05.ウェルカムトゥザ 怒りの飯テロロード
蕎麦を啜りながら江戸の街を疾走するブライアン。
その速度はゆうに時速80マイルを超えている。未舗装の江戸の道をそんな速度で走ればたちまち土煙が立ち込める。そして走り去った後には蕎麦の美味そうな残り香が立ち込める。
だがしかし、たとえどんなに速く走ろうともけして蕎麦を零すことは無いそれこそ飯テロランナーの矜持である。この江戸煩いに由来する飯テロランナーが近年このオオエドでは社会問題となっているのだ。
飯テロランナーの後には突風と土煙が巻き起こり、さらにその残り香により近隣住民に激しい空腹感を伴う飯テロを催させる。この飯テロランナーを取り締まるのがオオエドの街の治安を同心たちの仕事だ。
しかし初めて食す蕎麦の美味さに心打たれ疾走するブライアンにとってそんな事は知る由もなかった。頭の中にあるのは今なお啜り続ける蕎麦への感動と感激、ただそれだけだ。
もしもブライアンが日本人でカツオだしや醤油の風味について理解するところであれば詳細な食レポをしながら走るところだろうが、彼にとって蕎麦は初めて食べる料理、いわばファーストコンタクトだ。
ゆえに彼が出来ることはただ「美味いぞー」と叫びながら疾走するのみである。そして飯テロランナーはどんなに速く激しく走りながらもけして料理を食べる手を止めることは無い。そして何よりこんな高速で町中を走られてはとても危ない、街中で遊ぶ童とぶつかろうものなら大事故に発展しかねない。今のブライアンは暴走機関車と同じ状態なのである。
ただの一般人が時速80マイルで疾走するブライアンに追いつけるわけなどない。しかしそんなブライアンを追いかける女が一人、そう…先ほどの蕎麦屋にいたサキュバスである。
「この蕎麦っ食いのおサキュを前に飯テロ勝負を挑むとはいい度胸ね♡」
このサキュバスもまた蕎麦のどんぶりを抱えながら時速80マイルで疾走している。どんぶりの中身はブライアントは違い天ぷら蕎麦だ!
「ここから三ノ輪のお稲荷さんまで約1里、そこへ早く着いた方がこの飯テロバトルの勝者よ!」
とつぜん挑まれた飯テロ勝負。何もかもが珍紛漢紛な勝負であるが、勝負を挑まれたとあれば断る道理はない。それはブライアンのスピード凶としての意地、そして男としての意地であった。
突如勝負を挑んできたサキュバスにブライアンは視線で答える。
「ふふん、この蕎麦っくいのおサキュから逃げなかったことは褒めてア・ゲ・ル♡ズズズズズ~~~」
「だけどズズズズズズズ~~~」
「蕎麦の器の違いを見誤ったのがあんたの、ズズズズズズ~~~ミスね♡」
料理で身体をドーピングして身体能力以上の速さを可能にする飯テロランナー。そのメカニズムは目下調査中の事であるが、そのエネルギー源が料理である事だけは確かだ。
疾走する二人のスピードは拮抗している。いやブライアンに追いついたことを踏まえればサキュバスの方が一枚上手か。
ブライアンは負けじと蕎麦を啜る。…美味い、初めて食べる料理で味の仔細は分からないが、このあふれ出る感動は未だ留まるところを知らない。
「なかなかいい食べっぷりじゃない?でもこのおサキュさんに勝てるかしら?」
ずずず~~~~サキュバスが再び蕎麦を啜り、そしてちゅるんと麺を唇の奥へ飲み込むと
「なんてことかしらこのお蕎麦のハーモニー。お汁をまとったお蕎麦がお口の中で踊るよう♡蕎麦がとても生き生きとしてお腹に吸い込まれる味わい、ずずずずずずず~~~~~、ぼそぼそとしたお蕎麦がつるつると吸い込まれる躍動感、花の奥でフワッと香るカツオと醤油だし!これぞ蕎麦!これぞ食!」
蕎麦っ食いのおサキュは時速80マイルで疾走しながら呼吸一つ乱さず流々と食レポを始める、そしてなお蕎麦のどんぶりの水面は波一つ立てず静寂を湛えている。飯テロランナー恐るべし。
そして仔細に食レポをするサキュバスはにわかに速度を増しブライアントの差を広げていく。まるで蕎麦の女神に背中を押されているかのようだ。
それに良くみればこのサキュバスという生き物、実に走ることに特化している。その翼は本来飛行のためであろうが決して羽ばたかせて揚力を得ることはせず、逆に前傾姿勢のフォームで翼を前へ倒し強いダウンフォースを獲得し接地性能を高めている。そして激しく揺れる尻尾は悪戯に艶めかしく揺れているように見えてその実揺れる振動を逃がすスタビライザーのような役割をする。
この蕎麦っ食いのおサキュの計算され尽くした飯テロ疾走フォームは実に洗練されている。そして走るときの足運びは大股にならず小さなピッチの高速回転、超高速のピッチ走法。これが噂に聞く十傑集走りか!?
「サキュバスが大股を開くのはHの時だけよ!」
ブライアンの前を疾走するサキュバスは自信たっぷりにそう叫ぶ。
これが飯テロランナーの実力か?ブライアンにとって飯テロランナーなど初めて聞く単語だが、確かに分かるのは相手のサキュバスのエンジンは明らかにブーストしている。このままではその差を広げられ勝負に負ける、それだけはブライアンにも確かに理解する事ができた。
しかも相手サキュバスのどんぶりにはまだ天ぷらが残っている。ブライアンにとっててんぷらの味など想像しうるもないが、ひとつわかるのはあの天ぷらをサキュバスが食べたら最後。その差は取り返しのつかぬものになるだろうという事だ。そしてブライアンの燃料となるかけ蕎麦の残りは僅か、先程まで観ること叶わなかったどんぶりの底が薄っすらと見えてきている。
ここまでか…ブライアンは初めて食する蕎麦の完食してしまう事実への名残り惜しさと、それ以上に勝負の負けが予測できてしまう事への強い敗北感を痛烈に感じていた。
蕎麦っ食いのおサキュはまるで死刑宣告のごとく告げる。
「最後にお出汁を吸ったこのかき揚げを…あ~~~~むっ♡」