ロイスが隣の部屋から現れた。
「ここは、もうすぐ燃える」
その言葉に、リリコははっとしてロイスを見る。
だが彼はすでに背を向け、自分の部屋へと戻っていった。
それが比喩なのか、未来視の予兆なのか――
もう分かっていた。ただ、今の平穏が長くは続かないということだけは、確かだった。




