第2話 姉の帰国
まだ夜が明けきらぬというのに、城の内外が妙に慌ただしかった。
この国の第二皇女、ユーリアの目を覚まさせたのは城門を開く重い響きだった。
その後、バタバタバタと複数人が廊下を走り回る音がする。
続けて誰かの名前を泣き叫ぶように呼ぶ高い声、押し殺すような低い声が行き交った。
(こんな朝早くから珍しいわ。何の騒ぎだろう。城の者に何かあったのかしら。それとも城の外から?)
ただならぬ異変と漠然とした不安を感じながらもまだ眠い。
ベッドの中でうつらうつらしつつ遠くに喧騒を聞いていると、別の足音がつつつとユーリアの部屋の戸口まで小走りで近づいてきて、足音の主と思われる人物が扉を少し強めに叩いた。
「姫さま、アンでございます」
切迫したような侍女の声にユーリアは今度こそ目を覚ます。
慌てて体を起こし、着衣を急いで整えながら、それでもなんとか落ち着いた声を絞り出して返事をした。
「入りなさい」
失礼します、と入ってきたのは、アンだけではない。
「あら、お前…」
遠慮がちに扉近くに立つのは、一週間前にユーリアの双子の姉バーバラと一緒に隣国に出立したはずの若い男である。
この国ノーランス王国の第一王女バーバラは、隣の大国サリカウッズ帝国の二十歳の皇太子クライスと結婚した。
バーバラがノーランスを出発するにあたり、護衛として付き添っていったのが彼だったのだ。
(それがどうしてここに?)
あらためてアンの顔を見る。
青ざめて今にも泣きだしそうだ。
「姫さま、どうぞお気を確かに」
アンにそう震えた声をかけられて、先ほどの漠然とした不安が何か黒い靄のような形をとってユーリアの胸の奥に溜まっていく。
だが、アンの言葉を聞いて逆に覚悟ができた。
彼が今ここに同行しているということはバーバラの身に何かあったに違いないのだ。
夢現に聞いた先ほどの喧騒はきっと彼女と関係している。
黒い靄がユーリアの胸をきゅっと締め付けた。
(でも、、こんなときこそ冷静に、冷静に。狼狽や焦りを気採られてはならない)
その思いが自分でも驚くほど静かな声を出させた。
「バーバラに何があったの」
そう言ったものの、アンの返事を待てずにユーリアは夜着の上にガウンを重ねてベッドから降りる。
アンとイザークの顔を交互に見ながら案内するように扉に目配せすると、彼女は嗚咽が漏れ出るのを堪えるように右手で口を抑え、正面から表情を見られないように少しばかり背を丸めてユーリアを先導した。
イザークがユーリアの背を守るように後に続く。
部屋を出るとさきほどまでの喧騒はすでに嘘のように静まり返っていた。
通されたのはユーリアが予想していた通りほんの一週間前までバーバラが使っていた部屋だ。
心持ち照明を落とした部屋の中には多くの人がいるにも拘わらず皆寡黙で、空間全体に重苦しい空気が漂っていた。
人が何人も立っているためユーリアのいる位置からは見えないが、恐らくバーバラはベッドに寝かされているのだろう。
ベッドから少し隔ててこちら側に立っている3人は白衣を着ており、医者だと察せられた。
「姫さま」
アンに小声で促されてユーリアも彼らに近づいてゆく。
恐る恐る顔を出し、見知った医者の一人と目が合うとそのまま黙礼して挨拶した。
すると、医者らは顔を見合わせ、気を利かせたのか部屋を出て行く。
それにつられるように侍従らも退室し、部屋の中は近親者ばかりとなった。
さらに一歩ベッドへとユーリアが近づく。
ベッドの向こう側にはユーリアとバーバラの両親である王が呆然とした様子で座っていた。
その隣には憔悴した表情の王妃が座り、双子の兄で王太子でもある第一王子のディレクが王妃の背後に立って労わるように彼女の肩にそっと手を添えていた。
逸る気持ちを抑えながらユーリアはベッドのそばまで行き、そこで初めてベッドのこちら側に腰かけている人物に気づいた。
(クロード…)
クロードは王弟の息子で、ユーリアたちの従兄弟にあたる。
ディレクのひとつ下、ユーリア、バーバラとは18歳と同い年で幼馴染でもあった。
それだけではない。
今回の結婚の話が出るまではクロードはバーバラと婚約していたし、本人たちも結婚を心待ちにしていた。
それがバーバラと隣国の皇太子、クライスの結婚が決まってしまい、王たちの意向でクロードはユーリアと婚約することになったのだ。
ユーリアはクロードに対して幼馴染という以上の感情を持っていなかったというのに。
そしておそらくクロードも。
(そんなあなただからこそ、今、この場にいることを許されているのね)
クロードは切ない表情でベッドに寝かされている人物に視線を集中させ、寝具から少しだけ覗くその人の手をそっと両手で包んでいた。
ユーリアが隣に立って初めてクロードも彼女の存在に気づいたようだが、何も言わず、すぐにまた視線をバーバラに移す。
ユーリアもつられて彼女を見て言葉を失ってしまった。
白い肌は赤黒く腫れ、美しくうねっていた艶のある金色の髪は今は無残にも切られていた。
よく見れば首や手首にも傷があり、露になっていないところはそれ以上に傷つけられているのではと思われた。
自分と瓜二つと言われた彼女の無残な姿に、ユーリアは自分自身が傷つけられたような錯覚を起こしてふらついてしまう。
「ユーリア、大丈夫か」