表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

吟露草

作者: 十六花 綾人

 朧の雲間より、青白く光をまといながら、月は姿をあらわした。その身の輝きの衣は、散り散りとなる暗雲を淡くにじませ、遠くの星の地表をもやさしく包み込む。

 十三夜の月光を浴びながら、吟露草ぎんろそうの草達は、ほのかに閉じられたつぼみを天へと向け、透き通るような白の花弁を次々と開いてゆく。

 

 地にゆだねる根元に、青々と張ったつがいの双葉。一本に伸びた茎の頂に、五芒の星を形どる花びら。

 その全身全霊を賭して、夜空に喉をふるわせる。

 

 吟露草は月夜の晩に花開き、三日三晩かけて歌をうたう。

 この三日間が吟露草の生きている命の証であり、うたい続けた三日後に花は萎れ、露のようなその短い命は、幕を閉じる。

 

 月の奏でる光に合わせ、吟露草達は命の歌をうたい出す。

 照らし出された闇の中で、最後の吟露草が花を開いた。他の吟露草に比べると、ひときわ小さく、華奢で、葉が片方にしか付いていなかった。

 

 片葉の吟露草は、周りの吟露草達の歌に倣うように、夜空に向かって声を響かせる。だが、喉から出てくるのは声にならぬ無音の空気だけで、聞こえてくるのは他の吟露草達の美しい歌声だけだった。

 どんなに喉をふるわせようと、どんなに声をふりしぼろうとも、片葉の吟露草の口から、歌は流れてこなかった。

 

 辺りの吟露草達は、いぶかしげに見たり、憐れみや嘲笑の混じった目で、うたうことのできない片葉の吟露草を少し見たあと、また自分の生まれてきた意味を証明するかのように、命を謳歌する。

 

『私はなぜ、声が出ないのだろう。他の草達はあんなに美しい声でうたっているのに。

 私はなぜ、うたうことができないのだろう』

 

 片葉の吟露草は、そう思うとむしょうに悲しくなってきて、涙があふれて止めることができなかった。 それでもいつか声が出るのではないかと、声なき声を出し続ける。

 

 片葉の吟露草は泣きながら無音の歌をうたい続けた。



  

 太陽は青空の中心で命の力を放ち、すべての生命を包み込んでいた。

 微塵の時間の海を泳ぐ雲と共に吟露草の歌を聞き、あたたかく見守っている。


 光を輝かせる歌声の中で、片葉の吟露草は一人口を閉じ、うなだれていた。

 一晩かけて出ない声を出し、涙も涸れ、いつの間にかうたうことをやめていた。


 片葉の吟露草の耳に、刹那の一瞬一瞬を輪舞する永遠の歌が、遠くで聞こえていた。


 『私はなんのために生まれてきたのだろう。なぜここにいるのだろう。

 うたうことのできない私は、なんなのだろう。

 このまま死んでいくことに、何か意味があるのだろうか。

 もう私には、何もわからない』


 片葉の吟露草は、自分の音のない声を呪い、自分以外の美しい歌声を聞いてしまう耳を疎ましく思い、もう何も考えないようにしようと、思考を止めることにした。


「よう」


 吟露草の、その双葉の陰で、声が聞こえてきた。


「お前はなんで他のやつらのように、うたわねぇんだ?」


 吟露草が葉をどけると、そこに一匹の毒虫が這いつくばっていた。

 吟露草は黙って毒虫を見つめる。


「なんだ、だんまりか」


 片葉の吟露草は首を横に振って応える。


「声が出ないのか? それでうたうことができないのか」


 吟露草は耐えられなくなって、目を伏せる。


「お前ら吟露草にとっちゃ、たまらんな」


『あなたに何がわかる』


「まあおれもこの姿だ。時にたまらなくなるわな」


『だがあなたはいずれ蛹になり、飛び立つことができる』


「地面這いつくばって、皆に忌み嫌われて。

 おれは蝶になったり蛾になったりって、しねえ種なんだ。

 だから一生このままさ」


『・・・・・・・・』


「だがおれはこんな自分に誇りを持っている。

 なんの根拠もねえ誇りだ。

 なんで生まれてきちまったかはわからねえが、生きてる以上、そうやって生きねえとな」


 毒虫は一人で勝手にしゃべり、吟露草の葉の上まで這い登った。


「おれはお前に何もしちゃやれねえ。

 だが最後までこうしてお前の傍にいてやる。

 だからお前は独りじゃない」



 

 三日目の晩は雲一つなく、星々が踊るように瞬いている。

 狂いのない円を描く望月は、自らに放つ光を金色で染め、吟露草達の歌に耳を傾けていた。


 その月夜の調べに交じり、あきらかに不調和な音律がひときわ目立って響いていた。


 いつからか、あの毒虫がうたっていた。


 毒虫のだみ声を耳に、近くにいた吟露草がたまらずに言い放った。


「あなたのそのヘタクソな歌、とても耐えられませんわ!

 私達迷惑なので、少し黙ってて下さるかしら!」


「うるせえ! でめえこそ黙ってろ!

 おれはこいつの代わりにうたってるんだ。

 おれがこいつの声代わりだ。

 文句のあるやつぁ、食っちまうぞ!」


 それだけ言って、毒虫はまたうたい出した。


『ああ、この虫の歌は、なんて美しいのだろう。

 風のささやき、森のざわめき。波のさざめきまでもが今の私には聞こえてくる。

 私の耳に入ってくるこの星の音は、なんと美しいのだろう。

 この星は音楽に満ちている。

 ああ、私はうたいたい。

 声がなくともうたえるはずだ』


 片葉の吟露草は、あらん限りの力をふりしぼり、天に向けて叫んだ。


『声なんかなくとも、歌はうたえる。

 歌は声でうたうんじゃないんだ』


片葉の吟露草は誇りを持って、高らかにうたった。


『この空の向こうにある宇宙には、音が存在していないという。

 だけど私の歌は音でうたっているんじゃないんだ。

 私は声が出なくとも、声が出せるんだ』


 片葉の吟露草は、自分の、ありとあらゆるすべてをつかって、歌をうたった。


『私のこの声よ、宇宙までとどけ!

 私の歌よ、はるか銀河の彼方にまでとどけ!』


 片葉の吟露草は、命をうたった。

 自らの命を歌にして、この星に、天上の星々に、太陽や月に、歌をきかせた。


 忘れることのないであろう命の歌を宇宙にうたってきかせ、宇宙もまた命を奏で、すべての子供達にうたい返すのだった。


                            

                                                     【終わり】


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