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第16話 クライス

「行ったか」


クライスに問われて、カリアンがそっと、しかし素早く扉に向かう。

そして扉を少しだけ引いてその隙間から廊下の様子を伺った。

先導するクライス配下の男、それに続くユーリアとクロードの背中はもうかなり小さくなっている。

カリアンは先ほどと同じようにそっと、しかし素早く戻りながら、自分を見つめるクライスに頷いた。


「行ったみたいだぜ」


そしてそのまま彼の斜め向かいの、ちょうど先ほどまでクロードの座っていたソファーに深々と腰かけた。


「ああ、やれやれ」


思い切り背を反らせて足を投げ出す。

クライスがカリアンの行儀の悪さに「おいおい」と苦笑した。

が、カリアンは全く気に留めない。


「とにかく、よかったじゃん」


とそのままの姿勢で応じた。


「無事、ユーリア姫を妃にするって宣言できて。まっ、かなり強引だったけどな」


乱暴な態度とは裏腹に、労うような優しい声色だ。


「何より、10年越しの片思いがなんとかなりそうだし?」


長年ずっと傍にいる男が自分の気持ちを代弁している。


「ああ、そうだな」


クライスはほんの少しだけ首を縦に動かした。

ただし、表情に微かに喜びが滲むのが自分でもわかった。

それを認めてカリアンもほっとしたのだろう。

顔の辺りを仰ぐように両手をひらひらさせながら苦笑いをした。


「これでもヒヤヒヤしてたんだぜ、クライスがユーリア姫をバーバラ姫の名代だって言って話を終わらせようとするから」


おまけにそのまま席まで立とうとして、と続ける。

およそ彼らしくない言動に、彼が心底安堵していることがクライスにも見てとれた。

あのまま話を終わらせれば、ユーリアを花嫁にすることができないことはもちろん、それを言い出すことすら難しかったとカリアンは判断したのだろう。

幼馴染の気遣いに感謝しつつも、クライスは伏し目がちにして、静かに反論した。


「いや、あれはあれでよかったのだ。ああでも言わないと、下手すればユーリアはバーバラの振りを全うしようとしただろう。だがそれでは意味がない。…意味がないのだ。ユーリアにはユーリア本人として私のもとに来て欲しかったからな」


ユーリアにはユーリア本人として、というところに思わず力がこもる。


―バーバラの振りをすることが彼女本来のよさを押し殺してしまうことになってしまっては…


「でも、あのあとすぐあいつが陛下からの書状を取り出したのには、正直、本当に肝を冷やしたんだぜ」


カリアンが肩を竦めてみせると「確かに」とクライスは少し渋い顔をした。

クロードが得意げに取り出した書状に書かれていた花嫁に関することは「ノーランスの王女の輿入れ」という文言だけだった。

自分はユーリアとの結婚を望んだのに、父は書状で花嫁を指定しなかったのだ。


「なぜですか」


「ノーランスと結ぶことには賛成だが、サリカウッズ、ノーランス、タクラクルの三国間の均衡が大きく崩れる可能性が高い」


父はまず、クライスとノーランスの姫の結婚によるタクラクルのサリカウッズに対する印象の悪化を心配した。


―タクラクルの王太子にはすでに国内有力貴族の令嬢である婚約者がいるし、ノーランスの双子の姫と見合う年齢の独身の男子王族はおらず、タクラクルとノーランスは婚姻以外の道を探さざるを得ない。タクラクルからすれば、ノーランスを緩衝地帯として何とか維持してきた二国間の平和を崩そうとしているように見えるのではないか。


その根底には我が国の食糧事情を握っているタクラクルとの関係を現状のままで何とか維持したいという思惑がある。


「今更じゃないですか」


父の考えにクライスは些か呆れた。

―自業自得だ。父は周辺諸国からは暴君、好戦的と見られているし、実際、そうだろう。


(そんなの、あなたが戦争をしかけなければいいだけでしょう)


そう言いたいのをぐっと堪える。


「そんなに心配なら、タクラクルに書状や贈り物をして誠意を伝えればどうです」


そう言ってはみたが、「だがな」と父は続けた。

花嫁をユーリアと指定することへの懸念もあるのだ。


「ノーランスに婚姻を申し入れるのは賛成だ。だが、ユーリア姫と、とはどうしても言いにくい」


ノーランスの姫との婚姻を望むのは実はサリカウッズやタクラクルだけではない。

そして周辺諸国ではノーランスの双子の姫のうち、ユーリアは明るく活発で積極的だが知的とまでは言えない、バーバラは思慮深く賢いが地味な性格で内向的だと見られていた。

妃に向いているのはどちらかと言えばユーリアのほうだ、というのが客観的な評価である。

だからこそ、父は「抜け駆け」となりかねない花嫁の指名を避け、ノーランス側に選定を委ねることを押し切ったのだ。


―父上もいざというところで情けない。だが、、


「でもまぁ」とクライスが表情を変える。


「あれは想定内だ。まぁまさか書状の実物を持ってきているとは思わなかったが。だがむしろ彼がああ言ってくれたおかげで、私もユーリアを妃にすると宣言できたのだ。一応彼には感謝しておこう」


