第7話 従兄の申し出
「ちょっと早まっちゃったかな~」
一人自室に戻ったユーリアはわざと蓮っ葉な感じで思いついた言葉を口にしてみる。
口にしてはみたが、その言葉や軽い口調とは裏腹に、ユーリアに後悔は微塵もない。
〈自分がバーバラの代わりにサリカウッズに行きクライスに嫁ぐ〉
その決断を自分でし、先ほど父、母、兄の前で表明したのだ。
「クライスはバーバラと少なくとも一晩は過ごしているはずだ。だとしたら入れ替わりがすぐに露見するんじゃないか」
ディレクは危惧したが、バーバラと自分の姿かたちは瓜二つなのだ、だから気づかれない、大丈夫とユーリア自身が押し切った。
実際、顔つきも体つきも寸分違わず、身内以外には見分けがつかない。
二人で一緒にいても、侍女のアンすら間違えることがあった。
(といっても、本当を言えば瓜二つと言えるのは祭祀の前の日までなんだけど。祭祀の最後で胸に石ができてしまったのだから。でもそんな細かいところまでわからないわよね)
「決心は変わらぬか」
「はい」
父王の言葉にも毅然と頷いたものだから、ユーリアがサリカウッズに発つことに異を唱える者はもういなくなった。
入れ替わりと出立のことを知っているのは王と王妃とディレクの3人だけで、目を覚まさないままのバーバラはもちろんクロードにも教えていない。
どうせ今となってはもう、ノーランスの王女の誰かが嫁ぐということは覆すことのできない決定事項なのだから、それがバーバラであろうとユーリアであろうと仕方がないと家族の誰もが諦めていた節もある。
それに命に別条はないとはいえ瀕死の状態で戻ってきたバーバラに精神的なダメージがないはずはなく、彼女に重責を負わせるのはみな忍びなかったのだ。
「だからと言って、お前が犠牲になることを決してよしとしているのではない」
ディレクが皆の気持ちを代弁し、ユーリアもありがたくその言葉を受け取って退室したが、気持ちは別のところにあった。
ユーリアはわざと行儀悪くドレスのまま自分のベッドに横たわって天井を見ながら呟く。
「おにいさまたちのおっしゃることはもちろんわかる。でも、でもね、私にとっては私が行くからこその意味がなくてはならないわ。魔力焼けだか何だかよくわからないけれど、バーバラにあんなひどい仕打ちをした誰かをとっちめて復讐してやるのよ。同じ目に合わせることは難しいかもしれないけれど」
ユーリアが寝ころんだまま天井に向かって拳を硬く握って振り上げていると、扉を静かに叩く者がいる。
その叩き方には心当たりがあったが、念のために尋ねた。
「だれ」
予想通りの答えが返ってくる。
「ぼくだよ。…クロードだけど」
ユーリアは慌ててベッドから起き上がり、簡単にドレスを調えた。
「今、開けるわ」と答え、扉に向かいかけて自問した。
(えっと、部屋に入れると未婚の男女が二人きりになるけど、一応、今クロードと私は婚約してるから、部屋に入れても大丈夫よね?)
さきほど自分がサリカウッズに行くと宣言してしまったが、公にはなっていないことだ。
まっいいかと扉を開ける。
扉の前にはクロードが青い顔をして立っていた。
「えっと、どうぞ?」
遠慮がちに勧めると「ああ」とクロードが入ってきて誘導されるままにソファーに座った。
先刻ディレクがユーリアを座らせたそれだ。
ユーリアはクロードの顔色が気になり、ハーブティーを淹れた。
「どうぞ、ジンジャーベースのハーブティーよ。血流をよくしてくれるって」
クロードは「ありがとう」と掠れた声で礼を言い、カップを一気に飲み干した。
「もう一杯いかが」
ユーリアは彼が頷くのを見て、今度は自分の分も合わせて淹れてやっとクロードの向かい側に腰を下ろした。
カップを持ち上げて一口啜り、そっと元に戻して「それで?」と彼に顔を向ける。
「その、、バーバラをもう一度サリカウッズに戻すって聞いたんだけど」
サリカウッズに戻すという話はイザークの手紙に書かれた内容だ。
(ただし、バーバラを戻すんじゃないけど)
「あら、そんな話、知らないわよ。どこから伝わったのかしら。クロード、あなた、誰から聞いたの」
(嘘は言ってないわ。サリカウッズに行くのは私だから)
クロードは「あっ、いや」と押し黙る。
ユーリアはクロードをじっと見た。
おしゃれで明るく、気が利いていて男気のある人。
それが今この瞬間は薄緑の瞳を伏し目がちにして組んだ両の手を見つめるようにしながら、薄い銀色の長髪を小刻みに揺らしている。
今この時も昏々と眠り続けるバーバラを思っているのだろう。
(このまま白を切っても、この人はさらに神経を擦り減らすだけかもしれない)
ユーリアは溜息をついた。
(クロードになら話しても、おとうさまたちだってお許しくださるわよね)
「あのね、クロード」
そう彼に話しかけるが、先ほどと同じく組んだ指先をじっと見つめているままだ。
「クロード」
もう一度強く呼ぶと漸く彼は顔を上げてユーリアを見た。
それで「聞いて、クロード」と念を押すように言って、サリカウッズから戻るようにという要求が来ていることとバーバラの代わりに自分が行くと決めたことを手短に話した。
「ユーリア、君がサリカウッズに行くの?バーバラの代わりに?」
俄かには信じられないというふうに薄緑の瞳を揺らす。
「そうよ。私が行くの。だいたい今のような状態のバーバラを行かせられるわけないじゃない。それに私が行ったって向こうは見分けられっこないわ」
先ほど兄たちとしたような問答をクロードと繰り返す。
ひととおり話をし、少しの沈黙が流れたところで、従兄が口を開いた。
「わかった。ぼくも行くよ」
その言葉にはユーリアのほうが驚いた。
「えーっ。何でそうなるの。あなた、バーバラが心配なんじゃないの。彼女に付き添ってなくていいの。バーバラだって目が覚めた時、あなたにいてほしいと思うはずよ」
だが、クロードはゆっくりと首を振ってもう一度先ほどの言葉を繰り返した。
「ぼくも行くよ。バーバラは心配だけど、婚約者は君だ。君を助けたいんだ」
(えーっ、何でそうなるの)
さっき口にした言葉を頭の中で繰り返してユーリアはクロードの目を見た。
もう薄緑の瞳は揺れていない。
(落ち着いてる?)
「クロード、確かにあなたは今は私の婚約者だけど、私がサリカウッズに行くのはバーバラとして皇太子のクライス殿下に嫁ぐためよ。サリカウッズに行く時点でもうあなたの婚約者ではないわ。あなたの婚約者はユーリアとしてここに残るバーバラよ。元の鞘に戻るのよ」
極めて冷静な口調でユーリアは言うが、クロードは意見を変えなかった。