7.ごちそうさま!
創建400年を数える千束稲荷その神社の境内は江戸開府当初から変わる事のない神聖な場所だ。そこにまつられるのは宇迦之御魂神、五穀豊穣をつかさどる神様だ。
その鳥居をの脇で肩を並べるマイアミ市警のデカとサキュバス。先ほどまでの飯テロレースで疲弊したのだろう。激しく肩を揺らし乱れた息を整えている。
サキュバスが竹の水筒に入った水を一口飲み、ブライアンに差し出す。
「まさかこの私に追いつくとはね、なかなかやるじゃない」
ブライアンは竹筒を受け取るとその水を一気に飲み干す。
先程の飯テロレース。千歳稲荷の鳥居直前でブライアンはサキュバスに追いついたのだ。しかしそこは百戦錬磨のサキュバス、強者の意地を見せブライアンに前を譲ることは無く、結果は両者引き分け。
腕に覚え…、いや足に覚えのある実力者相手にしては華々しい初戦だ結果だ。
サキュバスは神社の社殿を指さしブライアンに促す。
「早くお稲荷さんにごちそうさまを言ってきなさい、じゃないと怖い人たちが来ちゃう」
いきなりお稲荷さんに挨拶と言われてもブライアンには珍紛漢紛だ。ジャパンのしきたりなど分かるはずもない。
「あんたほんとに飯テロランナーなの?ほら早くごちそうさまを言いに行くわよ」
そう言って蕎麦っ食いのおサキュはブライアンを立ち上がらせ二人で神社の本殿の前へ。
境内の中には二人の他誰もいない。
二人は手を合わせ「ごちそうさま」の言葉を目には見えぬ神様へと告げる。
ブライアンにとって初めて口にする「ごちそうさま」の言葉。初めての言葉だがその言葉の意味するところとジャパニーズがこの言葉へ込める深い思いは何故か理解する事ができた。
神様への感謝の言葉と共に二人は先ほどまで食べていた蕎麦のどんぶりと割りばしを神社脇の棚に奉納する。
何故自分がGT-R並みの速度で走る事ができたか?その理由は分からないが、あの1杯の蕎麦が自分に力を与えてくれた…、それは紛れもない事実だろう。
そして初めて食べたあの蕎麦を上手いと感じたあの感動、それもまた事実だ。
あの蕎麦を共に食し共にレースをしたこのサキュバスもまた、自分と同じように蕎麦を愛する者なのだろう…。見知らぬ異国の地オオエドの事を今日の飯テロレースを通じて理解できた気がした。
まったくマイアミ以上にこのオオエドはクレイジーなところだぜ───
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「お稲荷さんにごちそうさまを言われたんじゃ、捕まえるわけにはいかねえな。」
二人の後ろでそういうのはスケ=サンだ。店から二人を追いかけてきたのだろう、その手には空になった蕎麦のどんぶりが握られている。
「ふふん一歩遅かったわね」
このサキュバスとスケ=サンは知り合いなのだろうか?
「こいつはおサキュ、違法飯テロレースの常習犯だ」
「あらお稲荷さんにご馳走様を言えば無罪放免は御公儀公認でしょ?」
サキュバスの言う通り、捕縛の前に神社に入られて神様に「ごちそうさま」を言われては捉える事ができない。” 神社庁取り決め覚書”のなかにもそう書いてある。
ゆえに飯テロレースは現行犯逮捕が世の常。そのためスケ=サンたち奉行所の同心たちは飯テロランナーとの” 追いかけっこ”が仕事。そしてそれはブライアンも同じで同心たちは美味い飯を食べて全力疾走することを特権的に認められた存在だ。
美味い飯を食えば全力疾走のひとつもしたくなるのは古今東西すべての人の願う所だが、法がそれを赦しはしない。もしも飯テロレースで捕まろうものなら重い罰則と刑を科される。しかし喧嘩っ早い江戸庶民を法で縛れるわけもなく、此度のような違法飯テロレースが頻発しているのだ。
「でも今回レースを挑んできたのはそっちなんだからね?このブロンドヘアーの…」
そう言えば…レース相手の名前をまだ聞いていなかったことをおサキュは思い出しブライアンの方を見る。
「ブライアンだ。今日付けでこのオオエド署に赴任になった」
「ふふん、右も左も分からない坊やの癖に私と引き分けるなんて、サキュバスの名折れよ」
蕎麦っ食いのおサキュはスケ=サンに向き直り挑発的な表情を向ける。
「こんな和食童貞のチェリーボーイと引き分けたとあっちゃ、蕎麦っ食いのおサキュの名が泣くわ!あたしを捕まえるチャンスをアゲル、三日後もう一度私と勝負しなさい!」
「おいおい同心の前でそいつは聞き捨てならねえな」
「この坊やがもし私に勝てたのなら逮捕でも緊縛拷問プレイでも煮るなり焼くなり好きにすればいいわ。でも私が勝負に勝ったらこの坊やのチェリーをいただくわ!」
「おいおい、勝手に話を進めないでくれ」
突然のサキュバスの提案にブライアンは狼狽するが、ベテラン同心のスケ=サンは違った。
「その言葉に二言はねえな?」
「サキュバスの舌が2枚無いことはあんたも知っているでしょ?」
言いながらおサキュはペロリと舌を出し唇をぺろりと舐める。…セクシーだ。
「食べるものは自由”フリーフード”!3日後、広小路の交差点お昼ごはんの時間に勝負よ!」
勝負を挑まれては逃げ出す法は無い。ブライアンはおサキュの目を見据えコクリと無言で頷く。
メラメラと静かに燃え上がる相手の戦意を確認しおサキュは微笑む。
「今度は私もフェイバリットで全力で行くからね。覚悟しといてチェリーボーイ」
気さくにウインクをするとサキュバスはその翼を広げ神社の上空へ飛び立ち姿を消す。
神社には再び静寂が訪れる。
「おいおいスケ=サン、勝手に勝負を吹っ掛けないでくれよ」
「なぁに勝負までに俺がしっかりと蕎麦食いの作法を鍛えてやるからよ」
俺に秘策ありと言う様にスケ=サンは自信ありげな様子だ。
「それに寿司っ食いのおサキュを捕まえたとなれば大手柄だぜ」
「蕎麦っ食いじゃないのか?」
「サキュバスは色を好むからな、寿司っ食いに蕎麦っ食い、麺っ食いにカツ丼っ食い…美味い物なら何でもいいのさ…」
「なるほど確かにサキュバスらしい」
別れ際、おサキュはフェイバリットで挑むと言っていた。
あのサキュバスの大好物”フェイバリット”とはなんなのか?
強敵との次の対戦を前にブライアンは武者震いを覚えていた。これがジャパニーズ武者震いか…初めて感じる武者震いの感慨にブライアンは静かにリバティの無法者と向き合う時のような興奮を感じる。
「ところでブライアンさん・・・あんた、童貞なのか?」
先程おサキュがブライアンの事をチェリーボーイと呼んでいるのを思い出す。
「愛しい彼女がマイアミにいるぜ?…もちろんチェリーじゃない」
まったくサキュバスの考えている事はよく分からない。
そしてなぜサキュバスがオオエドにいるのか作者もよく分からない。