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第8話 出立

翌朝、ユーリアはベッドの上で上半身を起こし、両手を思い切り広げて「ふわぁー」と大きく伸びをした。


「昨夜は興奮して寝られないかと思ったけど、よく眠れたわ。やっぱり昨日の朝が早かったせいかな」


独り言ちて机の上に積まれた数冊の書物に目を向ける。

文字通り「一夜漬け」に使った資料の数々。


「我ながら頑張った。エライぞ、私」


自然と笑みがこぼれてくる。

本はどれも半年以上前に、最初にユーリアがクライスの婚約者と決まったときに「妃教育のため」と称してサリカウッズから送られてきたものだ。

祭祀の最終日に倒れるまでの半年間はそれらを使って毎日びっしり勉強したので、一通りは頭に入って理解しているはずだった。

だが、倒れた後は全く手を付けていない。

そのあと寝込んでしまって知らないうちに婚約者がバーバラに変更され、妃教育も彼女が受けることになり、書物も彼女の部屋に移されたのだ。

それでそれを昨日になって大急ぎでユーリアの部屋に持ってきた。

そして一両日にサリカウッズに発つのだから、と慌てて隣国の歴史や文化について復習していたのだ。


「でも、なんとかなるものね」


一人で満足してベッドから降りようとしたとき、ノックの音がした。

ユーリアの起きる頃合いを見計らっていたのだろう。


「アンです。朝食をお持ちしました」


「あっ、ありがとう」


扉を開けて入ってきた彼女はワゴンからトレイごとテーブルに朝食を移す。

柔らかめのパンと具だくさんのスープ。

チーズ入りのふわふわオムレツ。

季節のフルーツ。

ユーリアが好きなものばかりだ。

だがそれらを見てそっと溜息をつく。


(こうした食事がとれるのも、ノーランスが温暖な気候と豊かな土壌に恵まれているからなのよね)


昨日見直したばかりのサリカウッズの地形や天気、産業を思い浮かべる。

北に位置するサリカウッズは広大な土地のほとんどが山がちで、しかも最北部は凍土が広がる。

森林資源、鉱物には恵まれている。

高地を利用した酪農もある程度は盛んだ。

だが農作に適した土地は限られていたし、取れる作物の種類も量も少ないのだ。


(明日からはこんなふうにはいかないわよね)


「姫さま、どうかしましたか」


アンが心配そうに声をかけた。

食事となればいつも目を輝かせるユーリアが、今は何やら浮かぬ顔をしているのに気づいたのだろう。


「えっ。あっなんでもないわ。いつものことながらおいしそうね。…それより、そうそう、クライス殿下の姿絵は持ってきてくれた。食事を済ませたら見せて」


ユーリアが無理やり話を変えると、アンは怪訝そうな顔をしながらもワゴンの下段に差し入れていた布包みを指さした。


光沢のある高級絹で包まれているということは本来大切に扱われるべきものであるはずだ。

それが下手をすれば料理がかかってもおかしくない、したがって汚れる可能性のある場所に置かれている。


「はい、ここに」


「随分と雑な扱いね」


パンをちぎったまま、ユーリアがついクスッと笑うとアンがあわあわと慌てた。


「不敬でしたかねぇ」


言ったそばから眉毛が少し八の字のように下がり眉になって心配そうな顔をしている。

その表情をかわいらしく思ってユーリアから笑みがこぼれた。


「うふふ。大丈夫よ、ここはノーランスだもの。それに今はアンと私しかいないから」


ユーリアの言葉にアンはほっとした表情になり、指示に従って姿絵を包んでいた布ごとワゴンから引き出して、そのままテーブルの上に置いた。


(アンは表情がころころ変わって、いつも明るい気持ちにさせてくれたわ。でも明日になれば、私はもう)


「それにしても、姫さまがクライス殿下の姿絵をご覧になりたいなんて」


アンはユーリアがバーバラの代わりにサリカウッズに行くことを知らない。

だからユーリアが急にクライスの姿絵を見たいと言ったことを訝しんでいるのかもしれない。


「敵の顔を見たかったのよ。バーバラにあんな大きなけがを負わせて」


ちぎられたパンをわざとほおばり、仇でも討つように大袈裟に噛んでみせた。




やがて食事を終えたユーリアは姿絵にかけられた布を外しながらアンに尋ねた。


「アンも見るでしょ」


アンは戸惑った表情を隠さずに「いいんですか」と一歩前に寄ってくる。

彼女がそれを見るのは初めてのはずだ。


「もちろんよ」


姿絵をソファーの前のテーブルに横たえて見せた。


(久しぶりに見たわ。本当にすごくきれいな人。…でもこんな感じだっけ)


半年以上前に婚約したときは婚約そのものに興味が持てず、婚約者の姿絵もその時に見たきりだった。

金色の流れるような髪と空色の切れ長の瞳は印象的で高潔なイメージだが、表情はもう少し優しかった気がする。

だから、前にディレクからクライスの評判を聞いた時も特に疑問も持たなかったのだ。


(この絵では目が笑ってないからかな)


「うわー素敵な方ですね」


アンは一目見て、口の前で両手を合わせて感嘆の声を上げた。


「私、ディレク殿下が一番かっこいいと思ってますけど、また違った感じで。でも、、こう言っては何ですけど素敵ですけど、どこか冷たい感じですね。絵なんだから、もっと描きようがある気がするんですが」


「アンて、意外に容赦ないのね」


つい笑いながらも、自分の気持ちを代弁するような言葉に、ユーリアもうんうんと思わず頷いてしまった。


(とりあえず殿下の確認はした。これで向こうで会ったときに間違うことはないはずね)


「これはもういいわ。ありがとう」


(後はもう一度皇族の系譜をおさらいして、あれやこれや準備したらもう出発よね)


姿絵を元のように布で包み、アンに手渡した。

アンは手渡された姿絵をワゴンの下段に置く。

そして一歩下がって姿勢を正し、丁寧なお辞儀をした。


「姫さま。昨夜、国王陛下からひと月ばかり休暇をいただきました。姫さまが進言してくださったと聞きました。長らく帰ってなかった実家に戻れます。本当にありがとうございます」


「あ、ええ…よかったわね」


ユーリアは内心ひどく驚きながらも、表面上は曖昧に頷き、話を合わせる。


(えっ、どういうこと。私知らないわよ。でも、アンには私が発つことを言ってないものね。急に双子のうちの一人がいなくなったらさすがにアンにはごまかしが効かないわ。ということは…おとうさまがバレないようにご考慮くださったのね)


アンはそのままワゴンを押して出て行った。



その日の真夜中、盛装をしたユーリアが城の裏門に停めてある馬車に乗り込んだ。

首元まできっちりと覆うデザインは、ユーリアよりもむしろバーバラが好んでいた。

それをわざわざ選んだのはユーリアの決意だ。

そしてドレスの空色はクライスの瞳の色でもあるが、ユーリアにとっては勝負の色であった。


「あら」


馬車には先客がいた。

帯剣したクロードだった。


「一緒に行くって言ったよね」


しれっとしてクロードが言う。


「それはそうだけど…」


なんでまた、とまで言いかけて飲み込んだ。

その話は昨日のうちに終わっている。


(クロードの真意はよくわからないけど、一人で行くより心強いことは確かだもの。だからここで言わなくちゃいけないのは)


「ありがとう」


ユーリアが目いっぱい微笑んでそう言うと、クロードは少し照れて「よろしく」と答えた。

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