クロードに感謝、という言葉にカリアンが顎に手をやって「へぇえ」と間の抜けたような声を出す。


「余裕だなぁ。いいのか。あいつ、ユーリア姫の婚約者だって言い切ってたぜ。お前の焦りようって言ったら…。まあ俺としては、感情を失くしちゃってたお前が調子を取り戻して、このあとどういうふうに彼女を振り向かせるのか、すごく興味あるけどね」


とその時のことを思い出したのか、最後はにやにやしながら言った。

カリアンが喜んでいるのを見てクライスもうれしいという気持ちを確かに感じる。


「感情を失くしていた、か。…確かにこの手で彼女に触れるまでは」


重ねた自らの両手の掌のほうを上に向けて、視線の先にそれらを置いた。


「今日1年ぶりにユーリアと会えたというのに」


彼女の肩に触れるまでのやり取りをやるせない気持ちで振り返る。

ずっと会いたいと思っていたはずなのに。

念願かなってやっと会えたはずなのに。

好きだと思っていた彼女を目の前にしても何も心が動かなかった。


―だが、それもしようがなかったのだ。


なぜか、は明らかである。

あの夜。

幼い日に会ってから彼女にずっと抱き続けていた好意すら、あのふた月ほど前の忌々しい出来事に文字通り消し去られてしまった。

思い出したくもないのに苦々しい気持ちが甦る。


「クライス?」


クライスの表情の変化に気づいたカリアンが呼びかけた。


「あ、ああ」


なおも生返事のまま、両掌を見つめるクライスにカリアンがさらに声をかけた。


「ん?手?手が、どうかしたか?」


それでクライスも手の感覚と先ほど言いかけたことを思い出す。


「ああ、うん、彼女の両肩に触れた時、私の中からとめどなく溢れ出るものを抑えきれなかったのだ。溢れても溢れてもそれを受け止め、さらに抑えてくれようとする彼女に、失くしたものを見つけた、そんな安心感があった」


そうかそうか、と相槌を打ちながら、


「それ、さっきも言ってたやつ。それで、お前、あのあと少しだけだけど笑えたんだね。…でも、確かにその流れ出て止まらないままなのが血とかだったら、痛いし辛いし苦しいよな」


と、ずっとここまでクライスを間近で見ていたカリアンが同調し、自分のことのように顔を歪めた。

彼にはクライスがその溢れ出るもののもたらす痛苦のために、感情を出せなくなり、それが常態化して、やがて感情を抱くことそのものをやめてしまったとわかっていたのだ。



事の起こりは今からふた月足らず前のことだった。

ふた月足らず前…正確にはノーランスでラディスル川の祭祀が行われる前夜のことだ。

ここ何年か、クライスはお忍びでラディスル川の秋の祭祀を必ず見に行っていた。

理由は決まっている。

秋の祭祀を行うのがユーリアだとわかっていたからだ。

遠くからでもいい、とにかくユーリアの姿をこの目で見たかったのだ。

翌日に祭祀を控えて、その夜のクライスの気持ちは常ならず浮わついていた。


―1年経たないうちに結婚するのだ、ということは彼女が祭祀を行うのを見るのはこれが最後になるはず。巫女装束のユーリアも、彼女の舞も見納めだ。


そう思うと居ても立っても居られないような気持ちだった。

後から思い出すと、そこに付け込まれる隙のようなものができていたのかもしれない。

その夜、彼は就寝中に腹の辺りにのしかかってくるような圧力と食い込むような痛みを感じて目が覚めた。

うっすらと開けた目の先に黒いぎょろりとした飴のような光沢の眼が見える。

不意に胸に硬いものが当たり、急激に頭が冴えわたった。

胸に少しだけ当たったものは鋭い嘴。

その持ち主は白いカラスだった。


「な、なんだ、お前は」


そう叫びながらベッドから跳ね起きようとした。

だが、その時にはもう嘴が抉るようにクライスの胸を鋭くつついていたのだ。


「っ」


コツッという音とともに胸に激痛が走り、思わず息を呑み込む。

だが、体全体が金縛りあったように動かず、痛むところを手で庇うこともできない。

さらにもう一度同じような音がしたときにはもう、クライスはベッドにそのまま仰向けにひっくり返ってしまい、意識も失っていた。

白いカラスは動かなくなったクライスの胸から嘴で小さな石のようなものを取り出した。

そして見る間に窓から、その石を咥えたまま彼の部屋の窓から飛び去って行ったのだ。

クライスが気を失っている間、彼の手当てだけでなく、さまざまな根回しが行われていたらしい。

3日後に意識を取り戻したクライスにまず父から知らされたのは、ノーランスの姫君との婚姻が、ひと月後に早まったということだった。

だが、なぜかうれしいという気持ちは一滴も湧いてこなかった。

あれほど焦がれていたはずのことだったのに。

そして通常の生活に戻れたあとも、事務的に淡々とやるべきことをやる、ただそれだけの毎日の繰り返しが続くだけだった。

今日、あの時までは。

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